パンプスとガチャン
「ただいま〜」
夕方の少し湿った風と一緒に、夏美は家に帰ってきた。
ふと玄関で足を止める。
(ん……?)
いつもの靴箱の前、見慣れないベージュのエナメルパンプスが一足。
ヒール高め。華やか。つま先キラリ。
(誰か来てる? こんなオシャレな靴、母さんじゃないよね……)
その瞬間——
ガチャン!!!
奥から、なにかが派手に割れる音。
(えっ! なになに!?)
(コナンくん案件じゃん……いや、昼ドラか……?)
――そして、夏美の脳内妄想スイッチがオンになる。
*
「いいかげんにして!奥さんと別れてって何度言ったらわかるのよ!!」
玄関のパンプスの持ち主。長い髪をなびかせ、鋭い目をした“愛人風美女”が叫んでいる。
「わ、わたし、妊娠してるのよ!!」
「ええっ!?」
「えつっ!?」
「どういうことよあなたぁあああっ!」
茶碗が宙を舞い、飛び交うセリフと共にガチャン。
「ま、待ってくれ!冷静に話そう!」と父は半泣き、
「冷静じゃいられるか!」と母は怒髪天、
「今さら何言ってんのよ!ずっと待ってたのにっ!」と愛人風美女。
まるで火曜午後1時のテレビドラマ。
(なにこの展開……!でも私、目撃者……いや、これは巻き込まれてる!?)
*
……と、リビングのドアをそっと開けた夏美。
そこにいたのは——
父と母、そして近所の主婦・冴子さん。
ちゃぶ台の上には、お茶菓子と台本。
床には、母の手が滑って割った湯のみ茶碗。
「あ、夏美、おかえり。今ね、冴子さんが町内劇団で出る舞台の練習しててね」
「台詞、覚えにくくってね〜、ちょっと熱が入りすぎちゃった!あはは〜」
「……」
夏美は何も言わず、静かにリビングを後にした。
(いや、台詞って……ガチすぎるわ……)
その夜、夏美はバイト帰りにカフェでメモを開いた。
“妄想ネタ No.47『父の愛人と投げられた茶碗』——現実は劇団ごっこ”
——妄想はいつも突然に。
でもちょっと、楽しいからやめられない。
見慣れないパンプスと一つの音から始まる、夏美の妄想劇場。現実は地味でも、想像の中ではいつだってドラマの主役。