二章 二十一話 昔の約束③剥がれた仮面
────夏希視点
「おじゃましまーす……なんか良い匂いする」
「アロマとかもらったりもするから。その匂いやろ」
「春だっけ?たしか前に子犬みたいって話してたよな」
「そう。ドーベルマンみたいな感じの子。そいつに貰った。ちなみにそいつは女の子に貢がれてた」
「ドーベルマンって。前の話とイメージが合わないんだけど」
「二面性あるから」
「ふーん。んで、帰ってそうそう料理すんのな」
「仕込みしとかなな。食材は勝手に先輩んちのやつ使って良いから楽なんよ。んで、影と闇への抵抗はあるんよな?」
「女豹どもに植え付けられた」
ああ、なるほど。
「それいきなりでびっくりしたやろ。でも、悪意がある訳じゃないからな。あんまり、毛嫌いせんといてな」
「だってよっ!あんなの、あんな……?!」
手を止めて肯祐に目をやる。
「肯祐、この一族での決まりで、全てを教わるのは18歳からなんや。でもな、俺はもっと昔、闇や影に抵抗を持っていない、貰っていない頃に落とされたんよ。《沼》に贄として」
『主、苦しいぞ……それに、その目付きどうにかせい、そやつ、怯えとるじゃろ……!』
────肯祐視点
「……ああ、すまん。これ八つ当たりやな。ふぅー…………」
冷水をいきなりぶっかけられたような、そんな衝撃で俺は暫く固まっていた。部屋の温度も俺の体温も下がったように感じた。でも、兄貴が自分で抑えてくれたから動けるようになった。
「っ兄貴!無理すんなよ!」
尋常じゃない。そうやって押し込めるには重すぎる感情じゃねーか。兄貴にこれ以上無理はしてほしくない。だからと言って、あれを受けきれる訳じゃないけど。
近寄ろうとした瞬間、大きな黒い獣が行く手を遮った。
『寄るな。……ナツキ、平気か』
「うるさい。お前は帰れ」
『だが』
「帰れと言ったんだ。これは命令だ」
さっきよりも冷たくて鋭い声を受け、獣は沈んでいった。……今日、なんで、来ちゃったんだろ。兄貴、一人で居させた方が良かったのに、俺が逃げるために兄貴に迷惑かけて。
「すまん、今日にーちゃんおかしいわ。ちょっと隣の部屋で休む。あ、闇を扱うには憎しみとかの負の感情に飲み込まれないでそれを征する事が大事や。俺の場合、飲もうとする力よりももっともっと強い負の感情で飲み込んで扱ってる。飲まれそうになったら助けに来るから。練習してて」
そう言って、兄貴は部屋を出ていった。
……有華里ねーさん、なんで兄貴を一人にしたんだよ。兄貴を歪ませた大きな要因はあんただろ。
────夏希視点
『主よ……一旦感情を返すぞ。許容範囲を超えている。少し休ませてくれ』
「……っ、すまん」
ノヴァに返された感情分も、表に悪い影響を与えないように、気を紛らわす様に手の上に闇を呼んで、ありったけの感情を込めて丸め込んでから、ゆるゆると転がす。憎悪の視線を込めながら、くるくる、ふわふわ、ゆるゆると。
呼吸をすると感情を表に逃がしてしまいそうだった。息を止め、そのまま闇を切り刻む。塵のように細かくなるまで。そして燃やして、灰にする。
一時の炎の揺めきに癒しを求めても、負の感情がマシになることはなく。
「影狼、敷き布団」
『……ああ』
影狼の上に寝転がる。ふかふか。
「俺の感情吸いとって」
『しかし』
「いいから。核は俺が離さない」
『承った』
はあ。大分、余裕ができた。
「さんきゅ。もういいわ」
『ああ。無理はするなよ』
「お前に言われる筋合いはない。はよ帰って持ち場に戻れ」
影狼から降りて寝室を出て、リビングに戻る。
「肯祐、さっきはすまん。……休んだら大分マシになったわ」
「兄貴、俺も、駄々っ子みたいに。ごめん」
「いや、俺がやり過ぎただけだから」
「おう。でも、本当に無理しないでな。それに、兄貴、俺の前でぐらいは口調も無理しないで欲しい」
今日やばいな。夢のせいだろうが、肯祐まで敵に感じられる。
「……しっとったんか、この口調のこと。誰に聞いたん?」
「有華里ねーさん」
「ユウ、か……。すまんな、ほんと今日にーちゃんおかしいわ。もう何年も経ってるのに」
吹っ切れる訳ないだろーに。それに、なんで最後に会ったのがまだ小っちゃかった頃のこいつなんよ。あれがあった後に一回だけ。そのせいで、俺にはまだ生きてるとしか思えなくて。猶更諦められるはずがない訳で。
「ねーさん、早く帰ってくるといいな」
「ユウは帰ってこないよ。この世界の何処にもいないんよ。影も闇も、総動員したのに痕跡すらも見つけられなかった」
もともと、この世界に存在していなかったかのように。まるで幻だったように。
あの日まで、確かに俺の隣に居たはずなのに。だからこそ。だから、こそ。もう一度。一度じゃ足りない。何度でも。




