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自覚なき才能

 エドワールは、足早に宿舎の廊下を歩いていた。一部の必要物資をファニーに渡し忘れていたからだ。手には渡し忘れた物資である、魔導ライターと数枚のタオルを抱えている。


 瘴気に中てられた体を火鉢で治癒しろと言ったのに、ライターを渡し忘れてしまった。完全にこちらの不手際である。

 この屋敷内では張り巡らされた結界の関係で、基本的に()()()使()()()()。つまりファニーは今、火鉢を使えと言われたものの、ライターも魔法も使えないため火をつけることができず、寒さに震えている状態のはずだ。早く向かわなくては。



 昨晩のパーティーで行われた断罪劇は、エドワールにとって悪夢そのものだった。そりゃあそうだ、必死に苦労して手に入れた婚約が一晩にして崩れ去ってしまったのだから仕方がない。そんな自分の時間や労力を踏みにじった連中に、エドワールは絶対に復讐すると心に誓った。

 だからこそ、ファニーをこちら側に引き入れられたのは幸運だった。ファニーの無罪を彼女に自身に証明させれば、連中は勝手に転落する。エドワールにとって、これが最も手にとりやすい復讐方法だった。

 しかし、まさかファニーの本来の性格があのようなものだったとは。エドワールにとってはそれだけが誤算だった。とても良い誤算である。


 これまでエドワールは、ファニーを愛嬌があり勉学的な頭の良さはあるものの、良く言えば天然、悪く言えば思考回路が鈍い人物だと思っていた。自分とは相容れないタイプの人間。しかし昨日のパーティーで、エドワールはようやく彼女が決して頭が鈍い人物ではないと気がついた。


 聡明で淡々とした彼女の態度は、向けられたわけでもない自分ですら恐ろしいものだった。そして、移動中の馬車の中でファニーと二人っきりになった時、本能的に彼女に嘘の態度をつき続けることはできないと思った。……まあ、基本的にエドワールは商会では素なので、いずれバレることではあったが。


 ともかく、貴族らしい傲慢さすら含めて、ファニーは畏敬されるべき人間として生まれてきた存在なのだろうと思った。まあ、その生まれ持った才能も虚しく、結局は貴族から除籍されてしまったわけだが。

 生まれも育ちも何もかも、自分とはまるで違う世界の人間。しかし、仮面を被ったファニーより、素の彼女の方がよっぽど、エドワールにとっては付き合いやすかった。


 廊下を進む。燭台に灯った青色の炎が揺らめき、夜闇に飲み込まれた屋敷の中をぼんやりと照らしている。


 ……果たして、アンナは仮面を被っていたのだろうか?

 聡明で落ち着きがあり、慈悲深いと評判だった彼女。その姿は、彼女自身が生み出した仮面だったのだろうか。

 そんな疑問がよぎったが、今さら裏切者風情のことを考えても無駄だと思い直し、エドワールは思考を切り替える。


 ファニーの元に一刻も早く向かうべく、広い宿舎の中の廊下を歩む足を早めた。



*****



 ファニーの自室、扉の前にたどり着く。

 ……なんだか、とても嫌な予感がした。しかしその正体が分からないまま、エドワールは扉をノックする。


「エドワールだ。先ほど渡し忘れていた物品を届けに来たが……」


 沈黙。


「……ファニー?」

「え、ええ! 分かってる、分かってるわ。すぐに行きたいんだけど、ち、ちょっと待って!」


ドン! ガンッ! バキィッ!


 何かと何かがぶつかり合い、そして壊れた音が響く。


「……なあ、ファニー?」

「え、ええっと……は、ははは」


 扉越しに聞こえる薄ら笑い。エドワールの眉間に皺が浮かび出す。



 思えば馬車を降りる時から、ファニーの様子はおかしかった。


 彼女の生き方は、幼少の頃から刷り込まれた貴族社会の常識に根ざしたもので、庶民とは大きく異なっているように見えた。しかしエドワールは、そのズレをとりわけ問題視するほどのものではないと考えていた。

 だって、仕方がない。この商会内には貴族の家の出の人間は確かにいるが、彼らは『公爵家』ほどの上流の家の出ではなく、ある程度は庶民の生活を理解していた。だからファニーもきっと、経験はなくとも理解はしているのだと思っていた。


 だからこれはきっと、理解が浅かったエドワールの落ち度なのだ。


 彼女の返答を待たず、エドワールはドアノブに手をかけた。中から施錠すらしていなかった扉は簡単に開き、室内の様子が視界いっぱいに広がる。



 最初、エドワールはファニーが暴漢にでも襲われたのかと思った。


 まず、ファニーの姿。バスローブを纏ってはいるが、紐は不格好に結ばれ機能しておらず、ほとんどがだけている。状況が違えば年頃の美しい娘の扇情的な姿に反射的に興奮したかもしれないが、室内の惨状の方がよっぽどエドワールには衝撃的だった。


 バスルームから大量の水が流れ出し、部屋中の床を水浸しにしている。開いたドアからは水が溢れ、エドワールの靴を濡らした。床に目を向ける。かつてドレスと呼ばれていたであろう上質な布の破片たちが、部屋中に散乱している。そして、何かが焦げたような悪臭が鼻を掠め、思わず火鉢に目を向ければ、火鉢と周囲の岩壁が、プスプスと音をたてて真っ黒に焦げていた。


 状況が理解できず、頭が真っ白になる。

 そして、数秒経たずして、エドワールの頭の中には修繕のための費用や人員確保が思い浮かび、この惨劇に対して困惑と僅かな怒りが浮かんだ。


 エドワールはようやく、貴族が庶民の生活に適応するのがいかに困難か、本当の意味で理解したのである。


「……ファニー、これは一体?」


 できるだけ、怒りを込めず冷静に。ファニーはごにょごにょと、それでも良く通る声で言い訳を始めた。


「そ、その……色々な魔道具があったけど、使い方が分からなくて。それで、魔法を使って解決しようと思って……それで……あちこちに……」


 バツが悪そうに視線を逸らすファニー。しかし、エドワールはその言葉に違和感を覚える。


「『魔法で解決』? この惨状は魔法が原因なのか?」

「本当にごめんなさい! こんな大惨事になるとは思ってなかったの!」


 鬼気迫る様子で謝るファニーに、エドワールは怪訝な表情を浮かべた。


 この屋敷内では、相応の手順を踏まなければ魔法を使えない。何故なら、この屋敷全体が魔法使用を制限する結界に覆われているからだ。


 この屋敷内には、瘴気を防ぐ結界をはじめ、様々な魔法様式が組み込まれた魔道具や結界がある。よって建物内での魔法の乱用は、それらの結界や魔法様式に暴発や異変を招く危険がある。それを防ぐために、この屋敷を覆うように大きな結界を張り、魔法使いが魔法を使うことを制限しているのだ。


 この結界は商会の魔法研究チームの中でも優秀な魔法使いが管理しており、簡単に突破できるものではない。だが、ファニーはおそらく感知すらせず、その結界を突破してしまったのだ。


 自覚すらないこの行為は不気味で恐ろしいが、それ以上に『使える』。そうエドワールは思った。

 ファニーの魔法の才能に対する自己評価は決して過大ではなく、むしろ、より大きな力を秘めているのかもしれない。


 期待を込めて彼女に向き直る。


 目の前の大いなる人材に躍起になりつつあったエドワールの胸中は、改めて見た彼女の痴態と部屋の惨状で現実へと引き戻された。

 ファニーは怯えた様子で、揺れる瞳を向けて来る。最も、彼女に怯える権利は無い。


 ……まずは、この問題児をどうにかせねばならない。エルワードはため息交じりに、ファニーに手を差し伸べた。


*****


 パチパチと、火鉢が音をたてている。

 暖かな部屋。広い部屋。ここは、エドワールの私室だ。円形テーブルを囲む椅子の一つに、私は小さく座っていた。

 向かいの席にはタバコを咥えたエドワールがいる。


 彼の視線が痛い。当たり前だ。一種の全能感で暴走した私は、室内で何度も魔法を乱用し、複数の魔道具を破壊した上に、部屋の至るところに傷をつけた。こうして咎められて当然だし、相応の処分も覚悟している。



 自分の才能を、過大評価しすぎていたのだと思う。どんなに才能があったとしても、所詮は生まれ持ったセンス。血の滲むような努力をして、魔法の練度を高めてきた魔法使いとは雲泥の差がある。コントロールも火力調整もままならず、こんな惨劇を生んでしまった。……私はもしかすると、一日に二度も追放されるかもしれない。それほどのことをやってしまった自覚が、私には当然あった。


 何も言わず俯く私に、エドワールは大きなため息と共に、呆れ交じりの言葉をかける。


「シャワーの浴び心地は良かったか? 俺の部屋のシャワーまで壊されちまったらどうしようかと思ったが、無事に出てきて安心したよ。バスローブの着方も覚えたか?」

「え、ええ。シャワーの使い方も、バスローブの着方も覚えたわ。シャワーの温度調整はボタンの押す深さでできるし、バスローブは折って、折って、結ぶ。これで合ってるわよね?」

「ああ。これでひとまずは、水害が起こらなそうで助かるよ」


 彼の言葉に、私はまたもうなだれる。そんな私の様子を見た彼は大きくため息をつき、呆れたように机をコツコツと指の腹で叩いた。


「魔道具の使い方が分からなかったんなら、連絡すれば良かったろ。なぜ横着したんだ」

「べ、別に、横着なんかじゃないわ。貴方に『庶民の生活になんてすぐに順応してやる!』なんて言ってしまった手前、連絡ができなかったの。だって、すごすごと連絡するなんて恥じゃない」

「ボロボロの部屋の中心でなすすべもなく呆然としている方が、よっぽど恥だと思うぞ」

「うっ……」


 彼の言葉が心に刺さる。私の心はすっかり萎れ、椅子の上でこれ以上ないほどに縮こまった。


 そんな私の姿を見て、三度目の大きなため息をついたエドワールは、吸い終えたタバコの吸い殻を灰皿に押しつけながら気だるげに語り始める。


「『人は一人じゃ生きられない』。これは、この世界の絶対的な事実だ。だから、誰かの力を借りることも、頼ることも、助けられることも恥じゃない。アンタみたいなプライドの高い貴族には難しい話だろうが、そういう『面子』を捨てればもっと自由に生きられると思うぜ」

「……そういうものかしら?」

「ああ。そういうものだ」


 彼は手につけていた手袋を外して、ポイっと後ろに投げる。それは綺麗に彼の背中の後ろにあった、背の低い棚の上に着地した。


 改めて、エドワールは私に向き直る。


「ファニー。今回の惨劇で、アンタがいかに社会常識のないお嬢様で、危険な人材か分かった。よって、職員宿舎で一人で暮らさせるわけにはいかない。しかし、アンタは表向きは罪人だ。つまり、うちの職員を同じ部屋に住まわせて、彼女らにとって罪人であるアンタのお守りをさせる訳にはいかない」

「……ええ。よく分かっているわ」

「よし。じゃあこれからアンタには、この部屋——俺の部屋で暮らしてもらうことにする」

「……え?」


 驚いて目を開く。ぱちくりとしながら彼の顔を見ていたが、彼は冗談を言っているようには見えなかった。


「正直、他の職員にあんな惨劇を起こされたら一発解雇だ。しかし、アンタには色々事情があるし、問題行動を差し引いてもアンタをこの商会に置いておく利点は大きい」

「な、なるほどね……。でも、ありがとう。正直追い出される覚悟だったから、その慈悲に感謝するわ。……でも、貴方はそれで良いの? 第一、私、女だし……」

「別に、同じ寝室で寝ようなんざ思ってねえよ。俺の私室には三つの部屋がある。ほら、ドアが何個かあるだろ? そのうち一つはシャワールームなんだが、まあ、ここは兼用で。また災害が起きた時にすぐ対応ができないと困る。んで、あっちの赤い扉の部屋にはベッドがあるから、そこで自由に寝泊りしてくれ。正直、自分の部屋に別の誰かが暮らしている不快感より、アンタがまた問題を起こす恐怖の方が大きいんだ。できるだけ大人しくしててほしい」

「な、なるほど……。それじゃあ、ご厚意に甘えさせていただくわ」


 私はおずおずと立ち上がり、彼に頭を下げる。そんな彼は赤色の鍵を私に差し出し、言葉を続けた。


「この屋敷内での魔法使用は禁止だ。複雑な結界や魔法群にどんな影響があるか分からないからな」

「ええ。分かったわ。それじゃあ、おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」


 エドワールは腕を上げて大きな欠伸をしながら、別の扉に入っていった。恐らく、あそこが彼の寝室なのだろう。


 私ももう随分と疲れているので、彼に言われた通りの部屋——私の自室に入る。部屋に入ってすぐ忠告通りに内扉の鍵を閉めて、私は室内を見渡した。


 室内は、上品で落ち着いた、極めて清楚な雰囲気で統一された空間だった。正直、私好みのデザインだ。

 しかし、エドワールの私室の一部であるはずなのに、それとは対照的に彼の好みとは到底思えない仕上がりだ。そもそも1人で暮らしている彼の部屋に、なぜこれほどまで『もう1人の人間』の居住準備が整っているのか。ここまでの彼の言葉と照らし合わせて考えてみると……。


「政略結婚だなんだって言ってたけど、相当惚れてたんじゃないの?」


 この部屋の調度品はあまりにも、アンナ好みのデザインだった。

 もうすぐ結婚を申し入れると言っていたし、彼女のための部屋の準備ができていてもおかしくない。愛の証明かのように、置かれている家具や雑貨の一つ一つが上質で、丁寧に手入れされていた。

 私のかつての婚約者との違いに、なんだか眩しく思えてしまう。イザールは私の好みを勝手に決めつけ、好みではない贈り物をし続けた。まあ、私は彼を『愛すべき人間』と思っていたので、それに対して不満を覚えることは無かったけれど。


 ……つまり、この部屋はアンナのお古という訳か。

 なんだか段々と、この部屋で過ごすことに嫌気がさしてくる。自分を裏切った肉親が捨てた場所に押し込められるのは、非常に惨めな気分だ。


 しかし幸いなことにこの部屋は私にとっても好みなデザインだし、ベッドの硬さも丁度良い。実際に寝転んでみても、よく眠れそうだった。とりあえずは、この部屋を気に入ったことにしておこう。



 ベッドに潜り込み、この目まぐるしい一日と、これからの生活に想いを馳せる。


 明日から、今までとはまるで違う生活が始まる。新たな人生が始まる。きっと忙しい日々になる、けれど本来の目的は絶対に見失わないようにしなければ。

 私は絶対に、元婚約者のイザールと、妹のアンナ、そして肉親を含む私を嘲笑した全ての人間たちに復讐する。もちろん、罪のでっち上げに加担した人間たちも。


 心の中で、私は拳を突き上げる。そして、あまりの疲れに鉛のように重くなった体は眠気に抗えず、すぐに眠りに落ちてしまった。


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