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鬼百合の香気

久しぶりに東宮様と麗景殿の女御の、らぶらぶ話です。

史実や詳細設定などには、こだわらないようお願い申し上げます。


※「平安異譚-恋敵は姫君だけじゃない」の第16話「英雄の恋」あたりの時間軸です。

2017/05/03 誤字脱字を修正しました。

 妖しく悩ましい満月の夜、暗く寝静まった梨壺北舎から、小柄な人影がそっと抜け出した。

 東宮の同腹の妹、女五の宮だった。近頃、恋を知った姫宮は、自分の複雑な気持ちに悩み、眠れなかったのだ。


 高貴な姫君が一人忍び歩きしていることが誰かに知られたら大変なので、また文遣いの童の桔梗の君を装っている。この姿なら主の秘密のお遣いに出た童にしか見えないから、誰かに見られても皆黙認するはずだった。


 手燭の小さな灯りだけで、後宮をそっと歩く。月明かりはあるにも関わらず、思った以上に暗く心細く恐ろしくなってきたが、桔梗の君はどうにも落ち着かなかったのだ。

 

 人を好きになる気持ちってどんなもの? 確かに紅葉の少将様をお慕いしているけど、こんな心細い時に側にいて欲しいと思ってしまうのは別の公達。そう気が付き益々心が乱れる。

 

 姉とも慕う親友の麗景殿の女御は兄東宮と相思相愛の仲である。その女御に恋愛について尋ねたこともあった。


「言いたいことを言い合えるわ。深くお慕いしているからこそ、信頼もしているの。だから、お互い酷く腹が立つことがあっても、結局許してしまうの……」

「酷く怒っているのに?」

「ええ、許せるし、許されると信じられるのです。以前、橘の宮様は私の婚約者でもありました。その時は、互いに礼儀正しく取り繕い合っていて。失敗したら嫌われるのではないかと構えてしまいました。でも、失敗を恐れる事は、それは、相手を信頼していない事なのだと今なら分かります。それが破局の元だったと。東宮様には最初から怒ったり泣いたり……。それでもお慕いせずにはいられなくて。でも、みっともない所ばかりお見せしていたわ」

「でも、東宮様は女御様を深く想っておられますわ」

「一番みっともない所を見ても想って頂けるのなら、もう何も恐れるものはありませんわね」


 女御は恥ずかし気に頬を染めつつ桔梗の君に微笑んだ。どうも語られない、いろいろな事があったようだった。


 渡殿を渡り、麗景殿の前まで来て、さて、どちらに行こうかと桔梗の君は迷った。ふと、こんな夜に訪ねてきて、『夜の桔梗の花の姫君へ』とその花をくれた人を思い出す。

 そういえば、桔梗の花が宣耀殿の庭に咲いていたわ、とそちらに足を向けた。月明かりの下、その夜の花を見たくなったのだ。


「オーホッホッホッ! 人の身でありながら、思い上がってこの私に立ち向かうとは!」

「おのれ、この悪の鬼姫め! この後宮をそなたの好きにはさせぬ!」

「この天下一の妖力を持つ鬼姫を倒すというか? やれるものなら、やってみるが良い! オーホッホッホ!」


 住まう主がいないはずの宣耀殿の奥から、若い男女の言い合いが漏れ聞こえてきた。しかもただならぬ妖しい会話だ。桔梗の君は確かめようと、好奇心から明かりを消してそっと宣耀殿に忍び込み、気配を探る。


 本当なら、危険に近寄らず逃げるなり、警護の者を呼ぶなりを、しなければいけないのは分かっているが、危機感よりどうにも好奇心の方が勝ってしまったのだ。


 ピシャリ! ピシャリ! と、布か何かが床に打ち下ろされたかのような音が響く。そのたびに、うぐっ! とか、うわっ! とか、驚き苦しむような若い殿方の声がした。


 桔梗の君は見つからないように足音を殺しつつ、ついには明かりの灯る奥の部屋に近付き、身をかがめてドキドキ胸を高鳴らせながら、そっと隙間から中を覗いてしまった。


「さあ、どうした英雄よ! この『妖の比礼』に打ち据えられて、そのように動けぬのに、私を捕らえるなど笑止千万じゃ!」

「いいや! 鬼姫などには負けぬぞ! 必ずや我が剣で刺し貫いてくれん!」

「ならば、この私の妖力を跳ねのけて、捕らえてみよ」


 中には頭上に一本角を生やした艶やかな袿姿の女がいた。薄布の比礼を床に打ち付けて、高慢に高笑いしている。そして床に膝を着いて苦しみ見上げる狩衣姿の公達を細目に見下ろす。室内の明かりが十分ではないため顔がはっきりしないが、鬼姫は小柄なのに恐ろしく見える。

 打ち据えられている大柄の公達は、桔梗の君にほとんど背を向けているため、顔は見えず誰なのか分からない。同じように長身な、桂木の少将でも紅葉の少将でもないのは分かる。

 

(お、鬼だわ! 後宮に鬼が出たのよ! どうしよう!)


 鬼姫と戦う公達は、桔梗の君にはさっぱり感じない鬼の妖力のためか、訳の分からない『妖の比礼』のためか、動けず苦し気だ。


「さあ、今一度、この『妖の比礼』で打ち据えてやろう! 覚悟せよ!」


 鬼姫が舞のように袿を纏う腕を振り上げると、艶やかな『妖の比礼』が柔らかに広がる。あれが公達に触れてしまったら、どうなってしまうのか。どんな恐ろしいことになるのか!

 

「ええい! こうだ!」


 突然、公達は勢いよく立ち上がり、空中に舞う『妖の比礼』をその手に掴んだ。


「何!? そなた、動けるのか!」

「この時を待っていたのだ!」


 あっという間に『妖の比礼』を手繰り寄せ、驚きのあまりか動けずに立ちすくむ鬼姫を抱き捕らえた。


「離せ! 離さぬか!」

「いいや! 絶対に離さぬ! 離さぬぞ!」


 もぞもぞバタバタ抵抗する小柄な鬼姫を公達はギュッと抱きしめた。抵抗するのに疲れたのか鬼姫が息を切らして大人しくなると、片腕に抱き直し、もう一方の腕が鬼姫の頭上に生える一本角へとのびる。

 

「何をする! 我が角に触れてはならぬ!」

「この角こそが鬼姫の妖力の根源! こうしてくれる!」


 一本角は音もなくあっさり取れて、室内の奥へと放り投げられ、コンコンと軽い音を立てて床を転がって行った。


 力が抜けてしまったのか、鬼姫はへなへなと床に座りこんで、今更に恥じらうように袿の袖で顔を隠す。その間も、大柄の公達は抱き締める腕を緩めようとはせず、抱えたまま共に腰を下ろした。


「さあ、鬼の呪いは解けたぞ、姫君。そのお顔をお見せ下さい」

「鬼姫になった我が身が恥ずかしゅうございます。どうかお許しを。よよよ……」

「そなたが悪いのではない。全ては取り憑いた鬼姫のしでかしたこと。どうか私を見て下さい。さあ……」


 公達に促されるまま、姫君が顔を覆っていた袿の袖を下ろし、公達の腕に抱かれながら見上げる。


「ああ! あなたは初恋の柊の君!」

「ようやくあなたにお会いできた、我が姫君!」


 二人は薄暗い宣耀殿の室内でひしと抱き締め合う。大柄な柊の君が愛し気に包み込むように、姫君が頼り縋るように互いを抱く姿は、恋愛絵巻物の絵の一つの様だった。


「恐ろしい鬼姫の呪いから私を救って下さったのね、柊の君。なんて素敵なの! あなたこそが私の英雄!」

「もちろん、あなたをお助けするのは私だ! 絶対あなたを離さない、我が姫君」


 思わず恐ろしさも忘れてずっと夢中で覗いていたが、気のせいか、ほとんど棒読みのような態とらしい言葉になってきていると桔梗の君は思った。


「恐ろしい鬼姫の呪いは完全に打ち解かねば。姫、我が剣、受けてくださいますね」

「柊の君……」


 再び恥じらって紅い顔を袖で隠す姫君をそっと横抱きに抱き上げ、柊の君は更に奥へと姫君を連れていく。


 ん? どこへ? と桔梗の君がもっとよく見ようとわずかに身を乗り出したとき、背後から誰かに目隠しされた。


「!!」

「お子様は、ここまでだ、桔梗の君。童は英雄物語の巻だけで十分。次巻を見るのはまだ早い」


 目隠しを解かれて振り向くと、桂木の少将が恥ずかし気に困った顔をしていた。


「童は寝ている刻限では? しかもなぜ宣耀殿にいる? 後宮とは言え、暗い中、一人で出歩くなど危険だ」

「ごめんなさい。いろいろ考えていたら眠れなかったんです。……それにしても、あのお二人は、東宮様と麗景殿の女御様では? それこそ何故この宣耀殿におられるのですか?」

「しっかり覗いていたんだな、困った童だ。あのお二人は時折ああして『遊び』をされる」


 ふう、と桂木の少将は呆れたようにため息をついた。


「『遊び』? あれが? 女御様、鬼姫に取り憑かれていたんでは? だって目を吊り上げて、訳の分からない『妖の比礼』とかを東宮様に打ち付けてましたよ! 東宮様、痛そうに……」

「当ててる振りだ。実際はかすってもいない。当たったところで、あのようにひらひらした物、痛くもないよ。大丈夫。比礼も角も全部作り物で、お互いに『振り』なんだよ」


 東宮が怪我したのでは、無礼なのではと、慌てる桔梗の君を桂木の少将は落ち着かせる。


「振り? 嘘なんですか?」

「だから、『鬼姫から姫君を助ける英雄』の物語を楽しまれていたんだよ。女御も悪役鬼姫にすっかりなりきって楽しそうに……。苦しみを乗り越えて助ける英雄、救われるかよわい姫君の恋愛物語。最後、かなり盛り上がっておられたようだな」

「はあ……? ちょっと恥ずかしい気も……」


 兄夫婦の『遊び』を目の当たりにして、桔梗の君は、兄宮の妙な悪戯好きを改めて知った。いつもは御簾内でお淑やかにしている女御も、意外に悪役を楽しんでいたようだったのが驚きだ。


「それを許し合うほど仲が良いんだろう。それにお二人は、誰にも見つからずに抜け出してここにいると思われている。実際は少ないながら私のような警護がついているんだ。でも知られたら、きっともの凄く恥ずかしいと思われるだろうから、桔梗の君もここにいて見た事は絶対に口外してはならない」

「わかりました。私も他人にこんなこと知られたら、きっと恥ずかしい……」


 自分だって文遣いの童に姿を変えていることはすっかり忘れて、桔梗の君は兄夫婦の秘密に頬を染めつつ頷いた。


 結局、宣耀殿の警護はその他の者に任して、桂木の少将が、梨壺北舎まで桔梗の君に付き添った。桔梗の君が少女だと知っているため、警護してくれたのだ。


「……思ったんですけど。ひょっとして、東宮様、政敵の橘の宮様が『梨壺侵入者事件』で英雄扱いされたのが悔しかったんでしょうか? 先日、梨壺北舎で侵入者から私を護って下さったのは、本当は百合姫様なんです。だから、本当の英雄は百合姫様です。……姫様は恥じらって嫌がられるかもしれないけど」


 そう桔梗の君が呟くと、『英雄は姫君』がおかしかったのか、桂木の少将がクスクス笑って桔梗の君の頭を撫でる。


「とりあえずお褒めの言葉として、ありがとうと代わりに言わせてもらうよ。妹姫にもそう伝える。桔梗の君が言ったのなら、きっと喜ぶと思う」

「良かった。私の英雄の君によろしくお伝え下さい」


 桔梗の君が微笑みつつ見上げて言うと、気のせいか桂木の少将は頬をわずかに染めている。そして妖し気に微笑み返してきた。


「桔梗の君、鬼に襲われないうちに、御殿に入ってお休み」


 桂木の少将が不意に身を屈めたかと思うと、温かく柔らかいものが一瞬だけ桔梗の君の唇をかすめた。

 びっくりして桔梗の君は口元を覆い隠しつつも、腰を抜かしそうになる。


 クスリと笑って、桂木の君は梨壺北舎から去っていった。


 翌日、桔梗の君は『梨壺侵入者事件』のお見舞いの文を貰っていたこともあり、久しぶりに麗景殿の女御を女五の宮として訪問した。昨夜、嬉々として比礼を振り回して鬼姫役を楽しんでいた麗景殿の女御を、昼間もう一度見て見たいという好奇心があったからだ。


「お久しぶりでございます、姫宮様。ようこそおいでくださいました。ごゆるりとお過ごし下さいませ」


 互いに御簾の奥で、麗景殿の女御は東宮妃に相応しい所作で、五の宮に礼をとる。その様子は、優雅で上品なおっとりした高貴な姫君で、非の打ち所がない。だが逆に、その姿を見て、五の宮の脳裏には鬼姫の高笑い『オーホッホッホッ!』が蘇る。

 

「姫宮様、いかがされました? 何やらお元気が無いようですが……」

「いえ……」

「おお、五の宮もここに参っていたのか」

「東宮様」


 何となく決まり悪くて女御に視線を合わせられず、落ち着かずにいた桔梗の君の前に、重々しい威厳に満ちた兄東宮が現れた。麗景殿の女御に会いに来たらしい。ふと、鬼姫に打たれて情けなくも膝を屈していた兄東宮の姿が、桔梗の君の脳裏に浮かぶ。


 ゆるゆる穏やかに、親しい身内の心和む会話が進んだ。


「五の宮、そなたも、いつまでも童女のように騒いでいては、はしたないぞ。この麗景殿の女御を手本とし、もう少し淑やかになるがよい」

「私など、至らぬばかりで恥ずかしゅうございます」


 女御はおっとりと恥じらい、扇で顔を隠す。その様を優しく愛し気に東宮は見つめる。

 昨夜の『英雄』と『鬼姫』はすっかり雅やかな貴人になっていた。大声をあげて立ち回り、騒いでいた二人には到底見えない。


 鬼姫になりたい訳ではないが、自分だったら恋する紅葉の少将を前に、あのように振舞うなんて恥ずかしくて到底できない。はしたないと幻滅されてしまうのが怖い。絶対に見せられない! と桔梗の君は心の中で首を横に振る。

 毒の吐き戻しを見せても嫌わなかった桂木の少将なら、嫌わずにいてくれるかもしれないが。


「ん? どうした五の宮。話を聞いているか?」

「……はい。私も麗景殿の女御様のような(高笑いしても嫌われないような)淑やか(?)な姫君を目指します」


 この兄夫婦のように、互いの隠れた姿を見せ合い受け入れ許し合う、相思相愛って難しい、と桔梗の君は思った。


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