02 境内の日常
せっかく狂言回しの座につけたんだから主人公のカッコいい場面ばかりお伝えしたいのは山々なのだけど、生憎と本日、肝心の当人は完全オフモードなのであった。
「アガサ、もう諦めろ。その鍋は死んでいる」
「料理ってのは総じて死骸で出来てるものだと思うケド。血肉を食らい、生を繋ぐ。是、生命の循環なり、ってな。だからサクラ、その理論は通じない。なぜなら料理に生死なんて概念は通じない、既にその一品だけで生と死の混沌が完成されているのだから!」
「まるで何も考えていない発言は控えろ。内容ゼロだぞ」
「……なにしてんの」
入った部屋にあったのは、コタツ。それはいい。元よりボクがここに来た目的がソレだ。冬場の社での過ごし方はコタツがないと始まらない。
問題は──鍋だ。
コタツの上で、触手が見える中身を今もグツグツと煮込みつつ、暗黒渦のなにかをかき混ぜている、生涯の敵──実姉の所業である。
「カオスを創ってる」
真顔でそう返された。それっぽく言ってんじゃないよ。つーか、アンタがその単語を発すると冗談にならないんだよ。
左手に陣取ってるそんな身内から視線を外し、ボクは対面にいる人物の様子を伺う。
紅藤色の髪、寝起きのようにぼーっとしているような紫眼、巫女服の上から赤い半纏を着ている、この境内の核にして主。
朔月の神子、紅蓮朔空────は現在、闇鍋作りに興味を失ったのか、無言で蜜柑を積み上げ始めていた。それはもう、異世界風にいえば賽の河原が如く。
二人ともどうやら知性を溶かしているらしい。
まぁ、彼らの日常なんてこんなものだ。
ここは争いから一切の縁が切られた永年平和の地。どんな殲滅馬鹿でも、どんな最強剣豪でも、戦闘能力を奪われてしまえばこの通り。
障子を閉めたボクは姉の対面、グレンの左手に位置する席に座り込み、積み上げられていた蜜柑の一つを頂戴する。
「あ。待った」
と、ぼんやりしていたグレンの瞳に理性が入る。
その声に、ボクは皮むきをしようとした指先を止め、
「──柑橘理論・分割説」
シャラン、と鈴の音。
目にもとまらぬ速さで発動した斬撃に、瞬間、手元の蜜柑の皮が剥がれ落ちた。
グレンの手には刀。ボクの手にはつるっと露わになったオレンジ色の果実。とても美味しそ、
「「なに今の!?!?」」
たまらず、姉と同時に叫んだ。
今、今今今!! なんかとんでもない光景が通った気がするんだけど!!
「いや、なんかできた」
ほざきやがる張本人。
なんかできたじゃねーッ! 日常の一コマで覚醒イベントを雑に消費してんじゃないよ!!
「すっげー……なんか別の技術として昇華できねーのか、さっきの」
「もうやり方忘れたから一生できないな」
「グレンって馬鹿だよね……?」
やや震える手で蜜柑の一切れを手に取る。筋までキレイにとれていた。
なんと無駄なことに使われる無駄な離れ業。一生に一度の達人芸。
……基本、固有理論は術者の細胞の数から脈拍、血流や魂の揺らぎまで「一致」させなければ発動できない技だ。同じ“理持ち”でも理論を掴むだけで何十年とかかる者もいるというのに、彼はふとした思いつきでそれを構築・発動してみせる。
……恐ろしい話だけど。たぶんこの人、こうやって「使い捨て」た理論、今までに結構あるらしいんだよな…………
そもそも同じ理論を二つも三つも、繰り返し連発できる時点で、“理論使い”としては頭おかしい境地にいる。
ボクや姉といった錬金術師は、理論が発動した瞬間の自己数値を記録して、もう一度使う時に、いちいち身体の内部を「錬成し直す」ことで再演するのだが……
「……」
その工程を、感覚と鍛錬だけで行う超人性──或いは、非人間性。「過去と寸分違わず全く同じ行動を繰り返す」生物なんて、生物としての道理から立派に外れている。
蜜柑おいしい。
「鍋も食えよ。食ってみろよー」
「魚介類ぶちこんでるでしょソレ。食べられるわけないじゃん」
「なにおう。虚数の海で生まれ育った海鮮食材をナメるなよ。サカナはこう、色々と栄養豊富なんだぜ。食べれば運気上昇、筋力増強、精神高揚。百利あって一害なし、だ」
「それってナディアンルーレットでしょ。魔境の魔物たちがやるやつ。効果があるか死か。よくても何らかの後遺症が残ること間違いなしの馬鹿ゲーだよ」
「へ、そうなの? 野宿で小腹空いたとき、よく釣り上げて生で食べてたけど」
────精神耐性がカンストオーバーしてる奴はこれだから。
この世界のサカナとは、海に潜む、実体を持たない精神生命体である。あらゆる物質・事象の観測術たる錬金術によってそれを実体化させ、食べる──そんなの霞を食ってた方がマシだしマトモだ。つまりこの馬鹿姉はマトモじゃねぇ。
「……それさあ。一応聞いておくけど、部下さんたちに間違っても振舞ったりしてないよね?」
「や、指揮官が小腹へったとか申告するのハズかったし。作戦の裏でこっそり食べてました。私だけが知る秘密のB級グルメ! みたいな」
……B級どころかZ級の危険食材なんだけど。なーんで生きてるんだ、コイツ。
この場にバイト君がいたらこう表現しただろう、「姉先輩、宇宙生物をグルメ扱いとか流石っすね」と。まぁ彼の言う『宇宙』とこの世界の宇宙概念は違うモノだけど……
「……異世界のサカナ料理は美味かったけどな」
神子様から隕石級の爆弾発言。今なんて?
思わず半目になって問い詰める。
「食べられるの、向こうのサカナ」
「ああ。精神体ではなく、一つの生物として生息するらしい。カゲアキが持ってきたのは缶詰だったが」
「──へえ。じゃあこっちのサカナも缶詰にすれば売れ、」
「草でも食ってろ食害」
パチン、とボクは指を鳴らした。
瞬間、暗黒鍋の中身が消失する。実体を与えられただけの精神体なので干渉はたやすい。あっさりと“虚構の狭間”にポイ捨てする。
「どわーッ!? 私のスペシャルグルメがぁぁあー!?」
持ち上げた鍋底に嘆きの声を上げる鍋将軍。
今回はボクの視点だ、このまま終わりまでまともな自己紹介も容姿描写もなく、台詞だけの存在として出演しているがいい、姉よ。
「イリス、今さらっととんでもない場所に干渉しなかったか……?」
「さぁ? 基本存在しない場所なんだし大丈夫でしょ」
虚構の狭間。永遠の暗黒。虚空のゼロ地点。──ボクが本来いる場所でもある。
それでもこうして現実世界に嘘が干渉できているロジックは……そう遠くないうちに開示できることだろう。割とこれ、シンプルなカラクリだし。
「マイブラザー! 今日こそ決着つけるか、アァ!?」
「ハ、冗談。人生を百億回やり直してから吐いてよその台詞。二年生じゃ本気にもならないって──」
などと、いつもの下らない、しかし本気の口論の火蓋が切って落とされようとした時、
ドンッッッ、と。
屋敷が──境内が、軽く揺れた。
カタカタカタ……と徐々に揺れが収まり、静寂に戻っていく。
……境内にまで届く地震ってなんだ。異世界からの攻撃か? そりゃあグレンの本業は、そういう方面のものだけど────
「通達。時空震、震度4を計測しました」
「あ、やしろさん」
スラッ、と姉の後ろの襖が開き、白い巫女人形が入ってくる。
白髪メカクレ白着物。機械製の緑眼は、いつ見ても無感情に澄んでいた。
「発生地点は?」
蜜柑の皮をむき始めたグレンが問う。
「座標666。『魔境淵底ラグナディア』、魔王ルシファーの居城です」
「「──、」」
やしろさんが伝えたその情報に、ボクと姉の目つきが変わる。
そんな気配を察知したのだろう、グレンがこちらを見てくる。
「知ってるのか?」
「名前だけは一番有名な魔王だよ。トラブルなんて珍しいね、非戦主義者の皮がついに剥がれたのかな」
「あいつは終末戦争中、もっともおとなしかった魔王のトップワンだぞ。六百年、いや終末神が顕現してからの千年間、なんの動きもなかった。理性消えてる魔境の俗物の中でも、一番の賢王だと思ってたんだけど」
……姉がそう言うのなら、きっとその人物像はあまり外れていないのだろう。人材を見極める眼だけは確かなものだ。
「境内への影響値は?」
「全テクスチャ及び全機能、異常値は0.02%以下です。既に修復完了しました」
「あっそ」
剝き終わった蜜柑を食べる社の主。
空気はもう一切興味ナシ、外界自由にやってろ宣言だった。
「……ん~~~~……やしろさん、外部通達、いつぐらいに来るかな?」
と、姉が悩まし気にそんなことを言う。
優秀すぎる機械人形は、すぐさまその、「未来予測」の結果を口にした。
「最高確度は五時間後です」
「速ェーよ技術班。いや総長変わったんだっけ? ……しゃあないなぁ、こっちから行ってあげますか」
よっと、と腰を上げる黒い天敵。
立ち去ってくれるなら好都合だ、とボクは呼び止める言葉もかけない。
「ちょっと職場復帰してくるー。行ってきまーす」
──行ってらっしゃい、などという決まり文句を言う者も、ここにはいない。
境内は来る者あまり拒まず。それに立ち去った者の再訪を強制することもない。
ボクは言うに及ばず。二度と帰ってこなくていいよ、なんて要らない言葉もない。言ったら逆に帰ってきそうだし。
かくして十分後。
境内からは一人分の気配が消えた。
そして以下に朗報。
以後、彼女がこの部屋に戻ることはなかった。




