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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編集

生きてる自分と「希望」と……

作者: いお

この時点での発表は悩みましたが、どうかこのようなことがあっても「希望」を失わずがんばることを知って欲しく掲載しました。

苦手な方、怒りを感じる方はどうぞ読まれませんようお気をつけください。

 18年前。

阪神淡路大震災を経験した。

結婚して3年目。3歳になるただただ可愛い盛りの娘と、愛しい嫁さんを埼玉の実家に残しての単身赴任中の出来事だった。

もうなにもない。生きている自分が奇跡としか考えられない。

その時刻み込まれた想い《トラウマ》は

「〔壊滅〕だの〔全滅〕だのという言葉は、一生ゲームでも使いたくねぇな」

ということだった。


 大震災より3日後。ようやく家族と連絡を取ることが出来た。

電話の向こうで泣きじゃくる嫁さん……恵美子の声は、俺が生きていることの安堵と、とんでもない悲しみを伝える重圧に押しつぶされた声だった。

「パパ……あのね、パパ。お義父さんがね……」

「親父がどうした?恵美子?」

「佐藤さん家の引越しの手伝いに行ってね……」

猛烈な嫌な予感。あのお調子者の親父、一体なにやらかしたんだ?

「……2階の屋根から落ちてね……」

恵美子の嗚咽まじりの言葉を辛うじて拾いながら理解出来たことは、「親父が死んだ」ということだった。

どこまでもお人好しで、お調子者だった親父。お陰であの人を悪くいう人は、怒るお袋以外みたことがない。

ご近所の佐藤さん家の引越しに手伝いに行って、2階の窓から家具を出そうとして脚を滑らせ、落ちたついでに頭をぶつけたということだった。即死だったらしい。

俺の消息が掴めていないことを、心配した佐藤さんは断ったらしい。

親父のことだから、見て見ぬ振りなんて出来なかったんだろうなぁ。

さぞ、佐藤さんはご迷惑だっただろう。と、考える俺もなんてひどい息子なのか。

でも、そんなことを笑って許してくれるような親父だったんだよな。

 

 親父の葬儀だけにはなんとか間に合うことが出来た。

いや。その時点でも、神戸こちらでも安否が確認出来ない仲間は何人もいた。

だが、事情を知った仲間のお陰で帰ることが出来た。

が、あらかた落ち着いてわかったことは、同僚の3分の1を失うことになったことだった。

しかし、そのとき俺は戻ることは出来なかった。

親父が死んで落ち込んだお袋は、患っていた癌を悪化させていから。

大震災前は「余命半年」と言われていた。

本人には告知せず、ゆるゆるとそれでも闘病生活を乗り越えてきていたはずだった。

のんびりとした親父はちゃきちゃきとした性格のお袋の支えだった。

夫婦漫才の片割れを亡くしたお袋の落ち込みは、癌の進行となって現れた。

本人に現れる病状は「軽い脳梗塞」などなんとか言いくるめ続けた。

こんな状態で。3歳の娘を抱える恵美子に全てを預けることは出来ずに、神戸に戻ることは出来ないまま、本社への異動願いも受理され、お袋のそばにいることを選んだ。

2月に入り、お袋は新たな支えとなっていた孫の麻奈との約束を果たすべく、「絶対治す!!」と入院していた市民病院では埒が明かないと飛び出し、動かない体に鞭打って自分から広尾の病院に転院してしまった。

後で市民病院の主治医の先生にはこっぴどくしかられる羽目になったが、お袋のパワーには頭の下がる思いだった。

「絶対元気になって、もう一度皆で日光に旅行いこうね!!」

そう言って笑うお袋はどこまでも強い人だった。

しかし3月に入り、癌は全身に転移しつくし、もう自力で動くことは出来なくなっていた。

いつ急変するかわからない容態に、地元の病院への転院が先生より提案された。

家族もすぐに駆けつけられない状態では、仕方のないことだ。

その日。時期を話し合うために、俺が病院へ朝から向かうことになっていた。

朝早くに麻奈が熱を出し、その様子を見届けて恵美子と麻奈を病院に送ってから向かうことにした。

そんな準備していたとき、テレビに速報が流れた。

「地下鉄日比谷線に爆弾が……」

テレビに釘付けになる俺と恵美子。

それが「地下鉄サリン事件」と後に呼ばれ、被害を受けたのは、麻奈が熱を出さなければ俺が乗る予定だった電車だった。


 お袋が亡くなったのはそれから1ヵ月後。

わずか3ヶ月の出来事に、「泣く」ことを忘れてた。

ゆっくりと泣くことが出来たのはそれから2ヶ月かかったよな……。

あぁ。神様。がんばって……がんばって家族を……仲間を守りますから。

だから俺から誰かを奪うのやめてもらえませんか?

さずがにこれは辛いです。お願いします……。

そう強く……強く願ったはずなのにな。


「パパ……パパ会いたいよ」

21歳になった麻奈が、ようやく通じた携帯の向こうで泣いている。


 10年前。宮城県仙台市に仕事の都合で引っ越した。

あれから18年。俺も歳をとる筈だ。

今日は東京の本社で会議のために出張で来ていた。


 3月かぁ……。4月になったら、親父とお袋の墓参りに一度戻らないとなぁ。

そんなことを考えていた。


 地震は起こった。東京でもその揺れはすごかった。

仙台は津波で大きな被害を受けたという。

おい……またか。またなのか?また「起こったのか」。

テレビで繰り返される情報を見ていても、頭に少しもはいりゃしない。

ただ、携帯を手に、俺が出来るあらん限りの方法で、自分が守ると決めた家族への連絡を試みる。「無事でいてくれ!!」と心で繰り返し……。

「親父っ!!お袋っ!!頼むっ、恵美子と麻奈を守ってくれ!!」

ずいぶんと親不孝な息子な俺だが、あいつらは親父とお袋につかの間であっても幸せをくれたはずだっ。頼む!!

「パパっ!!?」

……恵美子の声。通じたっ!!無事だっ!!

「恵美子っ!?麻奈は!?」

「無事よっ!!」

形振り構っていなかった。鉄道が止まり、帰る手段を探りながらも、自分たちも家族たちへの連絡をとっていた同僚や関係者たちから、俺の声を聞いて歓声があがっていた。

これが光となったのか、一層皆の行動に熱が篭っていた。

俺はそれに気が付くこともなく、自分の方が精一杯だった。

恵美子も麻奈も安堵から涙声になる。

俺ももらい泣きしそうになりながら、状況を聞きだす。

住んでいたマンションは津波の被害にあったらしい。

恵美子と麻奈は近所の○○小学校の体育館に避難した。

だが、近所の人たちでも姿を見ない人が何人もいるということ。麻奈の仕事場への連絡がつかないらしい。

知り合いも何人も連絡がつかない……。


 「いいかっ、麻奈。良く聞け。とにかく、今は「生きろ」!

生きることにがんばれっ!!パパもすぐ戻る!!いいか」

「うんっ」

「そうだ。パパもそうやってがんばってきた!!」

「うんっ」

「焦るな。ママもいる!!大丈夫!!みんなともすぐ連絡がつながる!!

パパともこうして話してるだろ!?」

「うんっ!」

「そうだっ!!今は……今はがんばれっ!!」

「うん!!」

「ママにも、言ってくれ。どんなことがあっても「希望」だけは失うなっ!!

「希望」があればいくらでもどうにでもなる!!」

「うんっ!!!」

そう。「希望」だけは。「希望」だけはどんな時でも失わない。

俺にとってお前たちが「希望」であるように。

どんな時でも……「こんな時」だからこそ「希望」だけは失わない!!

なぁ……それが親父が、お袋が、みんなが教えてくれたことだから……。

だからこそ、「今」は!!!





                       終わり



どうか、被災された皆様が現状を諦めず、「希望」を失うことがないよう!!

また、少しでも早く物資が届き、多くの方が救われますようお祈り申しあけます!!

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― 新着の感想 ―
[良い点] 作者様の真っ直ぐなお気持が伝わってきました。 [一言]  はじめまして。  ひとつ、ふたつ――が楽しかったので、時々短編を拝読し楽しんでおりました。  今日はたまたま、こちらの作品を……。…
[良い点] 人間の持つ光の部分の強さを短い文章の中に見事に描いている点。 [一言] オウム事件のとき、快活な恩人(オウム信者)がショックを受けて呆然とオウムの唄を歌っていたのを思い出しました。腕のいい…
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