雨降りの幽霊
「雨が降っている日に子どもと遊んではいけない」
小さい頃からそう言われてきていた。
雨が降っているときに遊ぶと転んだりして怪我をするから危ないから、そう思っていた青年だが、どうやらそうではなかったらしいということに気が付いたのは、ある日夕立に降られた学校からの帰り道で、合羽を着た男の子に話しかけられたときだった。
天気予報では雨だなんて言ってなかったのにと文句を口にしながら走る青年の耳に飛び込んできた。
「ねえ、僕と遊ぼうよ」
小さな子ども特有の邪気のない笑みを、まだあどけない顔いっぱいに浮かべて青年を見上げていた。
その言葉に青年は思わず立ち止まり、雨のことも忘れてその男の子のことを見つめてしまった。
一見するとただの子どもである。だがどこか存在が希薄というのか、周りにある電柱や石垣、看板などに比べて色が薄いような、厚みではなくなにか別のもの、例えば命と呼ばれるようなものが薄いような、そんな奇妙な印象を受けた。
ああ、この子と遊んじゃいけないのか。誰に教えられるわけでもなく青年はそのことを直感した。
どこか現実感のないその声に応えて青年は口を開く。
「いや、僕は……。忙しいし、ごめんね」
本当は答えることも良くなかったのかもしれない。そんな後悔が言葉を口にすると同時に襲ってくる。
幽霊というのは反応を返すとますますこちらに執着する、そんな俗説が頭を掠めた。
しかし青年の言葉を聞いた男の子は拗ねたように口を尖らせると、どこかへと走り去って行ってしまった。
何事もなくて良かったと思うが早いか青年はぶるりと体を震わせた。このままだと風邪を引いてしまう。
半ば駆け足になりながら青年は家路を急いだ。
家に帰った青年は家族に、合羽を着た子どもに遊ぼうと誘われたという話をしてみた。
弟は青年よりも話を詳しく聞いていたのか、あの子の話って都市伝説じゃなかったんだと純粋に驚いたような声をあげ、母親も同じような反応だった。
しかしこの街で生まれ育った父親だけは違い、見ていた野球中継から目を離して青年の方を見ると「その子とは遊ぶなよ、連れて行かれるからな」とだけ言ってまたテレビに目を向けてしまった。
「俺が高校生の頃に一人連れて行かれてまだ見つかってない」
テレビを見ながらそんなことを言う父親の背中を見ながら、連れて行かれるってそんなに怖い子には見えなかったけどな、青年はそんなことを思っていた。
それから何年も経ち、男の子のことなどすっかり忘れて社会で働いていた青年はある日の帰り道、また夕立に襲われた。
仕事ではなかなか評価されず、給料も上がらない。彼女はいたのだが何日か前にひどい喧嘩別れをしたばかりのときの出来事だった。
急に降り出した強い雨に舌打ちをすると青年は道を走る。すると不意に声をかけられた。
「ねえ、僕と遊ぼうよ」
その声に青年は足を止める。声のした方に目を向ければ、いつかのときと同じように無邪気な笑顔を浮かべた合羽姿の小さな子どもがそこにはいた。
「ああ、いいよ。遊ぼう」
連れて行かれるという父親の言葉を忘れたわけではない。むしろ覚えていたからこそ、どこかに連れて行ってほしいからこそ、青年は思わずそう答えていた。
それからどれくらいの時間が経ったのか。かけっこに鬼ごっこにかくれんぼ。他愛もない遊びだけだが、青年はまるで子どもに戻ったかのように心から楽しんでいた。
「あ、僕もう帰らないと」
ふとした瞬間に子どもはそう言った。そして青年がなにかを言う前に姿を消してしまう。
しかし青年はまだまだ遊び足りなかった。誰か遊んでくれる人はいないかな、と辺りを見回すと、雨の中に誰かがいるのが見えた。
青年はすぐにそちらへ走っていった。いつの間に着ていたのか、合羽のフードの間からその人物の顔を見上げる。
顔は自然に笑顔になっていた。
「ねえ、僕と遊ぼうよ」