39 顛末Ⅱ
知識神ロギア。超抜存在、人理兵装といった記述がある、『古代予言』の著者。
決してロギア自身が予言したのではない。他の神々の予言内容を、ロギアが書き綴ったというものだ。
ラグナ大陸にも伝わる、知識の神。その本人……いや本神の果てが、目の前の悪魔だと?
「…………元、神?」
サクラの紫眼には、警戒するでもなく殺意が灯るでもなく。
いきなり何を言い出してるんだこの悪魔は、という疑念に満ちていた。
「ふむ、全然信じていないな?」
「どう見ても精霊混じりの悪魔にしか見えないからな」
困惑気味のサクラに対して、悪魔はのんきに魔術で焼き菓子を乗せた皿を取り出し、食べ始める。
「察しはついているだろうが、私の知識欲は並のものではなくてな。知識の神として全てを識っていた『私』だったが、それでもなお、知りえぬモノがただ一つだけあった」
「というと?」
「『未知を知ろうとする行為』──つまり『学習』だ。初めから全てを識りえていたが故に、私は学ぶという行為とその意義を知らなかった」
「それはまぁ……」
全知なのだから、その矛盾は然るべきものだろう。
いや、だが待て。その流れでいくと、
「じゃあお前、まさか」
「そうだ。私は全ての記憶を消去し、神の座を捨てた。今生は通算、106億203回目の人生になる」
「────が、」
知識欲とか好奇心とかいう次元を超えていた。奇人、狂人、変人という評価すら生ぬるい。
怖気すら走ることを言ってのけた目の前の怪物に、どうにかサクラは問いかける。
「……今まで、その、何億回と転生を繰り返してきたのか?」
「ああ。手始めに虫、魚、微生物から動植物、無機物の全てに至るまで。大体コンプした後は魔族だ。それでまず、この悪魔サリエルとして転生してみたというわけだ」
「………………」
人生設計のスケールが違いすぎる。来来来世以上を見据えて生きているというのかコイツは。
「ま、この世界にはびこる生命たちの一生も直に体験してみたかったからな。どれも実に有意義な時間だった。──しかし、少し悠長にしすぎたな。まさか人間が絶滅……いや、消失してしまうとは予想外だった」
サリエルを名乗る者の瞳がサクラを見る。
「なので知識欲から、最後の人間である君には興味がある。人間の瞬きの生とは、一体どういうものなのだ?」
「……どうと言われても」
それが本題か、と思いつつ、改めて訊かれても、それはとても答えづらいものだ。
彼の道のりは未だ半ば。瞬きとすら思えていない、たかが数十年の半生を、どう表現しろというのだろうか。
「……月日は過ぎ去ればあっという間に感じるけど、その時を生きている間は、先を思うと気が遠くなるくらい長い、と感じるような……」
「──ほう。過去は地層のように、未来は永劫のように、か。やはり魔族や神とは異なる視点だな。面白い。そして実に無念極まる。貴重な体験を逃したな、私は」
「……特に他意はない質問なんだが、なにか企んでるのか?」
「企む? そんな暇は今のところ存在しないな。今の私は『サリエル』という魔族の生で得られる知識の収集に忙しい。神に戻ろうという気もないし、全てを知りえた暁には、その自己功績を以って消滅するつもりだ」
──なるほど。これは確かに、元神だ。
彼は知識……否、人生の蒐集家だ。それを集めるだけ集めて、その先で何かをなそうという気もなく、集めるだけで満足し、何も残さずに消えることを目標とする存在。
行動動機は狂っているという他ないが、実に、らしく生きている。
まっとうな神で、まっとうな上位存在の視座を持つ、独りの賢人だ。
サクラは菓子を一つ取りながら、言葉を放つ。
「……じゃあ、知識の専門家に、少しばかり質問してみたいんだが」
「なんでも訊くといい。護国の功労者たる君になら、いかなる問いにも、私の持つ知識の範囲で答えよう」
気前のいいことだ。
なら遠慮なく、とサクラは問いを口にする。
「──唯一神と絶龍は、どっちが先に顕現したんだ?」
「……いきなり昔のことを訊いてくるのだな。今の時代で、その名称を聞くことになるとも思わなかったが」
「答えられないか? 記憶、消えているし」
「記憶がなくともその程度なら推測は容易い。どちらが先か、という話なら、それは唯一神だろうな。唯一神が絶龍を創り、全ては始まったといえよう」
唯一神が始点にある──それはサクラの知識とも一致することだ。
次の質問に移る。
「──二つ目だ。この世界を創ったのは、唯一神と絶龍のどちらだ?」
「『その両方』だ。この世──地上世界は唯一神と絶龍、二柱の創世神によって生み出された。……そこになんの目的があったかは、私も知るところではないがな」
「……三つ目の質問だ。唯一神と絶龍は、今どこに?」
「ふむ……難しい問いだな。少なくとも絶龍はこちら側の次元の裏側の奥底だろうが、唯一神の方は本当に分からない。行方知れずか、とうに死亡したか、確証がない。少なくとも絶龍は死んだと判断したのだろう。でなければ次元は、今のように二つに割られていない」
「……そうか」
「他に質問は? なければ、次は君の半生に関してインタビューしたいのだが」
いや、とサクラは言葉を置いた。
「これが最後の質問だ。ザカリーは何人目の聖人だ?」
「……人の身でそんなことまで知っているのか。答えは三人目だな。本人から伺ったことだから間違いない」
そういえばサリエルは、王国の建国前から、ザカリーに魔術に関する知識を授けられていたのだったか。
サリエル自らが【魔術の理】を広められなかったのは──転生の際に記憶を消した影響か。
「良し……いま訊きたいのはこれくらいだ。唯一神の存在は聞いていたが、絶龍の伝承はラグナ大陸にはなかったからな。知識のすり合わせができた、礼を言う」
そう伝えると、サリエルが意外そうな顔をする。
「おや、本当にこれで終わりか。てっきり、もっと突飛な問いがくるかと思っていたのだが」
そんな反応に、サクラは少し迷ってから、
「──じゃあアンタ、人理兵装を壊す方法とか知ってるか?」
などと、個人的に、本当に問いたかったことを口にした。
それに対し、サリエルはやや呆気にとられる。
「……──考えたことも無かったぞ。なんだ、どういう経緯でそんな質問が?」
「個人的に警戒している兵装保有者がいるだけだ。今のは『あるなら知っておきたい』という程度の疑問だよ」
「……、」
サクラへ、悪魔が言葉を返す前に。
『──失礼。そこに、我が恩人様はいるか?』
コンコン、と外から控えめなノック音と、男性にも女性にもとれる、柔和な声が聞こえた。
◇
時は一日前。
──第四位・境界竜の介錯は終わった。
倒れ伏していた竜の亡骸は光の粒子となって消えていく。それを眺めながら、鞘に刀を収めたサクラは、次に起きた、世界の変革を目の当たりにした。
ドッッ、とまず地上が揺れた。
粒子と消えた亡骸があった箇所を見やると、そこには小さな芽が生えていた。だがそれも一瞬のことで、みるみる内に芽は若木へ、若木は大木となり、大木は一気に根を伸ばし、真っ白な巨樹へと育ちきる。
「……!」
根っこをかわしながら、サクラは大樹から距離をとるために走り出す。白亜の幹は、もう天上を穿ち貫くほどの長さだ。大樹が遥か遥か上空で枝を広げ始めたころ、枯れていた大地は、大樹を中心にして緑の草原へと塗り替えられていった。
(これが世界樹──)
ようやく根の侵食が収まり、サクラは立ち止まる。
空気を潤していく魔力……いや、神気の気配。ここだけエーテルの濃度も、ラグナ大陸並だった。
「!?」
ごぉ──ッ、と風を巻き上げながら、大樹に場の魔力が収束する。
一瞬の閃光の後。白い大木の前には、強大な気配が顕れていた。
『──地上への顕現、完了。地竜ロヴァルグラン、ここに存在を証明する』
万象を震わす、厳かな響き。
サクラの眼前には、体長三十メートルほどはある、土色の鱗を持った竜が在った。
大きく両翼を広げ、その黄金の双眸がサクラを射抜いた時──数秒、場に沈黙が訪れる。
『…………ふむ、どうやら貴方は、天空の人間ではないらしいな?』
──鋭く息を呑む。
いや、考えてみれば当然の話。世界樹を枯らした元凶がアルクス大陸の人間だというなら、その同種であるサクラを、地竜はどのように判断するのか。
「……ああ。俺は別の次元から来た人間だ。地竜ロヴァルグラン、復活して早々悪いが──」
『みなまでいわなくて良い。全て把握した。
──第四位の討滅、見事である。客人を無事に故郷へ送り返すのは始祖竜としての務めだ。また──』
竜の巨体がわずかに動く。その首がサクラの近くまで下ろされると、瞳を閉じて地竜はこう続きを紡いだ。
『──世界樹に囚われていた我が身の解放、心より感謝申し上げる。恩人様よ、どうか貴方の名を、貴方の口から伺いたい』
「──、」
想像と大きく異なる、その始祖竜の言葉に。
サクラが返答するには、少しばかりの時間を必要とした。
◇
──時は現在へ。王城西棟廊下。
月明かりが照らす青絨毯の通路を、サクラはその存在と歩いていく。
「急に呼び立ててすまなかった。だが今しばし、どうか貴方の時間を我に使わせてほしい。贅沢な頼みとは、承知しているが……」
先導する目の前の人物が、そう声をかけてくる。
──始祖竜、地竜ロヴァルグラン。
美しい、絹のような長い金髪に、縦長い瞳孔を宿す金の瞳。
男性とも女性ともつかない声と、畏れすら抱かせる整った容姿は、二十代前半ごろ。
白いケープにも似た衣服の袖は長く、手先は見えない。丈長の裾からは土色の長い尻尾が歩くたびにゆらゆら揺れ、左右の側頭部からは大樹を思わせる茶色の角が二本、下がり気味に生えていた。
「……、」
廊下の真ん中で立ち止まり、振り返ってきたそれを、サクラはなんとも言えない顔で見つめ返す。
炎竜は一目見たときから、話にならない相手だと直感したのだが。
この目の前にいる地竜は──なんというか、
(……イメージと違う……)
すごく話が解りそう。
炎竜よりも、良い意味で上位存在らしいというか、上位存在を名乗るに相応しい貫禄がある……というか。
純粋にこう、殺意を抱いたり、殺気を向けることに抵抗感を覚える。
間違いなく、害してはならない神聖のモノ。そういった印象が強かった。
「しかし、こうしてまた人間に相まみえるとは思わなんだ。……もう貴方で最後の一人とは、やはり儚きよ、人の生は」
「──それ。なんで俺の種族が分かったんだ?」
「そういうのは見れば分かる。我は『存在』を司る始祖竜でもあるから自動的にな。……普通に権利侵害モノの力だな。すまない。自刃した方がいいか?」
「待て待て待て落ち着け」
ジャキィ! と突如として地竜の手元に現れる鉱石ナイフ。すっと首元に向け始めたところで、流石に止めに入る。
正直、死ぬのは勝手にしろだが、そういうのはラグナ大陸に帰してからにしてほしい。
「……御託はいい。用件はなんなんだ」
「それもそうだな。では、本題に移ろう」
ナイフを仕舞い(というか消えた。どんな原理なのか?)、ゆっくりと地竜はこちらに向き直る。
「まあ、その……炎竜について、なのだが」
「あぁ……お前の同胞か。言っておくが世話になったつもりはないし、世話したつもりもない。礼とかは要らないぞ」
「……そうじゃなくてな。その……」
「?」
言い淀み、ではない。なにか言葉を選ぶような沈黙の後、地竜は、真っすぐにその黄金の瞳でサクラを見た。
「……どうか心して、落ち着いて聞いてほしい」
そう置いて。
そして通る声で、言った。
「あの炎竜、誰だ?」




