18 虚構になった日
転生学識。
それは魂が輪廻転生する、人間の血筋に稀に起こる特殊事象。
前世で積みあげた経験・知識・記憶を、生まれ変わった先の魂が引き継ぐという突然変異。
火楽祈朱の場合、それはこれまでの前世全てが積んだ知識のみを、丸ごと継承する形で発症した。
「イリスはどこで錬金術を勉強したの? 今日勉強を始めた私より、ずっと上手いじゃないか」
ボクにとって錬金術とは呼吸と同じだった。考えて式を組む、という工程すら無意識でやっていた。
だから姉にそう指摘されるまで、ボクは自分の異常性というものを一切自覚していなかった。
「私、覚えが悪くってさ。イリス、よかったら教えてくれない?」
「──まず構築式からして無駄が多いよね。なにこの工程? やる気ある? 第一術式から第十術式は略式を使うのが基本だよ。あと全体的に速度が遅い。第八百四術式の構築速度と同期させないと初速が遅くなるんだよ。姉さんは七十四番の術式が苦手なの? 違う? 言っておくけど今の演算速度じゃ、三百六番まで一秒で組まないと物質錬成なんて無理だよ? 基礎次元術式は一五〇〇個あるんだから。姉さん? 聞いてるの?」
「ごめんイリス。姉さんは姉さんの速度で勉強するよ……」
初めての錬金術指導は、どんな時も笑みを絶やさなかった姉を半泣きにさせることで終結した。
年下の弟のレベルが違い過ぎて、心が折れる寸前までいったらしい。ボクは両親に怒られた。解せねぇ。
今思い出せば痛快モノの思い出だが、しかし、当時のボクにはこう言ってやりたい──そこで一度、微塵もなく精神をへし折ってやれ、叩き折ってやれ、挫折と屈辱というものをその姉に教えてやれ、と。
まぁ、そんなことをしたところで、きっとあの人の結末は変わらなかっただろうが。
「────そうか。君が五番目の人理兵装を直したんだな」
ザザザザザザザザザ。
雨が降っていた。土砂降りの雨だった。
空に広がる雲は厚く、黄昏の光さえここには差し込まない。
「旧時代での意味で賞賛を送ろう。はっきり言って神業だ。そんな歳で成し遂げるとは、生まれる時代が早すぎる」
絶え間ない雑音のなか、羽織を着た白い少年の声は、清廉に響いている。
それを聞きながら、泥濘に歪んだ庭で、ボクは己の間違いと、
「……クソ姉がッ……!」
──自分を騙した姉への、心底からの恨み言を吐き捨てた。
姉がボクを頼りにしたのは、錬金術の指南を含めて、二度目だった。
頼まれた。頼られた。だから上から目線で、“まぁいいけど”って請け負った。
『ねえイリス。奥の座敷にある棺のことなんだけど』
『あれ、壊れてるみたいなんだよね。直せる?』
──棺。
それは火楽家が「信仰」している骨董品だった。毎朝毎朝、家族全員が大広間に集まって、祈りを捧げていた、奇妙なガラクタ。
話によると、ボクたちの先祖……火楽家初代当主が残した、家宝だという。初代は後世の子孫たちに、とても偉大な人物と慕われていたらしく、以来、大事に大事に、それこそ当代の当主の命よりも優先されてきた物なんだそうだ。
人一人の手には余り過ぎる、闇のように真っ黒な棺。
ボクはポーズだけで、あんなのに祈りなんか欠片も捧げたことはなかったけれど。
それでも滅多にない姉の頼みだったので。
『アレが直れば、きっと皆も目を覚ますよ』
狂っているとしか言いようのない、異様な七十二人の身内を、助けられると信じて。
思い上がって。
──結局。その全員を道連れにした彼女の真意を見抜くこともできず、こんな醜態をさらしている。
「火楽家は、昔から他家との交流を絶っていたな」
白い少年が、世間話のような調子で続ける。
「人間の寿命の短さを嘆き、悪魔の血を取り入れた呪家。だが初めの目的を忘れ、いつしか最高の悪魔を生み出すことに心血を注ぎ始めた……その完成品が君と、君の姉か?」
少年はボクを見ていない。ボクも少年を見ていなかった。
落雷でも落ちたかのようにひしゃげ、壊れた屋敷の屋根。──そこに。
居てはならない、
生きていてはならない存在が、立っていた。
「……姉さんなの、アレは」
真っ黒な子供のような人型から、無数にうねうねと広がる暗黒の影の触手。
触手というよりは……髪の毛、なのだろうか。でも姉さんの髪はあんなに、屋根の一角を覆うほど長くはないし、全然違う生き物に見えるが──
「君の姉は依り代になっているだけだ。表面化しているアレは、彼女の中身に召喚された、悪魔の方の性質だろう」
「……召喚?」
「儀式があったんだろう? 直った棺を、真に完成させるための儀式。そのために、優れた魂を持つ君たち姉弟が選ばれ、核となる材料にされた」
「……? でも、ボクは」
「そうだ。なぜか死んでいない。姉の方も。おそらく、君たちの家族は二つの儀式を並行して行ったんだ。──君たちの魂を摘出して棺に組み込む儀式と、君たちの魂の代わりとなる悪魔の召喚を」
「────、」
……そういうことか。人間の他にも、魂を理として持つことがある魔の種族。
真名持ちの上級悪魔。確かにそれならば、代替には相応しい──
「悪魔の混血だから、魂が変わったとしても、よく馴染んだんだろう。事実、君は以前の自分と今の自分との自己同一性を保ってる。人間としての魂を失ったところで、残った肉体が記憶と精神を補完する。かくして、悪魔の魂を持つ人間の出来上がり、だ」
「……はは。人間っていえるの、それ」
「──さて。その定義は、俺もまだ探っている最中だが」
そこで初めてボクは、屋根のものから視線を外して、少年を見た。
……歳は、ボクより上。姉さんと同じくらいだ。染み一つない白羽織と紅白の巫女服は、雨に濡れてなお神聖さを失わない。後ろで一つに結んだ白髪で、その顔立ちには年相応の幼さが残っているが、──黒に近しい、昏い紫眼は、この世あらざるものの視点を有している。
「……」
予感する。
きっと彼なら、姉さんを殺せる。
なんの躊躇もなく、なんの苦戦もなく。
だって彼は、この大気が軋むような彼女の気配や、この敷地に充満し続ける瘴気に、なんの興味も抱いていない。
ただ在るからそこにいて。
ただ在るがままに、敵を狩る。
まるで人のフリをした、神様のようだった。
「面倒くさいな」
「え」
突如として、見た目と印象にそぐわぬ愚痴を彼が零した。
「人形には殺害を推奨されたが、気乗りしない。アレ、殺す価値とかあるか? なんで俺が見も知らぬお前たちのために、どうでもいい奴を始末しなくちゃならないんだ」
「ど、どうでもいいって……」
いやアレ、絶対に野に放っちゃいけない系の存在だと思うんですけど。
実の姉であることを加味しても、危険すぎる。少年が断固として殺すと譲らないのなら、ボクの方にも言い訳が思いつかないくらいなのだが──
「俺が殺したいのは一柱だけなんだよ」
ぞくりとするほどの、決意だった。
「そのためなら何を賭けてもいいし、何を犠牲にしてもいいし、何を喪ってもいいし、どうなろうと知ったことじゃない」
淡々と述べられているのに、言葉には本気が宿っている。本気しかない。本気で正気で、彼は「たった一人を殺す」ことに、全てを賭けられると断言した。
その「一人」以外なんて、心底どうでもいいと。
「だから血縁であるお前に訊く。──アレ、殺すか?」
ナイフを渡されたような問いかけだった。
何の感情もない紫の瞳が、横目でこちらを見る。
少年の腰には刀があった。あの棺と同じくらいの重厚さと、剣呑さを孕んだ凶器。
頷けば、姉は死ぬ。
断れば、彼女は生きる。──でも、どうやって?
「……生かす手段なんて、あるの」
「無い。あそこにいるのは、もうお前の知ってる『姉さん』じゃない。悪魔に乗っ取られ、全てを壊され、かろうじて残った、『だったモノ』だ。助けたところで、また同じような人格が構築されるとは考えられない」
いわば、廃人だ。
ボクはどうにか戻ってこれたけど、姉さんはそうじゃなかった。
己の内に悪魔を喚ばれ、狂った。
とっくに狂っていた人だったけれど、それを上回る【狂気】に、侵された。
……おそらくは。
それは自ら持っていた狂気を、信念を、真っ向から否定され侵蝕される、ような。
そういう類の、地獄だったのではないか。
「どうする? なんなら何もしないで帰れと言われてもいいが」
「……冗談」
そんな恐ろしいコト、できるわけない。
アレが未だに、呑気に話しているボクらを襲わないのは、単純にこの少年を恐れているからだ。
蛇に睨まれた蛙。いや、今は少年が見てもいないのに、気配だけでアレは圧倒されている。
決して敵わぬ終わりの運命。
この少年は、そういったモノを問答無用で引き渡す存在だ。
「死んで終わるなんて許さない。七十二人とボクを唆した大悪だよ。廃人になってるのなら都合もいい。ここで生き延びて、相応の生き地獄を味わってもらうのが道理でしょ」
敵を睨む。
異形の黒影は、闇の中から地上を見下ろしている。
【────い■■■り■■■■■■す■■■■■■■■】
「──え?」
屋根の上のものが、右手を伸ばした。
散っていくノイズに、よく耳に馴染んだ、少女の声を伴わせて。
【■■■■■どウ■ししシシ■■■て■■■■】
疑念に満ちたような声だった。不可解だ、と弾劾するような声だった。
【──すくわれて■■■■■くれないの──?】
意味が分からなかった。
道理が分からなかった。
理由が分からなかった。
……姉さん、何言ってるの?
「なんだ、そういうことか」
どこまでも平坦な少年の声に、ボクは我を取り戻す。
「弟。アレはどうやら、俺なんかじゃなくて、お前の方を怖がっているみたいだぞ?」
嘲るような感情の波を感じた。
……彼、もしかすると、相当性格悪いのかもしれない。
「怖がるって、なんで──」
「さぁ。俺は、お前の姉のことなんて知らないからな」
「……あんた、本当に殺さずにできるんだよね?」
「鎮めるだけでいいんだろ。針を斬るより簡単だ」
シャリン、と鈴の音がした。
少年がその白刃を鞘から抜き放ち──刹那、ごぅッと黄金の熱風が場に満ちた。
雨の粒が、蒸発する。
その一瞬だけ、うるさいばかりの雨足は泣き止んだ。
「灼熱。灼陽。残火、我が“残照”は悉くを焼き尽くす──」
斬り放たれる黄金の一閃と。
天蓋から落ちてきた、真っ黒な虚のような暗黒星が、ぶつかり合う様を見た。
真夏の決戦。
ボクが味わった、初めの人生の区切り。
この日、「姉さん」は「姉さん」じゃなくなって。
救世の夢を描いていた愚かな少女は、どこにもいなくなった。
そして、ボク自身も──虚構になった。
■
初めに五感。次に意識。
記憶がまとめ上げられ、ボクは目蓋を開けた。
「……──知らない天井だ……」
「主人公ごっことは余裕そうだな」
びくぅ! とそこで完全に覚醒した。
勢いで飛び起きると、そこは宿泊室……だった。二段ベッドが対岸にも敷き詰められており、細い道が横たわっている。その先のベッドで、足を組んで座っている影が一つ──本を手に読書中だったらしい、グレンである。
「おはよう。体調は? 記憶の連続性と自我の同一性は保たれているか?」
「あ、……うん、大丈夫だよ。バイタル、オールグリーン。身体の機能性にも異常はないよ」
「ここはキリカの列車工房だ。魔王城攻略からは約六時間が経過している。お前の上で、やしろさんはバッテリーを充電中だ」
「お、おお」
なんと簡潔かつ端的で効率的な状況説明。ボクじゃなかったら情報の洪水で、「なんて?」と一度訊き返していたことだろう。
「で、三時間前に俺が再度魔王城に突入して、Lance、Axeという十三部隊メンバーを解放した。次の攻略隊メンバーには俺、それから提督にルシファー、キリカまで行くと言ってきかない」
「────なんて?」
流石に訊いた。
なんかちょっと、経緯が色々省かれ過ぎてませんか?
「我が城、新たなるアミューズメント企画! だ!!」
「その名も『魔王と行く魔王城攻略』!! よ!」
突然ガラッと室内の扉が開け放たれた。
テンション高めで入って来たのは、妙に息の合った動きの魔王ルシファーとキリカさん。
「……は?」
ごめん、誰か説明してくれる!?




