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入学式

玄関をくぐると、台所からいい匂いが漂ってきた。

「おかえりー、夕飯できてるで!」と母ちゃんの声。


「ただいま」

靴を脱ぎながら答えると、横で玲司も「今日も美味しそうやわ」と母ちゃんに話しかけとる。


食卓には湯気の立つ味噌汁と、焼き魚。


「達彦、クラスどうやった?また康平くんと同じやったん?」

「あぁ、3年連続やわ。」

「ほんまにすごいなぁ。なかなかないでそんなん」

母ちゃんが茶碗を置きながら笑う。


横に座ってる玲司は「ほんま美味しいです」と茶碗を空けて、遠慮もなくおかわりしてた。


腹いっぱいになって、食器を片付けて、それぞれの部屋へ戻った。


―――


扉を閉めて、自分のベッドに腰を下ろす。

「ふぅ……」

カーテン越しに夜風が入ってきて、少し肌寒い。


静かやと思ったのも束の間、隣の部屋から声がもれてきた。


「……さっ……りがとな…」

玲司や。なんや電話しとるんか。


壁に耳つけて聞いとると、相手は……あの夕べの人か。

電話越しに低く笑う声も、かすかに混じって聞こえてくる。


「…あ……豆ええ…やん…」

「……や?お前……相変わ……なぁ」


笑い声が途切れ途切れに壁を越えて届く。

聞き取れそうで聞き取れん。

けど、なんか楽しそうなんはわかる。


胸の奥がざわっとする。

なんでこんなに気になるんやろ。

壁越しの声はまだ続いとる。


「……かんて。……高校生やぞ」

「……っ!」


一瞬、耳が熱くなった。

自分のことやろか。

ちゃうかもしれん。けど……。


気づけば寝返りを打つたび、壁の向こうの声を探してしまう。


「ほんま……うっさいわ……」

小さくつぶやいて、毛布を頭までかぶった。


けど、眠りに落ちるまで、その声は消えんかった。



―――


部屋に戻って、シャツの袖をゆるくまくりながらベッドに腰を下ろす。

スマホを取り出して画面を開くと、リョウからメッセージが入っとった。


「……しゃあないな」

既読をつける代わりに通話ボタンを押す。


すぐに繋がって、軽快な声が響いた。


『おー。ほんまにちゃんと今日は帰ったんか』

「そりゃそうやろ。アイツおんのにどっか寄るんかいな。怪しまれるだけやん」

『怪しまれるって、なんや怪しいことでもしてんの』

「アホ言え。今更何言っとんねん」


笑いながら枕に背中を預ける。

昼間からずっと喋りっぱなしやったのに、こいつと話すんはほんま楽やな。


『で、その高校生は? 仲良くしてるん?』

「……まぁな」

声が少し柔らかくなるのを、自分で気づいて苦笑した。

「最初はあんまやったけど、話すとおもろいし、案外気回ってええ奴やわ」

『おー、珍しいやん。褒めるとか』

「別に褒めてへん。ただ……なんか気になるってだけや」


言葉にして初めて、胸の奥がざわつくのを感じた。

その瞬間、ふっと気配に気づく。

――壁越しに、かすかな生活音。

布団がきしむような音が聞こえた気がする。


(……まだ起きとる?)


隣の部屋。達彦。

もう寝てるかと思ったけど……。


リョウの声に意識を引き戻す。

『おい、聞いとるか?』

「あ、あぁ悪い。そうや、さっきはありがとな。」

『まぁ、そんぐらいはするわ。あっあのコーヒー飲んだ?』

「あー、あれ、おばさんに渡したら"これええ豆やん!"って言うてたで」

『そりゃ俺の彼女が選んだからな』

「それをセフレに渡すのどうなんや? お前ほんま相変わらずやな」


しばらく笑い合いながら身のない話をする。


『で、どうなんその高校生とは。気になるんやったらちょっと誘ってみたらええやん。お得意やろ?」

「……あかんて。高校生やぞ」

『ははっ、誰も手出せとまでは言うてへんやろ。それにお前みたいに出されて満更でもない奴かもしれんで』

「……うざっ。せやからて…相手はノンケの高校生やし」

『ノンケやからって、全部ダメなわけちゃうやん。俺みたいなのもおるんやから。関係ないやろ』

「……」


言い返そうとして、言葉が喉で止まった。

――“関係ない”って、そう簡単に割り切れるもんちゃう。


ふと壁の向こうの気配を思い出す。

布団が動く音。小さく息を殺すような沈黙。

(……聞こえてるんか)


胸の奥が熱くなる。

言葉を選びかけて、結局ため息を落とした。

「……ももええわ。お前ほんま変わらんよな」

『そら俺はずっと俺やからな。お前の方が変わったんちゃうか?』

「……かもしれんな」


一瞬、会話が途切れる。

スマホからは、遠くで鳴る電車の音が混じっていた。


『……まぁええわ。また用あったら呼ぶわ』

「あぁ。ほなな」

軽くそう返して、通話を切った。


部屋に静寂が戻る。

聞こえるのは、自分の心臓の音と――隣の気配。


(達彦……聞いてもうたかな)

壁の向こうに視線を投げても、もちろん何も返ってこない。


「……ほんま、めんどくさ」

自分に言い聞かせるようにつぶやいて、ベッドに倒れ込んだ。

けど、眠気はなかなか訪れへんかった。


リョウと話してても頭の片隅ではずっと――隣が気になってしょうがなかった。


通話を切って、天井を見上げる。

「……ほんまに、何してんねん俺」


スマホを胸に置きながら目を閉じた。

それでも壁の向こうに意識が引っ張られて、なかなか眠れへん。



―――



翌朝。

カーテンから朝日が差し込む部屋で、ベッドから起き上がり、ふと隣の部屋に目を向ける。


――達彦、もう起きとるやろか。


階段を降りると、台所に達彦の影が見えた。

「おはようさん」

「おはよ……」


達彦はリビングで朝ごはんを食べながら話しかけてきた。

「……なぁ、昨日電話しとったやろ。あれ駅で一緒におった人?」


その質問に、一瞬ドキッとする。

(……やっぱ聴こえとったか)


「あ、あぁ……そうや」

言いながらも、焦りが心の奥でぐるぐる回る。

(何聞かれたんやろ……)


しかし、まるで何も聞かれたらいけないことなんてないように平然と尋ねた。

「……何か聞こえとった?」


達彦は箸を置き、真剣な顔で首をかしげる。

「いや、別に。何話してるかまでは聞こえへんかったわ」


その言葉に、胸の奥でホッと息をつく。

(よかった……変なことは聞かれてへんみたいやな)



朝食を食べ終わると部屋に戻り入学式用のスーツに着替え、荷物をまとめる。


「行ってくるわ」

そう言って軽く手を振ると、達彦が恥ずかしげに手を振り返してきた。


微笑みながら玄関を出ると、春の日差しの中で軽く深呼吸する。



―――



大学のキャンパスに足を踏み入れると、春の日差しが校舎のガラスに反射してキラキラしとる。

新入生たちで広場はにぎわい、スーツ姿の学生とその親らしき人たちがあちこちで挨拶を交わしている。


俺はそれを横目に会場に入り、座席に座ると周囲は少し緊張した空気で、初々しさが漂っているのを感じた。


しばらくして学長の挨拶が始まり、来賓、新入生代表の挨拶がそれに続く、式中友達同士で小声で話す声も聞こえ、新入生たちの期待感が伝わる。そのうちに式典は滞りなく終了した。


式が終わって、人の波に流されるように学部ごとの会場へ向かう。

広めの講義室にはすでに新入生が次々と入ってきていて、前のスクリーンには「文学部新入生オリエンテーション」と文字が映し出されていた。


空いている後ろの方の席に腰を下ろすと、周囲からは、まだお互いに探り探りの小さな声が飛び交ってる。


ほどなくして、教授が前に立った。

「皆さんご入学おめでとうございます。はい、それではこれから簡単に学部ごとのガイダンスを始めます。」


教授は資料を配りながら続ける。

「これが前期の履修に必要な科目です。必修は必ず―――」


前列では、先輩らしい学生が資料の束を運んで渡している。

回ってきたのは厚い冊子で、科目一覧や時間割例、履修要件がびっしり書かれている。


「それから、ゼミや専門科目については来年以降になりますが、語学や基礎科目は今年度から重要です。特に英語のクラス分けテストについて――」


ペンを走らせつつ、心のどこかで「いよいよ始まったな」と期待感が溢れてた。


説明がひと通り終わると、代表らしき先輩が前に出てきた。

「はい、ここからは私たちからのお知らせです。大学生活について分からないことがあったら、遠慮なく声かけてください。あと、サークル勧誘が今日から活発になるので……」


笑いを誘うような口調に、教室から少し笑い声が漏れる。

顔を合わせたばかりの新入生たちの表情も、少しずつほぐれていった。




オリエンテーションが終わり、配布されたプリントを鞄にしまい、帰ろうとしていると、横から控えめな声がした。


「あの……」


振り向くと、同じ学部らしい女の子が立っていた。

肩までの髪を整えながら、少し緊張した様子でこちらを見上げている。

後ろの方でその子の取り巻きらしき女の子たちがこちらを見ていた。


「あの、私も同じ学部で……」


「そうなんですね」と言って優しく頷くと、その子は胸の前で手を組み直し、言葉を続けた。


「えっと……その、よかったら連絡先、交換してもらっていいかな? 同じ学部にあんまり友達いなくて……」


周囲でも同じようにスマホを出して連絡先を交換する学生たちの姿が目に入る。

一瞬ためらったが、柔らかく微笑み返してスマホを取り出した。


「ええですよ」というと、その子は少し安心したように微笑んだ。


「ありがとう。これからよろしくね」


軽く頷き、「よろしく」とだけ返すと、鞄を肩にかけ直した。


その後も何人もの学生から連絡先を聞かれ、自然とスマホの中に新しい名前が増えていった。



俺は早々に会場を後にし、キャンパスの門を抜けると、春の風がスーツの裾を揺らした。

周囲には親と並んで歩く新入生の姿や、門の前で記念写真を撮る家族の姿があちこちに見える。


シャッターが切られるたび、はにかむ学生と、それを見守る両親の笑顔が広がっていた。


その光景を横目に見ながら、ふと胸の奥に小さな穴が空いたような感覚――どこか、自分には縁遠い眩しさに覚えた。


そこから視線をそっと逸らし、ひと息をついて歩き出す。

駅へと向かう人で溢れた道のりを一人で歩いた。


―――



玄関の戸を開けると、リビングから達彦の声が聞こえてきた。

「おかえりー」


玄関まで迎えにきた達彦の後ろから、おじさんとおばさんもやって来る。

2人は俺を見るなりぱっと笑顔が広がった。


「わぁ、えらい似合ってるやん!」

「ほんまや。立派やなぁ」


少し照れながらお礼を言って靴を脱ごうとしたとき、おばさんが手をたたいた。

「そうや、せっかくの入学式やのに写真撮ってへんのやろ? 玄関で一枚撮ろうや」


「えっ……いや、別にええですって」

慌てて手を振るが、まるで計画してたみたいにすでにスマホを構えていた。


「まぁまぁ、こういうのは記念やから。ほら行って行って」

「せっかくやから達彦も隣に並びぃや」


押し出されるように玄関前に立たされ、達彦と並ぶ。

カメラが向けられ、シャッター音が響く。


「はい、もう一枚!」

「今度は笑って!」


次々とシャッターが切られ、少し照れながらも、口元に自然と笑みが浮かんでいった。


撮り終えると、おばさん満足げに画面を見せてきた。

「ほら、ええ写真やん。」


「……ありがとうございます」と小さく頭を下げた。

胸の奥に、昼間にはなかった温かさがじんわり広がってた。


家に入りスーツのジャケットを脱ごうとすると、横におった達彦がニヤニヤしながら顔を覗き込む。


「……なに?」

「いやぁ、やっぱ寂しかったんちゃうって思って」

「は?」

「普段そんなんせぇへんのに、嬉しそうに照れとったやん」


むっと眉を寄せ、脱いだジャケットで軽く達彦の頭を小突いた。

「うるさいわ」

「ほらまた照れてる!」


達彦が楽しそうに笑う声に、小さくため息をつきながらも、口元がわずかに緩んどった気がする。


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