42 エピローグ
桜の花弁が宙を流れていく。
地平線で停止したままの黄昏の光が、その庭を照らしていた。
「──ふうん。それで帰ってきたってワケ」
これまでの話を聞き終えた少年は、カチャン、と紅茶のカップをソーサーに置いた。
十二歳ほどの少年だった。真っ白な髪色に、刺すような赤い瞳。その鋭い目つきは姉譲りか。
白いパーカーに白羽織、半ズボン。子供という概念をそのまま体現したような彼は、対面席に座るサクラを見た。
「アルクス大陸ねぇ……ボクらにしてみたら、まさに『新天地』だね。で、帰るついでに第四位を討伐してきたと。──久々に外に出たと思ったら、またそんな伝説作ってきて。グレン、外界との関わり方下手すぎでしょ」
まったくもー、と息を吐く少年の名を、火楽祈朱。
サクラのことをグレンと呼ぶ、アガサの実の弟である。
「イリスも行きたかったか?」
「そりゃあグレンがいるところならどこへでも。姉さんが同行する極大デメリットを飲み込んででも、その大陸に行く価値はあるね。特に魔術ってのが気になる。ぜひとも学習したいね」
「向上心が高いことで」
「使える手札はたくさんあった方が便利でしょ?」
道理だな、と頷き、サクラはフォークで皿のケーキをつつく。
境内の庭の一角にあるのは、白テーブルの茶会セット。アルクス大陸の文化を再現したデザートの品々は、全てアガサによる作品である。
「けどさ、良かったの? その『自称炎竜』ってゆーの。次にアルクス行ったら、国も大陸も薪にされちゃってましたー、なB級的オチとかにならない?」
「さてな。それは向こうの人類の努力次第だ」
「うわ、薄情。でも意外だよね、グレンが上位存在を見逃すなんてさ。帰り際にサクッと一撃殺! なんてコトもできたんじゃないの?」
「……今回は見逃すさ。なにせ一度、命を救われてる。気紛れにせよ享楽にせよ、その貸しを無視して斬りかかるほどの脅威じゃない」
「じゃあ次に会ったら?」
「時と場合による。メンドくなったら逃げる、邪魔だったら殺すだ」
「テキト~。でもボクだってそうする。正体不明に関わるなんて、それだけで面倒ごとに違いないし!」
少年の悪魔はニコニコしている。
単に面白がっている……のもあるだろうが、彼はただ単純に、サクラと言葉を交わすのが愉しいようだ。
それに羽織の剣士は、いつものイリスだなぁ、と思うだけだったが。
「しかし、対処の模範解答があるなら聞いておきたいな。──やしろさん」
サクラが声掛けに視線を向けた先には、箒掃除をしていた白い人影があった。
滑らかな動きで振り返ったそれは、二十代の、若い女性の容姿をしている。
胸元まで垂れた二房の白い横髪。毛先にかけては赤い髪留めが飾り、後ろ髪は深紅の長いリボンで上にくくられていた。純白の羽織と着物は、性別を超越する完璧に美しい容貌と合わせて、神聖な印象を強調している。
だが人形の緑色の瞳には、生気の欠片もない。
その右目は長めの前髪に隠れ、覗いていた無機質な左目が神子を見た。
「──記憶情報、統合。精算開始。演算終了。──回答します。対象の最終目的を定めさせ、聞き出した上で有効活用すべきかと」
「……そうか。記憶が曖昧なら、適当に洗脳してその場に応じて使い捨てればよかったのか……」
「グレーン、それ言ってるコトが全部人道から外れまくってるから。ヴァンさんが聞いたらドン引きするやつー。実行しちゃダメだからねー?」
「そうなのか」
この少年にしては意外な指摘だ、とサクラが思ったのも束の間だった。
「そうだよ! 洗脳だの使い捨てるなんてもったいない! ちゃんと寄り添って、信頼を獲得した上で、捕まえて有効活用! 丸々上位存在なんて、肉体も精神も魂も、『捨てて』いいところなんてないんだからっ!」
「すごく錬金術師だなあ」
思考が。倫理が。道徳が。
築いた信頼さえ素材化するというのだ、この少年は。サカナか何かだろうか。もはやリュエのことを、狩り甲斐のある獲物としてしか見ていない。
「? 極めて平凡な一般論を語ったつもりだけど。……ま、ここにいないものの用途を語っても仕方ないか。じゃあ名前を出したついでに、やしろさん。『黄昏家』って?」
テーブル席の近くまで歩み寄ってきた機械人形が、はい、と応答する。
「──ライブラリ内に記録あり。『月界線の社』、草創期の構成部隊にある家名の一つと一致します」
「えっ」
「──それホント!? 草創期って龍暦の頃の話でしょ!? ボクらの先祖と同僚だったの!?」
「……正確には、俺たちの先祖は、その家名を受け継いだだけの人間だがな。しかしそんなに古い縁があったのか、アイツ」
ヴァン・トワイライト。
彼の在り方には一種の眩しさを覚えていたが、そこまで近い縁が初めにあったと聞くと、出会えたのも偶然とは思えなくなってくる。
……出会いといえば。
「……じゃあ、ジェスターは? 俺の記憶から、なにか奴に関する情報はあったか?」
「古い魔族と推測します。肉体年齢は最適化された状態で『停まって』いますが、千年分程度の経験と知識量を持つかと」
「噂の第一村人だっけ? ボク、その人には会ってみたいなぁー。胡散臭い人とか大好きだし。凄いペテン師の予感がするよ、直感だけど!」
「そんな風には見えなかったが……」
言動はともかく、間違いなく有能な医師、科学者ではあった。
■の悪魔である少年が好みそうな要素は、あまり見受けられなかったが──と考えた時、やしろさんと呼ばれる人形が発声する。
「追記事項算出。神子の魔導炉に施された治癒術式からの逆算結果、工夫性と発展性は十世紀先のポテンシャルが算出されます。──結論、千年に一度の人材です」
「じゅ……」
流石の予測結果に、サクラも言葉を失った。
はて、と耳を疑ったイリスは首を傾かせる。
「……十世紀って、何世紀だっけ」
「質問内容を是正して回答します。十世紀は千年に相当します」
「い、生きたオーパーツじゃん……!」
「……有能って、そこまで……」
あの黄緑眼鏡、千年後の宇宙人かなにかだったのだろうか。
そのうち科学文明の水準を壊しかねない。いや、もしかすると壊せると分かっている上で調整している部分は……あってもおかしくないだろう。
「……ちょっと思ったんだけど。ジェスターさんって、『聖人』だったんじゃないの?」
イリスの突然の可能性提示に、サクラは数瞬、考え込む。
「……でもアイツ、未来が分かってるようには──」
「黒騎士の襲撃とかどうやって察知したのさ。その人の言う“直感”って、『啓示』だったんじゃないの?」
────そういえば。
「言われてみれば……そうだな。なんで今まで疑問に思わなかったんだ……?」
「……ふうん。そうとう話が上手いんだ。ねぇやしろさん。グレンの記憶から、ジェスターさんが聖人である可能性は算出できない?」
「聖人を定義する数値データに空白があります。入力してください」
「ダメかー」
「いや、そもそもアイツは不治の病を患ってると言っていたぞ。啓示を果たさない限り不老不死である存在とは言いがたい」
「それは単純な言葉遊びって線も解釈できるでしょ。『不老不死を治したい』って考えなら、そりゃあ不治の病って話にも説明がつくし」
「──あ」
衝撃の考察だった。この少年は探偵役が似合うかもしれないな、とサクラは思う。
けどなぁ、とイリスは紅茶を一口飲んでから、
「不治の病、にも種類があるからね。ま、会ったことない人を無駄に疑ってもしょうがないし、この話はここまでかな。とにかく早々たる面子だったんだね、超抜存在に挑むだけはあるほどの。……それに出くわせるグレンの運の巡りもどうかと思うけど」
いいなぁー、と頬杖をつく少年。
その期待と羨望の声は、未知なる大陸へ向けられたものだろう。
「──~~~~っあ~、つっかれたぁ! 自主休憩ー!」
「うわ。出た」
現れた人影に、少年の顔が苦渋のものに変わる。
サクラも視線をやると、巫女服姿のアガサがこちらへやってくるところだった。いつぞやのように黒髪はストレートに流されており、やたら服装とマッチしている。
「冒険譚は聞き終わったかよ出遅れブラザー? いや残念残念! 研究バカだったばかりに、せっかくのフィールドワークの機会を逃すなんてな~!」
「別に出遅れてなんかないけど。むしろ周回遅れなのはそっちじゃないの姉さん? せっかく二人きりで冒険したのに、今までのブランクを取り戻すだけで精一杯だったんだし」
「ウルセェわ。ここから挽回するんだよー!」
「……やしろさん。こいつら何の話をしてるんだ」
「極めて利己的な益に基づくプロパガンダと推測します」
「? ……??」
サクラは言葉の意味を考えようとしたが、どれも暗号じみていて分からなかった。こういう時、つくづく頭の造りが違うとついていけないのが痛い。
シッシ、とそこでイリスが片手を振る。
「さ、とっととボクの視界から消えてよ姉さん。その強制労働は『社の神子』を私用で拉致った制裁でしょ。とっとと消化しないと職場にも戻れないよ?」
「いーよ別に。しばらくはバカンスするさ。仕事があれば、どうせ呼び戻されるだろうし」
その発言にサクラは小首を傾げる。
「職場、爆破させたのに?」
「爆発くらい、唯一国じゃよくあることだし。半年に一回はどっかの工房が吹き飛んでるからなー。それに私ってば替えのきかない有能人材なので。始末書に追われてるだろう部下たちの逆襲が今から怖いぜ!」
「あはは。──いっそ死刑になればいいのに」
「フハハ。──銃殺刑処すぞテメェ」
悪魔同士の殺気がぶつかり合う。
直後、アガサが黒拳銃を、イリスが白い拳銃を互いに向けたところで。
「警告。境内における戦闘行為は禁則事項です」
ズヴァチィ! と小規模な雷光が奔った。
瞬間、二人の手にあった拳銃は炭化し、この世から消え去った。
「「……ご、ごめんなさい」」
久々に味わった恐怖からか、珍しく二人の謝罪が重なる。
封社やしろはその声に一切答えることなく、箒掃除というタスクを無言で続行する。
それらの光景を、サクラは完全に日常風景の場面としてしか認知せず。
「このアイスケーキ……美味いな……」
一人、異邦から持ち帰った絶品に舌鼓を打っていたりした。
こうして異邦への遭難譚は幕を閉じる。
赤いアンノウンは黄昏から消え、遭難者たちは無事生還。
しかし遭難譚に幕はあれど、世界に降ろされる幕はなく。
主役たちは一時、次の幕がくるまで、自分たちの現実を謳歌する。
「次にアルクス大陸に行く機会があったら、ボクも連れていってよ」
「行ってこい行ってこい、一人でな。二度と帰ってくんなよマイブラザー」
「姉さんは呼んでないし。次はグレンと二人っきりで冒険するし」
「外出したくないんだが」
「えー! 行こうよ! じゃあ分かった、間を取って、ボクが語り手になってグレンの魅力を余すことなく実況するからさ! ねえ!」
「「どういう間の取り方だよ」」
境内の庭は彼らなりに騒がしく。
そんな喧騒から離れた位置。箒掃除に務める巫女人形の中では、次の計算が開始する。
──取得記憶データを事象演算に入力……完了。未来の仮想演算開始。世界正常値の変動により、次の可能性を内部メモリに伝達します──
機械の瞳の先はここにあらず。
現在を離れ、主役ならざる人形だけが、彼方の数値を見据えていた。
第一章 境界トワイライト END




