次の地図
「…顔を上げろ、助手」
彼の声は、いつもより少しだけ静かだった。
「奴が命と引き換えに遺したボールだ。受け取るも無視するも、お前の自由だ。だが、もし受け取るなら…感傷に浸るのは、全てを終わらせた後だ」
久我さんはそう言うと、動画の最後の場面…馬場崎社長が掲げてみせた設計図の画像を、メインモニターに大きく映し出した。
久我さんがモニターに映し出したのは、古い青焼きの設計図をスキャンした、高解像度の画像データだった。
全体的に青みがかった背景に、無数の白い線と数字、記号がびっしりと書き込まれている。紙の折り目や、経年劣化によるわずかなシミまで見て取れた。
それは、私の祖父が遺した、知性の痕跡そのものだった。
図面は、全体的に三つのエリアに分かれている。中央の大部分を占める【主図】右側にある仕様書や注釈をまとめた【技術仕様欄】そして右下の、設計者や日付が記された【図面情報欄】だ。
【図面情報欄】
まず目に入る、表題部分。ここから、いくつかの重要な情報が読み取れる。
項目内容
正式名称・能動型光学観望システム
図面名称・試作型 天体追尾装置 "道標一号"
設計者・美星 道明
所属・美星精密工房
所在地・東京都府中市
図番・MHS-P1-001
改訂履歴・Ver 3.0
最終承認:1998年7月7日
中央に描かれているのは、私が博物館のロッカーから見つけた「指向性共鳴装置」よりも、さらに複雑で大型な機械の三面図だった。
【主図】
コンパクトな円筒形の筐体から、複数のアームが伸び、その先端に大型のレンズやセンサーらしきものが取り付けられている。内部構造を示す断面図には、精密な歯車やモーター、エネルギー伝達経路のようなものが、蜘蛛の巣のように張り巡らされていた。
全体的な印象は、兵器というより、人工衛星に搭載されるような、極めて高度な観測機器といった感じだ。
【技術仕様及び注釈欄】
図面の右側に、専門的な注釈が箇条書きで並んでいる。天文学と地質学に知識が偏っている私でも、ほとんどは意味の分からない、機械工学や電子工学の用語ばかりだった。
1. 電源要件:DC 24V / 5A (安定化電源必須)
2. 筐体材質:A7075超々ジュラルミン、一部カーボン複合材
3. 駆動モーター:高精度ステッピングモーター MP-28BJY48 x4
4. 筐体設置基準:拠点(Fuchu Prime)より、磁気方位角 219.5°に主軸を指向のこと。
5. 主鏡フィルター規格:Type-M(月光、及び海面反射光の減光用)を標準装備。
6. 冷却システム:熱交換率の算出には、エリダヌス座β星の放射束密度を基準モデルとして使用。
7. 制御OS:MIHOSHI OS Ver.1.72 (カスタム)
「これが、次の地図…」
「ああ」久我さんは、画像を拡大し、隅々まで目で追っている。「馬場崎は『二つ目のかけらの在処を示す』と言っていた。この情報の中に、次の遺品の隠し場所があるはずだ」
私は、久我さんと並んで、画面に食い入るように見つめた。右下の【図面情報欄】には、設計者として祖父の名前が、そして拠点として「東京都府中市」の文字が見える。
右側の【技術仕様及び注釈欄】には、専門的な情報が箇条書きで並んでいた。
1. 電源要件:DC 24V / 5A (安定化電源必須)
2. 筐体材質:A7075超々ジュラルミン、一部カーボン複合材
3. 駆動モーター:高精度ステッピングモーター MP-28BJY48 x4
ほとんどは、私には意味の分からない機械工学や電子工学の用語ばかり。でも、その中に、いくつかの奇妙な、場違いな言葉が紛れ込んでいることに気づいた。
「…久我さん、これ」
私は、モニターの一点を指さした。
4. 筐体設置基準:拠点(Fuchu Prime)より、磁気方位角 219.5°に主軸を指向のこと。
「設置する向きの指定…? どうしてプロトタイプの設計図に、こんな具体的な指示が…」
続けて、他の項目にも目が吸い寄せられる。
5. 主鏡フィルター規格:Type-M(月光、及び海面反射光の減光用)を標準装備。
「月と、海…? 天体望遠鏡のフィルターなら、普通はもっと汎用的なものを使うはずだけど…」
6. 冷却システム:熱交換率の算出には、エリダヌス座β星の放射束密度を基準モデルとして使用。
「エリダヌス座…。『川』の星座…。どうして冷却システムの基準に、特定の星の名前が…?」
私は、まるで知らない外国語の辞書を引くみたいに、一つ一つのキーワードをノートに書き出していく。
「正式名称は能動型光学観望システム」
「府中から、219.5度」
「月光と、海面の光」
「エリダヌス座」
四つの、全くバラバラな情報。
それは確かに、おじいちゃんからのメッセージのはずなのに、今はただの無意味な専門用語の羅列にしか見えなかった。
久我さんは、腕を組んでモニター全体を睨みつけ、深く息を吐いた。
「…なるほどな。あんたの爺さん、とんでもないパズルを遺してくれたもんだ」
彼の声には、苛立ちと、それ以上の面白がるような響きが混じっていた。
「方位角、光学特性、熱力学…。一見、すべてがもっともらしい技術情報に見える。だが、その実態は、四つの異なる分野にまたがった、四重の暗号だ」
彼は椅子を軋ませ、私に向き直った。
「今日はもう終わりだ。頭を冷やせ、助手。俺も少し考える」
「でも…」
「馬場崎の遺言は、そう簡単に解けるようには作られていない。…お前も、家に帰って考えてみろ。その天文学の知識とやらでな」
久我さんはそう言うと、設計図のデータをプリントアウトし、私に手渡した。紙の上に印刷された無機質な線と数字が、ずしりと重い。
事務所を出て、真夜中の冷たい空気に触れると、少しだけ頭が冷静になった。
府中から南西へ向かう角度。
月と海を見るためのフィルター。
そして、空に流れる、神話の川。
ばらばらのピースを頭の中で並べ替えながら、私は家路についた。
おじいちゃんが遺した、次の「道標」。その針が指し示す先は、まだ深い霧の中だった。