しわくちゃな背中
「お疲れさまでした〜」
そう言ってタイムカードを押した夏美は、店の奥で棚を整理している店長にふと目を向けた。
(あれ…?)
いつもピシッとアイロンのかかったシャツ。
その白いシャツの背中に、今日は妙な横ジワが寄っていた。襟もぺたんと寝ていて、肩のあたりには洗濯バサミのあとみたいな跡がくっきり。
(……これは間違いない。アイロン、かけてもらえてない!)
夏美の脳内で、またしても妄想劇場がはじまった――!
⸻
店長(朝のダイニングにて):
「えっ……今日、シャツにアイロンかけてないの?」
奥さん(エプロン姿で振り向く):
「かけてないけど。自分でやるんでしょ?」
「え、でもいつも――」
「“いつも”って何よ。“やってもらって当然”ってこと?」
「いや、そんなつもりじゃ…」
「子どもの弁当作って、朝ごはん作って、保育園の連絡帳書いて、私にあと何をしろっていうのよ!」
「……ご、ごめん」
「それにね、昨日の帰り……香水の匂いがしたわよ」
「え? それは…あの…バイトの夏美ちゃんが横通ったときに……」
「なつみ!?」
「えっ!? いや、そうじゃなくて、偶然っていうか、すれ違いざまに――」
「“すれ違いざま”に香る関係なのね!」
「いや、違っ……」
⸻
(……っていうか、なんで私が火種になってるの!?)
自転車のサドルに腰を下ろしながら、夏美はぷくっと頬をふくらませた。
でも、想像は止まらない。
(でもさ……アイロンかけてもらえなかったシャツを、それでも着てきたってことは……)
妄想はさらに次の段階へ――
⸻
店長(シャツを手に、脱衣所でぼんやり立つ):
「……これでいいか」
(奥さんの怒った声が、まだ耳に残っている)
(でも、遅刻はできないし…今日はこれで行くしかないか)
(シワくちゃでも、誰か気づくかな…)
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(気づいてますよ、店長…私は、ちゃんと)
夏美は夕焼けの中、自転車をこぎながら、しわの1本1本に思いを馳せた。
怒ってる奥さん、しょんぼりしてる店長。
でも、どこかで本当はお互いにわかり合いたいって思ってる。
そんな気がする。
(明日、アイロンがピシッとかかってたら…仲直りした証拠だね)
そう思いながら、夏美は今日もほのぼのとした妄想を、夕日に預けて帰っていくのだった。
シャツのしわは、家の中の空気を映していた。
夏美の妄想は、静かに背中を追いかけていた。