06 ファーストコンタクト
「……」
首を落とされた死体を前に、リュエは一切動じることなく、現れた男に注目する。
男は崩れた土砂の近場に立っていた。完全にこちらの背後をとる位置。そこに、何の気配もなく突如として現れていた。
(……ふむ、気配が消えていたのは技量の範疇か。こやつの首が斬られた瞬間まで、我も気付かなかった。うーむ、我が力の減衰を感じざるを得んな、これは)
上位存在たる炎竜に、まず奇襲の類は通用しない。それはあの紅蓮羽織の剣士と、この足下で転がる死体と化した錬金術師と戦った時でもそうだった。
人智を超えた、天啓にも近い超直感で襲撃者の気配を察知する。上位存在に備わる防衛機構とはそういうものだ。だが今、この魔術師の男の気配にさえ、炎竜は気付けなかった。
悔しい。やや落ち込む。
そんなことを思っていると、ローブの男が近寄ってくる。
「で――とりあえず相方殺しちまったけど、そちらのお嬢さんは? 悪魔の協力者か、それとも拉致被害者か?」
一メートルほどの間隔をあけたところで立ち止まり、こちらを見てくる眼差しには警戒の色がある。
「――うむ、見事な手際だった! 汝、名はなんというのだ?」
「いや、敵かどうかも分からない相手に教えるわけ――」
「師匠ッ!!」
「!」
直後、リュエは男に首ねっこをつかまれた。そのまま男は倒れ込んでいる少女の元まで跳び退がると、口元に苦笑いが浮かぶ。
「おいおい……そりゃあ一回殺しただけで仕留めたなんて思い上がっちゃいなかったが、流石に復活が早すぎないか……?」
視線の先には、影。
それは人型になって立ち上がる。影が引いたその中から現れたのは、一人の赤眼の悪魔だった。
「――そりゃあ私は錬金術師だからな。肉体の再構築なんて朝飯前さ」
丈の長い、軍用の漆黒色のコートがはためく。
コート以外に変化はないが、放たれるプレッシャーは先ほどよりも増していた。
「けど一度殺された分の借りは返すぞ。ちょっと付き合ってもらおうか――!」
更に彼女が影から引きずり出したのは、一振りの獲物。
それは殺傷力に特化した刃を持つ、黒い凶悪兵器。
ヴィイイイイン、とそれはあの結晶の獣にもひけをとらない鳴き声を森に響かせる。
チェーンソーを振りかぶり、悪魔が魔術師に襲いかかった。
◇
「具体的にはどうすればいいんだ。そのヴァンという男に出会ってしまったら」
「そう深刻に構えることもないよ? 彼、敵には容赦がないけど、底抜けのお人好しでもあるから。きちんと事情を説明して、怪しい者じゃないよと言えば分かってくれるハズさ!」
話を聞く限り、相当な実力者なのだろう。敵としては会いたくないな、とサクラが思っていると、不意に視界に影が落ちてきた。
二人の歩みが止まる。木の影ではない、と戦闘能力のないジェスターでも分かったようだ。
「……ねぇ。後ろ、なんかいない?」
確かめるように言う声は震えていなかったが、文面をなぞったような空虚さがあった。恐怖状態の一歩手前、漠然とした恐れを伝えてくる。
「……遺生物は、魔力のある生物だけを食うのか?」
「……基本はね。けど真の恐ろしさはその学習能力だ。彼らは排除する優先順位を決めている。傾向としては、魔族の中でも、魔力が低く弱い個体を優先しがちかな。――君みたいに、魔力を全然感じない例とかね」
「つまり俺がここで全力で逃げれば犠牲はお前一人か」
「……」
無言で羽織の裾をつかまれた。
「……た、助けてくれない? 二度目だけど」
「貸しにするぞ」
ゆっくりと彼らが振り返って見たそこには、結晶の巨体が一体。
【□□□――□□□□――ッッッ!!】
生物らしからぬ機械の雄叫び。
新手の脅威を相手に、二人の逃走が始まった。
◇
そこでは断続的に衝突の音が鳴っていた。
甲高い金属音と、それを弾く魔力の壁。ぶつかる度に青い火花が散っている。男が足のホルダーから二枚目の札を引き抜き何かを唱えると見えない壁が構築され、そこに一撃を入れたアガサが、瞬間、数メートル大きく弾き飛ばされる。
「っとお……!?」
「【魔浄結界】――!」
宙空で体勢を崩した彼女を、多角形に展開された黄金の結界が捕らえる。
男の手にあった札が消費されると同時、結界内には神聖の極光が満ち、そのまま爆散した。
それは男が持つ浄化魔術の中でも最高峰のもの。魔浄師には及ばないが、男が組んだ魔術式なら上級悪魔、真名持ちの悪魔にもダメージが通るはず――だった。
「効くかァ――!」
「冗談だろ……ッ!!」
無傷のまま、爆風の中から飛び出してきた黒影の姿に、流石の男――ヴァンも瞠目する。
まるで全く効いていない。無効化のような術の気配はなかった、ならば今の一撃を、この悪魔は素で受けてなお無事だった、ということになる。
……まさか知る由もない。彼女が生きてきた地は、かつて神が支配していた神聖の地獄。
そこで生まれ育った悪魔は、名無しだろうと真名持ちであろうと、驚異的な神聖耐性を有している。
中でも、悪魔アガサは最前線で指揮官として生還し、ここにいる。
アルクスの悪魔とは、質・純度共に強さの次元が違っていた。
「【粛清結界】!」
次の札が消費される。向かってきた悪魔へ四本の雷撃の槍が突き刺さり、うち一本が細い右腕を貫き飛ばした。
それに怯まず、アガサが片手でチェーンソーを横薙ぎにする。間一髪かわしたヴァンは、直後に背後で起きた地響きに息を呑んだ。
(刀身、が……伸びるのかよ!?)
地響きの原因は倒木にあった。それも、たった今薙ぎ払われてきたチェーンソーの刀身が、薙ぎ払いの途中で五メートル大に延長し、ヴァンの後ろの木々を斬ったからだ。
「術式二十三番」
アガサがチェーンソーを上へ放り投げる。ブン、と風を切る音がする。彼女が指を鳴らした途端、刀身が変形した。
それは刃から、漆黒の銃身群へ。
二十三の銃口が一斉に魔術師へ向けられ、弾幕の合唱が炸裂する。
その間にアガサは、切り落とされていた右腕を影に回収した。すると肩口から、新たな右腕が再構築されていく。再生というより、映像の逆再生で戻っていく異常光景である。
「やるなー、お前」
感覚を確かめるように右手を開閉しつつ、呑気な調子でアガサが言った。
撃ち終わった銃身の群の形は崩れ、黒い液体のようになって地に落ちると、主の影へ戻っていく。
銃撃による粉塵が晴れた位置には、結界で防御を固めていたヴァンがしゃがんでいる。地面においた三枚の札が消えると、彼の周囲に三重で敷いていた銀色の防御壁も、割れるように消え去っていった。
「でも全然本気じゃないなー? やる気ある?」
「そりゃお互い様だろ。さっさと切り札出してくれるとこっちも早く帰れるんだが」
――口ではそう言いながら、ヴァンの思考は一つの結論を導き出していた。
(この悪魔はまずい。つかまともに戦っていい存在じゃねぇ。あの時と同じ予感がする……!)
それは彼の戦闘の経験則からくる直感だった。
はっきり言って敗色濃厚。むしろ切り札を出しかけているのは此方の方だ。
肉体攻撃はほぼ無効。浄化は無意味。真名持ちと戦う際の定石としては、その真名を看破することが鍵とされているが……、
(無理。無理だろコレ。こいつ、さっきからずっと悪魔としての能力を欠片も見せやがらねぇ。あの武器変形の何もかもが、魔術とは違う技術ってことしか分からねぇ……!)
「――名前を教えろよ、黒曜の魔術師」
悪魔がそう言葉を放つ。その右手には、再び新たな得物が現れている。今度は黒い、バイオリンの弓のような形をした、細い刀身の剣だった。
「私はアガサ、って言うんだぜ?」
「……どうせ表で使ってるだけの名前だろ。つか、名前なんて悪魔に教えるわけねぇだろうが」
「魔術師、って言いづらいんだよ! 教えろよ!!」
「そういう理由!?」
アガサが剣を構える。応じてヴァンも札をとる。
距離はおよそ四メートル。お互い同時に地面を蹴り、第二ラウンドが始まろうとした瞬間――
「ん!?」
「っ!?」
ドガッッッ!! と凄まじい勢いで。
両者が衝突しようとした中間地点に、赤い鳥居が斜めに突き刺さってきた。
◇
左手でジェスターの首根っこをつかみながら、サクラはざっと鳥居の上から地上を見た。
背後には崩れた崖とその土砂。スタート地点、行き止まりだ、と思う。
右の側にはアガサがいた。無事合流だ、なぜか黒コートを着て黒剣まで持っている謎の本気モードだが。
左の側には見知らぬ男性。ローブの姿格好から、噂の現地の魔術師だろうか、と思う。
「ドクター!?」
黒髪の男の方が叫ぶ。共通語だ。
つかんでいる黄緑髪の科学者を見ると、ぐったりとして動かない。着地の衝撃で気絶したようだ。
「知り合いか?」
と下の男に声をかける。
「俺たちは元々そいつを探しに来たんだよ! ちょっと渡――うぉっ!?」
迷わずサクラはジェスターを男の方へ放り投げた。ようやく手が空き、腰の刀を握る。
危なげながらも科学者をキャッチした無精髭の男へ、更に続ける。
「そいつを連れてさっさと逃げろ。巻き込まれるぞ」
「……は!? まさかお前――」
【□□□□□――――□□ッッ!!】
魔術師の声を遮るように、森の向こうから咆哮が聞こえた。
近づく地響きと共に、木々は道を作るようになぎ倒されていく。
「きゃあ!? いやああああ!? 師匠ーッ! なんですかアレェ、師匠ぉー!!」
「こら暴れるでない、落としてしまうぞ?」
森の近くにいたリュエは、鎖に巻かれている水色髪の少女を悠々と担ぎ、崖際へとすばやく退避する。
「おいおいサクラ、一体何を連れてきたんだよ?」
「見ての通りだ」
サクラが地上のアガサの声に短く答える。
枯れた森の向こうからは、全長十メートルを超える巨大な結晶蜘蛛が現れていた。