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僕たちのエロ本

作者: やや夏

 小学校の校内で放課後のチャイムが鳴り響く。

 余韻と他の生徒をよけながら長い一本の廊下を歩く。

 ぼんやりする頭で僕は昔を見ていた。


 お母さんは僕が小学校二年生のときに亡くなって、僕はお父さんと2人で生きてきた。お父さんは飲めないお酒を毎晩飲むようになった。それから四年も経って僕は小学校六年生になった。お父さんの髪には白髪が増えた。


 お父さんが、お母さんが、僕が歪んでいく。笑顔もどこかへ飲み込まれそうになる。

「おい、修介ってば!」 不意に肩を叩かれて、僕の中に現実が戻ってくる。

「修介、今日西川公園に集合な」

「あ、分かった。今日はグローブ持って行くから」「おっけー。じゃあまた後でな」

 たつまは僕の横を通り過ぎて下校の道が同じ友達のところへ行った。僕は一緒の方向に帰る仲良しの友達がいないためにいつも一人で帰る。たつまが少し羨ましい。


 女子の集団の中に紛れる僕が好きな子、さつきちゃんを横目でチラリと見ながら階段を降りる。

 さつきちゃんとは五年生の時にクラスが同じになって、隣が席になった。

 さつきちゃんは僕が教科書を忘れると一緒に見ようと言ってくれた。その時に風でさつきちゃんの髪が揺れて優しい香りが漂った。

それが忘れられずにさつきちゃんを目で追ううちに、僕はさつきちゃんの優しさをたくさん知って、いつの間にか好きになっていた。


 上履きからスニーカーに履き替えて外に出ると少しだけオレンジ色に染まった景色が広がっていた。

 綺麗だと思うよりも、どう暇を潰して帰ろうかと考えていた。

 でも最後には石を蹴りながら帰る方法しか思いつかない自分にため息をつきながら蹴りやすそうな石を見つけて蹴る。


 石が歪んでいく。周りの風景が溶けてお父さんとお母さんを作る。

 僕は思い出していた。家族みんなで手を繋ぎながら石を蹴って帰った日の事を。


「あっ!」

 何かに当たって石がどこかへいってしまった。「雑誌?」

 いつもと変わらない道に思わぬお客さん。

 エロ本だった。

 一度友達が学校に持って来て僕は人ごみの後ろから覗いた事ならあるけれど、目の前にあったことはなかった。

 心臓が大きくうなる。

 周りに誰もいない事を確かめてから、泥がついたそれを一ぺージずつめくった。

「すげぇ……。」

 思わずもれた言葉には熱がこもって湿っぽかった。

 体全体がどくんと脈打つ。

 国語の授業中に教科書を一人で読む時や先生に怒られて立たされた時、音楽発表会でステージに上がる時よりも一番ドキドキしている。

 もう一ページとめくってしまう。手が止まらない。

「修介くん何してるの?」

 思わず体が跳ね上がる。

 すぐに分かった。ちょっとかすれたこの声はさつきちゃんだ。

 一気に熱が覚めて冷たくなる。

 振り向けない。

「ねぇ、何してるの?」 僕の肩を持って覗いてきた。

「やだ! 修介くん何これ!」

「いや、あの……違うよ!」

「最低。こんなの見てるなんて気持ち悪い」

 さつきちゃんは僕を睨むと、走って行ってしまった。

 涙が簡単に頬を流れていく。

 嫌われただろうということばかりが頭の中を巡って、家に帰っても僕の目からは涙が止まらなかった。


**********


 昨日は体調が悪くなったと友達に電話で嘘をついた。僕は六年生になってから可愛くない嘘を覚えた。

「お父さん、学校休みたい」

「ん? 熱でもあるのか?」

 さつきちゃんに会いたくなくて学校を休もうと嘘を考えたけど、僕はまだお父さんにうまい嘘をつく自信がない。

「やっぱ何でもない」

「まぁ、体調が悪かったら保健室に行きなさい」「分かった。行ってきます」

 玄関の扉がいつもより重かった。

 体も重い。いつもの通学路が妙に長く感じる。本当に体が重くて鉛が付いてるのかと後ろを見たけれど何もなかった。

 でもその代わりにさつきちゃんがいた。

 また心臓がうなる。

 どうすればいいのか分からなくて目を合わさずに周りを見ていると、さつきちゃんの言葉が僕を包んだ。

「昨日帰ってからお父さんに聞いたの。そしたら、その……昨日みたいな事は男の子なら普通だって言ってた」

 さつきちゃんは僕の手を取った。

「だから誰にも言わないよ。昨日はあんな事言ってごめんね」

 顔が熱くなるのをはっきりと感じる。

 僕はさつきちゃんの柔らかい手を汗で湿らせてしまわないように、必死で平常心を取り戻そうとしていた。

「あ……ありがとう」

 確かに今僕はエロ本を見た時よりもドキドキしている。


**********


 家に帰って玄関を見ると、白いミュールがあった。

「ただいま」

「お帰り」

 お父さんの隣には知らない女性。

 きつくない優しいメイクとすらりとした柔らかい体に白地に小花柄のワンピースがよく似合っていた。

「お父さん、お客さん?」

「いや、お客さんじゃなくて……お父さんの再婚相手なんだ」

「再婚相手?」

 僕の頭の中にお母さんの顔が浮かんできた。次にお父さんと僕。

 手を繋いで笑っている。あの頃の僕たちはもう歪まなかった。


 お父さんの体からはお酒の匂いが消えて、白髪を染めて若くなっていた。


 僕たちはお母さんをずっと心に置いてこれから歩き始めるだろう。


 そして僕は新しいお母さんをきっと好きになれる。

 僕の好きなあの子とお母さんに似ているから。




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