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引き取り

 翌朝。食事や身支度を一通り終えると、私はお父様が過ごす執務室に通された。執務室には既に現公爵であるお父様とお母様、お兄様であるエタン、そして忌まわしきアンナがいた。

 重々しい空気の中で、厳格な父が口を開く。


「ファニー。この度の失態は看過できるものではない。我々は、王太子様からの『貴族身分の剥奪』と『実家からの追放』の二点の申し立てを受け入れる。今日中に最低限の荷物をまとめて、この家から出ていってもらう。良いな?」

「……ええ、分かりましたわ。お父様」

「もう、お前に私をお父様と呼ぶ権利は無い。了承の返事だけで結構だ」


 クスクスと、母が扇子で隠した口元を鳴らす。ああ、屈辱的だ。臓器の底が熱くなる。たとえどれだけ時間がかかろうと、必ず地獄に落としてやる。隣に居る兄のエタンは注意することもなく眉を顰め、彼の目には罪人に映っているであろう私の姿を庭見つけていた。

 そんな家族たちの様子を見て、アンナは厳しい顔を浮かべた。


「お母様、笑ってはいけません。お兄様も、そんな顔をなさらないでください。確かに私は昨夜のパーティーで、お姉様からの嫌がらせの事実を王太子様の口から公表していただきました。けれど、お姉様は、私たちにとって大切な家族でしょう?……今回の処分だって、できるだけ悲しい結末にはしないように説得したんですよ」


 アンナは胸に手を当てて、心労がたたっていると言わんばかりに息を吐いた。


 ハァ。ため息を吐きたいのはこっちよ。何て厚顔無恥な女なのかしらね。自分から無実の罪を擦り付けておいて、自分は善人面なんて。本当に演技力が高いんだから、敵国の諜報員にでも向いてるんじゃない?

 心の中で悪態をつく私にアンナは歩み寄ってきて、俯く私をその忌々しい顔で覗き込んでくる。


「お姉様。また、会いましょうね。今は少し、お姉様が怖いけど。次会った時は、子供の頃みたいな優しいお姉様に戻ってると良いな」

 彼女は私の宙ぶらりんの手を持ち上げて、両手で包み込む。それから、形だけは綺麗な顔に聖母のような微笑みを浮かべ——。


「フッ」


 私を心底見下した、意地の悪い笑顔を浮かべた。


 ああ、きっとアンナの背中しか見えていない家族たちには、悪人にも情が深い清廉な少女に見えているのだろう。心の底から腹が立つこの笑顔が見えないからだ。必ず、必ず地の底に落としてやる。


 今この瞬間に彼女の挑発に乗ったら私の恨みのこもった顔が家族に見られるだけなので、何も返事をせずに無表情を決め込む。

 数秒経って、父の「ゴホン」という咳払いによってアンナは離れていった。


 母が口元を扇子で隠し、おほほと笑う。

「アンナは良い女に育ったわね。強い貴女が人前で泣いてしまうほどに自分を虐めてきた姉にも、こうやって慈悲をかけるだなんて。今までファニーには大金をかけて妃教育をしてきたけど、やっぱり王太子様の婚約者には、聡明で情のあるあなたが最適だわ」

「そんな。けれど、確かに大事な立場を請け負ったわけですから、必ず役目を全うしますわ。ただ……」


 ふと、アンナは申し訳なさそうな顔をする。


「エドワール様に、申し訳ないことをしてしまったと思って。何せ急な話でしたから、多忙な彼と話す機会も無く。結果的に昨日のパーティーにて、他の貴族の方々と同じタイミングで伝えることになってしまったんです」


 その申し訳なさは最もである。やはり、エドワールに婚約の破棄を伝えていなかったんじゃないか。王太子の婚約者になる契約を立てていたんだったら、そっちにもちゃんと根回しをしておけば良かったのに。

 しかし、そんな大馬鹿者に父は優しく微笑みかける。


「アンナ、それは気にすることではない。元より、彼と婚姻関係を結ぶことで我が領地に利があるからと決まった政略結婚だ。昨晩連絡した際に、彼に有利な契約をするということで、エドワールは納得してくれたのだ」

「ああ、なら良かったです。けれど、やっぱり一度会って謝罪したいわ。彼だって、この領地のことを憂いている素敵な紳士だったから……」

「ふふ、大丈夫さ。きっとすぐに会えるよ」


 父は少し含みを持った笑いを浮かべた。



「さて。ファニー、お前のこれからの処遇についてだ。あくまでもイザール様から命じられたのは、この家との繋がりを失くせということだけ。つまり人権剥奪の類ではないから、さっさと身ぐるみを剥いで路上に捨てる、なんて真似はできない。大変面倒なことだが、お前には新しい生活の場を紹介しなければならないんだ」


 父はそう言うと、机の上からひらりと一枚の紙を持ち上げる。


「昨晩協議した結果、エドワールが商会の方でお前を引き取ってくれることになった」

「はい?」


 想定外の行き先に思わず困惑の声を漏らした私に、反抗するなという不機嫌そうな顔を向けた後、父はパンパンッと二度手を叩いて扉の方に声をかける。


「ここからは、君の口から話した方が早いだろう。さあ、エドワール。入ってこい」

「——では、失礼します」


 木製の扉の向こう側からくぐもった声が聞こえて、キィと扉が開く。

 そこには、すらりとした長い手足に燕尾服を着た、金髪の紳士が立っていた。間違いなく、アンナの婚約——つい昨晩、元婚約者になったエドワールである。


「お久しぶりですね、ファニー様。本日は、あなたの身柄を引き取りに参りました」

「ありがとうございます。この度の御厚意、大変ありがたく存じます」


 戸惑いのまま、今の私に精一杯の愛想笑いを浮かべる。これでも、十数年王太子の婚約者として可愛らしいお人形を演じてきたのだ。戸惑いを隠す演技など、大の得意である。


 エドワールの登場によって、アンナは爽やかな貴公子にすり寄る。


「エドワール様、この度は本当にご迷惑をおかけしてしまいましたわ。あまりに急な婚約破棄を受け入れてくださっただけでなく、お姉様のこれからの生活のサポートをしてくださるなんて」

「いえいえ。僕もまたこの地で生まれた人間、領主である公爵様には恩がございますから。報いることができて何よりです」

 柔和な笑顔。今日の彼はいつも通りで、昨日のパーティーで見せた、あの異質な眼差しはどこにもない。……本当にないのだろうか? この男の底を、私は掴みかねている。


「さて。ファニー嬢。衣服や日用品などのあなたが生活を送るために必要な物資と住む家は、全てこちらから提供させていただきます。その分、あなたには我が商会での仕事に尽力してもらいますよ。良いですね?」

「ええ。元より、その覚悟ですわ」


 私の言葉に、エドワールは満足そうに頷く。


「では、本当に必要な物だけをこちらの鞄に入れてきてください。準備ができ次第、すぐに馬車に乗って移動を始めます。できるだけ早くお願いしますね」


 二コリ。彼が差し出してきた鞄は、本当に手持ちサイズの小さなものだ。おそらく、『どうしても大切な形見や、手放したくないものを入れてこい』ということなんだろうけど……。元々、この家に私が本当に欲しいものなんてどこにもない。少なくとも、私が手を出せる範囲では。


「エドワール様、お心遣い感謝いたします。ですが、私には持っていきたい大事な品などございません。」

「おや、そうでしたか。ではすぐに、新たな地へと向かってしまいましょうか」


 エドワールはそう言うと、この部屋の中にいる人間たちに向けて優雅に一礼して、扉の外に出る。私もそれに続いて、家族たちに頭を下げた。


「19年間、ありがとうございました」

 私の人生を滅茶苦茶にしたこと、絶対に許さない。必ず地獄に叩き落としてやる。


 誰の顔も見ず部屋の外に出て、偽善と欺瞞に満ちた空間を封じるように戸を閉めた。


 廊下では、エドワールがにこやかにネクタイを直していた。私と目を合わせると二コリと笑い「それでは行きましょうか」とだけ口にして、建物の外へと歩んでいく。私もその背を追って、随分と見慣れた邸宅の、もう二度と歩くことのない赤い絨毯の上を歩んだ。

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