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Play the hero. ー3.蟷螂の斧ー  作者: 宝積 佐知
3.少年Sの憂鬱
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3.少年Sの憂鬱⑵

 神部さん、良い子だなあ。

 そんなことをぼんやりと思いながら部室に向かう途中、今日も今日とて仲良く連れ立って歩く和輝と匠を見付けた。二人ともイケメンの癖に女の子に興味を見せずべったり一緒にいる。生まれた時から一緒だという浅からぬ二人の仲を否定する気は無いけれど、それにも限度があるだろう。



「お前、さっき居眠りしてただろ」

「してねーよ。お前こそ居眠りして夢でも見たんじゃねーの?」

「あ、お前そんなこと言って良いのか? ノート貸してやんねーぞ」

「ごめん寝てた」



 コントのようなやり取りをする二人は楽しげだ。その様子を通り過ぎる女の子が微笑ましそうに眺めていた。

 お前等、それで良いのかよ。



「何見てんだよ、箕輪」



 此方の視線に気付いたらしい匠が、印象的な猫のような丸い目を細めて言った。

 仕方が無い。やれやれと肩を竦めて歩み寄ると、相変わらず綺麗な顔をした和輝がきょとんと可愛らしく目を丸くしている。



「お前等、仲良過ぎじゃね?」

「気持ち悪ィこと言うんじゃねーよ」

「そーだそーだ!」

「いやいや、本当のことじゃん」

「何処がだよ。ただの幼馴染だっての!」

「そーだそーだ!」

「そんなんだから、お前等ホモじゃないかって噂されんだぞ」

「ざっけんな! 誰が言ったんだよ、気色悪ィな!」

「そーだそーだ!」

「うるせーよ、和輝!」



 傍で野次を飛ばしていただけの和輝を叱り付けた上に拳骨を落とす。理不尽だ。鈍い音に頭部を只管撫でる和輝に同情しつつ、先程まで賞賛の嵐だった男は見る影も無い。現実なんてこんなもんだ。

 蹲る和輝には一瞥もせず、匠が苛立ったように先に歩き出した。冷静なようで、気を許した間柄には短気な匠の後姿を見送り、蹲る和輝に視線を移す。



「おい、和輝」



 必死に頭を撫で付けていた和輝が、ゆるりと顔を上げた。その面には苦痛なんて浮かんでいない。

 何処までが演技だったかなんて聞くのも野暮だ。ことりと首を傾げた和輝の口元が弧を描く。



「で、何の用だ?」



 此方の用件を見透かしたような和輝の陰りの無い笑顔に毒気抜かれる。そうそう、こういう奴だ。純粋で単純と思われながら、その実、相手の心を見透かすような鋭さを持っている。



「大した用じゃねーよ。それより、あの手紙如何した?」

「持ってるよ。鞄の中だけど」



 その鞄は何処にあるんだよ。

 手ぶらの和輝に眉を寄せれば、平然と言われた。



「鞄なら、匠が持ってるよ」



 和輝が故障して以来、転入して来た匠は無駄な負担を負わせないように何かと世話を焼く。鞄を持ってやるなんて過保護だと思うし、それを甘んじて受け入れる和輝も和輝だ。本当、何なんだこいつ。



「手紙の返事ならもう書いたよ。さっき渡して来た」

「え、何時の間に俺のクラス来たの? 声くらい掛けろよ」

「いや、お前先生に怒られてたじゃん」



 うっ、と声に詰まった。

 放課後の掃除中に、クラスメイトとデッキブラシで戦っていたのを咎められたのだ。見られていたのか。

 嫌味を言う訳でも無くへらへらと笑う和輝。くそ、怒られるのはお前の専売特許だろ。何時も提出課題を忘れて、授業中に居眠りをし、テストで赤点を叩き出し、補習から逃亡する和輝が教師陣に追われて説教されるのを呆れながら見ていたのに。

 思い出してみて、こいつ本当にイケメンか? と自分の思考を疑問に思う。立ち上がった和輝は傷一つ無い野球部にしては白い面で笑っていた。いや、イケメンだ。



「ほら、練習遅れるだろ。行くぞ」



 今日のラブレターなんて、和輝にとっては日常茶飯事なのだ。神部さんの言葉を思い出す。

 確かにそうなのだろう。この二年を通して和輝は人間関係においてはっきりとした枠組みを作るようになった。枠の内側にいる人間にはぞんざいで素っ気無いけれど、過保護で甘っちょろい。枠の外にいる人間には他人行儀で自分の内側へは絶対に踏み込ませない。熱血漢に見えて意外と現実主義者だ。そういう歪さを抱えている。人間誰でもそうかも知れないけれど、和輝は中々際立っていると思う。

 歩き出した和輝を追い掛けて隣に並ぶ。頭一つ分は小さい和輝は窓の外を眺めていた。

 突き抜けるような蒼穹だ。雨は降らないだろう。鼻歌交じりに歩く和輝は何があったか知らないが上機嫌だった。何の唄かは知らないが、今なら何を聞いても大丈夫そうだ。



「なあ、和輝。お前なんで誰とも付き合わねーの?」

「だーかーら、今は野球で手一杯なんだよ」

「それだけ?」



 うーん、と唸りながら和輝は顎に指を置く。俺は食い下がった。



「今日手紙くれた神部さん、良い子だよ。なあなあ」

「しつけーなあ。そんなに言うなら、お前が付き合ったらいいだろ」



 面倒そうに言い放った瞬間、はっとしたように和輝が口を噤んだ。失言だと気付いたらしい。

 今更、そんなことで怒りはしないけど、自分のことを好きだと言ってくれる相手に言っていい言葉ではないだろう。流石に黙った俺の顔を見上げながら、和輝が小さく溜息を吐いた。



「……別に、迷惑って訳じゃねーんだけど」



 俺は何も言っていないけれど、叱られた子どものように和輝が俯く。自然と歩調は早足になっていた。



「そんな良い子なら、俺なんかじゃない方がいいんだよ」

「何で? その子はお前が良いって言ってんだから」

「ほら、俺って好い加減じゃん。連絡毎日なんて無理だし、馬鹿だから野球のことばっかで蔑にするし、それに……」

「ああ、もういいよ」



 兎に角、こいつは誰とも付き合う気は無いんだなと納得した。残念なようで、少し嬉しかった。これからも和輝は和輝のままで、俺達のキャプテンでいてくれる。それだけでいい。

 それだけでいいんだ。





少年Sの憂鬱(2)




「いや、和輝は暫く女関係は綺麗なままでいた方がいいと思うぞ」



 部室に着いて着替え始めれば、成長期真っ只中の夏川が見下ろしながら言った。

 流石はハーフと言いたくなる見事な肉体美は最早見慣れた風景の一部だ。こいつもまた彫の深い整った顔をしている。

 何で、と問い掛けようとして気付いた。女関係。そういうことか。

 二年前の事件の発端は少女の自殺。今では事実が明るみに出て和輝の名誉は挽回されたけれど、それまでその少女は振られて自殺したと噂されていた。今の和輝が誰かと付き合ったって文句なんて無いのだろうけれど、世間が良い顔をしないことは解っている。



「世間はうるせーからな」

「それだけじゃねーだろ」



 怒っていた筈の匠が、眉間に皺を寄せながら言った。相棒がいないせいか少しだけ大人しい。



「世間云々の前に、俺は彼女が心配だよ。逆風は和輝より、その相手の方がきついと思うぞ」



 ああ、なるほど。和輝らしいな。

 あれだけ数多くの女の子にはっきりと断って置きながら、選ばれた子は周りから何を言われるか。色仕掛けでもしたかと在らぬ疑いを掛けられたり、嫉妬や羨望の的になったりしてイジメに発展することも現状有り得る。



「あれだな。ハリネズミのジレンマ」

「何それ」



 ぽつりと言った匠の言葉の意味が解らない。問い掛ければ、匠は口元を抑えて部室を出て行ってしまった。まるで、しまった、と言うみたいに。

 残された俺は夏川に目を遣った。すっかり着替えを終えた夏川がくつりと笑っている。



「失言だったな」

「え、何何? どーいうこと?」



 問い掛ける俺に、夏川が憐れむような目を向けた。語彙量の少ない和輝を見下す時の目だ。



「ハリネズミってのは、体中に針が有るだろ? だから、大切な人が居ても近付けない。近付けば傷付けちまうから」

「ああ、それでジレンマ」

「つまり、現状和輝には、近付きたいけど、近付けられない人がいるってことだろ」

「なるほど!」



 つい手をたたいてしまったけど、それって重大問題じゃねーか!

 何で俺に言わねーんだよ、バ和輝!

 また単騎特攻してやろうかと考えている後頭部を、夏川が叩いた。



「あいつのことは放って置いてやれよ。普段あれだけ開けっ広げな癖に、黙ってたんだろ。知られたくないんだよ」



 こいつも中々な男前だと、俺は思う。黙った俺の横を抜けて行った夏川と入れ違いに、和輝が現れた。職員室前で先日の小テストの内容を問い質され説教を受けていたのだ。場所も忘れて怒鳴りまくる男性教諭だったけれど、他の生徒が相手ならば決してそんなことはしない。感情的な教職者も如何なものかと思うが、それはある意味和輝への友好の証なのだろう。

 別れた時に比べて幾分か疲れた顔の和輝が、ふらふらとベンチに座り込む。



「いやー、すっげー怒られたぜ」

「また赤点かー?」

「ちげーよ、ふざけんな。テスト中に居眠りして白紙だったんだよ」



 それは、赤点より誇れる結果なのだろうか。

 救いようの無い馬鹿だ。



「ああ、そうだ」



 思い立ったように起きた和輝は、ロッカーの前に投げ捨てられた鞄をがさがさと漁り始めた。一足先に部室にやって来ていた匠が運んでくれていたのだ。

 何を探しているのかと小さな背中越しに覗き込む。ゴミだかプリントだか解らない大量の紙類がぐしゃぐしゃに突っ込まれていた。汚い。見た目はこんなに爽やかなのに、鞄の中はゲロみたいな無秩序だ。

 漸く目当てのものを探り当てたらしい和輝は、それをベンチに広げた。あのルーズリーフだ。まさか、此処で手紙を書くつもりじゃないだろうな。



「ほら、これ」



 ルーズリーフには蚯蚓ののたくったようなシャーペンの走り書き。左の掌に同様の書き込みがあり、写し取ったのだと解った。壊滅的な頭脳に見合った暗号のような汚い字だ。

 よくよく見ればそれがメールアドレスだと気付いた。



「何これ。誰の?」

「神部さん」

「はあ? それを何で俺に教えんの」

「頼まれたから」



 誰に。問い掛けようとした俺の言葉は遮られた。眼前に押し付けられたルーズリーフ。何なんだよ、本当。



「どうせ、さっきの仕返しだろ。良いからお前がメールしろよ」

「どんだけ疑り深いんだよ。俺がメールなんて出来る訳ねーだろ」



 ああ、そうだ。和輝は携帯電話を持っていない。それも二年前の事件に起因するものであるが、此処では関係無いので割愛する。

 携帯電話の無い和輝がわざわざ掌に書いてまで覚えた連絡先を、如何して俺に教えるというんだろう。意味が解らない。けれど、解らないのは和輝も同じだったようで。



「何か知んねーけど、神部さんにお前のアドレス訊かれてさ。俺は携帯持ってねーから解んねーっつったら、無理矢理アドレス見せられて教えといてくれって。メモもねーし、しょうがねーからわざわざ手に書いたんだぞ」



 砕けた口調で文句を言うようだが、其処に怒気は欠片も無い。

 面倒臭い。そう呟かれた言葉が感情の全てだろうと思う。

 俺が仕方無くルーズリーフを受け取ると、和輝は大欠伸を隠そうともせずに着替えを始めた。薄っぺらくて生っ白い背中は傷だらけだ。こいつが背負うものの重さを垣間見る。そりゃ、女の子に騒いでる余裕も無いよな……。

 兎も角、和輝が着替え終わる前に俺はロッカーから携帯を出し、暗号の解読に取り掛かる。黒いアンダーシャツを纏った和輝に読めない文字を尋ねれば首を傾げられる。自分で書いた文字くらい判別しろと怒鳴りたかったけれど、それも理不尽な気がして黙った。掌に書かれた原文はもっと酷い。

 解けそうもない暗号と格闘しながら時計を確認する。練習開始まで、後五分――。


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