わたくし、梅だゆう
昼休憩。
春の陽射しがぽかぽかと心地よく、佐藤夏美は公園のベンチに座る。
「今日はちょっと豪華に…シャケおにぎり!」
そう思って買ったはずのおにぎりを袋から取り出すと…
「えっ、うそ……梅?」
目の前に現れた、思ってたのと違う現実。
がっかり、というより、ちょっと裏切られたような気持ち。
その瞬間だった。
風がふわっと吹いて、三味線の音のような響きが耳の奥に届いた。
「……名を名乗るほどの者ではございませんが」
え?
おにぎりから、しゃなり、と現れたのは
白米の着物に紅の梅干しを胸に飾る、どこか儚げな女性——
「わたくし、梅だゆう。
気高き酸味とともに、この身、おにぎりとなりました」
「えっ、しゃけじゃなかったの!?」
「ご無礼を。わたくしの意志ではございません」
「なんか…すみません」
そのときの夏美は、もう完全に妄想モードだった。
頭の中は、まるで時代劇の世界。
梅だゆうがふわりと腰を下ろすと、語り始めた。
⸻
『梅だゆうの物語 〜酸っぱくて、少しさびしい〜』
わたくしは、紀州の小さな梅の実から始まりました。
姉たちは甘く漬けられ、兄たちは高級な梅酒となり…
わたくしだけが、塩にまみれ、酸味をその身にまとうこととなりました。
「梅は体にいいのよ」
そう言われながらも、いつも端に追いやられます。
おにぎりの棚で、誰かの手に取られても、
「…あ、梅か」と戻されることも、数知れず。
それでも、わたくしは誇りを持っておりました。
酸味は、疲れた人を目覚めさせる。
塩気は、体を守る。
わたくしは、誰かの力になるために、ここにいるのだと。
でも時々、ほんの少しだけ、寂しくなるのです。
“またシャケだったらよかったのに”と、
その顔に出された瞬間——
そんなある日。
あなたがわたくしを選びました。
……間違えて、ではありましたが。
「うわ、梅かぁ…まあ、いっか」
その声が、不思議とやさしくて。
「疲れてるし、酸っぱいのもいいかもな」
そう言って、あなたが口に運んでくれたとき、
わたくしの長い旅は報われました。
ただのお昼ごはんではない、
誰かの“今日を乗り切る”ための、ささやかな助けになれた——
それが、梅だゆうのしあわせにございます。
⸻
風が、また吹いた。
妄想の世界から戻った夏美は、
手の中のおにぎりをじっと見つめる。
「……ごめん、梅だゆう。私、ちょっとがっかりしてたけど…」
「ありがとう、ほんとに、おいしいよ」
ぱくっ。
酸っぱくて、でもどこか、ほっとする味。
心の奥に、じんわりと染み込んでいく。
梅だゆうの、ちょっと切ない誇りが、
今、夏美の中に、あたたかく残っていた。
午後の空の下、
彼女は背筋を伸ばして、職場へと歩き出した。
間違って手に取られた梅おにぎりに、気高さと切なさを重ねた物語。
酸っぱいけれど、心にやさしくしみる味が、誰かの午後をそっと支えてくれる。