05 当然の結果
「死に晒せェ──!!」
殺意の宣告と共に、アガサの周囲には20丁の黒い銃身が展開された。
射撃目標はただ一体。放たれた銃弾は水色の少女を避けて、赤い少女のみに叩き込まれる。
「甘いわ戯けっ!!」
銃弾軌道を見切った炎竜の姿が消える。人ならざる竜の機動力は肉眼で追えるものではない。空間転移を見紛う速度で悪魔に接近し、焔をまとわせた拳を放つ。
「遅いッ!!」
「っ、が!?」
それを予測していたかのように、アガサは右手に取り出した黒剣で撃ち返す。弾き飛ばされる中、炎竜は見た。一斉に此方を向いた空中の黒い銃身群が、倍の数に増えた瞬間を。
「貴様、助けてやった恩を忘れたかッ!」
「頼んでねぇなァァ────!!」
合奏される連続射撃。
40丁に増えた銃身による発砲を炎竜が避けたところで、更に銃身が八十に増える。
再びの一斉射撃。弾幕と化した殲滅雨は、リュエが逃げた先の森を大地ごと粉砕し、更地へと変えていく。
「な、ぁ……っ!? な、なんですかこれ!?!? なにをしてるんですか貴方たち……ッ!?」
「見て分かれよ! 殺し合いだよ!!」
アガサが混乱に叩き込まれた少女へ適当に返す中、宙の銃身群は160丁へ。
黒い空を作ったそれらは、ガトリングガンよろしく無尽の永久射撃を開始し、竜という個に対して集中砲火の爆撃をもたらしていく。
「あーあーあー! もう協力とか! 恩とか! 知らねーなァやっぱり!! ようやくスッキリした気分だぜ──邪魔なドラゴンは狩り一択!! 錬金術師の基本だなぁ!!」
「どういう論点で言っておるのだ貴様ァ──!!」
「初志貫徹の精神って大事だよなぁああ──!」
ガガガガガガガガッッ!!!!
銃声の大合唱だけが世界に轟き続ける。それらの動きは炎竜を撃ち殺すまで終わらない。総指揮者の赤眼は今やギラギラと輝き、ただ一体の獲物から決して目を逸らさない。
「でええいッ!! 話が通じん悪魔め! あまり我をナメるなよっ……!」
体表に黄金火をまとった赤い影が、黒い嵐に突っ込んでいく。
鎧の役目を果たす炎は弾丸を焼き消し、その背中からは竜翼のように大火が広がる。破滅の嵐の中でただ一つ輝く黄金は、さながら悪魔へ下されようとする天罰の具現か。
──だが。
それでも所詮は、竜。
「舐めてなんかいない──私は最初っから本気だぜ?」
現代最強の剣士を引き入れ、連れてくる程度には。
漆黒の弾幕を黄金の影が抜ける。目前にまで迫った脅威は、そのまま悪魔に体当たりするだけでこの戦いに勝利する。
その焔は神聖浄化の最高峰。
神子が使う境界の壁たる鳥居以外では、完全に防ぐことは不可能だ。
「ハハッ! 所詮は悪魔よ! もらっ──」
「──じゃあコレは?」
真っ向から。
黒剣が消え、入れ替えるようにアガサの右手に現れたのは黄金の光を帯びた長剣だった。
それをただ──炎竜の動きに合わせて降り下ろす。
「ッッ!?!?!?」
閃光の斬撃。
その一撃は炎の鎧を容易く袈裟斬りする。あらゆるモノを平等に焼き尽くすはずだった浄化の焔は、それを上回る神聖によって打ち破られた。
「ご、ぁああ、アァァッ──!? きさ、貴様、なぜ、そんなモノを──!!」
その場に膝をついた炎竜に流血はない。だが、斬られた左肩からは魔力らしき炎がだくだくと溢れ出し、止まらない。
「血には血を。神には神を。やっぱり上位存在である以上、『神剣』効くんだなぁ、お前」
──神剣。
それは神を討ち滅ぼすための兵器を考案する過程で生まれたモノ。
上位存在殺しの常套武装。終末における、全人類の殺意の具現の一つである。
「神、剣……!? 馬鹿な、それは神々が打つ神造武装だろう……! なぜ悪魔である貴様が持てる、なぜ始祖竜たる我を傷つける……!?」
「あぁ、元の神剣はそういう意味なのか。けどさぁ、言っただろ。私たちは神に敵対していた人類だって。この神剣は──すなわち、“神を殺す剣”だ。ガチガチの神聖特攻で人造兵器。どーよ、千年分の恨みの味は?」
「っ……!!」
左肩から全身に広がる針のような激痛に俯きながら、炎竜の額に汗が滲む。
──甘く見積もっていた。あまりにも侮っていた。
身体の末端から嫌な感覚が這い上がる。己の位置をひきずり降ろされるような感覚。地の底から伸びる人々の手が自分にかかり、ただの「獲物」に零落するような恐怖感。
(これは──これほど、とは──)
剣の切っ先を突きつけてくる悪魔へ、竜は足掻きのように視線を上げた。
見下ろすその深紅の眼は、地上で蠢く蟻を見るものと同じ。
同情もなければ感慨もない。
初めて直視した悪魔の視線は、戦場で無感情に敵を見る、冷酷な軍人そのものだった。
◇
──時は、悪魔と竜の衝突より少し前に遡る。
「ラグナ大陸、かぁ。君の話は凄く面白いね」
「信じていないな?」
結局、勝手についてきたジェスターに事情のあらましを話しながら、サクラはアガサたちとはぐれた崖の方面を目指して歩いていた。
「いや、信じるよ。確かに僕は科学者だけど、超常的な話はいくつも聞いてきた。今更、神話以来の『別大陸』が出てきたところで驚くようなことじゃない」
「……アンタ、一体何歳なんだ?」
「ふふん、今年で二十八だよ」
「絶対嘘だろ」
外見こそ若々しいが、彼の立ち振る舞いは永命種を思わせる落ち着きっぷりだ。
胡散臭い言動もサクラには意図的なものに感じるし、印象を操作してくるような言動は、長命種らしい処世術のように思う。
「まぁ僕の年齢の真偽はさておき、今の君は右も左も分からないんだろう? 助けてくれたお礼に、このノストシアという国について教えてあげるよ」
コホン、と一つわざとらしい咳払いをしてからジェスターは続ける。
「ここは大陸極東に位置している国家でね。さっき君が倒してくれた怪物は『遺生物』と呼ばれていて、魔族の天敵でもある。王国はそんな害獣と、もう四百年は戦っているんだよ」
「そんなに厄介な相手なのか?」
「うん。なにせ彼らの主食は魔力だ。その上、核を破壊しない限り、生き続ける。個体によるけど再生能力を持つ奴も確認されているよ。サクラ君はあっさり斬っていたけど、あの結晶体はとてつもなく硬くてね。外殻から内部まで、エーテル率は脅威の百パーセント。並の武器じゃあ傷一つつけられない」
「……? だったらどう対処してるんだ?」
「魔術さ」
よくぞ訊いてくれた、と言わんばかりに科学者は口角を上げた。
「ここはアルクス大陸でもっとも危険で過酷な人界魔境。今も、騎士たちと魔術師たちが踏み止まっている……世界の終わりにもっとも近しい最前線だよ」
◇
「さーて、と」
神剣を炎竜に突き付け、そこから意識を逸らさないようにつつ、アガサはわざらしく声を上げる。
「──自己紹介にしては少々、過激なサプライズになっちゃったけど。こっちもこっちで色んなことが立て続けに起きてて混乱中なんだわ。私の名前はアガサ。アガサ・レーヴェルシュタイン。ご覧の通り、悲しき遭難者だ。叶うのなら暴力よりも対話を望みたい。悪魔だろうと、文明人の一人としての矜持があるからな」
銃声が鳴りやんだ森は不気味なほど静かなものだ。
アガサは周囲に展開していた黒銃を消し去りつつ、更に言葉を重ねる。
「ちなみに今転がしてるコイツは初めから仲間じゃない。そしてそちら側の味方でもない。もしも『残虐な悪魔に殺されかかってる女の子』という認識なら今すぐに改めろ。殺されかかってんのは私の方で、さっきのは正当防衛だ。ここでトドメを刺さないのは……まぁ、要らぬ誤解を招かないためだな。私は殺しを愉しむような趣味は持っていない」
「っ……嘘をつけぇい! どう見ても戦闘狂の類だろうが貴様ァ!!」
「本当の戦闘狂なら手加減してもうちょっと遊んでるよ。人類への解像度低すぎるよお前?」
「我を殺しかけている張本人が何を言うかッ! 悪魔め、やはり邪悪そのものではないか!!」
「うるっせーなお前ー。要らんことばっか言うから対話が進まないんだっつーの。おーい、見てるんだろ現地のヒト? 私は人類への敵対意志は一切ない。本当に遭難して、ここに迷い込んじゃっただけなんだ。侵略もテロも考えてないぞー。文明人らしい応答を求ーむ」
「だっ、騙されるなぁーッ!! この悪魔は今すぐここで殺しておくべきだっ! そう、人類のためにっ!!」
炎竜の余計な発言を、半ば諦めの境地で聞き流しつつ、アガサは考える。
こいつはちょっと……難しいな、と。
炎竜の茶々が原因ではない。もっと根本的な、この状況の問題点。
──さらっと森の一角を更地化する危険因子二名を、人は無条件で「友好的」だと判断できるだろうか? と。
「【聖なる魔浄の光】」
その時、カッとアガサの足元に金の円環が展開された。
古代人が遺した娯楽作品でしか見たことのないような魔方陣。同時に、アガサの頭上から強烈な光が叩きつけられてくる。
神聖が凝縮された、悪魔払いの光の魔力。それを、
「──X零番、術式:神聖却下」
たった一唱で無効化が完了する。
魔方陣は砕け散り、神聖の光は霧散する。
はて、とアガサは小首を傾げた。
「あ、普通に通じたな……対神聖の術式で対処できるのか」
「はぁあ!? いやいや何故無傷なのだ貴様! 今の、我からしてもかなり強力な魔術であったぞ!?」
「マジュツ?」
「あ」
リュエが目を逸らす。下手くそな口笛まで吹き始めた。
「ま、別にいいけど……えーと、残念なお知らせ……というか、申し訳ないお知らせなんだけど、私、神聖系の術とか、浄化とか、そういうのは耐性あるから効かないぜ?」
どこかで動揺の気配がする。それを悪魔としての本能で感知しつつ、アガサは言葉による対話を諦めない。
「えーと、まあ、こんな状況だしな。分かるよ。どうせ私たち二人とも殺すつもりなんだろ? 遭難者とは言ったけど、そっちからすりゃ侵入者だしな。それは仕方ないし、別に怒らないぜ」
「エッ!?!? 我、助けられる流れじゃないのか!?」
「その傲慢を少しは仕舞えよボンクラ。どこからそんな自信が出てくるんだよ……弁えろよ……」
思わず殺意と怒りに任せて炎竜にトドメを刺すことを考えたアガサだが、断腸の思いで耐え忍ぶ。
はあ────……と、感情を溜め息に変えて落ち着きつつ、再び言葉を虚空へ投げかける。
「……信用されないのは重々承知だ。だがその上で私は命乞いするぞ。“話をさせてくれ、助けてください”、ってな……!」
「──それを言うなら自刃ぐらいしてみせろよ、間抜け」
アガサの視点が反転した。
ぐるり、と上下は逆さまに。
「……あ?」
呆気にとられたまま、悪魔はそこで気が付く。
自分の首が、はねられたということに。
◇
「魔術師の中でも、君のような規格外クンがいてねぇ。普通は騎士か魔術師特化、っていうのが常人なんだけど、彼はその両方に適正を持った怪物だ」
サクラの右横に並んできた解説者の眼鏡がキラリと光る。
「生存力もさることながら、天運というものを持っている。英雄ってのはああいうのを言うんだろうね。まぁ、本人の自覚は薄そうだけど」
◇
背後を取られた、という事実をアガサの思考が認めるには、数秒の時間がかかった。
砕けた口調で話し続けていたが、油断は一切していなかった。周囲の気配には最大限、気を張っていた。それこそ「神」のような超越存在でもなければ、奇襲は通じないと自負していた。
宙を舞う彼女の首は、その視界に一人の男を捉える。
灰色のローブを着た中年。ややぼさぼさ気味の黒髪に無精ひげ。長身でたくましい体格だが、ローブの下にみえる仕立てのいい服装からは、何らかの学者のような印象を受けた。
「同情くらいはしてやるよ。が、悪運尽きたと思って諦めろ。俺たち王国は今、お前みたいなトンデモ悪魔を相手取って交渉できるほど、酔狂じゃないんでな」
呆れるように細まる、黒曜の瞳。
手袋をした右手の指先には、消えていく一枚の札がある。アレで斬られたのか、と直感的に悪魔は己が死因を悟り──口元を吊り上げた。
◇
「──『境界の魔術師』、『魔剣騎士』。名をヴァン・トワイライト。王国における単独最強戦力だ。彼を敵に回すのだけは避けた方がいい。まぁ、気を付けてね」
その忠告はとうに遅すぎることを、サクラはまだ知らなかった。
2024.05.26追記:加筆・修正