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仮面の下は

「商会の本拠地に向かうには、馬車で丸一日かかります。狭い空間で私と二人きりというのは居心地が悪いかもしれませんが、ゆっくりお待ちください」


 エドワールはそう言い、馬車に乗り込む。私も彼に続いて馬車に乗り込むと、御者は馬車を走らせだした。


 確か、エドワールがアンナの婚約者になった頃に、なぜ商会がその地域に居を構えたのか興味本位で調べたことがあった。

 エドワール商会の公爵領内での一番大きな働きは、公爵家と領内随一の鉱山資源を持つ叙勲された伯爵家との取引仲介だ。その二家のちょうど真ん中の地に拠点を作るのが、最も都合が良かったらしい。土地のデメリットとして商会の拠点の近くには治安の悪いスラム街・カルメッサという街があるのだが、それを考慮しても利点が勝ったのだろう。


 車窓から見える景色は、徐々に移り変わっていく。屋敷の外の下町を通り抜けて、誰も住まない山の道へ。観光のために訪れる旅人や行商人のために舗装された道だが、やはり市街地の平坦なレンガ造りの地面とは違う。王太子に会いに行くために通るこの道が、私はあまり好きではなかった。


 会話が無い。私は少し気まずいが、エドワールは特に気にする様子もなく窓の外の景色を眺めていた。太陽の光があたる、若い貴公子の横顔は絵になる。


「……なあ、ファニー嬢」

「は、はい。何でしょう?」


 急な砕けた声掛けにたじろぎつつ、私は返事を返す。普段の印象よりもずっと粗雑な雰囲気を纏う彼は、袂から巻きタバコを取り出した。


「アンタ、いつもの可愛こちゃんぶりはどうしたんだ? 俺は今まで、能天気で頭の悪い女でも愛嬌さえあれば国家の重鎮に嫁げるなんてつくづく貴族社会はクソだな、と思っていたんだがな」

「はあ?」


 思わず不快さが滲んだ声が出る。だって仕方がないわよね? 今までの私の頑張りを馬鹿にされたようなことを言われたんだもの。……いや、見方を変えれば、そんな振る舞いだったのも事実か。

 しかめっ面を少しだけ解いて、顎を動かしエドワールに話を催促する。彼はおどけたように肩を動かして、愉快そうに笑った。


「ああ、やっぱり。昨日の断罪劇の後からの態度の方が、ファニー嬢、アンタの本性か」


 彼は葉巻に火をつけて、窓の外に向け煙を吐き出した。


「貶められれば直ぐに顔を歪ませるほど傲慢で、笑いものにされれば拳の握りすぎ手が青白くなるほどプライドが高くて、それでいて大衆の目前ならどれだけ苦しくても絶対に涙を流さないほど高潔で、愛想のアの字も振りまかずに淡々と事実を告げてその場から去る……。確かに、貴族らしい傲慢さをそのまま出せば、国民からの反発は凄かっただろうし、あのぶりっ子演技は良い判断だったんじゃねえか?」


 目の前の男の発言に、私は怒りと共に少しの関心を覚える。

 この男は、他者のことをよく見ている。失礼な指摘部分も含めて、それは私をよく表している言葉だった。


「……あなた、よく見てたわね。手が青白くなっていたことなんて、自分でも気付いてなかったわ」

「そうか? あの場に居た貴族連中にはよく見えてたと思うがな。あの状況でアンタに注目しない方が無理な話だ。あの会場に居た人間は、一人残らずアンタを見てたよ」


 昨晩の突き刺さるような視線の数々を思い出す。確かに、あの見世物にされる感覚は不快だった。……あ、そういえば。


「昨日の夜のことだけど。数々の視線の中に私を値踏みするようなものがあったわ。目を合わせたら驚いた、いつもの好青年っぷりが嘘みたいに随分と違って見えたんだもの」


 言葉尻に含みを持たせて、私はエドワールを見やる。数秒目を合わせ、やがて彼は瞼を閉じて大きく煙を吐き出した。


「……ま、俺もアンタと同族なんだよ。本当の俺は好青年でも柔和な商人でも何でもない。あの態度は、この社会で商人として生きる処世術ってわけだ」

「ふーん。やっぱり、昨晩の私の勘は間違ってなかったってわけね」


 窓の外から入った風が、柔らかに吹き抜けた。



 エドワールは、懐から何かを取り出す。それは手のひらサイズの小さな赤い箱で、無言でこちらに差し出してくる。仕方がないので受け取って、駄目とも言われていないので開けてみる。


 そこには、ダイヤモンドの指輪が入っていた。


「これは?」

「今回のパーティーの後に公爵邸に寄って、アンタの妹に渡そうと思っていた指輪だ。色々と婚約の公表によって起こった問題が片付いたから、正式に結婚を申し込もうと思ってた。上物だろ、アンタがつけてみるか?」

「嫌よ、気色悪い」


 そもそも私は貴族籍が無くなったのだから、彼にとっても今更政略結婚などしても意味がない。趣味の悪いジョークを言った彼は、フンと鼻を鳴らした。


 窓の外の景色が移り変わっていく。


「一応聞いておくが、アンタの罪は冤罪か?」

「ええ、当たり前でしょう」


 真っ直ぐ彼の目を見て、一切の揺らぎもなく断言する。エドワールは満足そうに頷くと、一枚の紙を取り出す。


「見てみろ。これは、『この度のアンナ公爵令嬢の無礼を詫びます』と公爵殿から譲り受けたものだ。カルメッサにある遺跡全ての所有権に、牧場二件とそれぞれ作物が違う農家を三件。どう思う?」

「……まあ、婚約によって得ることができたであろう利益と比べれば随分と少ない補填なんでしょうし、もう少し要求して良かったんじゃない? ……でも、貴方の目の前に居るのは何も貰えないどころか貴族籍も奪われた女よ。なのに、あなたはまだ何か欲しいの?」

「少し落ち着け。これには、一番重要な事項が抜けてるだろ。何か分かるか?」


 さあ。商業の世界には疎いものだから、エドワールが何を欲しているかなんて分からないわ。『一番重要な事項』ね……あ。


「もしかして、アンナへの罰?」

「その通りだ」


 エドワールは、契約書の端を指の腹で叩く。


「俺はなぁ、あの女が憎たらしくて仕方がないんだ。だってそうだろ? 双方に利益があるからと婚約を認めさせるために国中走り回ったのに、たった一晩のパーティーでパァだ。しかも、新しいお相手は王太子様、未来の国王ときた。完全に俺を下に見ている。そんな連中、引きずり降ろしてやりたいに決まってるだろ?」


 彼は煙を吐きながら、窓の外に見える青空を睨んでいる。端正な顔には似合わない表情だが、きっとこれが彼の本性なのだろう。


 私は風で乱れた髪を、軽く触って整える。そして、彼の言葉に頷いた。


「奇遇ね、私も全くの同意見よ。婚約者が居る身で更なる権力者に嫁ごうとする愚妹も、その誘惑にまんまと乗って篭絡されるあの人のことも許さない。何より、大衆の面前で婚約破棄を宣言されて面子を潰されたことは許さないし、一生をかけて呪い続けてやる。必ず、彼らに天罰を下してやるわ」

「随分と情熱的なこった。仮面のカの字も残ってねぇな」

「うるさいわね」


 愉快そうに軽口を叩くエドワールに、私は向き直る。


「エドワール。私、あなたと同じように、彼らに復讐したいと思っているの。だから、私を復讐のための駒として、徹底的に利用してちょうだい。そして、私も奴らへの復讐のために、あなたの力を利用するわ」

「上等だ。俺もアンタを利用する。まあ、そっちから言われなくても、アンタを引き取ると提案した時点でそのつもりだったがな」

「あら、私たちって似た者同士なのね」

「そうだな。気が合いそうで良かったよ」


 彼は新しいタバコを口に咥え、魔導ライターで火をつける。

 窓の外、遠くに栄えた街が見えた。目的地ではない。ただ、楽しく暮らす人々がいるのかと思うと、どうしても羨ましかった。


「奴らに赤っ恥をかかせるのに相応しい舞台は、十か月後に行われる各領貴族懇親会だ。あの会は有力商人である俺も呼ばれるし、各地の貴族が揃う場なんて、昨日のパーティーの復讐劇にはうってつけだろ?」

「ええ。できるだけ目立つ場所で私の冤罪を認めさせ、無実の臣下を罪人に仕立て上げた極悪人だと彼らを糾弾しましょう。——そして、奴ら二人を次期国王夫妻という立場から、引きずり降ろしてやりましょう」

「ああ、勿論だ」


 エルワードは愉快そうに笑いながら、懐から革製の手帳を取り出した。


「さて。奴らに復讐をするには、準備すること、やるべきことは沢山ある。とはいえ、世間一般から見て罪人になったアンタが表立ってできることは、しばらくの間はない。よって、アンタにはしばらく公爵との約束通りに商会で働いてもらうことになる。商会で生かせるような知識、得意なことは?」


 ふむ。確かに、闇雲に動いたところで奴らの尻尾は掴めない。それに、現在表立って動ける立場があるのはエルワードだけであり、私はしばらく引っ込んでおくべきということだろう。

 私の得意分野といえば、今までの妃教育でやっていたものと、そして——。


「妃教育の影響で、文学や地理学、歴史には学院の教師よりも深い知見がある自信があるわ。あと、魔法ね。専門的な学校には通っていないけれど、独学知識と能力の時点でお兄様より上よ。……今まで、目立った魔法の使用は控えていたのだけれど、もうその必要はないから。思う存分使わせてちょうだい」


 そう。私には魔法の力がある。今までは兄を立てろという周囲の人間たちの言葉に従って、何度も苦渋を飲んだ。でも、これから訪れる新天地には、私に繋がる枷はない。なら、私の才能の出し惜しみなんてしたくない。

 私の強気な発言に、エドワールは少し呆れたようにため息をついた。


「自信ってアンタ、碌な結果も残してないのに傲慢な貴族だな。ま、残念ながらアンタは今日から仲間だ。一旦はその言葉を飲み込んでやるよ。幸か不幸か、俺たちが復讐したい相手は同じみたいだからァ、“お義姉様”?」

「気色悪い呼び方はやめてちょうだい。ファニーで良いわ」


 たちの悪いジョークで笑いながら、エドワールは手元の手帳に何かを書き込んでいる。ちらりと見えた限りだが、そこには様々な人名と得意分野、生い立ちに好き嫌いまでがびっしりと書き込まれていた。……なるほど、ちゃんと部下や取引先の人間について考証しているのね。有能な権力者として必要な『人を見る目』は、ここで培われているらしいわ。

 ひと段落すると、彼は手帳を上着の内ポケットにしまう。そして腕を組んで、壁にもたれかかった。


「これで、認識のすり合わせは終わりだな。じゃあ、俺は寝る」

「え?」


 エドワールは目を閉じると、十秒も経たない内に寝息をたて始めた。


「ちょ、ちょっと……いや、眠くて当然だわ」


 彼を無理やり起こそうと出した手を、思いなおしてひっこめる。


 恐らく、彼は昨日のパーティーの後すぐに私の父の元に訪れ、婚約破棄の不義理への謝罪の要求や、私を雇うことになるまでの話し合いをしていたはず。なら、私には彼に眠るなという権利はない。私の追い出し先が『エドワール商会』という復讐するための行動が起こしやすい場所になったのは、昨晩の彼の粉骨のおかげなのだ。


 金髪の貴公子は、馬車の壁にもたれかかり静かに眠っている。

 窓の外に流れる景色は、とうの昔に私の知らないものになっていた。


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