下宿生
「……は?」
バイトから帰ってきたら、なんか玄関にでっかいスーツケース持って突っ立っとる奴がおんねんけど。
そいつは俺を一瞥すると、首をかしげてこう言いよった。
「どなたさんですか?」
……は?
いやいやいや、なんで俺ん家に知らん奴おんねん!
てか普通「誰?」って聞くん俺の方やろ!?
「は?誰って、ここ俺ん家やねんけど!?」
「……え、そうなんですか?」
何がそうなんですか〜?や!
間の抜けた返事しとるくせに、変に品のある顔しとっていけすかんわ。
俺が混乱しとると、奥から母ちゃんがでてきた。
「あんた帰ってたん?この子、今日からうちに下宿する斎藤くん!仲よーしーや。」
「はあああああ!?!?何が仲良くしーや。や!!そんなん聞いてへんねんけど!? なんで俺が知らん間に知らん奴住むことなっとんねん!?」
「今言うたやんか〜」
「今!? 今ってなんやねん!?」
俺があーだーこーだ言うてる横で、スーツケース持った男はすっと姿勢を正した。
「……斉藤玲司って言います。大学入るにあたって、京都から来ました。これからお世話になります。よろしゅうな。」
スッと頭を下げられて、逆に俺が言葉を失う。
なんや、この落ち着いた感じ。年上感やば。
「は、はぁ……」
「達彦も挨拶しぃな」母さんが肘で小突いてくる。
「……達彦や。次高校三年」
ってなんで普通に挨拶しとんねん俺は!
――やっぱ納得いかん!
なんでこんな知らん男と暮らさなあかんねん!!
どうせならおっぱいでっかいエッチなお姉さんが良かったわ!!!
「そや、玲司くん疲れたやろ。荷物持とか?」
母ちゃんがそう言うと玲司はにこりと笑って答えた。
「ほんまですか。そら助かりますわ」
……その瞬間。
なぜか俺は直感した。
こいつと暮らすと絶対面倒なことになる。
母ちゃんと玲司は2人でスーツケースを持ち上げてゆっくり二階へと上がってった。
「ほな、玲司くんの部屋はここな」
案内されたのは、俺の部屋の――真横。
「は?」
「達彦の隣空いとったからな。ちょっと狭いかも知れんけど。」
「なんでやねん!!」
思わず声を荒げた。
「よりによって俺の隣!? 他に部屋あるやろ! 物置とか客間とか!!」
「だって、なぁ?物置は物置やし、客間はあんたの漫画と服で埋まってるやん」
「ぐっ…」
反論できひん。
玲司はそんな俺を見て、口元にうっすら笑みを浮かべとる。
「年近い子と隣同士やったら、何かと心強いですわ。……せやろ?」
「……っ」
いやに落ち着いた玲司に言い返せなくて、余計に腹立つ。
「そ、そんなら言っとくけどな! 勝手に俺の部屋入んなよ! 俺のもん触んな! 用ある時は絶対ノックせーよ!」
「はいはい。心得ときます」
玲司は小さい子を宥めるみたいにそう言うと、静かにドアを開けた。
部屋に足を踏み入れる姿は、まるで最初からここで暮らしとったみたいに自然やった。
……なんやろな。
こいつ俺のペースを全部かっさらっていきそうな気がするわ。
―――
その日の夜。
食卓には、唐揚げとポテトサラダ、味噌汁。いつもの夕飯。
ただひとつ違うのは――隣に玲司が座っとることや。
「玲司くん、唐揚げ好き?」
母さんがにこにこしながら皿を差し出す。
「好きです。おばさんの唐揚げ、めっちゃ美味しいわ」
「うわぁ〜ほんま? よかったぁ!」
「玲司くん、大学では何するんや?」
父さんも嬉しそうに口を開く。
「文学部やから、研究でもしながら、教員免許取ろかなと思てます。」
「ほぉ〜! えらいなぁ! 達彦も見習えよ」
「……」
口いっぱいに唐揚げを頬張りながら、俺はむすっと黙る。
両親と玲司は、笑いながら楽しそうに話を続けている。
大学のこと、京都のこと、玲司の家のこと。
うちの両親は完全に気に入ったらしく、会話は弾みっぱなしや。
「ほんま賢い子やわぁ。達彦とはえらい違いやなぁ」母さんが笑う。
「そんなん比べんでもええやろ!」
「いや、いや、いや。ほんまのことやろ」父さんが追い打ちをかける。
「……っ」
なんやねんこれ。俺の家やのに、なんで俺だけ仲間はずれみたいやねん。
玲司はそんな俺をちらっと見て、申し訳なさそうに笑った。
「達彦くんも、ようできたええ子やと思いますけど」
「はぁ!? なんやねんそのフォロー!?」
「俺はほんまのこと言うただけやで」
にこりと笑うその顔に、胸の奥がざわつく。
……やっぱり、めっちゃめんどくさいことになりそうや。
夕飯を終えて、俺は不満を抱えたまま自分の部屋にこもった。
両親と玲司が楽しそうに話してた光景が、まだ頭に残ってる。
……なんやねん。俺ん家やのに、あいつの方がすっかり馴染んどるやん。
ベッドに寝転がってスマホいじっとると、隣の部屋のドアが開く音がした。
足音が廊下を歩いて――トントン、と俺の部屋のドアがノックされる。
「達彦くん、もう休むん?」
落ち着いた声が、木の扉越しに聞こえた。
「……まだやけど」
「ほな、ちょっとだけ」
ガチャ、とドアが開いて、玲司が顔を覗かせる。
部屋着に着替えたのか、さっきよりラフな雰囲気。
Tシャツの首元がゆるんでて、鎖骨から胸の上あたりまで白い肌がのぞいている。
「さっきはごめんな。ご両親と話が弾んでしもうて」
「……別に」
「ええ家族やなぁって思たわ。仲良うて、あったかい」
「……ふーん」
「達彦くんも、大事にされてるんやな」
「……うっさい。もう寝るわ」
バサッと布団をかぶった俺の背中に、玲司の小さな笑い声が落ちる。
「素直やないなぁ」
その声が耳に残って、余計に眠れん気がした。
―――
翌朝。
食卓にはトーストの香ばしい匂いと、スクランブルエッグの湯気が漂っていた。
「ごちそうさん。じゃあ先に出るで」
父ちゃんがスーツの袖を整えながら立ち上がる。
「冷蔵庫の牛乳、残り少ないから買ってくるわ」
母ちゃんも慌ただしく後を追った。
ドアが閉まる音。
残されたのは、俺と玲司。
「……」
「……」
トーストをかじる音だけが響く。気まずい。
漫画を読んでるフリして、どう切り出そうか迷っとったら――
「達彦くん」
「……なに」
玲司は麦茶をコップに注ぎながら、目輝かせとった。
「その漫画BLEACHやん!」
思わず手元を見た。
ちょうど俺が読んでるフリしとった漫画は昨日買ったばっかのBLEACHやった。
「……知ってんの?」
「めっちゃ好きやねん!単行本、実家に全巻揃えとったで」
目が合った。
気づけば俺の口元が、ほんの少しだけ緩んでいた。
「……俺も、昨日、新しいの買ったとこや」
「うそ、俺も!剣八とグレミィのやつやばかったよな!」
そこから自然に会話が転がりだす。
気づいたらトーストは冷めかけてたけど、そんなんどーでもよかった。普通に楽しかったし、ちょっと距離が縮まった気がする。
「そういえば、達彦くん始業式いつなん?」
「んー……明日やな。……あっ……え、ちょ、待って!?」
箸を止めて頭を抱える。
「どないしよ!宿題、まったく手ぇつけてへん!明日やん!完全に忘れとったわ!」
玲司は一瞬ぽかんとして、それから肩を揺らして笑いだした。
「ははっ……そらヤバいなぁ。宿題て、どれくらいあるん?」
「いや、量はたいしたことないねん。問題は……俺が解かれへんことや……」
玲司は笑いをこらえながら、味噌汁をすすって小声でつぶやく。
「……なんや、可愛らしいとこあるやん」
「はぁ?!どこがやねん!」
思いっきり睨んだのに、玲司は悪びれもせずに、にやにや笑っていた。
「ほな――宿題、手伝おか?」
「お前に手伝えるわけないやろ。高校のやで?」
「俺もついこないだまで高校生やってんから。まぁ、問題くらい見せてみぃな。」
玲司はそう言うと皿を片付け出した。
「ほな、片付けたら部屋いこか」
「は?なんでやねん」
思わず言い返したけど、玲司は当然のように俺の皿も片付けだした。
「ここやとおばさんおるし、落ち着かんやろ? 俺の部屋もまだ散らかっとるし、達彦くんのとこでええやん」
「俺の部屋狭いで」
「二人入れたら十分や」
そんな勝手な理屈を並べて、先に階段を上がってく。
玲司と部屋で春休みのプリントを探しとると、
「数学のは……このへんやな……ん?」
「お、見つかったか!」
玲司がそれを引っ張り出すとそれはプリント……やなくて一冊の雑誌。
玲司の口元がニヤつき出す。
「……これ、なんやろ?」
「――っ!!!」
達彦が飛び上がった。
「ちょ、ちょちょ待て!それはッ!!!」
玲司はニヤリと笑って、視線が「なるほどなぁ」と語っていた。
「……達彦くん、そういうお年頃やもんなぁ」
「ち、ちゃうねん!そんなんちゃうねん!友達が悪ノリで押しつけてきただけで!」
「ふふ、言い訳するところが怪しいなぁ」
玲司は楽しそうにからかいながら、雑誌を渡してきた。
達彦は顔を真っ赤にして、声を裏返らせながら叫ぶ。
「お前やってこのぐらい見るやろ!」
達彦が必死に雑誌を抱え込む。
玲司は首をかしげて、あっさり答えた。
「んー……あんま興味ないからなぁ」
「はぁ!? ウソつけ!男子高校生かて大学生かて、みんな見るもんやろ!」
「で――どの子がタイプなん?」
「聞けや!!」
達彦の声が裏返る。
「その雑誌見てんのやろ? ほら、素直に言うてみぃや」
「そ、そんなん言うわけないやろ!!」
達彦は耳まで真っ赤になりながら、慌てて雑誌を机の奥に押し込んだ。
玲司はわざとらしく肩をすくめ、くすくす笑う。
「へぇ~。恥ずかしがるってことは、ちゃんと“ある”んやな」
「うっさい!ほんま黙っとけ!」
達彦は声を荒げるけど、その必死さが余計にからかいやすい。
玲司の目は悪戯っぽく笑っとった。
「さ、気を取り直してプリント探そか。あっ、これちゃう?」
玲司は俺のリュックに手を掛けて言った。
「いや、もうええって!……って、もう開けてるし!」
止める間もなく、玲司はリュックからプリントの束を取り上げて目を走らせた。
「ふーん……ああ、なるほどな。数I、数Ⅱのほとんどの範囲やん。これ、さっさと片づけんと、徹夜コースやで?」
完全に先生みたいな口調。
俺は観念して、ノートを広げた。
「……しゃーないな。頼むわ」
玲司がニッと笑って、ペンを回す。
「よっしゃ。二人でやったらはよ終わるやろ」
結局、俺の机の上にプリントとノートが広げられた。
「ほら、ここ。展開の公式忘れてんねやろ」
玲司がペンで問題を指し示す。
「……わかっとるわ」
口では突っぱねながら、ノートに式を書いてみる。途中で詰まると、すかさず横から手が伸びてきて、さらさらっと解答を書き込まれた。
「な?こういうことや」
「……あー、なるほどな」
ちょっと悔しいけど、確かに説明はわかりやすい。
「達彦くん、思ったより素直やん」
「うっさいわ」
―――
気づいたら、外の空が夕焼けに染まり出してた。
机の上には、ノートとシャーペン、飲みかけの麦茶のコップ。
最後の問題に二重丸をつけて………
「……終わったぁぁぁぁぁ!」
声が自然と漏れる。
「おつかれさん」
「お前がおらんかったら、たぶんまだ半分も終わってへんわ」
素直にそう言うと、玲司は少し目を細めて俺を見た。
「ほな、手伝った甲斐あったな」
にやりと笑って、ペンをトントンと机に置く。
しばらく、二人の間に沈黙が流れた。
けど、その沈黙は昨日までのぎこちない空気とは違って、なんか心地よい。
「……お前実はめっちゃ賢いんちゃうん?全部解けるし教え方上手いし。」
そう言ったら、玲司はペンをくるくる回しながら肩をすくめた。
「別に普通や。受験勉強でちょっと必死こいただけやし。………弟のほうがようできはるから。」
「いや、絶対普通ちゃうやろ」
思わず笑ってまう。俺なんか半分も解けん問題を、あっさり片づけていくくせに。
「せやけど……」
玲司が少し言葉を切って、俺を横目で見た。
「達彦くんも、素直やから伸びんの早いと思うで」
「は?褒めたん?」
「ん。褒めたで」
ニッと笑って、あっさり言い切る。
なんやろ、胸の奥が熱くなる感じ。
否定したいのに、言葉が出てこん。
「……アホか」
小声でそう返すのが精一杯やった。
「そーいや、お前いつから始まるん?」
「あー。入学式が今週の日曜で本格的に始まるんは再来週からやな。」
「親はいつ来るん?ここ泊まるん?」
「こーへんよ。」
「え、なんで?」
「もともとそういうのこうへん人達やからな。自分で勝手にせぇ、みたいな。」
「……そんなん、さみしないん?」
一瞬、沈黙。
やがて玲司はニヤニヤして笑った。
「……達彦くん、心配してくれとるん?」
「べ、別にそういうんちゃうわ!ただ普通、来るやろって思っただけで……」
「ふふ、素直ちゃうなぁ。そんなんやから女の子にモテへんねんで」
「なっ!なんでおれがモテへんって知ってんねん!」
「見たら分かるわ」
「はぁ!? どこ見て言うてんねん!」
「そういうとこやろ?」
あっさり返す玲司に、思わず言葉を詰まらせる。
「……お前なぁ」
「まぁでも、ええとこもあるで? 頼まれたら断れへんとことか」
「それ、ええとこなんか? ただの都合ええやつやろ」
「せやな。せやからモテへんのちゃう?」
「うっさいわ!」
ムキになって反論する俺を見て、玲司はくすくす笑っている。
バカにされてるのに、不思議と腹の奥から笑いが込み上げてきた。