親子丼と、ひとりの夜
「いらっしゃいませ〜」
朝のコンビニ。
レジに立つ佐藤夏美は、眠気をこらえながら笑顔をつくる。
制服のエプロンのポケットには、今日も飴を1個。
お守りみたいなもの。元気がなくなったら、そっとなめる。
ドアのチャイムが鳴って、ふと顔を上げる。
あっ。来た。
あの、よく来る男の人。
年齢は…30代前半くらい? 髪はちょっとぼさっとしてて、服もゆるっとしてて、なんか…やわらかい雰囲気の人。
彼はまっすぐお弁当コーナーへ向かい、いつものように数秒迷ってから、親子丼を手に取った。
次に野菜ジュース。そして、ビール。
(あ、今日はこの組み合わせか…)
夏美は、そっと息を吸い直して、レジのスキャンを始める。
「親子丼、野菜ジュース、ビール、以上でございます〜」
ピッ。ピッ。ピッ。
その間、夏美の頭の中では、もう物語が始まっていた。
(この人、たぶん一人暮らしなんだよね)
(きっと、朝方のコンビニってことは、夜型生活か、在宅ワークの人だ…)
(自炊はそんなにしないけど、野菜ジュースでちゃんとビタミン摂ってるの、ちょっと真面目)
(ビールは…ご褒美かな。夜、静かな部屋で一人で飲むんだ…)
「袋、いりますか?」
「お願いします」
(声も、やっぱり静かだ…優しい感じ。怒ったこととか、なさそう)
「ありがとうございます〜」
商品を袋に入れて渡すと、彼は軽く会釈をして、静かに店を出て行った。
自動ドアの音がして、風が少し入ってきた。
(今日も、どんな一日なんだろう…)
⸻
*** 夏美の妄想のなか ***
小さな部屋。
観葉植物がひとつ、窓際に置かれている。名前は「ハルオ」。
男の人は、親子丼を電子レンジに入れながら、ふうっと息を吐く。
夜通しパソコンに向かって原稿を書いていた。文章の仕事をしているらしい。
静かな時間の中で、たくさんの言葉を選んで、削って、また書いて――
気づけば朝。
(今日も、あのコンビニの子がいたな…)
ごはんを食べながら、ふと思い出す。
あの、ちょっととろそうで、でも笑顔がかわいい子。
たぶん、名前は…まだ知らない。
「また行こう、あの店」
そう言って、缶ビールをあけた。
⸻
*** 現実に戻る ***
「なっちゃん、ジュースの補充お願い〜」
「はーい!」
妄想は、ここでいったん終わり。
でも、頭の片隅には、まだ「親子丼とビールの人」が住んでいる。
(また、来てくれるかな)
ほんのちょっとだけ心があたたかくなって、夏美は冷蔵棚へと向かった。
ほんの一瞬のやりとりが、頭の中で静かに物語になる。日常のかけらが、想像の中でふくらんで、誰かの一日を優しく照らす。そんな妄想が、今日もレジの内側でそっと続いている。