魔人ネクロ ~Brigant Stage~
新鮮な風が入る教会裏にある母屋。そこには現在、十一人の孤児と一人の女性修道士が居住している。
けして広くはない、一般家屋と同じかそれよりも狭いくらいの居間。そこでは一つの長テーブルを囲うようにして計十二人が自分の席に座り、恒例行事である朝食前のお祈りを捧げている。
椅子は木製でややくたびれている物もあり、長年使われてきたように見え、座るとがたがたと軋む音が鳴っている。
ここは孤児院という側面があり、女性修道士が一人で孤児である子供たちの世話をしている、ことになっている。
というのも、子供たちが逞しすぎるというのもあるが、女性修道士の怠慢な性格がゆえだろう。
女性修道士は修道服を着ているが、孤児たちは男女問わず全員同じような身なり。貧困層にありきたりの、布を切ってつぎはぎしただけの簡単で薄い造りの衣服である。貧相ではあるが、彼らの表情にはそれらしい不満が一切無い。むしろ楽しそうで、少ない食卓を前にニヤける者すらもいた。
全員の前にはスープと、薄いパンが並べられている。料理されたばかりなようで湯気を放ち、香ばしい匂いが野菜の風味を漂わせている。匂いだけでいえば、一般的な食卓よりも贅沢なくらいだ。
「シ〰〰ロ〰〰、なにまたネロの膝の上に乗ってるの。ネロが食べずらいでしょ」
お祈りが終わると――少年の膝の上に座る幼い少女が叱責を受ける。
不機嫌に顔を顰める銀髪の少女は、長い髪を左右で結び、整った容姿をしている。あどけなさはあるものの、子供たちの中では抜きんでて秀麗だ。
一方、彼女を膝の上に乗せる黒髪の少年は、肩まで伸びる髪を後ろで結んでおり、やや中性的でハキのない面相である。困ったように笑う表情は柔らかく、叱りつける少女も強く言及できない。
銀髪の少女は、何も言わずに仕方なさそうに隣の空いた席に座る。少女はがっかりしたが、度々なにかを確認するように黒髪少年の方を見た。そして目が合う度に微笑み、まるで初々しいカップルのようである。
叱責が終わったと見るや、すぐに場が賑やかになった。
「おいしそう!」
壮年そうな女性修道士が呟き、各々匂いや見た目の感想が口から零れだす。
すると顔にそばかす、金髪はくせっ毛の少年が得意気に茶化した。
「当たり前じゃん。今日はネロが作ったんだから! シスターじゃこうはいかないよ!」
「な、なんですって!?」
「あはは……」
引き合いに出され、苦笑いを浮かべる黒髪の少年――ネロが、テーブルに並んでいるスープを調理した。
横で静かにスプーンでスープを啜る銀髪少女は、満足気にかの発言に同意するように頷いていた。
「ていうか、今日は本来シスターが朝飯作る予定だっただろ。飲んだくれで朝が遅いシスターの代わりにネロが作ってくれたんだから感謝の言葉くらいあってもいいんじゃねーの?」
両腕に包帯を巻いた年長の少年が呆れたように言う。
『シスター』と呼称される女性修道士は、「ぐぬぬ……」と言い返せない状況に逼迫した表情を浮かべた。
彼女に非があるのは明らかであり、子供たちの眼差しが怪訝なものとなるのを議長席から悟り俯く。
「じゃ、じゃあ感謝の印として投げキッスで……許してくれ……」
「シスターが投げキッスって、どこの店の熟女だよ!」
「うるっせえなっ! こんなに美して可愛いシスター様に投げキッスされたら誰でも泣いて喜ぶでしょーが!!」
「どんだけ自信満々なんだよ……」
腕に包帯を巻いた少年がシスターを冷やかすのを他所に、ネロはスープが口から垂れた銀髪少女の口元を自身の服の袖で拭っていた。
「ありがと、兄さん」
「相変わらず仲がいいわね二人共。シロは長い間ふさぎ込んでいた面影がもうどこにも無いみたいね」
向かいの席に座るポニーテールの少女が呆れるように言う。先程は叱っていたが、それは嫉妬心に近いものからであった。唇を尖らせ、ネロに視線を向けるが首を傾げられる。
銀髪の少女――シロは恥ずかしそうに顔を赤らめ、そっと下を向いた。
すると、丸眼鏡少年がスープに舌鼓を打ちながら得意気に語り始める。
「ああ、あの時は本当にすごかったんだぜ! 崖下に落ちたシロを追いかけて落ちたかと思えば、一緒に川に飛び込んでどっちも無事だったんだからな! いやあ、普通あんなことできないよ。俺っち、感動した――!!」
「……シロを助けてあげたあなたはシロにとっての英雄だもんね」
「そ、そんなことないよ……」
「それはレヴェナもだろう? 胸糞貴族に襲われそうになったところをネロに助けて貰ったじゃねえか」
「あ、あれも……まあ……そうだけど……」
「ボクは英雄なんて立派なものじゃないよ」
物怖じして腰の低い少年の態度からは「英雄」なんて単語は浮かばない。とても力強くは見えない線の細い彼には、昼と夜とで二面性があった――。
通常は、今のようにとりたてて言い及ぶことのない、冴えない顔とやや細い印象の、ごく普通の少年である。
しかし、夜になると――
◇◇◇
昨夜――。
闇夜に浮かぶ漆黒の摩天楼。その頂に立つ者がいた。
闇を払う明るい月が雲の隙間から現れる刻、陰に身を潜ませていた存在を見抜く。
切れ長の黒い眼の中で赤い瞳が浮かぶ。頭からは二本の角、背中には物々しい両翼があった。
漆黒のコートに身を包む怪しげな風貌の彼は、疎らに明かりの灯る街並みを、不敵な笑みで見下ろしている。
――魔人。
現在は行き来することができなくなった魔界の住人である彼らは、全種族の中で第一位の戦闘能力を保持する。彼はそんな種族の身体的特徴が一致していた。
街に身を投げるように飛び降りると、両翼が開く。少年は意気揚々と滑空を始めた。
月明かりに染まる空の下、漆黒の点が舞うラトゥーリエ王国にはとある噂があった。
この国には今となっては幻の種族、魔人が棲んでいると――。
月影の中を飛行する最中、出し抜けに脳内に直接声が響いた。それを少年は慣れたように応対する。
(――クロ)
「首尾は?」
(東門付近は粗方。こっちには王国ナンバーツーの冒険者パーティがいるし、当然ね。でも、少し街の中に残党を入れてしまったの。外出禁止令が出ているとはいえ、不安なのだけど)
「オーケー、それはオレが狩する」
(分かったわ。こっちも見えた端から片付けるようにする。そっちも気をつけて)
「オフコース」
獲物を前にした狩人のような眼光を放ちながら、進行方向を変える。
煉瓦造りの建物が立ち並ぶ中、誰もいない遊歩道を闊歩する存在があった。
腰周りにボロボロの布を巻いただけの鬼である。緑色のずんぐりむっくりした体は、人々の恐怖の対象となっており、それを知ってか腕を大振りにして歩いている。
この地域付近では、彼らのように魔素から生まれた個体を魔物と呼び、敵もしくは害虫として狩っている。魔物には様々な種類や個体が存在し、それぞれ別の名前をつけて呼んでいる。この緑色をした小鬼は、【ゴブリン】と呼ばれる個体だ。
群れを成す修正があり、腹が膨れているほど小賢しいとして知られる。枝木や棍棒を武器として扱い、人々から恐れられていた。しかし、それも非戦闘員からすれば、という注釈付きで、魔物の中では比較的弱い部類に入る。
空から標的であるゴブリンを見つけた彼にとって、まったく怖気付く相手ではなかった。
クロと呼ばれた少年は、真上から急降下する。ゴブリンの頭を踏みつけ、地面に顔面を叩きつけた。
悲鳴を出す間もなく、ゴブリンは頭蓋諸共紫色の血を撒き散らして潰れた。
――1匹目……あそこにもいるのか。
遠目にこちらへ駆けてくるゴブリンがいた。棍棒を振り回しながら威嚇していた。
ネロは腰から小型ナイフを取り出し、素早く投擲する。
ナイフは丁度ゴブリンの眉間に刺さった。まるで気付かなかったかのように避ける素振りもなかった。
クロは力無く崩れるのを見送った。その後、ナイフは自らゴブリンから抜き出て、巻き戻しするかのようにネロの手元へと戻ってくる。
この辺はもう充分だろう。あいつらもよくやっているじゃないか。
次は何処へ行こうか、と考えるように指を顎にかける。すると再びあの声が聞こえてきた。
(――クロ)
「ああ。東側は片付けたと見ていいだろう。残りは冒険者たちに任せてそっちは引き上げろ」
(ええ、トーマにもそう言われたわ。でも、あっちで問題があったみたい。ボーラスたちがまたいなくなったそうよ。
どうせゴブリンキング見たさに西門に行ったんでしょうけど。今トーマとハフィンが探しに行ってるわ)
「西か……あっちだな。オレも行ってくるから、戻ってろ」
(はいはい、任せたわ)
命令口調なクロの科白に仕方なさそうに了承すると、その声はまた聞こえなくなった。
ゴブリンキングか。ゴブリンの上位種で、この大群を率い、統率の取れた動きを可能とした今回最大の標的。西と東に軍を分けるという魔物ながら小賢しい智略も奴のものだ。
「――Interesting(面白そうだ)!!」
煉瓦造りの建物が並ぶ住宅街――。
建物と同じくらいの大きいさのずんぐりむっくりの鬼がゆっくりと足を進める。その周りには数十体のゴブリンが並び、まるで主を守るかのように陣取っている。
対するは街の冒険者五名。中でも、全身を金メッキの鎧で覆うライオンの鬣のような茶髪を靡かせた大男は、いかにもな強面だった。鎧に纏われた分厚く硬そうな筋肉、顔面の中央にある左斜めの切り傷が彼の威厳を高めていた。
男は、巨大なゴブリンを指さして高らかに宣言する。
「さあ。ゴブリンキングを討伐し、我等【晴嵐の軌跡】の物語を分厚くしてやるぞォ!!」
他の冒険者たちは「応!!」と意気込み、ゴブリンに攻撃を仕掛け始める。
鬣男は大きめの斧を振り回し、向かってくるゴブリンたちを次々と切り伏せていく。振るうのは大きな獲物だというのに、まるでそう感じさせない力強さが見て取れる。
それに続いて他の冒険者たちも剣を振るい、弓を射た。
中には魔法を放つ魔女もいた。詠唱――魔法を発動させるのに必要な呪文を口ずさみながら両手で持つ杖を掲げる。
「天より授かりし恩恵の一、熱く激しく燃え上がれ――」
すると――どこからともなく現れる炎が、杖の先端で燃え上がる。やがて呪文を唱え終わった後、現れた炎をゴブリンへと向かって放った。
「イフル――!!」
その炎は、形を成したボールのように霧散せずに飛んでいく。ゴブリンの上半身が丁度埋まるほどの大きさだった。
魔法が来るのに気付いたゴブリンは慌てて逃げようとするも遅く、背中に着弾して爆発した。
ゴブリンの体は跡形もなくバラバラになる。
他にも魔物の軍隊の背後より回り込む冒険者たちが現れ、一気に戦況が傾く。
「よし、行けるぞ!」
勝利を確信した冒険者たちは勢いが止まらなかった。
徐々にゴブリンの数が減り、ゴブリンキングが前に出始める。
「来るか、ゴブリン!!」
鬣男が我先にとゴブリンキングへ向かっていく。
しかし、彼よりも早くゴブリンキングに攻撃を仕掛ける者がいた――。
「生より授かりし己の火――ファイアーボール!!」
先程の女性より二回りほど小さい炎の玉がゴブリンキングの鼻先を掠める。
ゴブリンキングは憤りを露わにし、首を九十度回した。そこには三人組の子供たちがいた。路地から出てきた、みすぼらしい恰好の孤児と思われる。
子供たちは魔物にねめつけられ、たたらを踏む。
ゴブリンキングは目の前のゴブリンをどかし、子供たちの下へ移動し始めた。
「ま、まずい……こ、こっちに向かってくるだ!」
「ぼ、ボーラスくん! 倒せるんじゃないでやんすか!? 倒せるとか言ったから来たんでやんすよ!」
「も、もっかいやれば倒せるって! 見てろ――!」
そう言ってオレンジ色の髪をした少年――ボーラスが、魔法を唱える準備を始める。後ろの痩せた少年と、ぽっちゃり体型の少年は、彼に隠れるように少年の肩を握り締めていた。
だが、加速するゴブリンキングの方が先に到着すると容易に想像できる。
鬣男も急いで注意をひこうと追いかけるが、間に合わない。
「おい何処へ行く! くそ……逃げろガキ共!!」
「う、うるせい! 俺が、俺も街を守る英雄になるんだ!!
――生より授かりし……」
「ボーラスくん!!」
「ボーラスさん!」
ゴブリンキングの持つ、丸太ほどの大きさを持つこん棒が振り上げられる。
魔法はまだ詠唱段階で炎は微塵も現れておらず、ボーラスも間に合わないと漸く悟る。
「だ、ダメだ、間に合わね――ッ!」
「「「わぁあ――――――――!!!」
現実から目を逸らし屈み込む三人。
しかし、暫時ゴブリンキングのこん棒は降ってこなかった。騒然とした声や戦闘音がまだ耳に届いているため、死んではいないと思惟する。
ゴブリンキングがゴブリンの大群を引き連れ、街への襲撃を画策し警告が発令されたのが1時間ほど前のこと。教会の子供たちで冒険者たちの手伝いができないか、と考えて行動を起こした。その中に、彼ら――ボーラスたちも参加していた。冒険者でもない彼らが想定していたのは、前線の冒険者たちから漏れた一部のゴブリンを数人掛かりで倒すというもの。前線の攻撃隊はおろか、ゴブリンキングとの戦闘なんて当初は思いつきもしなかったはずだった――彼、向上心と好奇心が旺盛なボーラスを除いては。
ボーラスに連れられた二人の協力者のおかげで、ゴブリンキングがやってくる区画へ皆を騙して先回りした。魔法を一発当てれば――そんな楽観的な策を講じていたが、ゴブリンキングを相手にするには威力不足だった。最期には、ゴブリンキングを怒らせて標的となり、反撃することもできずに死亡――。
子供の悪戯から始まった末路。それが起こり得た未来だった。
――その未来を変える者が、現れなければ。
「な、どうなったんだ……? 俺、死んだ?」
怯えながらに瞼を開く。
こん棒は振り下ろされていた。
しかし、それは頭上寸前のところで止められていた。月明かりから忍ぶようにゴブリンキングのこん棒に隠れた――漆黒の魔人によって。
「「「クロ!!?」」」
三人が思わず叫ぶのを、彼は人差し指を一本立て、「シー」とゼスチャーする。
悪戯な笑みを浮かべる彼の右手にこん棒が掴まれている。
ゴブリンキングはこん棒を持ちあげようと力んでいるが、なぜか上下左右に揺らしても持ちあげることができないでいた。
「なんでお前らこんな所にいるんだよ。ゴブリンキングに攻撃しろだなんて、俺もトーマも言ってねーだろ」
「これはでやんすね……ボーラスくんが……」
「Shurup! 言い訳すんな、あとでレヴェナに説教して貰うからな。覚悟しとけよ!」
「「はい……」」
ボーラス以外が反省するように俯く。
事を起こした本人はそっぽを向くだけだった。クロは溜息を吐き、ゴブリンキングへと向き直る。
「まあでも、おかげでこいつと戦う理由ができたから――俺はラッキーだけどな!」
不敵な笑みを浮かべた。
次の瞬間、こん棒を蹴り上げ、正体を月下に現す。
「お、お前は――【闇夜の魔人】!!?」
鬣男がそう叫ぶ。
ゴブリンキングの様子がおかしく、こん棒の下を刮目していたところ、現れた者に驚嘆の息を漏らしていた。
【闇夜の魔人】とそう呼んでいることから、彼のことを少なからず知っているらしい。
自分よりも何メートルも大きいゴブリンキングにでさえ持たなかった恐怖心が、彼を見た途端に生じる。真っ青な表情は病に伏せる者のようで、手に持っていた斧は震えて落としてしまった。
「レディースアンドジェントルメン……そしてここまで御足労してくれた魔物の大将、ゴブリンキング。このオレのショーに来てくれたこと、深く感謝するぜ。てめェをあの世に送った後の断末魔でショーに華を添えることができるからなァ!!!」
黒目の中に浮かぶ赤い瞳を光らせ、不敵に笑う表情は昂然としていた。
月明かりを反射する黒い爪が彼の手の先で尖るのを、この場の全員が確かに目の当たりにする。
背中に羽を生やし、飛び上がるのも一瞬。
次の瞬間、ゴブリンキングの悲鳴が天高く響き渡った。
◇◇◇
朝食を終えると、子供たちは全員揃って外へ出かける。
雲一つない快晴に恵まれ、涼しい風が吹き抜ける今日は外出日和であった。ただし、子供たちの目的は遠足や散歩、遊びではない。
両腕に包帯を巻いた少年――トーマが上体と同じくらいの籠を背負いながら先頭を歩く。その後ろをネロ、シロ、セシルと横並びについて行く。
シスターが毎日の仕事をしている最中、子供たちはその日を生きるべく近くの山に食料を探しに出ていた。
ラトゥーリエ王国南西地区、南東地区の間にあるここイブキ山。その北方は雨に恵まれ、よく山菜が採れる地帯で教会からも近かった。
十一人を三つに分け、三方向に散らばって山菜取りへと足を進める。
ネロのグループはシロとトーマ、そしてセシルの四人。
セシル・レーゼリア――四角眼鏡を掛けた金髪ボブの少女。唇近くに黒子があり、怜悧な印象が強い。落ち着いた雰囲気があり、第一印象は声を掛けづらい相手と思っていた。皆との会話ではやや棘もあるが、シロとの会話を聞いていれば世話焼きのいいお姉さんである。
「シロちゃん、これ、あげる」
セシルはハンカチに包んでいた丸い円盤状のお菓子をシロに与えた。
「ありがと!」
シロが満面の笑みで感謝する。そんな彼女に心酔しきったセシルは、恍惚な表情を浮かべた。
――可愛い。
そう思っているのが表情から読み取れる。
「美味しい……硬いかと思ったけど、すぐに崩れて口の中にいい香りが拡がっていく……」
「そう、良かった」
サクサクとした触感のお菓子で風味も良かった。それを見たトーマが物欲しそうな視線を後ろに向けてくるが。
「俺も……」
「トーマにはないわよ、これはシロちゃんのだ・も・の!」
「……セシルのケチー!」
少女は「うるさい」という顔でそっぽを向く。トーマは唸りながらねめつけた。
「セシル、これなんていうお菓子なの?」
「これはね、クッキーっていうの。この前、ば……ボウターを手に入れたから、色々と試してみたの」
「セシル、そのお菓子の作りかた――」
「ええ、構わないわよ。後で教えてあげるわ」
ネロが訊ねようとするのを先読みして答えるセシル。この会話も二人にとっては毎度のことで、セシルもネロの関心を引くことは分かっていた。
ネロはワクワクしながらガッツポーズをして、「やった」と心の中で漏らす。
「ありがとう」
「いいのよ。きっとあなたが作った方がおいしくなると思うし」
「そんなことないよ。いつもいいアイディアをくれるのはセシルでしょ」
「わたしは思いついたことを言っているだけ。料理ってその人の技量によって味も変わってくるから、わたしたちがいつも食べている料理は、あなたにしか出せない味なのよ。だから、言っているだけのわたしよりも美味しい物を作っているあなたは本当にすごいの。その自覚を持ちなさい」
「確かにな。同じ料理でも、ネロとシスターじゃ全然違うし! にっしっし!
おっ! ネロが作るってことは、必然的に俺も食える~」
「トーマが作ったら泥水とおんなじになるんだし、まだシスターの方が上ね」
「なんだとー!」
「さ、シロちゃん行きましょう」
トーマが睨むのを相手しないセシルは再び足を進め始めた。
シスターを茶化すのがトーマの得意な芸となっているが、セシルはそれをよく思っていなかった。自分たちを教会に住まわせて貰っていることに大きな恩を感じているのは彼女だけではない。シスターのちょっとした失敗や不手際は飲み込んであげるべき――とセシルは考えていた。
それを知らず、トーマは長い付き合いから不格好なシスターを方便や冗談で困らせている。
――これがうちのリーダーだなんて、どうして誰も意義を唱えないのかしら。
近くにあった枝を取り、振り回しながら進むトーマ。それを後ろから胡乱な目で見るセシルは、いつもながらにそう思っていた。
「ねえ兄さん」
シロが兄さんと呼ぶのはたった一人、ネロだけだ。正確に言うなれば、二人称で呼ぶ相手が彼だけである。他の者はというと、「ねえ」や「あの」などと呼び掛ける。ゆえに、トーマは振り返らなかった。
ネロはシロの実の兄ではない。二人共、教会で逢った義理の兄妹である。それを象徴するように、顔などの容姿のどこも似たところがない。ただ、雰囲気だけは似ていると言えなくもない。二人の穏やかさは性格的に合致していた。
「どうかした?」
「昨日、どうだったの。大丈夫だった?」
昨夜の魔物騒動にシロは関与していない。歳も体も最低限であるシロを連れるのをトーマが良しとせず、シロを含めた二人は教会で留守番していた。ゆえに昨日なにがあったのか、帰って来てすぐの彼らに訊くことができず、今迄気になっていたのだ。
ネロは苦笑いしながら答える。
「えっと、大丈夫だったよ……」
「あの三人がまたやらかしてくれなかったら、でしょ」
セシルが告げ口をするかのように零した。
すると、シロの口から思わず、「ああ……」という納得するような声が出る。
「ま、まあ……レヴェナがあの後叱ってくれて、三人共反省しているみたいだし。結局怪我もなかったから、とりあえず皆大丈夫だったよ」
「あのなあ……。あんな命がいくつあっても足りないような事ばかりされっと、こっちの寿命が縮まるんだよ!」
トーマも同意なようで、当人がいないため本音が漏れ出していた。
「シスターにバレないようにするには、外傷無しがセーフ、骨折でダウト、死んだらアウト……。目障りな行動をされると、指揮に関わるわよ」
「お前、ネロの魔人語が板についてきたんじゃないか。これ、言ってること合ってるんだろ?」
「うん、セシルは物覚えがいいから」
「もういっそのこと、トーマがあの三人に首輪つけて持っててくれる。攻撃役はセンカイさんにやって貰えば穴は埋められるから」
「嫌だよ! なんで俺が問題児の相手してなきゃなんねーんだよ。リーダーの格も落ちるだろうが」
「これだからうちリーダーは……」
セシルが昨日のゴブリンに負けず劣らずの鬼顔に豹変していた。
まだ12歳なのに、セシルってかなり大人びているんだよね。テレパスっていう魔法だって使えて、ボクたちの情報通信役っていう重要な役割まで担っているし。ただ、シロ以外には基本愛想が悪いというか、何を考えているのか分からない……。
「にしてもお前、やっぱ夜と今とじゃ人が違うよな。まるで別人だぜ」
「だからわたしたちも昼間をネロ、夜をクロと呼び分けているわけだけど――それはあまりにも有名になりすぎた時、あなたを特定されないようにするためでもあったのよね」
「ああ、クロの強さは半端ないからな!」
ネロは唐突に出る話題に驚かされる。
ネロが【闇夜の魔人】と同一人物であることは、教会――孤児たちしか知らないことで、シスターも知らない。ここの三人は知るところではあるが、それでもネロにとってあまり触れられたくない話題だった。
「攻撃力、防御力、スピード、あらゆる能力値が比にならないほど強くなって、この国一番の冒険者に一目置かれるほどなんだからな。俺たちに美味い料理作って、シロの世話をする奴と同一人物には思えないぜ」
「あはは……」
この話早く終わらないかな……。クロについて少しは話しているけど、詳細は話してない。
なぜならクロは、ボクにとって――
「シロはどっちの兄さんもいいと思う。どっちもカッコいい」
「かっこよさもいいけど、わたしはどっちも使える――……役に立つからいいと思うわ」
「この腹黒女、今使えるとか言おうとしたぞ。おいネロ気を付けろ、セシルはお前を飼い犬にしようとしてんぞ!」
……普通なら気持ち悪いとか、怖いとか思うはずなのに。大人じゃないからなのかな……皆には何故か受け入れられてしまっているんだよね。
「失敬ね。飼うなら竜とかもっと可愛いのを飼うわよ!」
「竜って飼えるの?」
「ええ、勿論よ。公国や帝都で偶に売りに出されるらしいわ。まあ今のわたしじゃとても手に着く値じゃないけれどね。シロちゃんも見てみたい?」
「うん!」
「じゃあもう少し大人になったら公国に行って探してみましょう」
「こいつ、シロ相手だと態度変わるよな。こいつも魔族帰りなんじゃ……」
トーマはセシルを警戒しながらもネロに耳打ちする。
魔族帰り――他種族が魔人族や悪魔の特徴を持って生まれたり、突如特徴を持つことを言う。
ネロは魔族帰りで、同様にセシルもそうでないかとトーマは疑っていた。
セシルがシロに対しての反応と他の者に対しての反応で裏表があるから言っているんだろうけど。
「そんなわけないと思うけど……」
「なんか言った?」
「い、いえ、なんでもないっす……」
トーマはセシルが地獄耳であると思い出し、誤魔化した。
◇◇◇
ネロの昼間の活動は大きく分けて二つ。
一つは、孤児院の皆でその日暮らしの食料を探すか、シスターのお手伝い。教会や孤児院に関わるあらゆる雑事で、それは母屋に住む子供たちに課せられる仕事だ。
もう一つは、パン屋のアルバイトだ。ラトゥーリエ王国南西地区にひっそりと佇むハブアニアベーカリーというパン屋で、ネロとシロは二人でアルバイトをしていた。対価として金銭を頂いており、その一部を孤児院の食費に充てている。シスターはそれを良しとしていないのだが、ただで教会に置いてもらっているのに気が引けたネロは、料理の試作で余った物を提供するという理由で了承してもらっている。
教会裏では畑を作っているが、十二人分の食料を賄うには限界がある。シスターは偶に街に出て、知り合いからおひねりを貰ってくるが、それでもかつかつなのが現状。ネロからの提案を受けられるのは、心中ありがたかった。
ハブアニアベーカリーは住宅街を出た、道の開けた市場の一角に位置しており、近くには八百屋や運び屋、食事処などもある。
晴れ晴れした空の下、活気づく市場ではそこらかしこから客寄せの声があがっていた。中でも、八百屋の鉢巻きを額に着けたガタイのいい男の声が通りに響く。
「いらっしゃいやせー! いらっしゃいやせー!! 今日採れたばかりのじゃがになふーににんにん、どれも安いよ安いよー!」
「うるっさいんじゃボケー! 今時声で客寄せなんかやめい!!」
パン屋の帳場に三角巾とエプロンをして立つネロの後ろから、強面の男が苦情を申し立てに出てきた。全身白い衣服で包んでいるが、パン粉が身体の至るところについているのが分かる。
パン屋の亭主である彼――ヘイタン・ロータリーが出ることで、八百屋の亭主――カイノミ・ミノイルカも通りに出てきた。
ああ……また始まっちゃった……。
ネロは愛想笑いし、自分には介入できないいつもの不祥事に肩を落とす。
「おうおうおうおう、またアンタか! いい加減、いちゃもんつけるのはやめろー! こちとら商売でやっとんじゃ、邪魔するな!」
「こっちは繊細な作業している最中なんじゃ、なんにアンタの声がうるそうて集中できんのじゃ!」
「知るかい! 気になるんだら、耳栓でもしてればええじゃろーが!」
「なんだとー!?」
「「アンタ達またやってるのかい!?」」
パン屋と八百屋、それぞれ奥から妻である女性が出てくる。どちらも肝の据わっていそうな、逞しい人相の女性だ。
彼女たちが出てきたことで、言い合いをしていた中年の男たちは「ギクリ」と言いながら顔を青ざめた。
いつも見ている手前、パン屋亭主のいい訳が始まると予想できる。
「いや、違うんだよハニー……」
情けなく自分の妻に縋る姿は、なんとも形容しがたい面白さはあった。
「なにがハニーだい!? あたしにハニーなんて言ってる暇があったらね、ハニーブレッドでも作ってくれたらどうなんだい!」
「そんな無茶な……あんな高いもん手を出そうにも……」
「だったらあなたがビクトル・ビーの巣に行って採って来な!」
「そんなあ……」
ハニーブレッドはビクトル・ビーという魔物が生み出す甘い蜜で作るパンのことで、その蜜を入手するのは大変困難なことで、戦闘員ではなければ採取というのは不可能に近い。そんな脅迫するような言にヘイタンはショックを受けた。
「これには訳が……第一、最初にいちゃもんつけてきたのはあっちの方で……」
「うるさい! あなたはいつもいつも、声がバカでかいくせに懐は狭いのどうにかならないの!?」
「いやでも……」
「言い訳しない!」
二人共、耳を掴まれそれぞれの店へと戻っていく。
いつもの光景だが、見ている方は冷や冷やさせられるからやめて欲しい――とネロは思うのだった。
八百屋にもネロのような子供のお手伝いがいる。青いスモックを着たネロより少し年下の少女だ。店の中にある椅子に腰かけ、呆然と今の出来事を傍観していた。彼女はアルバイトというわけではなく、八百屋亭主とその妻の子供である。今のような口喧嘩を見て、ネロのように困ったように笑う寡黙な娘だった。
互いの主人が妻の躾を受けるために店の中に掃けていったあと、ネロと少女は目が合った。
ネロは「お互い大変だね」と言うように手を振った。しかし少女は顔を赤面させ、座っていた椅子に敷いている座布団を取り、そこに顔を埋める。
ううん……偶に目が合うし、こっちを見てくる時もあるから嫌われているわけじゃないと思うんだけど。まだ仲良くなるには時間が掛かるのかもしれないな……。
パン屋は今日も店の前にその日焼いたパンを並べ、優しい香りでお客さんを呼び寄せる。
「クルクルパン一つと、マルイパン一つ、シカクパン二つですね。お待たせしました!」
「ありがとう」
「「ありがとうございます!」」
お昼時、また一人パンを買っていった婦人とのやり取りを終え、一区切りついた。
朝はパン作りの手伝いをしていたシロも三角巾とエプロンをし、お昼時には帳場に出てきて、二人で会計やお客さんの対応をしていた。
二人は互いに互いを称えるようにして両手でタッチした。
「お疲れ様シロ」
「うん、兄さんも。さっきすっごい混んでたのに、全然ミスしてなかった!」
「そっかな? あんまり自信なかったけど、シロが言うならそうなのかもしれないね。ありがとう」
「兄さんのおかげでシロも大丈夫だった。ありがとう!」
「こちらこそ、ありがとうシロ」
ネロがポンポンと三角巾がずれないよう頭に優しく触れると、シロの表情はとろけ、「にへへ~」と零す。
シロにとって、ネロからの称賛がなによりも嬉しいことだった。
シロは賢いし、熱心な努力家だ。本当に助かっているし、誉めると喜んでくれる。自慢の妹だ。
「お疲れ様~」
奥からヘイタンの夫人であるミルビラ・ロータリーが帳場に出てくる。彼女も奥で奮闘していたらしく、額に汗を滲ませていた。
「大丈夫だったかい?」
「はい、今日も盛況でしたよ」
「午前分の帳簿ももう作っておいた。これ見て!」
シロが得意気に一枚の紙を手渡した。客と店との間で発生した取引の内容を記載したものだ。
流石シロだ。初めは全く算術なんてできなかったのに、一度教えただけでこんなに早く……。
「あら、こんなに来てたの? それも売り上げがまた伸びてるじゃないか!」
「まだ午前分ですよ。午後はもっと来るかもしれないですね」
「やっぱりネロくんに教えてもらったレシピのおかげかしら? 二人が来てからなのよね、こんなにうちが儲かるようになったのって。やっぱりお駄賃もう少しあげた方がいいかしら」
「でも、ボクが教えたレシピは友達が教えてくれたもので、ボクが力になったかどうかは……。凄いのはボクの友達ですよ、なんでも思いつくんです!」
「じゃあその子にお礼言っといてくれる。今日も余ったパン持って行っていいから。それと今日の分のお駄賃はかさまししておくわ」
「やった!」
ネロは自重して喜ぶのは避けたが、シロが目を輝かせていた。
ふとネロは外を見る。見覚えのある恰好が視界の端に入って反応した。ボクたち孤児が着るような貧相な上下服だ。
すると――ボーラスが表通りを一心不乱に走り去るところだった。
どこか追い詰められているような、余裕のない顔をして走っていた。
ボーラス? どこに行くんだろ、いつもの二人がいないみたいだけど。
「?」
呆然としていたところ、シロは不思議そうに小首を傾げていた。
「ううん、なんでもないよ」
もう一度ボーラスを探したが、もうどこにも姿は見えなくなっていた。
遊んでいる途中なのかな……。でも、ボーラスがあんなに必死なの始めてみるかも。
「だぁ――!? なあにぃ!!?」
店の奥でヘイタンの叫び声があがった。
彼の妻であるハクタイは、「嗚呼……」と少し面倒そうな息を漏らし、奥に声を掛ける。
「どうしたんだい?」
「どうしたもこうしたもねえよ! イブキ山で荷馬車が山賊に襲われてよ。うちに卸される予定だったパン作りの粉が、ごっそり全部族に奪われたって話だ!」
ヘイタンが眉間に皴を寄せてやってきた。ストレスの募った面相は固く、今にもどこかに鬱憤ばらしをしそうである。
興味を持ったネロは、好奇心のままに訊ねた。
「それって山賊が出たってことですか?」
「そうなんよ! いつもパン作りの粉を卸してるのはレッケンバルド公爵領にあるんじゃが、ここに来るまでにはイブキ山を通らなきゃならん。そこに最近居着いたらしい山賊がいてな、そいつらに全部持ってかれたって話じゃ。金は荷運びの護衛をしていた冒険者のギルドからいくつか賠償金が出るらしいんじゃが、全額とはいかんらしい。困ったことに、またこっちに来るのに一週間は待たんといかんらしくてのう……。本当にふざけた話じゃあ――!」
「そいつは困ったねえ……。あと三日ならなんとかなるかもしれないけど、それ以上となると……ギリギリだわあ」
山賊、イブキ山……。うん、なんとかなるかもしれない。
「ヘイタンさん、ハクタイさん。きっと大丈夫ですよ、ボク冒険者ギルドに行って頼んできますから」
「冒険者ギルド? ダメだ、山賊狩りの依頼を出す金なんざ持ち合わちゃいねえよ!」
「お金を出さなくても、大丈夫ですよ」
ニコニコと笑うネロに対し、パン屋夫妻は怪訝な表情となる。
ネロはシロに二人に聞こえないくらい小さな声で耳打ちした。
「シロ、トーマたちによろしく言っといてくれないかな。ちょっと行ってくるから」
「うん、気をつけてね」
シロにはちょっと無理させるかもしれないけれど、午前中を見る限り大丈夫だろう。ハクタイさんも前に出てくるだろうし……。
たぶんそのうちトーマがここに寄るから、その時に報せて貰えれば十分だ。
「じゃあちょっと行ってくるので、午後任せてもいいですか? シロを残していくので」
「そりゃあまあ、一人だけいてくれれば大丈夫だけど……。本当に冒険者ギルドに行くのかい?」
「ええ、まあ……。なんとか話をつけてくるので」
ネロは嘯き、ぎこちない笑みを浮かべ、言外で申し訳なく思った。
本当はギルドに行くつもりはないけど……山賊の所に行くなんて言えないからね。
「ネロがそう言うんじゃあ、任せてみるかいのう……。お前は賢いし、なんとかなるかもしれん。まあ期待せずにまっちょるわ」
「そうねえ……」
「大丈夫です!」
まるで本当にどうにかなるように言うと、ネロはエプロンをハクタイに渡し、いそいそしく店を出た。
軽快な足取りで通りを素早く走り抜け、一気に国の門を出て行く。
山賊かあ。相手は人だし、話通じるよね……。
よーし! ギルドに行ったってことにしたいし、速く済ませるぞ!
◇◇◇
数刻後――雲が出てやや陽が陰った頃。
山賊は山の中、木々に囲まれた場所に根拠地を構えていた。
十人近くいる身なりの汚い山賊の男たち。長い間湯あみも衣服の手入れもされていないことは見ただけで分かる泥だらけだ。
彼らは一つの小屋――とはいえ、家として使えるほど立派なものではなく、物置としてしか利用していない造りの雑なボロ屋に、槍や剣などの武器を収容していた。
それらは今日、荷馬車を襲った時にそれを護衛していた冒険者から奪った物だろう。中には刃に血のついた物も散見される。
荷馬車は馬ごと奪ったらしく、他にも二名ほど旅装束の身なりからして山賊ではない生きた人間が捕らえられていた。二人は後ろで腕を縄で縛られ、更に木を背中に体を縄で縛られている。怯えて、凍えるようにして体を震わせていた。
一人は中年の、鼻下に髭を生やした男。後悔に俯き、涙を流している。
もう一人は茶髪のおでこが広い少女だ。彼女は、なんとか泣きわめくのを堪えるのに必死で、悄然と下唇を噛み締めている。
二人して巻き毛なところと、目が同じ淡色なところ見ると、親子なのかもしれない。
「おい、荷物はこんだけか!?」
頬骨が出た坊主頭の痩せ細った山賊の一人が、二人に恫喝するように訊ねた。
二人で「ひっ!」と似た反応をした。
「は、はい……今回の運びもんはあれで全部です……」
憔悴しきった声の答えに落胆し、山賊の男は溜息を吐く。
「はあ……んだよ。これだけだってよー! これだけじゃあ割に合わねえよ、知らねえ粉が混じってるしよー」
「なんだとー?」
他、山賊の反応も同じようなものだ。周辺を警戒している者達も含め、彼の報告には落胆の色を隠さない。
「ん? 割といい顔してんじゃねえか嬢ちゃん?」
「お、お止め下さい!」
出し抜けに興味を示した山賊の男がけたけたと笑い、少女の顎を持ち上げた。すると鼻髭男は、できる限りの声で静止を試みた。
「なんだよおっさん。今あんたには、なにも訊いちゃいないぜ? 俺たちが訊いてもないのに、声出してんじゃねえーよ!!」
山賊の男が、鼻髭男の顔を蹴飛ばした。
鼻から血が飛び散り、地面に赤い斑点ができる。
山賊たちは、げらげらと面白がるように笑い、拍手が起こった。
なにが面白いんだ――と思ったが、それ以上機嫌を損ねるわけにはいかないと震えるしかなかった。
隣で少女は恐怖がゆえに、下着と地面に沁みをつくった。
「おほっ! なにやってんだよ嬢ちゃん、そんなに喜んでも許しちゃやれねえぜ。あははははは!
なんたって俺たちは――」
ネロはイブキ山に到着して直ぐに荷馬車を襲ったと思われる山賊の根拠地を発見した。
発見できたのは、さっきの拍手の音があったからだ。それは近くに人がいるという証明であり、ネロは急ぎ音のある方へと向かったのだった。
その時、目に飛び込んで来たのが一人の男が木に縛られた少女を笑う姿だった。
彼女は涙を流していた。
それ以上理由は要らない、と足が勝手に男の体を蹴り飛ばしていた。
「かはっ……!!?」
蹴られた男は地面を弾み転がっていく。
転がり終わった頃には意識がなくなっているようで、仰向けに白目をむいていた。
事後であるが、一瞬ネロ自身もやってしまった、と思った。
「あれ……? 今のって……まずかったかな? でも、しょうがないよね。女の子を泣かせるほど最低な奴はいないよ」
彼の右目では、黒い眼に赤い瞳が揺らめく。その瞳は山賊たちを狩りの対象として睥睨していた。
その後ろで、「なにが起こったの」とでも言いたげに呆然と少女はネロの背中を眺める。小さく自分と大差ない年の、特別言い及ぶことのない少年だが、目下で起こった現実が関心を寄せる要因となっている。
「な、何者だ!!?」
有象無象である山賊の一人にそう聞かれ、ネロは「んー?」と考えるように首を傾げた。
そうだなあ、とお茶を濁しながら、腰に持っていたナイフで素早く二人を縛る縄を切った。
「あ、ありがとう……ございます……」
少女は怪訝そうに感謝の言葉を発した。だが、鼻髭男の方は意識を失っていたようで、体が横に倒れてしまった。
「お、お父ちゃん!!?」
「大丈夫。死んでないよ、気絶しているだけさ」
「あ、えっと……」
「うん、大丈夫。あとはボクがなんとかするから、ここ動かないでね」
小声でそう言うと、少女はぴたっと体を硬直させた。
言葉をそのまま鵜呑みにしたかと思ったが、違った――少女はネロの目を見て確信したのだ。
――この人……人間じゃ、ない……?
刹那、恐怖心を抱いた。だが、すぐに彼の慇懃な振る舞いに胸を打たれた。
頬を薄紅色にし、もはや気絶した父親よりも助けに現れた怪しげな少年に目を奪われる。
「おい聞いてんのか小僧!? なにそいつらを解放してやがる!!」
「……あはは、ボクあまり人に名乗れる名前、もってなかったや……ごめんなさい」
強かにも、ネロは愛想笑いしながら謝罪を口にする。しかし、そこには罪の意識などはなく、ただ謝ったという事実だけを残した。
その笑みに、怒りを覚えた山賊たちは武器を手に取る。
「ふざけてんのかこいつ!!」
「仲間を蹴飛ばし、更にはうちの人質を解放している。これ以上敵じゃねえ理由があるのかあ? あ゛あ゛!!?」
山賊の中でも一際図体のデカい男が仲間たちにそう訊ねた。
左目に眼帯をし、毛量の多い胸毛を曝け出したその男は、ゆっくりと近づいてくる。
見るからにこの山賊たちを仕切っている頭領に思えた。体格、筋肉、そしていかつい顔、全てが他よりも何倍も勝っていた。
右手には何人も葬ってきたような年期の入った棍棒が握られている。彼は肩にそれを構え、ただの子供にしか見えないネロを上から見下ろした。
「お前――俺たち、【青の豪傑団】に喧嘩を売って、死ぬ覚悟はできてんだろうなあ?」
きょとんとするネロは素直に答える。
「ありませんよ、そんなの。だって死んだら、ボクを生んでくれた親に向ける顔がないじゃないですか」
「そりゃあねえだろうよ。死ぬんだからよ!!」
胸毛男は、虚をつくようにネロに頭上から棍棒を振り下ろした。
だが、ネロには当らなかった。ネロは後ろ足を引き、半身になっただけで棍棒を避けたのである。
「……はあ!?」
「おい、よけたぞ!」
「お頭の攻撃を避けた!? まぐれに決まってるだろ!」
「お頭が遊んでるだけさ。ビビらせて、ちびらせようって腹なんだろうぜ」
後ろの山賊たちがざわざわし始めた。胸毛男の体で見えなかったが、棍棒が当たらなかった事実に、胸の内で名状しがたい異質さを生じさせていた。
ネロはけろっとしており、お頭と呼ばれる胸毛男は冷や汗を流していた。
「危なかった……。そんな大きな物を振り回したら危ないじゃないですか!」
「お、お前……」
「相手がボクじゃなきゃ、死んでるかもしれませんよ?」
「くっ……!」
焦燥に煽られたお頭は、棍棒を両手で持ち、ネロをやつざきにするつもりで振るった。
しかし、見えるのは淡々と避ける吉凶なネロの姿だった。
男は息が上がって止まった。唾を飲み込み、肩を揺らしながら訊ねる。
「な、なんなんだお前、いったい……!?」
「うーん……別になんでも。ボクはただ今日盗んだ荷馬車の物を全部返して貰いに来ただけです。それが無いと困る人がたくさんいますので」
「荷を返せだと!? それはできねえ相談だ。ここは俺の族だ! 食わせなきゃいけねえ連中がこれだけいる。正直、あれだけでも足りねえくらいなのさ!
悪いが、お前にはやっぱり死んでもらう。が、確かに俺の攻撃が当たらねえことは分かった。だあが、これだけの人数全員が掛かって勝てねえのか、知る必要があるとは思わねえか」
「やっぱり、そうなるのかあ……」
残念そうにネロは下を向く。
お頭は後ろの皆に声を掛けた。
「おめえら! 全員でこいつを斬っちまえ!!」
「おう!!」
これ以上はこの子たちに被害がでかねないよね……。ちょっと痛い目見るかもしれないけど、許してね。
「Ready……」
「あん?」
「Go!」
ネロの右目が赤く光る。
次の瞬間、ネロが動いた。
特別すごい動きというわけではない。ただ、誰もネロに攻撃を当てることができなかった。
一定の距離感、刃が届くかどうかの間合いを把握し、尚且つ一人一人の行動を事前に熟慮されているかのような動きだった。
初めはただ避けるだけだったが、次第に一人ずつ減っていった。なにをされたのか、直ぐには気付かなかったが、一瞬懐に入ったかと思うと相手が倒れていく。
頭領以外の山賊たちが倒れるのに1分も経たなかった。
うん、上出来!
「ふう……。全員倒してしまいました。ですけど、仕方ないですよね。あなたも言ったように、荷馬車に手を出した時点で、報復くらい受ける覚悟だったはずですから」
「お、俺たちを王国に突き出すつもりか!?」
「そんなことはしませんよ、ボクは兵隊でも冒険者でもないので」
「その力がありながら無所属だと……!!?」
頭領は愕然とし、冷や汗がどっと額から流れ出ていた。
「だけどもうこの辺で仕事をするのはやめておいた方がいいと思います。次はもっと怖いのが来るかもしれませんから。相手がボクで、ついてますね」
「……」
ネロの目が白目と瞳の色が元に戻る。
ネロが鼻髭の男と少女を荷台に乗せ、馬を走らせるまで、頭領はその場を動くことはできなかった――。
◇◇◇
「で――助けてきたってわけ?」
「いやあ……あはははは……」
孤児院の食堂で、ネロは一人座らせられていた。苦笑いを浮かべ、その他皆の冷たい眼差しを一身に受ける。
トーマは、頭をかいて肩を落とした。
「まさか山賊相手に一人で乗り込むとはな……。こりゃあ俺も擁護できないぞ、ネロ」
「えっと……」
「ネロ。いつも言ってるよね……一人で動かないでって」
レヴェナが静かに怒っていた。皆それを感じ取り、それ以上何も言えなかった。
ネロは冷や汗を流し、俯く。
「昨日はボーラス、今日はネロ? ちょっと、最近単独行動が横行してるのはどういうわけなの?」
「ごめんなさい……」
「ネロは理解してくれてると思ってたんだけど。わたしたちは冒険者じゃないし、ギルドが管理してくれるわけじゃない。まだ子供で、出せる力にも限りがある。だから、足りない分は皆で補わないといけない。
わたしはあなたを心配して言ってるんだからね」
「うん。いつもありがとう」
「ニヤニヤしない! そして感謝するんじゃなくて、反省しなさい!」
嬉しさに相好を崩すと、レヴェナは恥ずかし気に顔を赤らめそっぽを向く。
「照れたな」
「レヴェナお姉ちゃん照れたのー?」
首にチョーカーを着けた、孤児の中で最年少であるスタインが、好奇心から訊ねて動揺するレヴェナ。
「て、照れてないし! どうせまた女の子を助けて……惚れられたとかなんでしょ!? いつもの事じゃない!」
「そういえば女の子いたなあ。でこの広そうな村娘って感じの子だったかな。いや、結構可憐な雰囲気で、ネロが邪魔しなけりゃあ俺がと思ったんだが……」
レヴェナはそのまま早い口調で話した。
しかしトーマが思い出すようにして零した言に反応し、急に関心を持ったように振り返る。続いてネロを鬼の形相で睨みつけた。
「なにしたの?」
「まあまあ奥さん、ただ女の子がいただけじゃないですか~」
くせ毛のある金髪の少年が、茶化すように言った。すると、冷たい眼差しが彼――ハフィンへと向けられる。
見下すように見られ、ハフィンは委縮した。
「ハフィン……」
「はい……」
「う・る・さ・い!!」
「……」
レヴェナの憤怒を前に、誰も口を挟むことはできなかった。
と思われたが、孤児院でリーダー的存在であるトーマだけは違う。彼は、楽しいことを見過ごすわけにはいかない男だった。ニヤニヤと斜めからの一撃を放つ。
「なんだレヴェナ、お前ネロのこと好きなのかあ?」
「は、はあ!? ぜ、全然違うけど!!?」
「動揺がすごいぞ……」
ネロは皆と一緒に笑っていたが、同時に憂いてもいた。
こんな時間がもっと長く続いてほしい……。
けれど、ボクはいつまでここに居られるんだろうか――。
◇◇◇
二頭馬車が山道をゆっくりと走っていた。
昼間の山道は温かい日光に、涼しい風が吹き抜け、馬も難無く足を進めていた。
荷台には三人の客人が乗っている。大人の男性一人と女性一人、それと子供の少年が一人の三人家族のようだ。
男性は壮年の誠実そうな面相をしている。女性はスレンダーで、困ったように笑う人だ。しかしその笑った顔も、中性的な顔をした少年にとっては輝かしいものだった。
三人共身なりが良く、貴族か、何かパーティの参加者のようだ。
談笑する三人。とても楽しそうな雰囲気で、各々の顔に浮かぶ笑みは偽りのない自然なものだった。
しかし、それも山道の途中で戸惑いへと変わる。
――馬車が急に止まった。
「どうした?」
男性は御者の人に訊ねようとするが、その返答は直ぐにきた――悲鳴となって。
「うあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」
荷台が揺れ、腰を上げた男は屋根を支えに堪える。
やがて揺れが収まったかと思うと、荷台の扉の前に数人の何者かがいるのが分かった。
男は直ぐに状況を悟り、荷台の扉を蹴破りながら、外の者たちを扉ごと吹き飛ばす。
その者たちは全身を甲冑で覆い、王国兵の格好をしていた。フルフェイスで顔まで覆っているため、人相は分からない。
しかし、甲冑を着ているということは王国内部からの犯行であると読み取れる。
「逃げろ!!」
聡明な男は、荷台の二人にそう告げて次々と襲ってくる相手と対峙する。
腰の剣を抜き、剣を交えた。
「父さん!!」
幼き少年は自分も、と外に出ようとするが、それを母が止める。そして静かにするようジェスチャーで伝えた。
母は少年を腰に担ぎ、逆側の扉を開けて外に出た。
父親が注目を集め、その隙をついたことが功を奏した。反対には誰もいなかった。
前の方で赤い血が垂れているのが見えた。
御者がやられたんだ……。
少年はそう確信した。
正面から見ていた者がいた。彼は他の者達を呼び寄せ、追手となってついてくる。
「こっちから逃げたぞ!!」
母は林の中へと入り、下り坂の道のない山道を細い足で下っていく。
濡れた木の葉や枝木が落ちている坂道は気を抜くと滑ってしまう。だが、母は気にもせずに大股に足を動かした。ドレスのスカートは荷台にいた時に既に切り込みを入れていたようで、スカートによる動き難さは緩和されていた。
追手も飛ぶようにして駆け下り、迫ってこようとする。
「母さん! 来てる!!」
「分かってるから、黙ってなさい!」
――そうか!
今の言葉で、母親の考えていることを理解し、少年は両手で口を覆った。
母は少し距離を離したところで、木の陰に隠れた。
当然のように追手の兵隊はその木の裏を見るが、何故かそこには誰もいなかった。
「ここにはいない!」
「探せ、この近くにいるのは間違いない!!」
兵隊たちは三方向に分かれ、付近を捜索し始めた。
声や足音が遠のいていく。
母と少年は、表が木の葉で敷き詰められた布の下にいた。予めこの山の付近には隠れ蓑を置いておいたのだった。
二人は静かに追手がいなくなるのを見計らって追手の行先とは別方向に逃げ始めた。
「どこに行くの、母さん? 家はこっちじゃないよ。父さんだって分からなくなっちゃう」
「お父さんのことは、後で何とかするわ。家に戻っても、さっきの兵隊たちが待っているかもしれない。家には戻れないのよ」
「じゃあどこへ行くの?」
「……」
母は何も言わなかったが、足を止めることは無かった。
しかし時折、背後を気遣うように振り返る。
その瞳の奥底では後ろを振り返ることに対する恐怖心があったが、少年はそれに気づいていなかった。
日が陰る頃、二人はまだ山の中にいた。
二人は足を止めていた。女性と子供の二人では、長く山道を歩くことはできなかった。
ちょうど川を見つけたので、その近くの木陰に身を潜ませていた。
「ネロ、わたしは一度お父さんの様子を見てくるわ」
「え……」
少年は不安に駆られ、母親の顔色を覗き見る。見捨てられると思った。
「でも、今日中には戻れないかもしれない。もし朝になっても戻って来なかったら、川を降りなさい。街が見えたら、教会に行くの」
「ちょ、ちょっと待ってよ! ボクも行くよ!」
「ダメよ。相手は大人、あなたがいると足手まといになるだけだわ。それにおそらくあの兵隊たちはどこかの貴族の差し金。もう一度逃げようとしてもたぶんもう無理でしょう。だから、わたし一人で行くのよ」
「……」
「これだけは守ってネロ。あなたはまだ貴族会に大々的に知られてない。もしあなたがいると分かれば、また襲われるかもしれないわ。だから、自分が貴族だということは誰にも言ってはいけないのよ」
「う、うん……でも、戻ってくるよね?」
「当然でしょう。少し時間が掛かるかもしれないけど、必ず迎えに行くわ」
「うん!」
顔に泥のついた少年――ネロにとって、親に迷惑を掛けないその答えが最善だと即答した。
その後、朝になってネロは教会に。両親が訪ねてくることは未だ無い。
ネロはいつか貴族兵が自分の所に来るかもしれないという不安を拭えないでいた。
◇◇◇
「うぉおおおおお!!!」
奮起する少年の雄叫びが、星の並ぶ綺麗な夜空へと響き渡る。
人が逃げ惑い一部火の上がる里で、ひと騒動起きていた。ブラックウルフという魔物が森から出てきた。それらは気が立っているのか里を襲い、動植物にも手を掛けている。
漆黒の毛並みをした人間一人を飲み込めるほどの大きさをした一匹の狼は、家屋の前に勇敢に佇む少年を前にし、威嚇して眉間を震わせながら垂涎していた。
オレンジ色の髪をした釣り目の少年――ボーラスが、手に炎を宿して狼に立ち向かおうとしていた。
足は震えど、彼の目に灯る炎は力強く何かを目指している。
「ボーラス下がれ!!」
単独行動をしながらも、危険に身を投じるボーラスが剣呑に思いトーマは命令する。だが、ボーラスはまるで声が聞こえていないかのようにその場から逃げる様子がない。
俺が倒す……俺が倒して、強くなったって証明してやる……!!
「生より授かりし己の火――」
いつもボーラスを取り巻く二人、ぽっちゃり体型の少年と線の細い少年は、離れた場所で困惑しながら震えているだけだった。
「や、ヤバいよ……ボーラスさん死んじゃうよ……!」
「なんとかしないと、誰か……トーマくん!」
「ちぃ……あの問題児、いったいなにやってんだよ!!」
ブラックウルフが動き出す。
跳ぶように右へ左へと走り、魔法を撃とうとするも照準が絞れない。ボーラスはブラックウルフの動きについていけないようだった。
「くっ……くそ、動くな……!!」
「第二の術――《守護の鎧》」
ボーラスを囲むように紺碧の薄い盾が円形状に拡がった。
ブラックウルフは盾に阻まれ、弾かれる。
「なんっ!!?」
「はぁ……」
重々しい溜息が焦燥に駆られたボーラスの背後から忍び寄る。
ボーラスはぎょっとして、背筋が伸びきった。
闇の中に浮かぶ紅蓮の双眸が光る。
「ね……いや、クロ……!!」
「邪魔をした、なんて思っちゃいねェよ。てめェ、そこまでして死ぬ気かよ」
クロと呼ばれる、ネロと同じ面相をしながらも狂気の帯びた表情は似ても似つかない少年。
漆黒の髪を後ろに束ねながら、つまらなそうに自分よりも小さいボーラスを見下ろした。
「ここはオレが整理し、お前たちは避難のサポートをする手筈だっただろう。何故前に出てきた」
「…………俺は……俺は……」
ボーラスは自身の拳を力強く握り締めた。
「まあいい、やりたいようにしろよ――もう敵はいないけどな」
さあっという風が吹く。その風音が、それまであった騒然とした里の静けさを物語る。
ボーラスは慌てて周囲を確認した。
クロの言う通り、黒い狼が点々と月光の下で赤い血を零し倒れている。
「――クロ……ッ!」
ボーラスは恨めしそうにクロをねめつけた。
そこへトーマと、背丈が大きく筋肉質な青年――センカイが近づいてきた。センカイは坊主頭で額に傷が見えるが、それは今できたものではない古い傷痕である。
センカイが無機質な表情であるのに対し、トーマは煮えたぎった鍋のようだ。
「おいボーラス! お前何度言ったら言う事を聞くんだ、死にたいのかバカヤロウ!!」
「うるさいな! 死ぬとか、そんなの俺の勝手だろ!!」
「……」
ボーラスが反抗的に睨むのに対し、センカイは何か思い当たることがあるような目を浮かべる。クロはその事に気づいたが、ボーラスとトーマの口喧嘩の中で口を挟まない。
「おんまえはいつになったらリーダーの俺の命令に従ってくれるのかなあ!?」
「トーマがリーダー? そりゃあ嬉しいね、笑っちまうよ」
「なら笑えよ! 笑いながら命令聞けばいいだろ!」
どういう説得の仕方だ……。
クロは言外でそう思った。
「やだね。オレは人に命令されたくない……誰にも、どんなヤツにも!」
ボーラスはイラつかせるように振舞っていたが、背中を向けて顔を見せずに話すのはどこか様子がおかしかった。トーマは気付いていないが、センカイとクロは察するところがあった。
誰にだって矜持はあるもんだ。それにボーラスは人一倍意地っ張りだからな……話しはしねェだろう。
さて、面倒事が増えそうな予感だ。当たるぜ……オレの勘はよ。
◇◇◇
数日後の夕方。
ネロがアルバイトをしているラトゥーリエ王国南西地区のハブアニアベーカリーから教会の間には貧民街がある。鬱蒼とした雰囲気が立ち込めるその場所は、日差しが建物に遮られてまだ陽はあるが既に暗かった。
ネロとシロはアルバイトが終わり、帰路に就いている。シロはいつもクマのぬいぐるみを抱えており、アルバイト先にも持ってきていた。右手をネロと手繋ぎし、左手で胸にぬいぐるみを抱えていた。
道中にある貧民街で、セシルが二人を待っていた。
ネロには昼と夜で二面性があるが、セシルもまた二面性があると言えるだろう。何か事態が発生した時は物事に動じない落ち着いた女性であるが、ことシロの前では親バカな母のように懸想する。
「お疲れ様」
「セシルだー!」
シロはセシルを見つけると、雀躍しながら彼女に走り寄った。
セシル……? 迎えに来てくれたんだ。ということは――
「遅かったのね。そんなに長く働かせられてるの?」
「ううん、今日はお昼からだったし。午前中は教会にいたよ」
「そうなの。いつも思うけれど、大変じゃない? お客さん、結構来るんでしょう。わたしも手伝いができればよかったんだけど」
「兄さんがいるから全然! いつも楽しいよ」
「……今日はわたしとネロで美味しい物を作ってあげるからね」
「うん!」
シロは目を輝かせており、セシルに懐いているのが一目瞭然だった。
それを他所にネロの両の目は黒く変わり、瞳が赤く光る。ネロからクロへと移り変わる瞬間である。ネロはセシルに無機質な眼差しを向けた。
「――頼んでいたことが終わったのか?」
「ええ、だから来たのよ」
「クロ?」
シロはクロが出てきたことを疑問に思って首を傾げた。
するとクロは「大丈夫だ」と安心させる言葉を掛ける。
三人は歩きながら話すことにした。教会へと踵を返し、道中クロとセシルが話すのをシロは静かに聞いていた。
セシルはまた神妙な面持ちとなり、大人な雰囲気を纏う。
「あなたが頼んだボーラスの件だけど、やっぱり家族関係だったようよ。予想した通りね」
やはり、と思ったクロ。シロを含まない他の者が介入しない帰路にセシルが現れた理由を思えば、ボーラスが惹起する理由くらいなものだった。それを事前に依頼していたのはつい先日のことだったが、流石は仕事の早い。
「俺たちの中であれほど変わる要因になりえるのは、それしかないとは思っていたが――重そうな問題なのか?」
「……わたしたちの中には親を知る子と知らない子がいるわ。トーマやハフィンは親の顔も知らないけれど、あなたやボーラスは親を知っている。知っていれば、どうしても会いたくなったりするものじゃない。ボーラスは母親に会いに行ったみたいよ」
「いるのかボーラスの母がこの街に……」
「ずっと探してはいたみたいね。エータクとヤマルにちょっと訊いたら教えてくれたわ。2週間ほど前にボーラスの母親に似た人をヤマルが見つけて、ボーラスに報せたら直ぐに会いに行ったらしいわ」
「会えたのか?」
「ええ……酷なことにね。
ボーラスの母親は彼に言ったそうよ。あなたを育てられるほどの金銭は持ち合わせていない。傍にいられると迷惑、だってね……」
「その口ぶり、お前も……ボーラスの母親に会ったんだな?」
セシルはネロはさておき、クロに対しては一切の虚飾を述べない。これほど現実味を帯びた話をするということはその場の話を聞いていたか、会って聞いたかの二択でしかない。
「彼女は街から離れた集落にいたわ。あそこは街の工業の出稼ぎで来ている人が多くて、ボーラスの母親も同じようにイブキ山の鉱山で掘削作業や石を運ぶ仕事をしているそうよ。
女であることを隠して、仕事をさせてもらっているのを聞いた時は驚かされたわ。でも、彼女にとってそれ以外選択肢はなかった。ボーラスの父親は隣国の下級貴族で、とある伯爵の近衛兵をしていたらしいわ。その伯爵の悪事がバレそうになった時にボーラスの父親は身代わりにされてしまった。おかげで家族はバラバラになるハメに。父親は獄中で亡くなり、家族には借金だけが残され追われる身となった。だからラトゥーリエ王国まで逃げて来て、ボーラスは教会に預けられたという流れね。
男に成りすましているのは自分が自分であることを判別させないため。仕事をするのは生きるため。とんだ貴族の下に就いてしまったものね」
「それで、ボーラスはなにをしていると思う? 何故あんなにも切羽詰まったように奔走しているんだ」
「さあね。それならあなたの方が理解できるんじゃない?」
「俺がか……」
なんとなく察してはいたんだけどな……。
おそらくボーラスは、名前を売って借金をさっさと返して、母親とやり直したいってところなんだろう。あの二人の間にある第一の問題は金だからな。そのためには母親以上に死に物狂いで成果を出さなければならない。魔物一匹に手こずっているくらいではダメなのだ。しかし、計画や行動が杜撰で何も結びつきそうにないから厄介だ。
現在王国でトップに立つ冒険者パーティは貴族にも負けないレベルの大金を稼いでいる。けれど、それは冒険者という職業の中でも一握り。ボーラスが今すぐどうこうできるレベルじゃないのは明らかだ。
「ねえ……あなたも家族の下に戻りたいと思ったことはある?」
セシルは切実に訊ねており、適当に返すことはできないと悟る。
その問にシロは胸が騒いでいた。ネロが訊ねられて直ぐに遠くを見るような目をした途端、セシルとシロは胸騒ぎがしたのだった。
シロは足を止めながらネロの服の裾を掴んだ。
「…………大丈夫だよ。ボクは、どこにも行かないから」
彼の瞳は元の漆黒に戻っていた。温かい眼差しは安心させるもので、シロはコクリと頷く。
「皆、たぶんどこかで帰りたい場所を探しているんだと思う。でも、皆が皆、その場所に帰れるわけじゃない。ボクは新しい帰りたい場所を見つけた、それがセオムティラ教会さ。あそこがボクの帰りたい場所なんだ。あそこにはシロもセシルも、トーマも……皆がいる。ボクはそれだけで満足だよ」
「兄さん……」
相好を崩すシロの頭を、ネロはそっと撫でた。
その構図は傍から見て、心温まる家族の心境が表れているかのようだった。セシルはそう感じて、安堵する。
――そう。
◇◇◇
ハフィン――金髪がくせ毛で、顔にそばかすのある少年は、日頃からよく街へ出て色んな人の話を聞く。
冒険者と同じようなことをしている子供たちの中で、彼の存在は取り立てて目立つことはない。なぜなら彼は戦闘能力が他と比べて欠落した怯懦な性格だからである。矮躯も相まって、特に魔法や剣が使えるわけではないという自称【無能力者】だ。
しかし、彼には一つ特技がある。それは、コミュニケーション能力だ。大人、子供、老人関わらず誰とでも仲良くなれ、口も達者なのだ。
教会に孤児として厄介になることができた経緯も、慈善団体ではない、と吹聴しているヤンキーシスターことアンナ・フィンネルを言いくるめたのもこの能力によるものだ。
子供たちが冒険者パーティに似せて組織している【ラーディストリートイレギュラーズ】において、ハフィンは重要な情報屋だった。
戦闘能力は無いに等しいが、強面な大人が多い冒険者ギルドや王国兵の出張所にもよく出入りしている。
今日も何か面白いネタがないかと冒険者ギルドを訪ねていた。
冒険者ギルドに登録できるのは、基本的に15歳からで13歳のハフィンはまだ登録することができない。ゆえに変わり者として既に有名になっていた。
昼間のギルド内は静かで、人の出入りもまばらだった。そんなギルド内中央をうきうき顔をしたハフィンが堂々と歩く。
ラーディストリートじゃ何も依頼なかったからな~……ここで何か探してかないと!
「本日も晴天なり! あっ、雲髭のおじいちゃん今日も元気? あ、そうだよね。わかってるよー!」
ギルド内を掃除するもくもくとした白髭を生やした老人に話し掛けるも、一方的に会話を終わらせる。その老人が耳が遠く、ハフィンの言っている意味を理解できないことを知っているからだ。案の定、老人は耳に手を当てて、「ああ?」と聞き返してきた。しかし、ハフィンは既に立ち去った後である。
「おっ、え……なに。ヨイメンさん、昼間から飲んでんの? 酒臭いよ~」
「うるせえ、ほっとけがきんちょ」
「おお……あれは近寄らない方がいいな。相当機嫌が悪い。たぶん二日酔いだな。ていうか二日酔いしてるところしかみたことない。吐くかな? 吐くだろうな……うう、見たくない!」
体をテーブルに投げ出した、やさぐれた男がおり、その男に話し掛ける。全身からただよう酒と加齢臭が鼻をつんざくような臭いで、身を引いた。
ハフィンは男の隣にあった椅子を受付嬢のいる受付へと運んで来た。
背の低いハフィンでは、受付にある台から顔を出すことすらできないため、その椅子に乗って受付嬢と顔を合わせる。
受付嬢とはいえ、冒険者ギルドの受付嬢だ。腰の低い者にはできない仕事だろう。それゆえか、切れ長の死んだ目をした女性だった。
ハフィンは「にしし」と笑い、受付嬢は重い溜息をつく。
「なにさ、人の顔みて溜息なんて。いつも言っているかもしれないけれど、溜息をつくと人生を損するらしいよ。百年くらい!」
「あっそ……」
女性は愛想が悪く、虚空を睨みつけている。まるで目を開けたまま眠っているかのようだ。
「なに、あっちになにかあるの?」
「…………なんのよう?」
反応が大分遅い。面倒がられているのは理解しているが、それを気にしないのが彼だった。
台に両肘を置き、手で自身の顎を持って「ふふん」と話し始めた。
「実はさ。何か僕たち……子供向けの依頼がないかな~って日頃から気になっていたんだよね。でさ……僕とお姉さんの仲じゃない。ちょっとだけでいいから斡旋してくれないかな~って!」
「…………無理」
受付嬢の女性はハフィンを一瞥した後、再び虚空へと視線を戻して拒絶した。
ハフィンは落胆をしたかと思うと、すぐに直って提案する。
「ダメか――。よし、じゃあこうしよう! 無収入でいいよ。元々入る予定だった依頼料は全部お姉さんの懐に入れていい! だから、今回の依頼で成功したあかつきには、これからも依頼を斡旋してくれると――」
「無理」
「おっ! 食いつきがよくなったねお姉さん! 流石僕の”専属”受付嬢だね。色々とわかってきたんじゃないかね? うんうん、僕ですらそう思うよ!」
「うざ……仕事の邪魔だからどっかに行きなさい。ここは遊び場じゃないんだから」
無精な様子で女性は手をひらひらさせた。
「それは酷いなあ……。でも、もしどっかに行ったら、依頼斡旋してくれたりする~?」
「しない。前にも言ってるけど、ギルド法によってギルドの依頼を受けられるのは冒険者のみと決められているの。冒険者ではないあなたのような子供に依頼を受けさせられるわけないでしょ」
「ほうほうほう……教えてくれてありがとう綺麗なお姉さん!」
「はいはい……何度目って感じだけどね」
「でもそうか……ギルド法ねえ。ギルド法…………そこをなんとかお願いしまっす!!」
ハフィンは額を台に打ちながら嘆願した。しかし、受付嬢は無表情に即答する。
「無理」
「出たよ無理! 無理か――!! 無理ですか……。せっかくのラーディストリートイレギュラーズの華々しい表舞台への扉が開かれようとしているっていうのに、無理ですか……」
「ほら、早くどっか行け」
「辛辣……」
その時、ギルドの扉が性急に開かれた。すると外からバタバタとあわただしい青年が入ってくる。
青年は上着を白いシャツ一枚で、下はぶかぶかのズボン。土木作業員のような恰好をしており、全身泥にまみれていた。頭や腕からは血が出て、治療が必要に思える。
青年は一目散にハフィンのいる、受付へと近づいてくる。
ダン、と勢いよくハフィンの隣に来ると息を荒くしながら叫んだ。
その声と異様な様子にそれまで陰鬱な顔をしていた受付嬢も目を丸めた。
「た、助けてくれっ!」
「ど、どうされたんですか?」
「炭鉱が山賊に襲われて、護衛の冒険者も全員人質に取られてしまったんです!!」
「わお……!」
ハフィンは、嚆矢を悟ってしめしめと笑った。すると、昂然と指示を出し、状況の聴取を始めた。
「お姉さん、早く回復魔法の使える人を連れてきて!」
「は?」
「それでそれで? 相手は何人くらいだった?」
「ちょっと!」
「え……えっと……正確には分からないけど、十人以上は確実にいたと思う」
「ほっほう~♪ 警護役の冒険者もいただろうから、それを無力化できるレベル……かなりの腕をもった相手がいるということだよね!」
「そう、その通り! 冒険者たちをものの数分で倒した人はたった一人でやってのけていたんだ!」
「ものの数分……その人たち、なんか気になること言ってなかった? どこの所属とか、もしかしたら相手は元兵隊の可能性があるんだ。山賊は国に追われた人がなる場合が多いから!」
「さ、さあ……ただ、『我々は翡翠のシャム猫団』っては言ってたけど……」
「【翡翠のシャム猫団】ですって!!?」
翡翠のシャム猫団……王国の北東地域で台頭した凄腕の山賊だ。彼らの中に勘の鋭い人がいるのか、討伐隊を編成しても見つけられず、気付けば狩場を変えていることもしばしば。中でもリーダーの男がカイセディア公国のとある没落貴族最後の生き残りらしく、公国軍隊式武術(略称:公軍武術)を会得しているという噂があった。
これはかなりの収穫になったのではあるまいか……あはは! なんつって!
「お姉さん、炭鉱に向かった冒険者がどこのパーティか調べて!!」
「ちょっと待ちなさい! なんであなたが事情聴取しているのよ!?」
「へ? …………いやだなあ、お姉さんの代わりに仕事をしてあげただけじゃない……」
「余計なお世話!!!」
「す、すいませーん!!」
大声で叱られたハフィンは、半笑いで謝罪しその場を後にしようとした。しかし、青年がなにかを思い出すように話すので足を止める。
「あ、そ、そうだ! 逃げてくる時にすれ違いで子供がその炭鉱へ向かったんだ!」
――子供……だって?
「止めなかったんですか?」
「止めたけど、何も聞かずに走り去ってしまって……。早く討伐隊を向かわせてくれ!」
や、ヤバいかも…………ヤバいでしょ!!
ハフィンは一目散にギルドを出た。
◇◇◇
「ダメだ!!」
トーマの怒鳴り声が、教会裏の母屋中に響く。
居間にはボーラスを除く子供たちがおり、トーマの険悪な表情に身を引いていた。
しかし、怒鳴られている相手――ネロだけは違う。眉間に皴を寄せたトーマに対し、眉間を微かに曇らせていた。
子供たちのリーダーであるトーマとネロの口喧嘩が始まっていた――。
「なんで! ボーラスが死んじゃうかもしれないんだよ!?」
「あいつの規定外の行動は目に余る。これ以上は皆を危険に晒しかねない! しかも今回はあいつが一人で行ったんだ。あいつもその意味が分かっているだろうぜ」
「相手は山賊なんだ! 一人で行ったらどうなるか分かってるでしょ!」
「ああ分かってるさ! 山賊は見境が無い。相手が子供だろうが、当たり前のように殺すはずだ。今頃もう死んでたっておかしいことはない。助けに行ったって無駄骨になる可能性だって高いんだ!」
「それでも!」
「ちょっと二人共! ……そんな大声出してたら……シスターに気付かれるわよ」
止めようと思っていたが、レヴェナも二人の威圧感に委縮してしまっていた。
「どうせなら気付かれた方がいい。その方がネロをここに監禁できるだろうからな」
「トーマの兄貴、どうして行っちゃダメなんだ? 確かに相手は山賊で大勢仲間がいるのかもしれないけどさ。そんなの今迄だって……。ついこの前もネロっちは一人で山賊を倒してきたんだぜ」
「ダメなんだよ……相手が悪すぎる」
「相手って……あなた山賊なんて知ってたの?」
顔色を曇らせるトーマ。レヴェナは全員の疑問を払拭すべく、代表して訊ねた。
「……5年前、俺がまだ戦闘訓練を受ける前の事だ。俺はマダムとセンカイの二人と一緒に隣街に出掛けてた。問診に出掛けるってんで付いて行ったんだが、その帰りの道中で山賊に襲われた。
いや――あの時はまだあいつは山賊じゃなかったはずだ。身なりは薄汚れていたが、貴族っぽい感じで……でもどこか野生的というか、外見は立派で派手だが、中身は獣みたいだった。相手は三人いて、うち二人は全部置いていけと決まり文句を吐いてたよ。でも、あいつだけは殺そうとしてきた。俺たちは初めて人間に殺されそうになった……。
その時は間一髪のところで通りすがりの冒険者に助けられた。……助けて貰ったというのはそうだが、どちらかと言えば身代わりになってもらった、と言う方が正しいだろう。冒険者は全員で五人いた。敵三人のうち二人は簡単に倒れ、俺は勝てると思った。だが相手は一人で十分だったんだ。あいつは次々と冒険者をなぎ倒していった。あの時背中の方から聞こえる悲鳴は忘れもしねえよ。
――あの時の男が今、翡翠のシャム猫団でリーダーをやっている。悪いがネロ、お前を行かすことはできねえ。これはリーダーの俺が決めたことだ。お前はそれに従う、それが俺たちのルールだよな」
「……」
「ネロ、ここはトーマの言うことに従うべきよ。冒険者五人を一人で全員倒したというのが本当なら、ネロが太刀打ちできる相手じゃないわ」
「クロっちならできるかもしれないけど、今は昼間。夜になるのを待っていたら、それこそ時間切れか……」
レヴェナ、ハフィンとも否定的な意見だった。センカイは重い息を漏らし、視線を逸らす。
そして誰もネロを肯定する者は出なかった。
静かな空気が流れ、集会の終わりを告げるようにトーマが無言で出て行こうとした時だった。
椅子に座っていたエータク、ヤマルの二人が立ち上がった。
「だったら……だったら、時間稼ぎをすればいいだ!」
「おいらやるでやんす、時間稼ぎ! クロが出てくるまで、んいや……ボーラスくんが助かるまで相手をひきつけるでやんす!! だって、だってそうしたら、まだ生きられる可能性があるってことでやんすよね!?
……じゃなきゃ、皆このまま友達が死んでいくのを指を銜えて待っているだけなんでやんすか!? それが、これまでラーディストリートイレギュラーズ一番の魔法師として貢献してきたボーラスくんへの皆の気持ちなんでやんすか!?」
「オラ、ボーラスさんにはいつも面倒見て貰ってただ。おねしょした時も、ボーラスさんはしてないのに、自分もしたことにして一緒に怒られてくれただ! 街の人から貰った食べ物も一つしかなくて、オラたつに分けてくれて。ボーラスさん、強いから自分だけ食うこともできたのに、優しいんだ!
おらはボーラスさんを見捨てで、この先生きてけないだよ!!」
「頼むでやんす、トーマく……いやっ、リーダー!! おいら、あの人の後ろに付いて行くってもうきめちまったんでやんす!! リーダーも言ってたでやんしょ。男は決めたら逃げずに立ち向かうもんだって! だからおいら、立ち向かいたいんでやんす! でも、おいらたちだけじゃどうにもならないって分かってるから頭を下げるしかない。だから、お願いでやんす!! ボーラスくんを、助ける手伝いをして欲しいでやんす!!」
「お願いだよ!!」
エータクとヤマルは、トーマの前に並ぶと深々とお辞儀をした。
トーマは一拍の間を置き、神妙に話し始めた。
「……人の運ってのは、それまでの人生で培ってきたものの表れだって説がある。その瞬間までに自分がなにをしてきたのか、他人に対してなにができたのか……。俺も偶に考える時がある。
お前たち二人が俺を頼って頭を下げた。これはお前たちの運じゃねえ、あのクソ生意気坊主の運だ! あの野郎が二人を助け、これだけ大切に思われた。だから今、こうして二人の味方をつける運を得た。
――まだ、ツキは消えてねえのかもしれねえな……。
先遣隊にネロ、エータク、ヤマル、センカイの四人を出す! 後から俺、セシル、レヴェナ、ハフィンの四人が応援部隊として合流!」
「トーマさん……」
「トーマくん……」
「気が変わった。なんせ俺はアマノジャクなんでね!!
センカイ、敵の行動パターンを予測し可能な限り気付かれないよう道を選んで三人を連れていってくれ!」
「分かった」
「ネロ、クロが出るまではお前はなるべく前に出るな。引き際を見誤るとその瞬間にやられると思え。いいか、それはお前だけじゃねえ……仲間全員がだ、自分の力を過信するなよ!」
「うん、ありがとうトーマ!」
「うっせ。一番の問題児は本来、お前なんだからな」
「結局こうなるのよね……」
「ならわたしはコーネリウスさんのところに例の魔道具を借りに行ってくるわね」
「セシル、シロも一緒に行く!」
「うん、そうね。一緒に行きましょう」
シロがネロから目を逸らすようにしてセシルに近づいた。
セシルは安心させるように笑い、シロを連れて出て行く。
「つーわけだ。こっちも早めに追いかけるが、くれぐれも慎重に行動し、むやみな戦闘は避けろ!」
「「了解」」
「了解でやんす!」
「了解だ!」
センカイのみ腰に剣を武装し、エータクとヤマルは手製の防具を装着する。
防具は獣の皮で自作したもので、市販されているものと比べれば耐久度合いは落ちるだろう。刃も通すし、魔法への防御耐性ともならない。しかし、大人の拳程度ならある程度弱めることができる。彼らにとってこれができる限りの準備だった。
ネロはいつも取り立てて防具などを身に着けない。可動域の邪魔をするだとかで動きを阻害するものを極力身に着けなかった。それはネロではなくクロの意志だが、ネロはそれに従いなにも身に着けないようにしている。それは今回も同じである。
センカイを先頭に、ネロ、エータク、ヤマルの四人は先にイブキ山炭鉱へと足を向けた。
◇◇◇
イブキ山――。
ゆるやかな山道を街の行き交いに使用される当山。強い風が吹くことで有名であり、山頂に近づくにつれて魔物の気配は薄くなる。ラトゥーリエ王国王城の正面に構えるこの山は、王国にとっての目印で迷い人をなくす旗印でもあった。
そんなイブキ山の山麓には人によって掘られた洞窟(炭鉱)があり、その先で石炭や金属類の採掘が行われているが。
現在、その洞窟内には誰もおらず、全員が外へと出されていた。
採掘の仕事で訪れていた三十名、護衛冒険者が六名と全員が大人の男性(一人の偽りの性を装う者も含めて)。
冒険者は勿論だが、採掘人員の中にも戦闘の覚えのある者もいた。その者達全員を黙らせ、言うことを聞かせた山賊の数は十二名と少数である。
抵抗した者は手足を縄で縛られるか、身動きを取らない者もいた。集められた採掘師たちの近くで、全身から血を流して倒れる冒険者の格好をした男。多数の切り傷と、地面を染める血の量からして亡くなっていると思われる。
彼以外は生きている。だが、同じく体から血を流しながら拘束された冒険者、および採掘師たちはそれ以上の抵抗ができない状況である。
山賊の中にも負傷していると思われる者が数名いるが、ごく少数であり反撃の糸口とはならず。見せしめとして殺された冒険者の存在が採掘師の男たちを委縮させていた。
「これで全員かー?」
「ああ、もう中にはいない」
ニメートル越えの背丈、野ざらしにされた隆起した筋肉、肩幅の広さなど大きな体躯からして山賊たちの頭領だろう男がいた。
眉間に傷痕があり、髪はオールバックで勇ましい風貌。背中に斧を担ぎ、恰好は獣の皮や頭などで作られた衣服を纏って、まるで獣から生まれた人間を思わせる。
彼はそれまで洞窟近くにあった丸太の上に腰を掛けていたが、部下の報告を受けて立ち上がり、しめしめと笑みを浮かべる。
「よくやった! 俺様の言った作戦通り、滞りなかったぞ!! ガーハッハッハ!!」
山中に響くほどの大きな笑い声が響く。
彼の言に感銘を受けた者たちは、歓喜の声をあげながら己の武器を高らかに掲げる。
すると、採掘師の中でも長命そうな白髪と皴に塗れた男が、頭領に向かってしわがれた声で訊ねる。
「お、お前たち……いったい何が目的だ? ここには大した物品はないぞ」
次の瞬間、冷たい眼差しが露わとなり、言葉を発した採掘師の男の首が宙を舞った。
男は首から血しぶきをあげながら力なく横に倒れ、採掘師たちの動揺が増幅した。
「し……シシノギさぁあああああん!!!」
いつの間にか背にあった斧が右手に握られていた。斧の刃には血がべっとりとつき、目にも止まらぬ速さで採掘師の男の首を跳ねていたのだ。
「大した物品かどうかは貴様らが決めることではない。この俺様が決めることだ! 年寄りは年寄りらしく、俺様の意図を理解できずに早々に消えるべきである!!
良かったなあ貴様ら……貴様らよりも年老いた奴が死んでくれてよお。これで貴様らを指揮する者が変わったんじゃないかあ? 知らんけど」
頭領は、ついた血を払うように斧を振るい、再び背中に担ぎ直した。
「さあて、貴様らにはやってもらうことがある。安心しろ、殺しはしない……俺様の言うことに従う奴は死なないさ。証左としてこいつら――俺様の部下は誰一人として死んでいないだろう? だあが、注意しておくことがある。俺は余計な事をされるのは大嫌いだ」
涼しい顔で脅迫する頭領。その表情の裏には狂気が見え隠れしており、採掘師たちは怯えて震えた。
この状況を間近で見る者が一人いた。
山に建ち並ぶ木々の影に隠れながら様子を窺う少年――ボーラスだ。
怖いもの知らずか、緊張しているものの恐怖心はなかった。額に汗を滲ませ、鋭利な視線を向けている。
あの野郎……クソ……。いや、まだだ、大丈夫だ……やれる……俺なら!!
――母ちゃん……直ぐに助けるよ。
中性的な面相とベリーショートヘアーで胸元は平に見えるが、尻の大きさは女性特有のものに思えた。なによりボーラスの想いが、一目で採掘師の中から自身の母を発見した。
◇◇◇
「うわぁあああああ!!」
ボーラスの悲鳴が響く。山賊たちの目を盗んで近づこうとしたが、バレてしまった。
頭を蹴られ、額から血を流していた。近くにいた採掘師の男が彼を起き上がらせ、容体を観る。
まだ若い、赤い鉢巻の似合う青年で、噛みつくように山賊に向かって怒鳴る。
「キミ、大丈夫かい?
子供に何をするんだ!?」
「どうしたァ――!!」
山賊の頭領が、くわっと目をぎらつかせて駆けつける。
洞窟に向けていた足を戻し、地鳴りのような足音と共に採掘師の青年に近づいて行った。
近づくにつれて巨大化したように思えるほどの大きさに、青年は「デカい」と独白する。
「このガキ、急に出てきやがって……。もしかしたらこいつらの誰かの子供じゃないっすかね」
「ガキなんざどうだっていい。俺は、この男が粋がっていることが腹立たしくてかなわん。ゆえに、わざわざ戻ってきたのだ!!」
「くっ……」
青年はボーラスを背中に隠し、手を広げて守ろうとしていた。
次の瞬間、青年の首が宙を舞う。
素早く横一閃に斬り伏せられ、首から血しぶきが噴き出した。
ボーラスは血の雨を受けながら、恐怖に駆られて震える。
「……あ……ああ……ぁあああああああ゛!!!」
俺が、俺が出てきたせいで……俺のせいで……!!?
「うるせえな、このガキィ……」
低い声が血の雨に紛れて降ってくる。冷たい眼差しが、慈悲も無くボーラスを見下ろしていた。
再び振り上げられる斧。その刃先にはべっとりと真っ赤な血が付いていた。
刃に睨まれ逃げようとする。なんとか足をじたばたと動かすが、一向に離れる気配がなかった。
目の前にいるのは大きな巨体、長い手足。いくら子供の力で逃げようとしても、もうどうにもならないことは分かっていたが。
……死ねない。俺は、こんなとこで死にたくない……!!
「待ちなさい!!」
採掘師たちの中にいた者が一人、こちらに近づいてきた。中肉中背のその者は、風貌は男じみていたが、顔はどうにも女性に思える。
――母ちゃん!!
どうして俺なんか……俺は母ちゃんにとって……。
信じたくなかった。信じられなかった。だって本当の母ちゃんは優しくて朗らかで、俺にとって母ちゃんは――
「どうして!?」
山賊の頭領は、不機嫌な顔で振り返る。
「あ゛あ゛!!? 誰だ今、俺様に命令した奴はッ!!」
「おれ……わたしよ!!」
死体を見て気分のすぐれなそうなボーラスの母がいた。
「あん? 貴様……まさかとは思うが、女か?」
山賊の頭領が一目で自分を女だと悟ったことに、ボーラスの母は驚きもせず、泰然としていた。
「そうよ……!」
「……くっくっくっ……そういうことか! ならば貴様は、このガキ助けてほしさに俺様に泣き寝入りしようとしてるってことかァ?」
「俺のことなんかほっとけよ! どうせ俺は……」
「子供がなに粋がってんの!!」
男勝りの女性の覇気がボーラスを怯ませる。四つん這いになって涙に潤む瞳の中で朧気に母親を見ていた。
「こんな所に子供が来るもんじゃない。帰りなさい!!」
……ふっざけんなよ……ふざけんな!!
こんな時だけ親みたいな事言って、俺を止めるんじゃねえよ……!!
クソ……クソ……クソクソクソォ…………。
「俺が強くなって助けるんだ。俺が皆を助けるんだよお……。そんくらいじゃなきゃ俺は母ちゃんとも一緒に暮らせねえから……ッ!!」
「悪いが、俺に色仕掛けは通じないぜ。特に貴様のような泥に塗れた、魅力の欠片もない女なんざ、これっぽっちも靡く気がしない!!」
「勘違いしないでちょうだい。赤の他人の子供を助けるために、身を売るつもりはないわ!」
「っ……」
女は頭領を睨みつけ、寂寥感を募らせるボーラスから視線を逸らした。
「なら引っ込んでろよ。殺されたいなら順番は守れェ!!」
そう言って、頭領はボーラスへ向き直り、ふたたび斧を振り上げる。
ボーラスはそれよりも自身の母の行動に注目していた。
「このまま見捨てられるなら、これ以上生きる意味は――ねえ……」と意固地な覚悟を決めていた。
「身を売るつもりはないけれど、あなたを止めるつもりならあるわ!」
ボーラスの母は意を決して走り出し、頭領に背後から跳び付こうとした。
しかし、それを読んでいた頭領は無防備なまま突進してくるのを待ち、丁度自分の間合いに入って来たところで振り返りながら足を掛けて転ばせる。
「うっ……!」
「っ……!!」
ボーラスは目の前に母が倒れたことで、近づこうとしたが憚られた。
母が自分を『赤の他人』と呼称したことで、戸惑いが生じていた。
「はっ、バカな女だ。俺様に女が勝てると思っていたのか? まあガキと一緒に死にたいという貴様の願いは叶えてやるがな。なんせ俺様はこう見えて」
嘲笑しながら頭領は斧を振り上げた。
「生より授かりし己の技――ファイアーボール!!」
「くあっ!!?」
ボーラスは素早く詠唱し、火属性魔法を行使する。
手の平サイズの火の玉で顔面を狙い、頭領は咄嗟に左腕で顔を庇いよろめいた。
小さく黒い煙が上がり、焦げ臭が漂う。
風に煽られ、煙が顔に掛かるのを煩わしそうに払う中、ボーラスは急ぎ母の腕を引っ張り離れようとした。
「こっちだ!」
――俺は赤の他人じゃねえ!
「俺は、息子だッ!!」
「ごんのォ……ガキがぁあああああ゛!!!」
焦燥に駆られ吠える頭領。声は空気を震わせ、恐怖心を煽る。鬼のような形相は制御の効かない獣のようだった。
斧を力強く握りしめ、空中に跳び上がった。大きな図体からは考えにくい、木を跳び越えてしまいそうなほどの跳躍力で、ボーラスとその母の頭上から勢いよく斧を振り下ろす。
着地と同時、体重と重力で足場を粉砕しながら斧が縦真っ直ぐに刃の線を描く。風が巻き起こると、周辺の木々をざわつかせ、小柄な者たちを転がせる。
頭領は割れた地面から抜けるべく、後ろへ軽く跳ぶ。
自分の斧を見た。真新しい血が無く、また手応えが無かったので疑念に思っていた。
「大丈夫、ボーラス?」
「あ、おう……」
子供の声が聞こえ、視線を動かす。足腰の立たないボーラスと母を気遣う少年がいることに気が付き、目を丸めた。
彼は自分が攻撃した場所よりも数十メートル離れた場所に二人を降ろしていたのだ。
「誰だ貴様ァ……」
「……ボクは――この子の友達です!」
刹那の間に二人を救出した少年――ネロが、ボーラスとその母親に笑いかけていた。なんとも安心感の湧く柔らかい笑顔であった。
「助けが来たんけー!?」
「いんや違う違う。あれは子供だぁ」
「なんだまた子供け……。冒険者かと思ったが、やっぱり助けは来ないんだべか」
「こんなに早く来ねえべや! なあに考えとんじゃあ」
「けんど、メダバネの倅が逃げおおせたはずだあ。待ってればそのうち来るべえ」
「そんなん待ってたらあの子供たちどうなっちまうんだべか……」
「……」
「こらァ、うるせえぞ! 死にたいのかァ!!?」
ネロの登場でざわざわし始める採掘師たち。見張りの山賊が大人しくさせようとするが、彼らの注目は自然とネロたちへと集まっていた。
頭領はネロの微笑みにゾクリと悪寒を感じていた。
な、なんなんだこいつ……。一体どっから湧いた!?
さっきは確かにあの二人をいっぺんにぶった切ったはず。コイツが攫うところなんざ見えなかった。
……まあ、俺様の勘違いだろう。おおよそ天性的な身体強化系の魔法を使い、タイミング良く出てきたんだろうが――。
「次々と死にたがりがどうして向こうからやって来るのか……俺様には理解できねえなあ。さしずめ死んでも構わないとかバカな考えを抱いているんだろう。それほどまでに貧しく才能の無い餓鬼が、何しに来た?」
「え、ボーラス……皆を助けに来ました……」
なにを当たり前の事を、とでも言いたげに眉を顰めながら首を傾げた。
頭領は目を細めながら疑念を募らせる。
バカかこいつは。ガキゆえの図太さか。
知らないってのは恐ろしいな、こんなちっぽけな存在を俺様が相手しなきゃならないってのがな。
だが、構わないぜ。ガキに恐怖を教えるのも、大人の役目らしいからなあ。
「んじゃあ、いきなりでだが死んでくれェッ!!!」
突如鬼のように変貌する頭領は、目を血走らせながら駆けてくる。
後ろにいるボーラスは、身を震わせながら叫んだ。
「逃げろ、ネロ!!」
圧倒的な力、存在感。修羅の如き山賊頭領の覇気に気圧され、ボーラスは逃げるという選択肢を取る以外ないと勘考した。
ネロは夜じゃないとクロ――ネロの中にいるもう一つの人格になることはできない。
ネロの力はたぶんDランクかCランク冒険者並み。魔法が使えないが、身体能力がずば抜けている。けど、たぶんこの山賊は――BランクかAランク並み。勝てるわけがない!
ネロは逃げる訳にはいかなかった。後ろにいるボーラスとその母、それを見捨てることになるからだ。
彼に焦りは無く、ボーラスの声も届かないようにその背中は微動だにしない。
「第1段階」
黒く染まる右目、赤く灯る瞳。影に潜むその陽は、頭上から迫りくる頭領を睥睨した。
ネロはやや前に出る。そして、頭領の斧を持った右腕に自分の左腕をぶつけた。
凄まじい力が上からのしかかるが、やや腰を低くして身構えることで耐えている。
「っ!!?」
「逃げないし、死なない……!!
エータクもヤマルも、ボーラスを助けて欲しいと頭を下げた。ボーラスが大切だから!」
「っ……?」
「ボーラスはお母さんを助けたくて一人飛び出した。ボーラスにとってお母さんが大切で、かけがえのない存在だから! だからボクも、ボクにとって大切な友達を助けたいって思ったんだ!
――ボクが皆を助けるんだ!!」
――俺が皆を助けるんだ!!
ボーラスは自分の想いとネロの想いが重なっていることに気がついた。
ネロは渾身の力を込めて体を起こし、頭領の体を押しのけた。
頭領はたたらを踏んで立ち止まり、唖然とする。
……ガキに俺様が力負けしただと……!?
ネロは不敵に笑ってみせるも、攻撃を受け止めた左腕はだらんと力なく下げられている。
「す、すげえ……」
ボーラスは感動の声を漏らした。
その間、彼を立ち上がらせる者たちがいた。エータクとヤマルが安心した表情で両腕を持ち上げる。
「お前ら……なんで……」
「ボーラスさん、一人だけかっこつけすぎだ。いつもみたいにおいらたつも仲間に入れて欲しいだよ!」
「おいらも役に立つでやんす!」
「だけど、これは俺だけの問題で、お前らには関係ねーだろ!」
「関係なくないでやんすよ! ボーラスくんの窮地に駆け付けられない友達にはなりたくないでやんす!」
センカイも合流した。頭領の背後に両手剣を握り締め、身構えながらじりじりと近づいていく。
「ちっ……ここは子供の遊び場じゃねえぞ、めんどくせえ! 貴様ら、こいつら全員をばらしやがれ!!」
頭領の一言で山賊たちの目の色が変わる。直ぐにボーラスたちを取り囲み、逃げ場を失くした。
四方から「へっへっへ」という笑い声が聞こえ、ぎらつく刃の光が反射する。
「囲まれただ!」
「エータク狼狽えちゃいけないでやんす。おいらたちは時間稼ぎをするでやんす!」
「了解だ! おらに任せるだよっ!!」
「動いちゃダメよ! 死ぬのが早まるだけだわ……」
「うっ……」
ボーラスの母が呼び止め、エータクとヤマルは急に足が震え始める。
「だ、だども……このままなにもしなかったら、捕まっておしまいだ!」
「センカイさん、皆をお願い!」
ネロが走り出す。頭領を置き去りに、皆を取り囲む山賊たちの一人へと向かった。
「待てネロ!」
センカイの制止も聞かず、ネロは素早い動きで山賊たちを次々と倒していく。ネロの動きについていけない山賊たちは、反撃を目論むが、ネロの運動能力の方が勝っていた。
余裕のあった山賊は近づいてくるのを待っていたが、ネロは更に加速し、足払いして空中で横になった山賊の胸部を蹴り飛ばす。剣を振るわれれば、子供ながらの身長を利用し、屈んで避けて懐に潜り腹を殴り飛ばした。乱雑に剣を振り回す者は、紙一重で剣を躱しながら後ろへと回り、背中を蹴りつけた。
「よし!」
「あいつ、一人で戦況覆そうとしてやがる……。くっ、今の俺にはできねえ……」
感覚的に武道などはなく、自己流で戦いを学んだのだろうという印象だった。
直ぐにボーラスたちを囲んでいた山賊たちを撃破し、逃げ道を確保できた。
ネロの息は過呼吸に近いほど荒くなっていた。膝に手をつき、周囲を警戒しながらも呼吸を整えようと自身の胸に手を添えた。
しかし、頭領は直ぐに第二波を送ってくる。先程よりも警戒した山賊が五人周囲に展開された。
ネロが倒した四人とは身なりが少し違った。同様に清潔感に欠ける風貌ではあるものの、革でできた防具や籠手を標準装備とし、盾、槍、メイス、ダガー、剣など各々持つ武器がバラバラだ。おそらく山賊として奪った物だろうが、この五人においては際立って武装が豪華であった。
これを倒せば、残りは採掘師たちが動かないよう剣を見せつける位置取りをした三人と、頭領だけ――いける!
そう思惟しながらネロは山賊たちを睨みつけた。
「貴様のその目、魔眼かあ」
ネロの赤い瞳に関心を抱いた頭領が、警戒するセンカイには目もくれず近づいてきた。
魔眼――魔法や魔術といった要素を持つ目のことで、常人には見えないものを見ることができるという。頭領は、子供ながら常人離れした動きをする根底が時より見せる目にあるのだと思った。
「その運動能力を活かす、未来予知にまで迫る相手の動きが見える魔眼。是非欲しいねえ」
周囲に展開された山賊たちは戦闘するための人員ではなかった。他に邪魔されないよう、また逃げられないようにする囲いの役目を担っている。
その囲いに入場する頭領は、一際大きく見えた。
「しまった!」
センカイが思惑に気づいて追いかけようとするが、彼らを取り囲む山賊の二人が剣を持って阻んだ。
「おっと、お前には行かせないぜ」
「これ以上頭領の邪魔はしない方がいい。死ぬのが早まっちまうぜえ?」
「くっ……」
頭領は斧を握りしめると、力むような姿勢を取りながら詠唱した。
「数多の者たちより乖離した力をこの手に――マッスルストレングス!!」
頭領の体が一瞬淡く光る。魔法による影響が現れており、彼の筋肉が一際膨らんだようだ。
「こいつ魔法を使いやがった!」
「大人のくせに汚いでやんす!!」
「バアカが! 魔法ってのは天より授かりし人の才能と叡智の結晶だ。それを使える者は行使すべきなのさ! 貴様らのような、才能のねえガキにとっちゃ死の要因になるだけだがなァ!!!」
油断してくれてたさっきでも、耐えられたのはギリギリだった……。魔法で強化されたなら、もうボクの手に負える力を余裕で超えているはず。
「まずいなあ……」
汗が頬を伝い不安が過る。負傷した左腕を撫でた後、ネロは腰を落として構えた。
神妙な面持ちのネロに対し、頭領は狂気を孕んだ笑みで迎えた。
「悪く思うな、少しは才能があるらしいガキ。俺様の前に現れた、自分のバカなモブ共と、そんな奴を助けようとした自分の行動を呪うといい……!!」
「……」
ネロは後退り、頭領の振るう斧を間一髪避けた。
しかし頭領は容赦なく刃をネロの肩目掛けて振るい続けた。
「わっ! わわわっ!」
戸惑いながら素早くたたらを踏んで紙一重に避けていたが、突然頭領の足が下から上がり、腹に直撃する。
嗚咽を漏らしながらネロは吹き飛び、洞窟の近くまで転がった。
「ネロ――――!!」
「たあく、手こずらせやがってガキのくせに」
億劫そうに頭領は斧を肩に担ぎながら近づいてくる。
ネロはなんとか立ち上がろうと四つん這いになった。息ができなく、腹を抑えながら息をしようと奮闘する。
じりじりと近づいてくる頭領の存在を感じながら、これではいけないと息ができないまま立ち上がる。しかし、反撃の手立てがなく万事休すといったところ。
息ができない……。クロも出てこない。ボクの力じゃ、パワーで負ける……!
「そいつは殺させはしないぜ。翡翠のシャム猫団頭領――エンデウ・スルロット・ハグナムワーグナー」
「あん?」
頭領の背後に、両腕に包帯を巻く凛然とした少年が立っていた。
朧げな視界でその声に反応すると、ネロはボーラスたちから遅れてそれがトーマだと認識する。
「トーマ!!」
「と、トーマさん……?」
良かった……来てくれたんだ。
いや、安心しちゃダメだ。いくらトーマやレヴェナ、セシルたちが合流しても、この人には勝てない。
逃がすんだ。せめてボーラスたちや、ボーラスのお母さんたちを……!
ネロはトーマに皆を逃がすよう叫ぼうとしたが、息ができない状況で声も出なかった。
「まあたガキが増えやがったか……。貴様らはゴキブリかなんかなのかァ!?」
「ゴキブリねえ……。そいつはあんたら山賊の方がお似合いだろう。どこからともなく現れたかと思うと、いくらいるのか知らねえ団体。その上金品を奪い、家畜を荒し、まるで害虫じゃねえか!」
「なんだと?」
「おお! 怖い顔しちゃって、やらしいなあ。あんた、元貴族だろ。なんでわざわざ山賊なんて道に走ったのか知らねえけど、そんなに貧しくて侘しい生活が楽しいのか?」
「そういやさっき、俺の名前を呼んでいたようだが――俺のことを調べたってか。ガキのくせに、情報収集だけは達者ってか。やらしいのはどっちだろうなあ?」
「確かに調べたが、調べたのは最近じゃないぜ。俺はあんたに昔殺されそうになったからな。生きる為、生存本能からさ」
「ほう? 俺様と会って、生きている奴がいたとはな……。まったく記憶にないな、貴様のような包帯のガキは」
「まあだろうな。俺もあんたに覚えて貰えてるとは思っちゃいないさ。センカイのことも覚えてなかったみたいだしな。
おかげでこっちもやりやすかったぜ。山の中に忍ばせていたらしいあんたの仲間をもろもろ戦闘不能にさせるのに警戒されなかったからな」
「なに!?」
「まっ、思ったより人数が少なくて助かったよ。こっちは人数はいても、まだ経験の浅い奴しかいねえからな。たぶん、こっちでボーラスやネロが派手に立ち回ってくれたおかげでもあるんだろうが、索敵や遠距離攻撃が得意な敵を排除できたのはこっちとしても嬉しい限りだぜ」
「は、ハッタリだろう……。貴様のようなガキ一人に俺様の仲間がやられる訳がない!!」
「俺が一人? それって冗談か。俺一人で、見張り役だったあんたの仲間を全員倒せるわけないだろ」
人が倒れる音が聞こえて振り向く。
採掘師を見張っていた山賊三人が全員倒されていた。
その周辺に立つのは三人の少年少女たち。レヴェナ、セシル、ハフィンの三人だ。
「そろそろ終わり?」
「はあ……」
「ボーラス生きてるみたいじゃん。良かったじゃん!」
「な、なにが起きてやがる……。ガキが俺様の仲間を倒せるなんざ、あるわけねえだろう!!」
「ただの子供だったら、そうだったのかもな。だあが、こちとら頻繁に冒険者や王国兵がやるような仕事を影で請負い、熟してきたメンツだぜ。警戒の薄くなった所から少しずつ入り込んで、気付いた時には喉元に刃を向けるなんてこと、不可能じゃねえぜッ!!
俺たちはラーディストリートイレギュラーズ――覚えておけ!!」
「ふっ……フハハハハハ!! ハーッハッハッハッハ!
笑わせるなよ。ガキが、使えない頭でもっとよく考えろ! 状況は絶えず悪いことに貴様らは気付いていないのか? 俺様にはまだ、俺様の仲間で優秀な五人が残っている。適当に集めたザコを倒したところで、なんの問題にもなりやしない! それに、この俺様がいることを忘れちゃいねえだろうなァ!!!」
「ああ、そうだな。だが、流石に俺も気付かれずにその五人とあんたを倒す策は思いつかなかった。こっちにも限界があるってもんだ、できる限りでしか動けなかったさ」
「そうだ。それが貴様ら子供の限界だ! さあ平伏せ、さすれば苦しまずに殺してやるッ!!!」
「ばっかじゃねえの? 気付かれずに倒すのをやめただけで、別にあんたたちを倒せないなんて俺は一言も言ってねえぜ。まだ俺たちの最高戦力が登場してないからな……」
「まあたハッタリか。つくづくどうしようもねえガキ共だ」
「センカイ、やれッ!!」
静かにネロの下へ移動していたセンカイ。彼は、なんとか息ができるようになったネロを持ち上げると、数歩助走をつけ、鍛えられた筋肉で洞窟の中へと投げ入れた。
「ああ? なにをしてんだあ。ここに来て、お笑いやってんじゃねえぞクソガキ!」
「頭領、あんなの気にせずこいつら早くやっちまいましょう」
「そうですぜ。なあに、こいつら結局ただのガキだ。あいつらがやられたのはバカみたいに隙だらけだからですよ」
「……そうだな。こいつらの茶番に付き合ってやる必要はない。貴様ら、全員皆殺しだァ!!!」
山賊の残党、残るは六人。頭領であるエンデウを含め、残った翡翠のシャム猫団団員は強者ばかりだった。
強者が弱者に向けるのは刃であり、情けはない。エンデウは不敵に笑うトーマを、他五人の山賊は先にボーラスたちをと襲い掛かろうとした。
その時、洞窟の中から異様な気配が現れた。
――ゾクリ。
この場にいる全員がその気配に鳥肌を立てる。
前に出した足は止まり、咄嗟に洞窟の方へと首を回した。
まるで洞窟内に収まらない敵愾心が漏れ出しているかのように、黒い気配が漂ってくる。
「まったく……てめェらは本当に甘えん坊だな。
いや――ネロもそうだ。オレがいねェと、なんにもできない甘ちゃんだ。本当に、仕方が無いぜ」
「なにかいる……頭領、洞窟になにかいますぜ!」
「い、いったい……なんだ……なんなんだ!?」
「さっきのガキじゃないですか?」
「いや、にしてもこの禍々しい気配の正体とさっきのガキが合致しない! こんな、こんな気配を漂わせられる奴は――あんなガキのわけがない!!」
山賊たちは洞窟から出る異様な存在に動揺し、たたらを踏んだ。
洞窟に見える暗がりに、赤い点が二つ浮き出る。
「ガキガキガキガキうるせえぞ、筋肉ゴリラファッキン。貴族だか、筋肉玉だか、ゴリラだか知らねえけどなあ……オレたちの仲間に手を掛けようとした罪は重すぎるぜ――」
「誰だ! 正体を現せ、俺様が直々に殺してやるぞ!!!」
「そればっかりだなエンデウ。コロスコロスと、てめェこそガキじゃねえか」
「なに!? この俺様を愚弄するか!!」
「わりーけど、オレはまだ日の前には出ねえ。けど、てめェらをここから断罪してやるよ!!!
――全員、そこ、動くなよ」
次の瞬間、血の気の引くような肌寒い気配が周囲一帯を包み込んだ。なんだなんだと恐怖心に駆られる山賊たちはその冷たい場に身動きを封じられる。
そして――山賊たち全員の影から黒い棘が幾つも飛び出し、それぞれの体を突き刺した。
「うわぁあああ゛あ゛あ゛!!!」
そこら中から悲惨な悲鳴が挙がり、採掘師たちもどよめいた。
背中、腹、太股、肩、腕と、防具があろうと容赦なく身体に穴を空ける。
しかしエンデウだけはこれを跳躍することで回避。追ってくる棘も斧で薙ぎ払った。
着地すると、仲間たちが全員倒れているのを目の当たりにして絶句する。
「一瞬にして五人を同時に……影に干渉する魔法、闇属性魔法か! 稀有な属性だが、しかし――」
歯を噛み締めながら洞窟の方を睨み付けるエンデウ。
返ってくるのは声ではなく、影から飛び出す黒い棘だけだった。
エンデウは走り出し、棘から逃れようとする。影が移動すれば、端から飛び出した棘はなにもなかったかのように消えていくが、また端から黒い棘が出現し、エンデウを突き刺そうとする。
エンデウは絶えず走り続けながら斧で近づく棘を粉砕し、大元を叩くべく洞窟へと向かった。
「こんなもん、この俺様には通用しねえ!!」
「――だろうな。てめェだけはこの手で倒しておきたかった。だから他より少し手加減してやった」
「なにッ!?」
エンデウが洞窟へ入ると、影から黒い棘が出なくなっていた。
おかげで足を止めることができたが、声の主が見えない。
「どこにいやがる!!」
反響する声が洞窟の静けさを思わせるが、外も含め洞窟内から来る水音以外なにも聞こえない不気味さが焦らせる。
「じゃねえと――オレが洞窟から出られないまま、てめェの泣き叫ぶ顔が目の前で観られないだろ。
――ダークマター」
エンデウの眼下に赤い丸が二つ現れる。それは彼――漆黒を纏い、闇に塗れたクロの不敵な笑み表る眼光だった。
「くぁああああああ゛あ゛あ゛!!!!」
洞窟内にエンデウの悲鳴が轟いた――。
洞窟からネロが出てきた。
残光のように脚や腕に黒い靄が差し掛かるが、日差しに溶けるように暫くしてそれも消えていく。
採掘師たちが怯えるような眼差しで見て来るので、ネロは困ったように笑った。
「あ、もう……大丈夫です。山賊は全員やっつけましたから」
「お、おめーみたいなちっこい子がかい?」
「あはは……」
とてもさっきの声の主とは思えぬ物腰柔らかい少年である。
暫し採掘師たちは困惑していたが、彼の仲間であり友人でもある子供たちが安心したように近寄っていくのを見て、徐々に表情も柔らかくなっていく。
第一声にレヴェナが労いの声を掛けた。
「お疲れ、ネロ」
「うん……皆も怪我はない? 結構危ない橋渡ったでしょ」
「誰のせいだと思っているのかしら。あなたが言いつけを破って前に出たみたいだったから、こっちも急ぐしかなかったのよ」
「ご、ごめん……」
嫌味を言うセシルにネロは謝罪するが、遅れてやってきたボーラスが申し訳なさそうに頭を下げていた。
「皆……ごめん……」
すると、その後ろからエータクとヤマルが続けざまに頭を下げる。
「お、お前ら……」
「ボーラスくんを止められなかった。非があるのはおいらもでやんす!」
「おらは、ボーラスさんの後ろを付いて行くと言いながら、できなかった半端もんになっちまっただ。だから、もう同じ過ちを繰り返さないように、この背中から離れるつもりはないだよ!」
「エータク……。ヤマル……」
「うるせえぞ、お前たち。なに次々謝ってんだ、こそばゆいんだよ!」
トーマが頭を搔きながら言う。
かと思えば、ボーラスの頭を乱雑に撫でまわした。
「わぁあああああ!?」
「よくやったボーラス、今回はお前のお手柄だ。ここの採掘師を助けるために先行して駆けつけてくれた。おかげで、皆無事だった。だから、謝る必要なんかどこにもねーよ」
トーマが「なあ」と呼び掛けると、ハフィンが頷き、レヴェナとセンカイも仕方なしと微笑んだ。
すると、ボーラスやエータク、ヤマルの表情も次第に明るんでいく。
うん。皆元通りだ、良かった……。
ほっと安心するネロだったが、それを見たレヴェナがむっとした。
「ネーロー! あなたのことはまだ許してないんだからね!? そもそもネロが一人で状況早めるから、あたしたちだってねーえ! ねえ聞いてるの。ネーロー!」
レヴェナは苦笑するネロの頬をつねり、説教タイムに入る。
子供たちは「まあた始まった」と二人の様子を見て笑うのだった。
ネロもクロも互いに対して思いやりを持っている。ゆえに、ネロが望まない結末をクロが招くことはない。魔法で負傷させた山賊たちもエンデウ含め、誰も殺してはいなかった。セシルが持っていたポーションを与え、回復も施し、出血死も免れる。
セシルが持っているポーションは劣化版で、正規品とは雲泥の差があり、血を止めるので精一杯というところ。苦痛が消えるわけではなく、縄で縛っておけば逃げることも難しい。
山賊は全員縄で縛っておき、遅れてやってきた冒険者たちに引き取られた。
子供たちは誰も冒険者に会うことはなく、遠くから山賊が連れてかれるのを木の影から見守るだけとした。
ボーラスはやや不安が残っているようだ。
母を助けられはしたが、それに対する反応が思ったものではなかったからだろう。
今回の件で生き延びることができたとはいえ、生活事情が改善されたわけではなく、彼女もまた同様の生活に身を置くはず。
そんな想像が再びボーラスの思考を侵している。そう思ったエータクとヤマルが、元気づけようと声をかけようとした。
「ボーラ――」
「よし!」
しかし、それを遮るようにボーラスは前を向く。
「俺、やっぱ母ちゃんと一緒に住むの諦めるよ」
聞きづらくヤマルとエータクは顔を見合わせたが、ヤマルが訊ねることにした。
「……な、なんででやんすか……?」
「今すぐどうにかなる問題じゃないってのは分かってたんだ。それを直ぐにどうにかできないかってもがいてた。けど、それじゃあお前らや母ちゃんにも迷惑掛けるしな」
「おらたつはボーラスさんについて行くだ。なにも諦めることはないだよ!」
「そうでやんす。すぐにはできないかもしれないでやんすが、いつかはできるかもしれないでやんす。おいらたちもボーラスくんの手伝いをするから、今度はもっと早くなんとかなるでやんすよ」
「……そうだな。そうかもな……」
ボーラスは遠くから母親の背中を眺めた。
しばらくの間、自分から会いには行かないと決め、彼女の背中を名残惜しんだ。
――あたしなんか助けたって、あんたが満足するような回答なんてできやしないよ。だからそれまで、お互い我慢しようじゃないか。
ボーラスは母親から希望とも呼べる一言を貰っていた。
諦めるとは言ったが、それは”その時”までのいい訳でしかない。
”またね”、母ちゃん……。
そんなボーラスをネロは寂しそうに見ていた。ネロも親との別れは経験があり、まるで以前の自分を見ているようだった。
そう考えていたのを他所にトーマは訊ねた。
「お前も母親に会いたいのかネロ」
「……会いたくないなんて言えないよ」
枯れ葉が落ちる一瞬、ネロの表情は寂寞に塗れていた。
「そうか。お前の親は少なくとも、会いたくない親じゃないんだな……」
意味深なセリフに疑問を持ったが、踵を返し始めていた彼の背中にネロは言葉を飲み込んだ。
◇◇◇
あれから数日が経ち、ボーラスは元通りの元気な姿を見せるようになっていた。
エータク、ヤマルと共に森に入っては出没する魔物相手に魔法を撃ち、魔物怒らせ、泥だらけで帰ってくる。
前とは違って目的もある分、姿勢は違うのだろう。弱音を吐くとこなく、今日も自分の成長のためか、食卓に色を付けるためか奔走している。
ネロはシロと共にアルバイトだ。
他の冒険者や王国兵に警戒されているクロはなりを潜め、ネロは変わらない日常にありがたみを感じながら日々を過ごしている。
その他の子供たちもそれぞれ自分のできることを探している。
しかし、彼らは孤児。自らの身の上を知らない者もおり、ボーラスの一件で少なからず胸の内にしこりができていた。
ただ、身の上を理解している者は――
「兄さん……」
昼下がり、客足も遠のいてきたハブアニアベーカリー。
ネロとシロは店前で掃除をしていたが、出し抜けに手を止めネロを呼び掛けるシロ。
顔色が悪く、儚い雰囲気を纏う彼女はネロに疑問符を生じさせる。
具合が悪いのかもしれないと危惧し、ネロはシロの前で目線を合わせるように屈んだ。
「もしかして熱? 無理しなくていいよ。後はボクがやっておくし、裏で休ませてもらおう」
シロは首を振った。
「兄さんはどっかに行っちゃうの?」
突然の質問に驚かされた。
何故そんな質問が出てくるのかは分からなかったが。
シロにも自分のことをあまり話していなかった。だから不安にさせているのかもしれない。
だけど、元貴族の養子で、クロが原因で貴族界から追い出された経緯は重くて言えない。もしかしたら色んな人の手を借りて、ボクに内緒で探ってしまうかもしれないし、このことはボクだけの秘密だ。
ネロは柔和な笑みを浮かべながら嘯く。
「どこにも行かないよ。当たり前じゃないか」
「……シロは、いつか…………」
言葉が吹き抜ける風の中に消えた。何かを言おうとしてやめたようだった。
「大丈夫、兄ちゃんがシロのこと守るからさ。不安になることなんかないよ。この先、シロも皆ももっと幸せになれるように頑張らないといけないし、どっかに行くなんてしてられないからさ!」
「う、うん……」
シロはそう言いながらネロの胸に身を寄せた。それはまるで「離れたくない」と言いたげで、服の裾を握り締めていた。
ボクは魔族帰りで、ボクの中にはもう一つの人格であるクロもいる。魔族帰りはここラトゥーリエ王国では忌むべき存在だから、居場所なんかないと思ってた。けれど、シロや皆はそれを受け入れてくれている。その気持ちを無駄にしたくはない。本当に運が良かったと今でも思っているけれど、同時に不安にもなる。
――ボクはいつか皆を危険に晒すかもしれない。ボクが魔族帰りであるとバレたら、王国はボクの討伐に動くはずだ。その時、ボクは皆から離れていく。そう決めている。
だから、ボクは毎日神様に祈るんだ。――どうかこのまま皆の下に居させてほしいって。
◇◇◇
イブキ山の中腹にある自然の花畑にネロたちは遠足に来ていた。
花畑の中央にシートを敷き、シスターが怠惰に居眠りを始める中、子供たちは花畑の中に足を進める。黄昏の空が赤く染まる中、花も色を変えていた。
シスターの仕事という理由付けで遅い時間になってしまったが、それぞれがグループを成し、遠足の自由を謳歌していた。
ボーラスはいつものようにエータク、ヤマルの二人と共に小さな虫を追いかけ回す。
トーマはセンカイとハフィンを連れ、夕食の準備とばかりに近くにある沢へ向けて水を汲みに出る。
シロはセシルと最年少のスタインと共に花畑の中へと入っていった。
ネロはというと、白のワンピースに身を包んだレヴェナに手を引かれながら花畑を突っ切り、別の場所へ向かっていた。
「こっちだよネロ!」
「わっ! 待って、速いよ」
「ほらもうすぐだから!」
そこは花畑ほどの色は無いが、小さな赤い花と黒い花が咲き乱れるエリアだった。それだけではなく、イブキ山中腹から見られるラトゥーリエ王国の絶景が一望できた。
山や草原などの大自然に囲まれた王都は、まるで今迄見てきた王国とは別物に思えた。それがまた赤く染まり、荘厳な風景を表す。
感嘆の息を漏らしていると、一陣の風が吹き、レヴェナの髪が靡く。
「ね、綺麗でしょ。あたしが見つけたんだよ」
「うん、凄い綺麗だ」
「え――……そ、そう……」
面と向かって言われ、レヴェナは顔を赤らめた。
うわー……あ、あたしのことかと思ったじゃん! 勘違い……勘違い……。
って、あたしいつまで手繋いでんの!?
「ご、ごめん、強かったよね……」
「ん? ううん、それだけボクに見せたかったんだよね。嬉しいよ」
手……手……手を離してくれない……!!? ネーロー……!
まずいよ……手汗出てきてないかな。うう……。
でも――ネロの手、意外としっかりしてるんだ。やっぱり男の子だもんね。この手で皆のこと、助けてるんだもんね……。
「最近色々と考えることが多かったから、こうしてレヴェナに気を遣ってもらえるのはすごいありがたいよ。やっぱりレヴェナは皆のこと、よく見てるよね」
「そ、そんなことないよ……あ、あたしが見てるのはほんの一部というか、一人というか……だけで……!」
自身の頬を両手で触れながらほつほつと零れ落ちる声は小さかった。
羞恥しながらも勇気を振り絞るレヴェナを他所に、ネロは彼女の背後でもくもくと作業していた。
「よし、できた」
「へ?」
ネロがなにかを言ったのに気付いて振り返ると、頭に軽い何かを乗せられる。
赤と黒の花でできた王冠だった。
「花の王冠だよ。頑張った人には何か報酬がないとね!」
レヴェナは頭に乗った王冠を手に取る。
「綺麗……ていうか、作るのが早い!」
「ボクは手先が器用だからね。えっへん!」
「あはは! そうだね。流石ネロ!」
「あ、もう……ボクがレヴェナを褒めたかったのに……」
「……じゃあもう一度かけて。さっきは突然だったから、あんまり分からなかったし」
「うん!」
ネロはレヴェナの頭に再び花の王冠を乗せた。
「――ありがとう、ネロ!」
レヴェナは背後に見える太陽のような満面の笑みとなった。
普段自分よりも年下の子供たちと、年上でもしまりのないトーマの面倒を見ているレヴェナにしては珍しく無邪気で素直に喜んでいた。
ネロは驚きと共に安堵を思わせられる。
……綺麗だ……。
喜んでもらえてよかった。それに、レヴェナとこんな綺麗な景色を見られた。
この前、トーマに聞かれた『お前も母親に会いたいのかネロ』という言葉がずっと脳裏に残ってる。
会いたいよ……だけど、この生活が終わって欲しいとは思っていないんだ。だってボクは自分の中にある不安で塞ぎ込んでいたあの頃よりずっと――笑っているんだから。
「――山賊だ!!」
遠くからボーラスの声が聞こえてきて、ネロとレヴェナは顔を合わせて踵を返す。
「俺たちは【青の豪傑団】!! 死にたくなけりゃあ、女、俺たちと一緒に来るんだなあ……!!」
戻ると、見覚えのある顔がシスターへ向かって啖呵を切っていた。
服の上からでも判るシスターの豊満な胸に心奪われ、鼻の下が伸びきっている。どうやらシスターが目的らしい。
今時、金品や食料以外を理由に襲撃を掛ける山賊も珍しい。親代わりであるシスターも、いかにも貧しく、ましてや修道女である自分たちが襲われることはないと高を括っていた。
トーマとセンカイ、ハフィンの姿が無い。おそらくまだ沢から戻ってきていないのだろう。
十数人の山賊たちが花畑を囲うように布陣しており、子供の脚では逃げること敵わない。そう確信したこの山賊の頭領だろう男の自信が鑑みえる。
しかし、シスターは不機嫌そうな表情をしていた。心地良く眠っていたところを起こされ、鋭い眼差しを二回り以上も大きな相手へ向けている。
んだコラァ……踏み潰すぞ筋肉変態クソ野郎……!!
そこへネロが戻ってきた。その義理の妹――シロの呼び掛けで、頭領が移る視線の先に絶句することになる。
「兄さん!」
「……なっ――!!?」
彼はここ最近、ネロが損害を与えた山賊――【青の豪傑団】の頭領であった。
自分の仲間をものの数分で倒し、力を見せつけられた相手にたたらを踏んだ。
「な、ななな、なんでお前がこんな所に!?」
ネロは相手が自分を知っているかのような態度をしてようやく思い出す。
ああ……この人、この前パンの粉を盗んだ人だ。名前は……聞いてないや。そういえばボクも名乗った覚えないな。
だけど――それなら好都合かな。
「もうこの辺には来ちゃダメってボク、言いましたよね」
「くっ――……野郎共、準備しろ! こいつを一番先にぶっ飛ばすぞ!!」
「おう!!」
夕陽が沈んだのか、辺りの闇がより深まっていく。
それに合わせ、ネロはやや俯いた。
「そしてこうも言ったはずです。次はもっと怖いのが来るって――」
「お前、いったい何者だ!!」
「第3段階――」
顔を上げる彼の目は黒く、赤い瞳へ変わる。頭から二角が生えだし、背中からは二翼が出でる。そんな彼は、闇に浸る嘲笑を浮かべていた。
「”オレ”か? ――I'am……――Kuro!!」
闇の中、クロが瞬く間に山賊をいなかったものとし、静かな闇が山を支配した。