04 絆などない
「あははははははは! はーはははは! だーれーかぁぁああああ――――!!」
ヤケクソ気味な明るさに満ちた声。
一周まわって「大丈夫なのでは?」とサクラも思いかけたが、猛ダッシュしている青年自身はそうでもないらしい。
「まぁ……情報源にはなるか」
背負うリスクと得られるリターンを冷徹に計算し、サクラは鯉口を切った。
今度の結晶獣は、体長六メートルはあろうかという大型の四足獣の形をしている。獅子に似ており、牙と鉤爪らしきもので地面と木々を破壊しながら、獲物を狙う背中が見える。
「捕らえろ、社門」
サクラが下へ指さした瞬間、結晶獣の首の上に赤い鳥居が落ちる。門は首輪のように獣を大地へぬいつけ、その身動きを完全に止めた。
……炎竜の前では「刀を使って鳥居を出している」風にしているが。
実際のところ、鳥居を出すことに関しては特に制限はない。数も範囲も。これだけは昔から、彼の思いのままだ。
「飛ばせ」
次の瞬間、紅蓮の影が跳ぶ。射出機代わりに出現させた鳥居で一気に空を移動し、また空中に鳥居を一基生成すると、壁として踏みつけて地上へと降下する。
鯉口は既に切られている。
白刃が鋭く閃いた。
「抜刀理論・空斬説」
上から放った斬撃が結晶の巨体を切り崩す。
鳥居が消え、解放された獣が咆哮を轟かせる。──仕留め切れていない。
【□□□□ッ!!】
「こうか?」
追撃を叩き込む。核らしきものを斬る感覚がした。
トッ、とそこで着地する。敵が地面へ倒れこむ中、納刀でシャリンと涼やかな鈴の音が鳴った。
結晶の怪物はもう動かない。亡骸の表面から、魔力らしき粒子に変わって消えていく。
周囲を見回し、辺りの安全を確認してから、サクラは後ろを振り向いた。
木々の影に気配。そろーっと幹から顔を出したのは、追われていた白衣の青年だ。緑の瞳を見開き、こちらを凝視している。
声から受けた印象の通り、若い。だが魔族には外見の年齢はあまり意味がない。
乱雑にはねた腰まである長さの黄緑の髪。黒いハーフフレームの眼鏡をかけており、整った造形だが、長い前髪と眼鏡で顔は見えにくい。はっきり分かるのは、研究者、という風貌だけだ。
「……だ、」
「?」
「誰だい君ッ!? つっっっよ!!!?」
木陰から飛び出した青年に恐るべき瞬発力で近づかれ、がっ!! と勢いよく両肩をつかまれた。
サクラよりやや背が高い。少し見上げる形になる。
「大型遺生物を一瞬で!? 凄い斬撃入ってる! 殺意を感じるね! さっきの門はなんだい!? もしかして理論使いとか!?」
「やかましい」
此方の正体を言い当てる辺りは鋭いが。
ロジックホルダー。「異能使い」は昔からそう呼ばれる。“異能を理論化して扱うから”、というのが由来だった筈だ。
サクラの異能は、主に鳥居の顕現と斬撃発生。
……ではあるが、それらは派生に過ぎず、本来の効果は別のところにある。
「あ、ゴメンゴメン。まず自己紹介だったね!」
我に返ったのか、ぱっと離れる眼鏡の青年。軽く白衣をはたいて砂埃を落とし、更に内ポケットからハンカチを出して眼鏡レンズを拭いてから、改めて眼鏡をかけ直す。
「僕の名前はジェスター! 助けてくれてありがとう!!」
「はぁ」
「いやぁ、危機一髪だった。今日こそは流石に死を覚悟したね! 頭の中で助手たちに遺言状をしたためかけていたよ──別に思いつかなかったけど。この通り、僕は科学者でね。はるばる帝国から派遣されて、王国で遺生物の研究を任されてる。それで、君は!?」
中々よく喋る。
更に言うと早口で、やや胡散臭い。
「……連れと一緒に、遭難しているところだ。近場に人里があったら教えてくれないか」
遠い目になりかけたサクラだったが、ジェスターと名乗った青年の話には、地味に情報もあった。
あの結晶の化物は「遺生物」というらしい。
そして、「帝国」に「王国」という名称。
うるさいにはうるさいが、勝手に情報を喋ってくれるのはありがたかった。
「ほう。遭難。こんな魔境地帯のどこから遭難できたかは分からないけど、それは災難だったね。一体どこの国から来たんだい?」
「国というか……別大陸、らしい。信じるかどうかは自由だが──」
と、そこまで話してからサクラは一つ得心した。
(……言語が通じている)
互いに使っている共通語は、唯一神がこの世に初めに創ったとされる第一の言語だ。なるほど、確かにこれは異世界ではない。大陸は違えど世界は同じ、というのは間違いないようだ。
「ほほーう、別大陸。ってことは、さっき見かけた凄い光の柱は、君たちが来たせいか。何事かと思ったけど、次元移動の類なら納得だね」
「光の柱……? そんなのが起きたのか」
「一瞬だけね。またぞろ遺生物の突然変異でも生まれたかと思ったから、たぶん調査員が向かってきてると思うよ。この僕も、フィールドワークって言って三日ぐらい失踪してるし!」
「……三日もこの森にいたのか、お前?」
「うん。もうどっちが王都かどうかもさっぱり」
──水を打ったような沈黙。
それは、時間と労力が虚無になったことをサクラが悟る数秒であり。
見つけたのは不運な役立たずのようだった、と理解するまでの数秒でもあった。
「じゃ、俺はこれで」
「待ってぇー! 遭難仲間、遭難仲間!! 仲良くやっていこうよ僕たちぃ!」
サクラが歩き始め、その羽織をつかんだ科学者がずるずると引きずられていく。
異邦の冒険は、まだまだ始まったばかりであった。
◇
「あぁっぶねー……」
「き、危機一髪であったな……」
ずぶり、とアガサとリュエは、影の中から立ち上がった。
崖が崩れた時、咄嗟にアガサは車ごと自分たちを影に呑み込ませた。おかげで落下の衝撃もなく、車両が破損することもなく、五体無事。
その代わり、崖上に取り残された剣士とすれ違うことになったのを、彼女たちは知る由もない。
「……なんだったのだ、アレは。石人形にしても放し飼いにするようなものではないぞ……?」
「サクラは?」
「まだ上ではないのか? ……うーむ? 気配が辿りづらいな? というかあやつ、魔力の気配が全然しなかったではないか!」
「……あー」
それはそうだ。今のサクラは魔力が使えない。
神殺しの代償の一つ。というよりは、後遺症か。
あの剣士は今、あれでも大幅に弱体化しているのだ。
「魔族にとって魔力は生命の源……次に会った時、死体でなければいいがな」
「……知らないってこえー」
その発言は流石に彼を舐めすぎだ。
ラグナ大陸での功績を知らないから、そんな口を叩けるのだろうが。
「!」
アガサは反射的にその場を飛びのいた。
ガガガガ! とどこからか降ってきた光の矢雨が、一秒前までいた位置に突き刺さる。奇襲だ。
それも、あの結晶獣のような無差別的なものではなく──
「……今のをかわすんですね。さぞや名のある上級悪魔と見なしますが」
少女と思しき声。
だが口調からは、敵意が滲んでいる。
「ですが不法侵入者には変わりありません。お、おとなしく退散してくれると有難いのですが!」
新たな人影は、リュエを庇うような位置に立っていた。
白い杖を、まるで弓のように構える一人の少女。
人間換算でいえば十七歳ほど。ツーサイドアップにされた長髪は鮮やかな水色をしている。リボンタイを付けたホワイトのワンピースに、紺色のケープ。アガサからすれば、まるで一昔前の錬金術師のような格好だった。
「……へえ。第一村人にしては大物だな」
「……っ!」
距離五メートル。その金の両眼が悪魔を睨む。
炎竜と同じ瞳の色。少女の種族はおそらく、上位存在に最も近しいとされる精霊種だ。髪色からしても、水精霊の血縁であることは明白である。
その金目を、アガサはよく知っている。
幾度も、戦場で目にしたことがある。
ラグナ大陸における精霊種は、その多くが生みの親である神霊……神側につき、人類とは敵対関係にある者が多かった。当然ながら軍属、指揮官だったアガサは、そういった「反逆者」と相対する機会も多く。
こうして出くわすのは、本当に久々だ。
「そ、率直に言いますよ! 貴方みたいな上級悪魔の相手をしている余裕はありません! どうやってこの土地に入れたのかは知りませんが、お帰りください! 冥界とかその辺りに! ていうか、こんな小さい女の子を連れて、どうしようっていうんですか!?」
「ん?」
「ヌ?」
アガサはリュエの方を見た。リュエもアガサの方を見た。
確かにあの上位存在、正体さえ知らなければ、ただの火精霊の血縁としか思えないだろう。なるほど、つまり少女からすれば、「謎の強そうな悪魔が、精霊種の幼女を拉致している図」にも見えなくもない。
「……なるほど。よし、そっちが私をどう見てるのかはよく分かった。理解した。いいな? だが待てよ少女、私たちは文明人、そう、文明人だぜ! 今の時代、“暴力で分かり合おう”なんて、それはナンセンスだよな?」
「……っ? 何が言いたいんですか……? あ、わ、私を騙そうとしてるんですね!」
「おかしい。会話をしようとしているのに話題がズレるな……」
“正義感に満ちた純粋少女”──という想定人物像は外れだ。なかなか警戒心が高い。
侵入者に対する態度としては、申し分ないが。
「おーいリュエ。なんか私が喋っても誤解されるから、仲裁してよー」
「……仲裁、と言われてもな。そもそも汝からは精霊様の血臭がするぞ。今まで何人をその手にかけてきたのだ?」
「……」
「……」
その場の空気が完全に終わった。
悪魔の脳裏に「コノヤロウ!!」「役立たず!!」を始め、共通語で表現しきれない無限のスラングが一瞬で駆け抜ける。同時に上位存在に刹那でも頼った判断に押し寄せる、一世紀分の後悔の波。
そりゃあ殺しはしたよ。仕事だったもの。軍人だし? 向こうは人類の敵でこっちは人類の味方をしてたんですし?
──だが、そんな経歴を少女に包み隠さず話したところで、ここからどうやって信頼を勝ち取れるというのか?
「……少しでも対話を期待した私が愚かでした。外の悪魔は本当にろくでもないんですね。よく分かりました」
名も知らぬ少女の目が冷え切る。
あの瞳は知っている。もはや敵意や殺意を越えた軽蔑、嫌悪感だ。感情を無にし、こちらを「敵」だと断じる開戦の合図──
「──待てよ。やり合う前にこっちの言い分を聞いてもらおう。これは説得じゃなくて告白だ」
アガサは両手を挙げた。降参の姿勢に、僅かに少女の顔が動く。
「私が殺した精霊連中は、私の知り合いの家族を数えきれないほど殺していた。それも生きたまま実験に晒し、兵器として運用し、あらゆる尊厳を弄ぶクズの集まりだった」
「……っ、そ、その話を信じろとでも言うんですか!」
「別に。君が私をここで殺したところで、私は君を悪魔差別者の殺人犯として認識するだけだ」
少女の動きが完全に止まった。
迷い。隙。
逃げようと思えばアガサは逃げられたが、両手を挙げたまま、じっと何もしない。
「……むう。嘘ではないな。貴様、正義の悪魔だったのか?」
「この世に正義なんてないだろ、頭お花畑かよ。私の行いを善悪で計れるほど現代の道徳教科は発展してんのか?」
「ぬ──」
今度は炎竜までも黙り込む。
良し良し良し、とアガサは近づいてきた対話の道に、慌てず騒がず、釣り人のような気持ちで待ち続ける。
「……分かり、ました。……ええと、リュエさん? あの人、貴方になにか酷いことはしませんでしたか?」
「え? ああ、一度殺されかけたぞ」
“対話”という名のサカナはここで逃げ出す。釣り人は釣り竿を投げ捨てるどころか握り潰す。
すなわち──アガサの忍耐もそこまでだった。
「ッッたり前だァこのクズ野郎!! テメー人類じゃねぇだろうがぁぁあア──!!」
「なんだとこの不敬者がぁあ!! やはりここで我が直々に焼き尽くしてくれるわぁぁ──!!」
戦争の火蓋は一瞬で切られた。
両者の均衡を保っていた青年がいない以上、仲裁など他の誰にも不可能であり。
──そもそも仲間ですらない悪魔と竜の衝突は、必然であった。
2024.05.26追記:展開の加筆・修正