03 逃走奇曲
「お前、竜だし俺たちを乗せて飛ぶとかできないのか?」
「……できなくはないが。魔力の無い状態で飛ぶの、すっごいダルいのよなー……」
「しばらくは陸路で行こうぜ。空が安全とも限らないし」
それもそうだな、とサクラたちは軍用車両に乗って移動していた。
しばらく森を進み、やがて目の前には広い砂漠地帯が現れる。しかしそこにも命の気配はない。
寂寞な砂の海を、ブロロロロロ、と車の走行音が横行していく。
「……なんにもないな」
「ココ、辺境の砂漠とかじゃないよね? 徘徊してる怖い老兵がいたりしないよね?」
「どういう例えなのだソレは……? 汝らの知っている存在など、いるわけなかろう。ここは“別大陸”なのだからな」
まずはその話か、と助手席のサクラは、軽く後部座席に振り返る。
「ラグナ大陸じゃないなら、ここはどこなんだ?」
「『アルクス大陸』だ。本当に知らんのか?」
聞いたこともない名称だった。
アガサにも視線をやるが、ハンドルを握ったまま小首を傾げるだけだ。
「我もここに来るのは随分と久しい。魔力は潤沢、人間たちの覇権国家も乱立する賑やかな土地。……うむ、実のところ、あんまりよく思い出せないが……そんなイメージだ!」
「人間って……」
久しく、それこそ三年は聞いていなかった単語にサクラはげんなりする。
人間には良い思い出がない。皆無に絶無。あんなものがまだいる土地と思うと、重たい気分になる。炎竜の話が真実ならば、ここは自分にとって地獄だろう。
そんなサクラの様子を知ってか知らずか、アガサが話を進める。
「やっぱ異世界とかじゃないんだ? ラグナ以外の大陸なんて聞いたことないケド」
「ああ、位相が異なるだけで同じ世界だ。二つに分かたれた地上、その片側よ」
「分かたれた……? 元は一つだったワケ?」
「一つだったぞ。だが、それを創世の龍が引き裂いた。あんな大事件、後にも先にもなかろうよ。……そんなことも忘れ去られるほど、時が経ってしまったのだな」
創世の龍。創世の龍?
更なる未知の存在に、ますますサクラの眉間にシワが寄る。
この世界の成り立ちについては、神子の業務をこなす上での基礎教養科目だ。だが、創世龍など聞いたこともない。だったら自分が知っている創世神アルスティエラはなんなのだ。
「かつて龍は、とある神を愛した。だが喪った。世界が引き裂かれたのはその時だ。亡き神に捧げられたのが汝らの故郷……ラグナ大陸であり、一方で龍はこちらのアルクス大陸に篭ったという。この一件から、かの創世龍は断絶を司るもの──『絶龍』とも呼ばれているな」
サクラは奈落に落ちる前のことを思い出す。
怒りと怨嗟が混ざった、あの世界の底から響き渡ってきた咆哮を。
「……炎竜。その亡き神、というのは」
「全ての神々の大元、世界の根源。──唯一神アルスティエラ様だ。まさか知らぬわけあるまいよな……?」
(……、)
知る知らないどころか、最悪のタイミングで最悪の相手に自称されたことがあるのだが。
どうリアクションを返していいか分からず、サクラはただ沈黙する。
「私は創世神話とかあんま詳しくないし興味ないけど。そもそもさ炎竜、お前の話ってどこまで信じていいの?」
「あぁ!? 始祖竜が嘘を吐くか、不敬者! そのような下らぬ愚行、戯れでも犯してたまるかッ!」
「へ? 始祖竜って嘘つかないの?」
「つかん! 他の同胞にも訊いてみるがいい、会えたらの話だがな!」
嘘を吐かない。嘘を受け入れない。認めない。
なるほど、それはなんというか。
──実に上位存在らしい、傲慢だ。
「はぁ、まったく……して、我こそ聞きたいことがあるのだ。この直近数百年、何があった? 始祖竜という言葉すら忘れられたのはショックだが、それ以上に、なぜ汝らはそんなに我への殺意が無駄に高いのだ!」
一瞬、サクラはアガサと視線を交わす。アガサは何も言わない。情報共有の範囲はサクラに一任するようだ。
意を汲んだサクラは、聞かせる情報を頭の中で整理しつつ話し始める。
「──およそ千年前。ラグナ大陸では四柱の神々が顕現した。奴らは勝手に支配権を争い合い、その代理戦争に人類は駒として四百年間、使われた」
「……え」
「だが六百年前、一人の叛逆者が一柱の神殺しをなした。『千城騎士エディンバルト』……彼の偉業を皮切りに、人類と神の戦争──終末戦争が始まった」
「……お、おお……」
「酷い時代だったと聞いている。俺もアガサも伝え聞いただけだがな。俺たちが神、並びに上位存在と名乗る奴を敵視するのは、三年前の戦争終結まで常識だったからだ」
「……三年前か。かなり最近だな。我が目覚めた時期も、ちょうどそのぐらいだぞ」
サクラは小首を傾げる。ラグナロクと炎竜の覚醒。なにか繋がりがあるのだろうか?
そんな内心を知る由もなく、炎竜はふーむ、と腕組みした。
「しかし神と人類が……か。随分と壮絶な状況だったのだな。しかし解せんな。神ともあろう者が、なぜわざわざ人類を支配しようとする? 奴らは単独で完結する存在だろう。『支配』というのは人類側の社会システムのはずだ……『在る』だけで価値と意味を示す神が、なぜそのような無駄なことをした……?」
「……何が言いたい?」
「貴様らが戦った相手は、本当に神だったのか?」
「殺すぞ☆」
一言だった。
アガサが軽く放った一言に、炎竜の背筋が凍り付く。軽い声色とは裏腹に、明確な殺気が篭っていたからだ。
殺気に慣れているサクラは、両者間の最悪な空気を察しつつも無視する。
「炎竜、なんでそう思った?」
「そ、そもそも、神が支配などする必要もなく、この世は人類だけで廻るハズだっ! そのように設計されているからなッ!」
「根拠は?」
「人間だッ! 人間がいるだろう! 愚かかつ短命、そう、不完全故に最大の成果を生み出す種族! 人間の魂は世の理そのもの! 異能として発露するそれらは、個々に与えられた、世界運用のための役割に他ならない──いつの時代でも数を維持するあやつらがいれば、神も地上に降り立つ愚など犯すわけあるまい!」
「人間は絶滅したぞ」
「そうだろう? だから人間こそは────なんて?」
空気が止まる。
会話が死ぬ。
静寂の中、車の走行音だけが変わらず続いた。
「は────は!? はあぁあああアアア────ッ!?」
やがて無人の砂漠に竜の叫びが響き渡る。
「ぜぜ、絶滅!? 絶滅ゥ!? マジで!? なんでぇ!? いつどこでッ!?」
「神々が顕現するより少し前、だと聞いている。『終焉戦争』という、ラグナロク以前にあった人間同士の最後の大戦争。そこで絶対数が落ち込み、生き残りは神の顕現と共に粛清された……とな」
サクラは隣から視線を一瞬感じたが、気にする素振りも見せなかった。
「いやっ……いやいやいや! ありえんありえーん! あってたまるかそんなコト! 人間の魂は普通の種族の魂とは違うのだぞ! 理そのものだぞ! 輪廻転生の流れに則り、無限に流転するハズだ!」
「転生はするが無限じゃない。魂にも限界がある。人間は、もうとっくにその回数を使い切ったんだ」
「…………嘘ぉ……嘘といえ……えー……」
サクラの追い打ちがトドメになったか。
ぐたり、と後部座席で赤髪の少女は横に転がる。情報の許容量がオーバーしたようだ。
「お、おかしい……なにもかもがおかしいぞ、ラグナ大陸……! そこ、本当に人界かッ!? ていうか神VS人類って、まさかソレ、悪魔も人類側にカウントされているのか!?」
「いや、ご覧の通りだけど」
アガサがさらりと返す。
正確にいえば、彼女は悪魔と人間のハーフであったりする。
「どういう関係だ貴様らぁ! サクラよ、この悪魔に唆されているのではないか!? 無理難題を吹っ掛けられた挙句、強制的に契約を強いられているとかッ!」
「いや、ただの幼馴染」
「予想遥か斜め上ッ!? そんなことが成り立つのか!? 悪魔の魔力は『呪い』そのもの、近くにいるだけで、こう、ゾワゾワするというのにッ!?」
「それこそ無用の心配だ。俺に大抵の呪いは通じない」
「なんだその特殊能力、いや特殊体質は!! 貴様、まさか啓示を受けし聖人かなんかか!?」
聖人の存在は知っているのか、とサクラは片眉を上げる。
「よく思い出せない」と言う割に、知識だけは蓄えがあるらしい。
「おいリュエ。あんま騒いでると、魔物に見つか──」
アガサの忠告が続いたのはそこまでだった。
刹那、三者は空気の揺らぎを感じ取る。まるで地表が動くような、そんな気配。
ゴッッッ!! と左手で大地が爆発した。砕けた岩盤が散らばって行く中、車両を巨大な影が覆う。
【□□――!!】
「「「――、」」」
全員、言葉もなかった。何も言えなかった。
そこには十メートル大の、馬のような結晶の怪物が立ち上がっていたのだから。
「……なんだあれ」
サクラの呟きが場の総意だった。
不可解。不可思議。未知。その全て。
耳慣れない金属を引っかいたような鳴き声は機械的でいて、不気味。
頭部は平たい能面状、胴体もオブジェクトを組み合わせたかのようなソレ。薄青の透き通るような材質は、まさに動く結晶の像そのものだ。
【□□――】【□□□!】【□□□□――ッ!】
車両が道なき道を突き進む中、森の奥からも次々と結晶の存在がわいてくる。馬型の個体よりは小さいが、どれも四足のようで、恐るべき機動力でサクラたちの車を追いかけ始めた。
「ああクソ、普通に敵かッ!」
「き、来てるー! なんか追いかけてきとるぞーッ!」
「炎竜、伏せてろ」
アガサが悪態をつく中、立ち上がったサクラは後部座席に移る。既に鯉口は切られており、すぐそこまで迫っている結晶の化物たちを紫眼が見据えた。
「抜刀理論・空斬説」
真一文字に放たれる不可視の斬撃。
それは怪物たちを両断するに留まらず、周囲の木々まで伐採する。倒木が道を塞ぎ、追ってきていた化物たちの姿は見えなくなった。
「おお! やっ――」
「――てないな。手応えが浅い。まだ来るぞ」
果たしてサクラの言葉通り。
数秒と立たずに、倒木を飛び越えた四足獣たちがやってくる。追っ手の数は片手で数えられるほどだったのが十に増え、その奥からは、
【□□□□□――ッ!】
先の、十メートルはある巨大馬が飛び出し、その頭部から無数の白い光線が、無差別に射出された。
「社門朔月説」
サクラが縦に刀を振ると、六メートル大の鳥居が出現する。
複雑な軌道を描いた光線の多くは、境界の壁に阻まれる。しかし間髪入れずに、次の弾幕が怪物から放たれた。
それは上へと、高く高く。
鳥居の高度を超えて、雨となった光が走行車の位置を捉える。
咄嗟にアガサが叫ぶ。
「こっちで引きつける! 雑魚処理任せたッ!」
「――了解。抜刀理論・空幻説」
上空の攻撃を無視し、サクラが車から跳躍した。
先ほど出した鳥居が消えるのが見える。空中へ身を投げ、追随してくる結晶獣たちへ大斬撃を繰り出す。波のようにうねった斬撃は、小型の者どもを一掃し、更に奥にいた馬の怪物までも縦に割り裂いた。
光の雨が降ってくる。
直後、巻き起こった轟音と閃光が、全てを塗りつぶした。
◇
(……この手応え、核があるタイプだな……ん?)
光が収まり、場が静寂に満ちた頃。
目を開けたサクラが見たのは、結晶の残骸や倒木が散らばっている惨状だった。
どれもこれも、一瞬前の自分が行ったことである。地面の轍がある方向を見ると、乗っていた軍用車両はおろか、アガサやリュエの気配もなくなっていた。
「――あ」
原因は一目瞭然だった。
大地が、落ちている。
崖崩れよろしく、ごっそりと先の道は削れていた。
納刀して断崖絶壁の近くまできたサクラは、下に広がる森林を覗き込む。地上までの高さは、四十メートルほどあるだろうか。茂った森のせいで、二人の安否までは確認できなかった。
「社門」
迷わず中空に鳥居を出し、跳び乗る。
そのまま鳥居を階段状に下へ下へと出現させていき、跳び降りていく。地上の様子が見える高さまで降りてざっと周囲を見渡すが、崩れた崖の近くには車両の一つも落ちていない。
「……?」
不可思議な状況に一抹の不安を抱いたとき。
【□□□□□──!!】
「!?」
やや崖から離れた東に、再び例の結晶獣が見えた。
木々を薙ぎ倒しながら走っている。何かを追いかけているようだ。
アガサたちか? というサクラの期待はすぐに打ち消される。
「──あーはっはっはっはっは! はーはっはっはっはっはー!!」
森中に響き渡らんばかりの笑い声。
爆笑しながら爆走する何者かは、
「だーれーかーたーすーけーてぇええ――――!?」
どうやら、命の危機にあるらしかった。
2024.05.26追記:加筆・修正