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Play the hero. ー3.蟷螂の斧ー  作者: 宝積 佐知
12.夜光樹の森
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12.夜光樹の森


 嫌な奴に遭ったと、思った。

 人から放たれる熱気に満たされた不快な電車内で、如何にか怠い身体を預ける席を確保出来たと胸を撫で下ろした矢先だった。閉まり掛けたドアの隙間を長身痩躯の少年が擦り抜ける。

 駆け込み乗車はご遠慮下さい――。

 お決まりの車内アナウンス等、何処吹く風で糸目の少年、見浪翔平が周囲をぐるりと見回す。

 箕輪は、限りなく他人に等しい間柄と解っていながら見知らぬ他人の振りを決め込む。寝た振りをする方が効果的だっただろうかと自問するが、答えは何処からも返って来ない。

 彼の率いる光陵学園が、県大会で決勝戦への切符を勝ち取った試合を、観戦した帰り道だった。明日の決勝戦に備えて各自帰宅を促され、和輝達と道を別った直後だ。明日には互いの夢を潰し合うと解っている相手へ、わざわざ挑発したり、啖呵切ったりする程に自分は酔狂では無い。此処に和輝がいれば、悪手と解っていながら敢て見浪へ声を掛けていただろう。

 見浪は、此方の心中等お構いなしに気付くと、糸のような目を僅かに見開いて口を開いた。



「あ、箕輪君」



 何人かの乗客が、何事かと目を向ける。

 決して親しい間柄では無い。けれど、まるで旧知の仲であるかのように見浪は大股で歩み寄って来る。



「偶然だねえ。今、帰り?」



 人好きのする笑みを浮かべる見浪に、何故だか背筋が寒くなる。

 和輝が常々彼を胡散臭いと呼ぶ理由が、身を持って解る。表情も仕草も言葉も声の抑揚も、全てがまるで虚構で塗り固められた嘘のような男だと思った。

 正面で吊革に掴まる見浪を、自然と見上げる形で箕輪は応える。



「ああ、そう。試合観戦してたよ」

「知ってるよ。グラウンドから見えたからね」



 準決勝の最中に、観客席を見る余裕があったと言うのだろうか。考えるだけ無駄だ。この少年は、笑顔でトリックプレーに勤しみ、罠を張り巡らせるような人間だ。その心理まで解る訳が無い。

 試合後の彼を労わって席を替わるべきだろうかと逡巡する。車内は雨天の為か乗客が多く、窓は人いきれで薄く曇っていた。

 見浪は足元にスポーツバッグを落とす。此処を動く気は当分無いらしい。



「和輝は一緒じゃないんだな」

「そう」

「でも、最寄駅は一緒だろ。何で?」



 目聡いな、こいつ。

 内心で苛立つ。そんなこと、お前に何の関係も無いだろう。

 詮索されたくないのは、決して疾しいことがあるからでは無い。ただ、この後、彼女――神部さんと会う約束をしていただけだ。

 此方の内心を読み取ったかのような食えない笑みを浮かべ、しかし詮索はせずに見浪が嗤う。



「まあ、いいか。丁度良かったよ」

「何が?」



 問い掛ければ、見浪が笑みを深くする。



「俺さ、箕輪君と話してみたかったんだよね」

「はあ?」

「ほら、俺と箕輪君の名前って、ちょっと似てるじゃん?」



 箕輪翔太と、見浪翔平。

 そんな子どもみたいなことを言って、見浪が笑う。



「後さ、訊いてみたくって」

「何を」



 振り返ってみて、此方が詮索してばかりだと気付く。けれど、それは見浪が要領を得ない言葉ばかり吐き出すからだ。よくもこんな奴と真面に話が出来るなと、我らがキャプテンに感心する。

 見浪が、口を開く。その動きはやけに遅く、まるでスローモーションでも見ているようだった。



「天才と過ごす毎日は疲れない?」



 その時、がたんと電車が揺れた。

 緩やかに速度を落とした電車が駅へ滑り込む。目的地はまだ遠い。数人の乗客が入れ替わり、やがて電車はまた走り出す。

 質問への答えは、出て来なかった。否、質問の意味が解らなかった。

 天才って、誰のことだ。

 疲れるって、如何いう意味だ。

 訊き返したいと思うけれど、見浪は気にする様子も無くつらつらと続けた。



「だって、栃木の名門からの編入生、白崎匠。プロ野球投手の息子、夏川啓。極めつけはあの天才、蜂谷和輝だぜ?」



 和輝の名前が、妙に強調されたように感じた。

 ああ、そうか。そんなことを、今更掘り返すのか。

 嘘吐きと名高い和輝を以てして策士と言わしめた見浪が、今更そんなところを突いてチームを崩そうとするのか。馬鹿らしいとか、腹立たしいとか思う以前に、酷く落胆した。



「別に、個人戦じゃないしな」

「チーム戦だからこそ、感じることもあるだろ。自分が、チームの足を引っ張っているんじゃないか、とか」



 平和そうな笑みを浮かべて、何を言うんだこの男は。

 侮辱されていることは明白だった。馬鹿馬鹿しくて、笑う気にもなれない。



「その程度で足を引っ張られるチームなら、此処まで勝ち上がっている筈無いだろ」



 口調には棘が含まれた。最後に、お前馬鹿か、とでも付けてやりたかった。

 確かに、晴海高校は全国でも類を見ない程の少数精鋭チームだった。その内訳は才能に恵まれた選手が多数を占めている。そして、俺は其処に含まれない凡人の代表格だった。

 けれど、そんなことは如何だって良かった。仲間への劣等感を持ったこともあったけれど、彼等と過ごす内に如何でも良くなってしまった。だから、そんな安っぽい挑発で今更怖気付いたりしない。



「じゃあ、逆に、腹立ったりしないの?」

「何に」



 鬱陶しい。面倒臭い。目の前を陣取ったこの少年が一刻も早く下車することを祈る。

 和輝は以前、彼とゲームセンターで数時間過ごしたと言っていた。よく、そんなことが出来るなと驚嘆する。不躾な質問をぶつけて来る少年は余りにも非常識だった。

 だが、見浪は気にする様子も無い。



「ムカつかねーの、あいつ」

「だから、誰のことだよ」



 苛立って吐き捨てるように言えば、見浪がさらりと答えた。



「蜂谷和輝」



 その声が、氷の刃のように冷たく鋭く心臓を突き刺す。軋むような嫌な痛みに、一瞬、目が眩んだ。

 二年前の事件後、和輝を悪人と蔑んだマスコミと同じ声だと思った。何も知らない癖に、何も解ろうとしない癖に、何も出来ない癖に人を傷付けて悦んでいる。

 心の触れられたくないところを、無理矢理暴かれたような感覚だった。見浪の浮かべる笑みが益々軽薄で、仮面のように見えて来る。



「顔も良くて性格も良くて、運動神経も良くて才能にも人にも恵まれてるあの蜂谷和輝が、ムカつかねーの?」

「何で俺が、和輝のことムカつかなきゃいけねーんだよ」

「普通はそうだろ。人間には闘争心がある。自分より優れた者を妬み、羨み、貶めようとする。それが当然なのに、お前等のチームはまるで和輝が神様みたいに慕って遜って、俺から見りゃ気持ち悪ィよ」



 散々な言いようだが、一言で否定することは出来なかった。

 そういう見方もあるのだろう。和輝の持つカリスマ性は強力な磁石だ。吸引力の変わらない只一つのカリスマ性だ。



「宗教染みてるよ」

「……見浪君、何でそんなに和輝のこと嫌いなんだよ」



 彼等は決して険悪な仲ではないと記憶している。尤も、聞くのは和輝からだったから客観的にそう捉えている訳ではない。

 見浪は俺の言葉に驚いたように目を僅かに開いた。



「嫌いじゃないよ。むしろ、好意的だね。ただ、友情・努力・勝利を地で行く様が薄ら寒いだけ」



 解らない。高校球児として、仲間と結束して夢へ向かって努力し、勝利を掴もうとすることの何処が可笑しいのだろうか。見浪の言っていることは、努力をしたことの無い世間知らずな負け犬の言葉にも聞こえる。



「だって、ずりーだろ。何でも持っていて、何でも出来て、何不自由したことの無いような奴が、キャプテンに居座ってんだぜ。碌に努力したことも無い癖に、一緒に頑張って夢を叶えようぜなんて演説してるんだぜ」



 時代遅れの熱血スポ根だろ。

 見浪が嗤う。嗤う。嗤う。

 気味が悪いと、正直に思う。何が不快かって、言葉は侮辱の限りを尽くしていて、冗談でも無いのに、悪意は欠片も無いところだ。見浪が当たり前みたいに相手を貶めていることが、恐ろしい。



「所詮、空を飛べる鳥に、地べたを這う蟻の気持ちは解らないんだよ。天才には凡人の苦悩なんて解りっこない。生まれ持っての土台、スタート地点が違う。自分よりゴールに近い場所からスタートして置いて、追い付かない凡人に努力すれば願いは叶うなんて言うんだぜ。きれいごと、理想論。吐気がしないか」



 まるで、犯罪への加担を強要されているような気分だった。

 言葉だけならば、俺は大いに頷くべき立場だった。けれど、その天才という言葉が指すものが仲間ならば、俺は首を振る。



「良く解んねーけど、俺はあのチームが好きなんだよ」



 見浪に対する上手い言い回しが、思い付かない。原稿を読んでいるかのようにつらつらと述べる見浪は、やはり、基本的に頭の回転が速いんだろう。

 俺の言葉に、見浪が笑みを消し去った。そして、すぐさま口元が弧を描く。

 愉悦。そう呼ぶに相応しい表情だった。



「君も、まだまだ青いねぇ」



 じゃあ、またな。

 そう言って、見浪が足元の鞄を引き寄せて歩き出す。何時の間にか電車は駅に到着したようだった。



「楽しかったぜ、箕輪君」



 呆気無い去り様に、毒気抜かれたと同時に、どっと疲れが背中に圧し掛かった。




夜光樹の森(1)




「そんなの、只の暇潰しに突き合わされただけだろ」



 電車内の出来事を詳細に話せば、和輝が何でも無いように言った。

 神部さんと逢って一緒にファーストフードを食べて、すぐに解散した。雨脚が強くなって来たから、紳士としては彼女の身を案じて早期解散を切り出すしか無かった。

 帰宅して寝ようかと思案しながら、頬を撫でるような霧雨を駅のホームで眺めていた。すると、道の向こうから私服姿の和輝が傘を差して歩いて来たのだ。片手にぶら下げられたスーパーのビニール袋には、幾つかの惣菜が透けて見えている。

 昼食を買った帰り、和輝の傘を借りながら家の近くまで送ってもらうことにした。当然だが、和輝の低身長を考慮して俺が傘を持った。(和輝に言わせれば、入れてもらっている俺が傘を持つのは当然のことだそうだ)

 和輝は子どものようにビニール袋を揺らしながら、言った。



「それに、宗教染みてるなんて、今更だろ。全国の高校球児が、このクソ暑い中、わざわざ鉄板の上みたいな甲子園球場を目指して自分の身体を痛め付けているんだぞ。どんなドM宗教だっつうの」



 なるほど、そういう意見もあるのか。

 素直に感心しながら、電車の中にいたのが和輝ならそうやって言い返したんだろう。二人とも互いの意見をぶつけ合い、議論するのだろう。それはちょっと、見てみたい気もする。



「大体、才能なんて努力している人に対する最大の侮辱だろ。何で、言い返してくれなかったんだよ」



 腹立たしげに、和輝が小さな足で地面を叩く。子どもが地団太を踏むみたいだと思ったのは秘密だ。



「電車内で、そんな小恥ずかしいこと言えるかよ。お前じゃあるまいし」

「馬鹿だな。沈黙は肯定と一緒なんだぞ」



 その言葉には強い説得力と重みがあった。同時に、胸に刺さった棘がじくじくと痛む。

 目の裏に浮かぶのは一年前の光景だ。厚顔無恥で追い回すマスコミ。学校中に貼り出された根拠のない出鱈目な悪評。汚れた机。引き裂かれた教科書。傷だらけの和輝。すべてがノイズ交じりに蘇り、俺は慌てて頭を振った。もう、終わったことだ。

 和輝は、俺の仕草なんて気にもせずに前を見詰めている。くっきりした二重瞼、特徴的な大きな瞳。けれど、全体的に何故だか赤く腫れぼったい。まるで、泣いた後みたいだった。



「なあ、蝶名林君、大丈夫だったか」



 話題を替えようと気を利かせたつもりだったが、地雷だったようだ。他人には全く解らないような僅かな動揺が、和輝の瞳に一瞬映る。和輝は前を向いたまま答えた。



「右足の十字靭帯断裂だって。当分、松葉杖生活だって言ってたよ」

「うわ、靭帯かよ」



 大袈裟に驚く真似をするが、それも見抜かれていただろう。

 俺が問いたかったのは、怪我以上に、敗戦後の蝶名林君の落ち込みだった。負傷し、満身創痍の身体でグラウンドに立ち続け、結局、敗北してしまった。そんな蝶名林君が心配だったけれど、俺が気にしても仕方が無いのだろう。和輝はそれ以上、何も答えない。



「明日」



 ぽつりと、雨粒が落ちるように和輝が呟く。



「雨で決勝戦が延期になったら、高槻先輩に逢いに行こうと思うんだ」

「へえ」



 それは、何と言うか、返答に迷う。

 和輝にとって高槻先輩は、誰よりも尊敬する最大の恩人なのだ。俺にとっても高槻先輩は尊敬する元キャプテン、OBではあるけれど、温度差がある。

 すごい人なのは、解っている。仏頂面で素っ気無い割に懐深く、面倒見の良い人格者だと言うことも知っている。頭も良いし、運動神経も抜群だった。強烈なカリスマ性もある。和輝にキャプテンと言って誰を連想するかと問えば高槻先輩と即答するだろう。俺なら、和輝と答えるけれど。

 高槻先輩の話題が出ると露骨に嬉しそうにする和輝の横顔が、何故だか沈んで見えた。如何して急に会いに行こうだなんて思い立ったのかは解らない。というか、しょっちゅう会いに行っているから問うのも今更な気がした。



「あ、じゃあ、俺も行こうかな」

「何でだよ」



 まるで、俺が付いて行くことが不満みたいに和輝が言う。

 嫌がられる理由も無い筈だ。俺にとっても高槻先輩は先輩だし。

 大体、何で決勝戦が延期になったら会いに行くんだよ。俺なら神部さんと逢う約束を取り付けると思うけどな――、と、思い至ったところで気付く。



(そうか。明日か)



 違う、二年前の明日だ。全ての始まりで、終わりの日だった。

 水崎亜矢が自殺し、和輝が右腕と右肩を壊され、高槻先輩が昏睡状態に陥った日。決勝戦さえあれば何も考えずに我武者羅にプレー出来ただろうけど、延期になればそうはいかない。

 一見、図太くてふてぶてしい和輝が、実は繊細で傷付きやすい脆い人間であることを、俺達は知っている。



「あー、まあ。俺は神部さんと逢うかな」

「どうせ、今日も逢ったんだろー?」



 其処で漸く、和輝が此方を見て白い歯を見せて笑う。

 惚気んな、と言葉だけで嬉しそうな和輝がビニール袋を振り回す。その瞬間、袋の中身が僅かに見えた。

 金平牛蒡。揚げ出し豆腐。焼き魚。

 老人のような健康食だった。身体に見合わず大食漢である和輝らしくないメニューに、体調でも崩しているのかと勘繰ってしまう。けれど、その心境を慮れば当然だった。食事など喉を通らないだろうし、味なんて解らないだろう。

 辛いのかな、苦しいのかな、悲しいのかな。

 俺には解らない。俺は和輝ではないから、彼の体験を想像することは出来るけれど、理解することは永遠に出来ないだろう。本当に和輝は凄い男なんだと俺は思う。でも、それは何処か非現実的だった。浮世離れした――そう、聖人のようだ。



「和輝は、神様を信じる?」



 馬鹿げた質問だと、口に出した瞬間に気付いた。気付いた瞬間に、俺は赤面した。自分の質問の青さと馬鹿馬鹿しさに、嗤われると思ったのだ。

 だが、和輝は笑わなかった。それどころか、酷く真剣な顔で、突き刺さるような鋭い眼差しで、吐き捨てるように言ったのだ。



「明日が来るなら、どんな神様でも良いよ」



 それが希望の言葉でないことだけは、明白だった。

 返答の言葉を持たない俺に、和輝は何事も無かったかのように美しく微笑んだ。

 明日も雨だろう――。俺は確証も無く、そう思った。


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