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狂縁者

台風前、嫉妬に濡れる母の台所。

薄ピンクの鏡が映すのは、雨の中の娘と“次の名脇役”。黒い雨は、家族の役を入れ替える。


『あの子の時代は終わる』

 少しずつモクモクと膨らむこの感情は、また黒い雨を降らせるだろう。

 

 台風前の影響で灰色の空が広がっている。

 急ぎ足でゴミ捨て場に向かった。しかし、嵐が来ることにも無関心な近所のおばさん達に捕まった。

 「愛美ちゃんは幾つになったの?」

 「もう、四十二になりましたよ」

 また愛美の話題か。

 「全然見えないわよ!ほら、若いって羨ましいわ。それに、相変わらず綺麗よね。やっぱりお父さん似なのね」

 「杉村さんの旦那さん色男だったもの。私がもう少し若ければ良かったのにって思ったりしたわ。あ、ごめんなさい。思い出させてしまって……」

 どの面下げて言ってるのよ。デリカシーのない発言までしやがって。

 

 『……ピキっ』

 

 ベルを鳴らす紐を引っ張るように、頬が引き攣り始めた。勘付かれる前に退散しなければ。

 「お孫さんは、智子さんに似て愛嬌があるわね」

 これは、遠回しに私をディスっている。

 愛美には私の遺伝子も入っているのに想像力の欠片もないやつらだ。

 

 『……ピキ』

 

 もう無理だ。

 「そろそろ降り出しそうなので、失礼します」

 「私たちも、戻ろうかしら」

 私も心の中にある黒い雨を降らしたい。


 玄関を開けると、薄緑のネグリジェを纏った愛美がそこに立っていた。光を吸うような薄さで、まるで草原をふわりと歩くお姫様みたいだ。

 それが、心の中の雲を厚くした。

「まだ降ってなかった?」

「見ればわかるでしょ。早く着替えたら?母親としての自覚はあるの?」

 ネグリジェの裾が揺れるたび、胸の内に小さな亀裂が走る。あの布の軽やかさが、主役の座を奪った事を思い出させる。

 もう私には似合わない。

 「早く起こしてきなさいよ。遅刻するわよ」

 「昨日、学校から連絡があって自宅待機なの。伝えてなくてごめんなさい」

 「いつもそうよね。肝心なことは何も伝えない。それなら早起きする必要なかったじゃない」

 「……ごめんなさい」

 出た。その被害者面。正論を言ってる私がまるで駄々っ子のように見えてしまう。

 「お母さん、もう怒らないで。今日は、私が朝ごはん作るから一緒に食べよ」

 「別に怒ってない。だから、ご機嫌取りしなくていいわ。それに会社、間に合わなくなるわよ」

 「あ、私もお休みしたの」

 大きく息を吸い、目をぎゅっと閉じ黒い雲を払った。

 「あらそう」

 「だから、ゆっくりご飯食べようよ。聖子も起こしてくるから」

 そう言って、裾を軽やかに揺らし階段を駆け上がって行った。

 私の周りには空気の読めないやつばかりだ。嵐が来る前に私が浸水させてしまいそうだ。

 

 軽快なリズムと共に聖子が降りてきた。

 「おばあちゃん、おはよう」

 「台風のおかげで遅刻にならないわね」

 卵焼きを作りながら嫌味を口にした。

 「うん。でもお家に居ていいって聞いたから……」

 恐るべし遺伝子。この孫は演技めいた顔をする。美貌を受け継がなかったのが唯一の救いだ。

 『お孫さん綺麗』

 そう言われることは無いだろう。だから、この子は主役の座を奪えない。しかし、娘は私の座を奪った。

 考えただけでモクモクと広がっていく。感情を抑えられず、フライパンを流しに叩きつけた。

 そうだ……。あの子がいなくなればいい。静かに、誰にも気づかれないやり方で。そうすれば主役に戻れる。

 ……湯気の向こうで自分の顔が一瞬歪んだ。


 「おばあちゃん、お味噌汁が……」

 グツグツと煮える音は、私の心を映し出しているのかと勘違いさせた。

 「じっとしてないで火を止めてくれたらいいじゃないの。高校生にもなってそんな判断もできないのね」

 「……ごめんなさい」

 「そうやって謝ればいいと思ってるところ、母親にそっくりね」

「どうしてそんなにママを嫌うの?」

 幼稚園児が質問しているかのような素直さが不気味さを漂わせる。

「嫌ってなんかいないわよ。本当のことを言ってるだけでしょ」

「ママが美人だから?」

 動揺を悟られないように、間髪入れずに反論した。

「聖子は誰に似たのかしらね」

「答えになってないよ。私は美人じゃないって言いたいの?前から思ってたけど、おばあちゃんって意地悪」

 捨て台詞を吐き、孫はキッチンを飛び出した。

「せめて、性格だけでも可愛ければよかったのに」

 そういえば、いつまで経っても愛美は降りてこない。朝ごはんを作ると言っていたくせに。

 あの子は昔から、人の心を自然と動かす不思議な雰囲気を持っている。誰かが手を貸してくれる星の元に生まれているのだ。

 

 ---愛美の幼い頃を思い出した。

 

「お片付け、最後まで自分でやりなさい」

「はい。ご、ごめんなさい」

「そんなに叱るなよ。まだ小さいんだから手伝ってあげたらいいだろ。愛美、パパと一緒に片付けしよう」

「うん!パパありがとう」

 叱ると必ず旦那が愛美を庇った。泣くほどのことでもないのに、あの子は涙を流し『私は悪くない』と訴える面をする。

「まるで私が悪者みたいじゃない。愛美のためを思って言ってるのに、一時的な感情で手伝ったりしないで!」

「何をそんなにムキになってるんだよ。自分の娘がかわいくないのか?母親だろ?」

「母親だから何?」

 私が大声をあげても澄ました顔をしている娘を、どうしたらかわいいと思えるのか分からない。

「今は、愛美が主人公だ。立派な娘を育てるために、俺たちは名脇役になるのさ。それが親として幸せを感じる事だと思わないか?」


 『……ピキ』


 ---


 『名脇役』という言葉が引き金となり、この時初めて黒い雨を降らせた。罵声を発し、錯乱状態になったのだ。その後のことはよく覚えていない。

 それから数日後、雨の中バイクを走らせていた旦那は事故死した。

 雨を降らした私のせいなのだろう。まさに因果応報。

 そして、あれから一度も愛美はパパの話をしない。


 卵焼きとお味噌汁が完全に冷えきった頃にやっと、愛美は降りてきた。

「聖子がね、さっきは『ごめんなさい』って」

 そう言って薄ピンクのコンパクトを差し出した。

「何よこれ」

「聖子から、ママにプレゼントみたい」

「色もはげてるし使い回しなの?悪いと思ってるなら、直接謝りに来させなさいよ」

「……ごめんなさい」

 強風のせいだろうか。木々たちの揺れる音がする。聞き飽きた一言で、モクモクと雲がさらに厚みを増す。

 

 『ピコン』


 こんな子供騙しのような物をプレゼントだなんて、馬鹿にしているとしか思えない。


 『ピコン』


 光り続けることに苛立ち、力をこめて開いた鏡は指紋で曇っていた。

 エプロンの裾で拭ってみると、今にもザーザーと聞こえてきそうなほどの大雨の中、びしょ濡れの愛美が映し出された。

 まだ、雨は降り始めていないはずだ……。

 「これ、変よ。鏡でしょ?」

 周りを見渡したが愛美はもういない。年老いた女が一人でコンパクトを覗き込む姿は、冷めた朝ごはんと同様に忘れられた存在のようだ。

 ついに、黒い雨は降り始める。そう思った瞬間、聖子が映し出された。

 

 『次は私がママの名脇役なの。おばあちゃんは、もう用無しだよ』


 そう言って今度は、愛美と聖子が手を繋ぎ花を摘んでいる映像に変わった。


 『おばあちゃんは邪魔者なの。さよなら』


 ……私は自分が降らせた雨に溺れ、息ができなくなった。

 黒い雨はザーザーと音を立て降りやむことを知らない。その中で薄ピンクのコンパクトは静かに転がっている。

 

 最後に見たものは『鏡閻社』いう気味の悪い三文字だった……。

 そして、私は脇役からも降ろされたのだ。

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