達彦のとある日
新学年が始まってから、二週間ほどが経った。
桜の花びらもほとんど散って代わりに校庭の木々は淡い緑を増してる。春の空気が少しだけ汗ばむ陽気に変わりつつある頃、教室のざわめきもようやく落ち着きを取り戻していた。
三年という最後の学年。クラス替えの最初こそ緊張していたが、毎日顔を合わせるうちに教室の空気もやわらかくなってきていた。
俺は窓際の席に腰掛け、スマホをいじりながら朝のHRが始まるのを待っていた。すると勢いよくドアが開き康平が入ってきた。
「おーい達彦、数学の宿題やってきた?」
「一応な。けど難しかったとこあるし、写すなら今のうちやで」
「うぇ!どうしたん達彦?熱あるんちゃう?」
「おい、どつくぞ。なんか最近宿題やってるかアイツに確認されんねん。ほんま最悪やわ」
「あー!例の下宿生?いいやん、教えてもらえるんやろ〜。うちの姉貴なんか話しかけるだけで殴ってくんのに〜」
そんなことを話しながらノートを渡すと康平は急いで自分の席に行って写し始めてた。
チャイムがなってHRが始まると、今日の予定やら模試の案内が淡々と告げられる。受験の年だという緊張感はまだ漠然としたものの、言葉にされると否応なく実感が押し寄せる。
(あと一年もないんか……)
⸻
昼休み。
弁当を広げると、康平が隣に腰を下ろした。
「なぁ、他のクラス文化祭の話もう出てんねんて」
「はやっ」
「三年は出し物に制限あるらしいけどな」
「そら受験やしな」
たしかに向かい側の女子たちが、すでに出し物について盛り上がっていた。
「模擬店したい! クレープとか売ったら絶対人気出るって」
「でも三年は模擬店無理らしいで」
「えー! じゃあ何するんよー」
「やっぱお化け屋敷やろ!俺お化け役一回やってみたかってん!」
「アンタみたいなチビがやっても怖ないわ」
「それ一番気にしてるねんから!!」
向かいの女子たちの話に康平が割り込んでいくと結局ツッコまれて笑いを巻き起こした。
「達彦くんは何したい?」
他の子が康平をいじっとると気を遣ったんかその中の1人の子が俺に話を振ってきた。
クラスでもかわいいってよう言われとる柏木さんやったからちょっと嬉しかった。
「なんやろな。去年三年がやっとった縁日みたいなのおもろかったからあんなんやりたいかもな」
「え!私も多分同じの行ったわ〜。ヨーヨー貰った気する」
柏木さんがそう言って笑うと、周りの女子も「行った行った!」と盛り上がりはじめた。
「なぁ、それめっちゃ行列できとったやつやろ?」
康平が口を挟む。
「そうそう! 途中で売り切れなっとったで」
「やっぱ人気やん。うちも真似したらええんちゃう?」
わいわい話してる中で、少し身を引いて座ってる柏木さんが、控えめに頷いとるのが目に入った。派手に声を張り上げることはないけど、ちゃんと話を聞いて楽しそうに笑っとった。
⸻
俺は終礼が終わると鞄を肩にかけ、昇降口へ向かう。外は春の夕方特有の柔らかな光で、空気もまだ少し肌寒い。
靴を履き替えて校門へ歩いていると、ちょうど前を柏木さんが歩いているのに気づいた。友達二人といつも一緒にいる姿しか見てなかったけれど、今日は一人らしい。
(……声、かけるか)
少し迷ったあと、自然を装って歩幅を早めた。
「柏木さんも帰り?」
「あ……うん」
驚いたように振り返ると、小さく笑って頷いた。
特に約束したわけでもないけど、そのまま並んで校門を出た。
校門を抜けて並木道を歩きながら、達彦は少し考えてから口を開いた。
「そういえば、柏木さんって部活入ってたっけ?」
「うん。入っとるよ」
「何部なん?」
「手芸部やで」
「うわー、なんかめっちゃぽいわ」
柏木さんは少し驚いた顔をしてから、ふっと笑った。
「達彦くんはバスケやんな」
「そうそう、なんで知ってんの?」
「部活行く時練習してんの見えるねんけどかっこええなって思って見てたから知ってるよ」
面と向かってそう言われて照れくさくて小さく笑うしかなかった。
そんな会話をしていると、ふいに柏木さんが少し空を見上げた。
「……なんか、高校って早いね」
「早い?」
「つい最近高校入ったと思ったらいつのまにか三年になっててんもん。こんなはよ過ぎるんやったらやっとけばよかったこといっぱいあるわ」
「たしかにな。気づいたら三年なってたよな」
「だよね」
柏木さんとはずっと一緒におったわけじゃないのに変に居心地の悪さはなかった。沈黙が続いても、どちらも無理に埋めようとしない。ただ同じ道を歩いて、同じ時間を過ごしている。
(……そういや玲司もこんな感じやな)
住宅街に差しかかる頃、柏木さんが小さく声を漏らした。
「……私、人見知りやから達彦くんとこんなふうに話すのちょっと緊張しててん」
「え、そうなん?」
「うん。普段は友達が話しかけてくれるから、助かってるんだけど」
「なるほどな。でも、別にそんなふうに見えへんけど」
そう言うと、柏木さんは横を向いて笑った。
「……それなら、よかったわ」
角に差しかかったところで、柏木さんが立ち止まり、小さく手を振った。
「じゃあ、また明日」
「あぁ。またな」
その言葉と仕草が、ほんのりと胸に残ったまま、達彦は家への道を歩き出した。
―――
柏木さんと別れてから、さっきの会話を思い出すと気恥ずかしいような、少しうれしいような気がした。
(やっぱかわええなぁ、髪ふわふわやし、おっぱいも……)
そんなことを考えてたら、背後からひゅうっと口笛が聞こえた。
「……青春やなぁ」
振り返ると、ラフなシャツ姿の玲司が、ポケットに手を突っ込みながら後ろで歩いていた。にやにや笑っている顔に、達彦の顔が一瞬で熱くなる。
「れ、玲司!? なんでここにおんねん!」
「いやぁ、大学終わって帰ってきたら、えらい楽しそうに並んで歩いとる奴がおったからな。まさかうちの達彦くんやとは思わんかったわ」
(最近玲司、新歓とかで夜遅いか、朝帰りが多いから忘れとったけどここ通って帰ってるんやった!)
「楽しそうとかちゃうし! ただ同じ方向やっただけや!」
「ふーん? “かっこいい”とか言うんは、ただのクラスメイトには出ぇへん言葉やと思うけどなぁ」
そう言って玲司はわざとらしく肩をすくめた。
「やっぱ高校生ってええなぁ。青春のにおいぷんぷんするわ」
「うざっ! いつから見てたんや?」
「そんなやで。"何部入ってるん?"のとこぐらいからやな」
「始めからやないかい!ストーカーやん!」
「ちゃうわ、たまたま同じ道通っただけや。……ちゃんと距離あけて歩いててんから」
「それをストーカーって言うねん!」
達彦が耳まで赤くして怒鳴ると、玲司は声を出して笑った。
「ええやんええやん。あの子、かわいかったやんか」
「なっ……」
「え? 違う? ちゃうならちゃうって言わへんと」
「……ちゃう」
「ほら、即答できん時点でアウトやな」
俺はぐっと唇をかみ、早足で歩き出した。玲司はわざと歩調を合わせず、数歩後ろをついてきながらおちょくる。
「でもええ子そうやったな。おとなしいそうやけど、笑うときめっちゃやわらかい雰囲気出るやん。あれはモテるやろなぁ」
「見すぎやろ……」
「いやいや、そんぐらい見えるわ」
俺の後ろでからかうように笑う玲司。その余裕ある態度が腹立たしくて、思わず言い返す。
「玲司こそ、大学でかわいい女子に声かけられたりしてるんちゃうん?」
「そりゃあ、ちょっとはあるけどな。だってこんなイケメンやねんからなぁ」
わざとらしく頬に手を当て上目遣いで言う玲司に、言い返せずむすっとして前を向いた。
2人並んで歩き出す。夕陽が長い影を落とし、道路が橙色に染まっていた。
「……なぁ」
玲司が横目で見てくる。
「なんや」
「あの子のこと好きなん?」
「ち、ちゃうって!」
「いや、別にええやん。隠すことないやろ。
聞かせてやお兄ちゃんに達彦くんの甘酸っぱい青春!」
「隠すとかやないし!それにそんなんちゃうわ!」
「でも達彦くん顔、真っ赤やで」
「うるさい!」
思わず声を張り上げ、通り過ぎる自転車に振り返られた。慌てて口をつぐみ、早足で歩く。玲司はそれを追いながら、笑いをこらえきれず肩を震わせていた。
家に近づくと玲司のほうを振り返る。
「なぁ、ほんまに誰にも言わんといてや」
「お? それはつまり、ほんまにそういうことなんちゃうん?」
「ちがっ……!」
「大丈夫や。俺が誰に言うねん。心配せんでもええよ」
そう言って、玲司は軽く手を伸ばし、頭をぽんと叩いて歩いて行った。
ニヤリと笑ってこっちを振り返る玲司。その顔をちらっと見て、心臓が落ち着かないのを感じた。からかわれてむかついていたはずやのに、胸の奥に変な温かさが残ってる。
気づけば家の近くまで来ていた。
並んで歩いた足取りは、柏木さんとの帰り道よりもずっと気楽で、だけど何か特別なものが混ざってた気がする。




