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楓の香気 前編-恋の虜編

結構、シリアスなお話でしょうか?

2話連続投稿します。

2017/08/15誤字脱字修正

 初冬のある冷え込んだ夜明け前、姫君は父親の邸から恋する男にそっと連れ出された。裾をからげた(うちぎ)を纏った旅姿で、高貴な姫君が顔を晒さないよう布を垂らした笠を被っている。こうして本格的に都を出るのも、ましてや馬に乗るのも初めての十六歳の姫君には、夜が明けて徐々に明るくなって間近くで見える物の全てが珍しく新鮮だった。荒れた小さな家や道、顔を隠さず歩く身分低き人々の姿も。


 いつもの様な牛車ではなく慣れぬ馬に乗り続けて、日が暮れる前にようやく辿り着いたのは、とある古びた寺宿。宿の女に案内されて狭い部屋に入ったはいいが、何をどうしたらよいのか分からない。豪華な父の邸とはまるで異なる古びた部屋で、ただ物珍しさにキョロキョロしてしまった。

 いつもなら、乳母や側仕えの多くの女房が、笠を外してくれたり衣を整えたり飲み物を用意してくれたりと、何かと世話をしてくれる。だが、ここには目の前の恋人しかいない。うっとしいので、笠だけは自分で外してみた。


 何故か途方に暮れた表情をしたのは、恋人である男の方だった。まだ二十代前半の逞しい武士ではあるが、子供の世話すらしたことが無い。腕っぷしに自信があり、どんな相手にも戦いで負ける気は無いが、高貴な姫君をどう扱ったらいいのかは分からない。今更になって困ってしまった。


 高貴な主の館に入り込もうとした夜盗を自慢の太刀で退治し、その際、騒ぎでたまたま外れた御簾(みす)向こうに花のごとく美しい姫君を見かけた。そしてその姫君に一目惚れして想い焦がれ、とうとう今日盗み出してしまったのだ。結局、主にとって(たち)の悪い夜盗はどちらだったのか、と問えば掌中の珠の姫を連れ出したこの男の方になるだろう。


 御簾や几帳すらも無い寂れた部屋で、どうしたものかと腰を下ろした男の目の前には、戸惑った様子で姫君が座している。若く美しい姫君には酷く不似合いだった。まるで無暗に摘まれた花が萎れそうになって、置き捨てられているかのように。


「ここは姫様のいる所じゃないな。俺には似合うが、姫様には似合わない」

「何を言っているのかしら? ここに連れて来たのはあなたよ。それに、似合う似合わないでは無くて、二人でいられる所に行くのでしょう?」


 姫君は恋人の言っている事がよく理解できない。疑問に首を傾げた。


「ここに来て分かった。普通の女にできることが、姫様には何もできない。俺の知る女達なら立ち働くが、姫様はただそこにそうして座っているだけだ。……俺は何でこんな役立たずな女を盗み出してしまったんだろう?」


 役立たずと言われ、姫君は酷く傷ついた。これまで、なんて優れた素晴らしい姫、ゆくゆくは帝の妃に相応しいと皆に褒められて育ってきただけに衝撃的だった。思わず涙が滲んできてしまうのを咄嗟に扇を広げて覆い隠す。


 男は困り顔でため息をついた。頭痛でもするのか指先で何度も額をほぐしている。その恋人の態度に、姫君は戸惑う事しかできない。旅立つ前、あんなにも熱い眼差しで率直な想いを語ってくれた男とは、まるで変ってしまっている。


「私にも、あなたのためにできる事は何かあるはずよ。箏も香も読み書きもできるわ。実は殿方が読む書物も読めるのよ。父上は女らしくないと言われていたけれど。でも将来、入内(じゅだい)したら帝のお役に立つかと思って……」

「今の、これからの俺の役には立たないな。……迎えが来るまで待っててくれ」


 何かを決心したらしい男は、どっこいしょと重そうに腰を上げ、そのまま姫君を一人置いて部屋を出て行った。


 宿の女が灯りを持ってきても夕餉を運んできても、そのまま男は戻っては来ない。

 生まれて初めて見知らぬ所で一人だけで過ごす不安と恐怖に、姫君は内心酷く怯えたが、泣き声を上げないよう堪える。父親の邸で暮らしていた時は、何人もの女房達が常に守り侍っていて、一人になるには無理矢理人払いを命ずる必要があったほどだ。だが、今はずっと独り。


 男が戻って来てくれるのを待つ。旅立つ前、夢に満ちた熱い眼差しで「必ず俺が守る」と太刀を手に言ってくれたのを信じたからだ。


 結局、男はそのまま二度と部屋には戻って来なかった。金は十分貰っていると言って、宿の女は気の毒がって、食事や着替えの世話など良く面倒を看てくれた。だが、酷く心配し必死に探し当てた兄達が牛車で迎えに来るまで、何日も姫君は独りぼっちで泣いて過ごした。

 酷く傷ついた姫君は、相応しい豪華な邸に兄達の手で大切に護られて連れ戻された。



「ほほほ」

「ハハハ」


 梨壺北舎(なしつぼきたしゃ)外御簾(そとみす)越しに、まだ十六歳でありながら妖艶さを滲ませる美しい楓尚侍(かえでのないしのかみ)と、文官束帯姿の有能な青年で有名な(とう)(べん)は、互いに乾いた笑い声を交わし合った。


 御所の中の静かな職場で、大納言家の長男、頭の弁は、さらさらと筆を軽快に走らせる。閣議で決定した内容について、日常業務である幾枚もの書類を書いていた。この中の女東宮(にょとうぐう)宛の書類で、わざと一、二か所だけ誤字脱字を『できるだけ分からないようにコッソリ』紛れこませた。誰にでも直ぐに分かる程あからさまではいけない、一捻りの工夫が大事である。


 今回も、数枚の書類の中のたった一つだけ漢字を誤って用いてみた。職場の若輩者では一見それとは気づかない素晴らしい細工だ。その出来の良さに思わずニヤリ笑いが浮かんでしまう。冷静な青年と帝や周囲の人々には思われている頭の弁だが、実はまだ二十二歳なのでこのようなちょっとした細工の悪戯を密かに楽しんでいた。


「さて、今回は気付くかな?」

「おや、お珍しいですね。頭の弁様がそのように楽しそうにされるなど。どこかの美しい姫君でも思い出されましたか?」

「そうだな。なかなかお目に掛かれない花ほど思い出されてしまうのだよ」


 後輩が揶揄ってきたが、頭の弁は軽く流すように微笑む。殿上人(てんじょうびと)には気安い恋人が何人かいるのは当たり前なので、お互い深くは追及しなかった。新しい恋人の事でも考えたのだ、と思わせれば問題は無い。


 あの姫を試して揶揄うのが楽しみだった。高貴な生まれに相応しく上品に賢そうに振舞ってはいても、年若いためか本性の狐の尻尾を隠しきれずにいるのが楽しい。いそいそと特別に用意した桜の彫り物をした文箱に書類を納め、東宮の住まう梨壺北舎(なしつぼきたしゃ)へと自ら持って出掛けた。


 外廊下の簀子(すのこ)から梨壺北舎(なしつぼきたしゃ)御簾内(みすうち)に、いつもの様に取り次ぎ願いの声を掛けると、ざわざわと女の小声や衣擦れの音がした。

 宮中二大貴公子達ほど華やかな美形ではないが、名家大納言家の長男で賢そうな整った顔立ちの頭の弁は女房達からの人気が高い。皆がコッソリその姿を一目見ようとしているようだ。


 姫君の姿を隠す几帳(きちょう)が準備されるや、ふんわりとかすかに漂う華やかな香と共に、高貴な唐衣裳(からぎぬも)姿の尚侍が几帳の向こう側に座し、手順に従った挨拶を交わし合う。


 ズイッと御簾の下から女東宮宛の書類の入った文箱が差し入れられた。


「頭の弁様自ら書類をお持ちいただき、いつも申し訳ございません」

「いいえ、お気になさらず。女東宮(にょとうぐう)様にお仕えする高貴な楓尚侍(かえでのないしのかみ)様へ書類をお渡しするのに、文遣いの童では恋文かと誤解を招き、あらぬ『噂』が立ってしまいますから」


 几帳の陰の楓尚侍がピクリと反応した。狐だったら顔がそ知らぬ風でも尻尾が揺れたところだ。わざと『噂』の部分を強調した頭の弁の物言いから、嫌味に気付いたのだ。


「お互いに『あらぬ疑い』は困りますものね」


 『あらぬ疑い』の所で、頭の弁はそ知らぬ風で態とらしく首を傾げる。宮中における権謀術数に慣れた何でもない表情だ。


「何の事やら……?」

「何の事でしょうか……?」


 互いに社交的な笑みを浮かべて扇で口元を隠しつつ、一瞬押し黙った。


 楓尚侍が気にする『噂』とは、出仕(しゅっし)前にしでかした身分低い者との駆け落ち騒ぎの事である。あの事件により、東宮妃として入内(じゅだい)する予定がご破算になり、更にはその駆け落ち相手にも捨てられたと笑い者になったのだ。だからこの話題は、親しき者の間では禁句である。


 頭の弁が沈黙する『あらぬ疑い』とは、前東宮および女東宮襲撃の嫌疑である。既に襲撃者は処罰済みだが、黒幕が誰だかは判明していない。だが、女東宮反対派の大納言家がそうではないかと宮中では疑われているのだ。勿論、証拠などありはしない。


「ところで、このような誤字が目立つ不備な書類など、とても女東宮(にょとうぐう)様にはお見せできませんわ。先日の神事でも、お手配いただいた事が前もって伺っていた事と異なると、女東宮様はご不快でした。このような不備が続くとは問題ですわね!」


 目の前の公達(きんだち)に不快さが伝わるよう、楓尚侍は業とらしく扇をパシンと音を立てて閉じた。ズイッと御簾(みす)の下から女東宮宛の書類の入った文箱を押し返す。


「大変申し訳ございません」


 外廊下の簀子(すのこ)に座して文箱を受け取った頭の弁は、業とらしくゆっくり軽く頭を下げた。その姿を見て、はっ! と尚侍が扇の陰で呆れたように鼻で笑う。


 まあ、あの頭の弁様が頭を下げられたわ! とあちこちから盗み見ている女房達が驚きの声を漏らす。尚侍の身分以上のあまりに強気な態度に、不快な視線を送る者もいる。女東宮と父左大臣の威光を笠にした尊大な態度であると。


 だが、頭の弁は一見しおらしく謝罪しているかのようだが、その実、心は全く籠っていない。傍からは未熟な十六歳の若輩者の至らなさを受け止めるかの様な、六歳年上らしい余裕の態度だ。それにより、尚侍の方がまるで無理難題で公達(きんだち)を困らす悪役姫のように見られてしまう。そう演出できた事が毎回愉快でたまらない。心のなかでクククと笑う。


「さすが才女と名高い尚侍(ないしのかみ)様。女東宮(にょとうぐう)様の右腕と言われるだけの事はございますね。サラッと見ただけでお分かりになるとは」

「白々しい。こちらが気付かなかったら、後で御所中に言いふらすおつもりだったのでしょう? 書類の一つも読めぬ、役立たずの尚侍と」


 頭の弁は、ニヤリと扇の陰で笑う。勿論、この書類は態と誤字をこっそり紛れ込ませて書き込んだ物だった。


「まさか! いつもその有能さに感心しております。さすが艶やかに舞散る(男に捨てられた)(かえで)の姫君だと」

「まあ、頭の弁様こそ、仕事が有能(東宮失脚を狙う)と有名ですわ。その方にお褒め頂くなんて!」


 互いに扇で皮肉気に歪む口元を隠しつつ、揶揄い合うように和やかに見つめ合う。だが、二人ともその目は笑ってはいない。尚侍の側仕えの女房達は毎度のことながら、二人の毎回交わされる嫌味の応酬をハラハラしながら見守った。


「ほほほ」

「ハハハ」


 互いに外御簾(そとみす)越しに社交的なだけの乾いた笑い声を交わす。互いに見えない言葉の針で突き合い、尚侍はいかに頭の弁に頭を下げさせるか、頭の弁は尚侍を悪女に仕立てられるかと、どちらが優位に立って終わるか毎回勝負しているのだ。だから頭の弁は必ず自ら書類を届け、楓尚侍も必ず御簾越しに対面する。

 二人にすっかり忘れ去られている側仕えの女房達からすると、最終的にはお二人ともこの勝負を結構楽しまれているのよね、というのが概の意見だった。


 そこへ、とてとてと背後の外廊下の簀子(すのこ)からゆっくり静かな足音が近づいて来る。睨み合っていた二人の側にニコニコ笑顔の山吹(やまぶき)の少将が現れた。途端に、あら! と御簾内にいる梨壺北舎(なしつぼきたしゃ)に仕える女房達が、可愛い美少年の訪問に喜んで色めき立った。まだ十代後半とは言え、結婚相手にはこの上無い天下の右大臣家の嫡男だからだ。


「あれ? 頭の弁様もこちらに御用でしたか」

「おや、山吹の少将……。君がこちらを訪ねるとは珍しいね」


 さずが天下一の権力を持つ右大臣家の嫡男なだけあって、見事な仕立ての武官の束帯衣装をさりげなく身に着け、焚き染められた香も上品だ。女房達が一斉に驚きと喜びの声を漏らし、ざわざわと御簾の側に集まる人数が増えた。


「君ほどの者が訪問するくらいだ、右大臣様から女東宮様に御用でも?」

「いいえ。女東宮様の兄宮(前東宮)様の御遣いです。今、宮様は右大臣邸でお暮しですので。畏れ多くも女東宮様へのお文ならば、私がお届けするようにと姉上様に命じられました」


 山吹の少将は梅の木彫りが施された文箱を御簾の下からそっと押し入れた。


「楓尚侍様、これを女東宮様へお渡しいただけませんか? 兄宮様からのお文と、我が右大臣邸で催す『梅の花の宴』へのお誘いについてです。姉も是非にと申しておりました」

「承りました。女東宮様におかれましては、尊いご身分柄、後宮を出ての行啓は難しいとは思いますが、私からお気持ちはお伝え致します」


 楓尚侍は文箱を受け取り、恭しく礼を取った。


「女東宮様への取り次ぎや諸事のお手配、いつもありがとうございます。本当に楓尚侍は頼りになりますね。先日、とても有能であると帝も仰られておりました」

「何事にも至らぬ我が身でございますが、山吹の少将様だけでなく、帝にまでお褒め頂くなど恥ずかしい限りです」


 親し気に微笑む山吹の少将の言葉に、思わず楓尚侍も思わず扇の陰で頬を赤らめてしまう。その様子に気付いて、頭の弁はジッと冷たい眼差しで二人を見つめる。


「そう言えば、大社でお会いして以来ですが、その後、お変わりはございませんでしたか? 高貴なか弱い姫君には衝撃的な事件でしたから」

「まあ、お優しくていらっしゃいるのですね、山吹の少将様は。おかげさまで心安らかに過ごしております。あの事件の時は女東宮様共々お守り頂き、本当に感謝しております。山吹の少将様こそ、本当に頼りになるお方ですわ(口先だけの誰かと違って)」


 高貴な尚侍に褒められ恥ずかし気に頬を染める山吹の少将の横で、頭の弁は楓尚侍の当てこすりに気付いて不満げに目を細める。


「お二人は随分親し気なご様子ですね」

「そんな、尚侍様にご無礼ですよ、頭の弁様。たまたま大社の事件がきっかけでお話出来るようになっただけで。でも、尚侍様は素晴らしい方だから、光栄に思っています」

「そんな……」


 互いに頬を染めて恥じらい合う二人を前に、頭の弁の纏う空気が冷たくなった。碌に挨拶の言葉も交わすことなく、さっさと退出の礼を取るなりすっくと立ち上がる。そのまま不満げにスタスタと尚侍の前から去って行ってしまった。


「あれ? お話に割り込んでしまったから頭の弁様を怒らせてしまったかな? 申し訳ございません、尚侍様」

「……いいえ、お気になさらないで、山吹の少将様。また今度お会いした時に、私から……」


 そうは言ってみたものの、楓尚侍は次に何を言おうかと悩む。何が理由で機嫌を損ねたのか分からない。何度も口喧嘩にも等しい嫌味の応酬を重ねてきたが、こんな風に冷たく不満げに背を向けて立ち去ったのは初めてだったからだ。いつもなら十分な遣り取りの後、半分揶揄うような笑い声と共に別れるのにと。

 賑やかな梨壺北舎(なしつぼきたしゃ)で大勢の人に囲まれながら、まるで一人置き去りにされたような気がし、とても寂しく感じてしまった事に楓尚侍は気付いた。


 頭の弁は何故かイライラする気持ちを抑えきれないまま、真っすぐ職場に戻った。既に用意してある誤字脱字の無い書類をさっさと文遣いに渡し、梨壺北舎(なしつぼきたしゃ)に届けるよう言いつける。


「あれ、今日はお戻りが早いですね、頭の弁様。いつも梨壺北舎(なしつぼきたしゃ)からのお戻りには時間が掛かるのに」


 また後輩役人が驚きを滲ませた声を掛けて来た。いつも冷静なあるいは社交的な微笑みを浮かべる頭の弁が、珍しく不機嫌そうに眉間にしわを寄せていたからだ。このように感情を露わにするのは非常に珍しい。


「山吹の少将が女東宮様に御用で、梨壺北舎(なしつぼきたしゃ)を訪ねてきたので」

「ああ、右大臣邸の『梅の花の宴』の件ですね。女東宮様の兄宮様がおられるお邸の宴だから。……それに噂では、右大臣家では山吹の少将様の妻に楓尚侍様を望まれているとか。それで、きっとお二人一緒にお誘いするおつもりなのでしょう」

「少将の妻に楓尚侍様だと!? そんな馬鹿な!」


 滅多にない頭の弁の動揺した大声に、後輩はビクッと驚き圧倒された。


「あの駆け落ち姫を、あの右大臣が大事な息子の正妻にと望むはずがない。帝の女三の宮様との間違いではないのか?」


 頭の弁は、思わずその後輩の胸元をグイッと両手で掴んでまで噂の詳細を話すよう強く促す。その頭の弁の目つきの鋭さに後輩は益々怯え、思わず身を竦めてしまう。


「いや、自分も噂だけで……。あの大社の事件をきっかけに、山吹の少将が楓尚侍様を見初めたとか何とか……」

「だが、尚侍のお父上の左大臣は、このまま次の東宮様にお仕えさせるおつもりなのだろう? 時期を見て、あわよくば女御に昇格させようと!」


 ガクガクと後輩をゆすぶる。目つきは益々鋭くなっていた。


「し、知らないです! ただ、次の東宮様はあの通り右大臣家の女御お一人をご寵愛して、他の姫君には見向きもされないと有名だし。右大臣家に望まれての婚儀ならば、左右大臣家の繋がりを強くするためにも政略的に良いんじゃないかって、皆が宮中で噂して……」


 頭の弁は信憑性ある尚侍の結婚話に目を見開いて驚き、固まってしまった。尚侍のままなら話をするのは問題無いと勝手に思っていたが、他家の妻ではできなくなる。

 これまで、男に媚びず夫など必要ないとでも言うようなあの尚侍の様子から、他の公達の妻になるという考えは思いもしていなかったのだ。山吹の少将の正妻となってしまっては、右大臣邸に引き籠って会えなくなる可能性の方が高い。


 以前、態と『駆け落ち姫』と大納言家で噂を流してまで、政略的に無理矢理手に入れようとしていた事もあった左大臣家の美しい姫君。その時は左大臣家の血筋と美しさだけが取り柄の姫だった。だが、この後宮に出仕してからは、女東宮の片腕として思いがけぬほどその優れた才を花開かせた。あのような尚侍と手応えある遣り取りは、今までどんな姫君とも味わえなかった楽しみだった。


 何故自分がこんなにも取り乱すほど動揺しているのか、頭の弁はたった今気づいた。あの姫君に心を強く深く囚われていたからだ。

後編に続きます。

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