38 顛末Ⅰ
コツ、と軽く板を叩く音がした。
その部屋の空気は異質だった。見上げるほど高い天井はドーム型で、まるで鳥籠のようだ。赤と黒を基調にした内装は、豪奢と呼ぶには落ち着きがあり、質素というには気品がありすぎる。
何よりその部屋を満たしているのは──本。本だ。壁にはぎっしりと本棚が備え付けられ、どこを見ても知識の書庫。息苦しさすらあるこの異様な室内は、知の小宇宙と表現してもしっくりくる。
コツコツ、とまた駒の動く音がする。部屋に唯一あるテーブルには遊戯盤があり、サクラは黒の駒を再び動かす。
「あの炎竜、本当に竜だったのだな」
声はサクラの目の前から。
そこにはこの部屋の主と呼ぶに相応しい威厳を持つ人物──黒装束の魔術師服が似合う、この王国の宮廷魔術師長、サリエルが椅子に座っていた。
呆れ混じりにサクラは返す。
「……信じていなかったのか」
「上位存在であることは万象言語で証明されていたが、竜らしくなかったからな。弱体化していたとはいえ、人型となっても角も尾もない。見事な擬態だ。流石は『炎・武勇・智慧』を司る始祖竜といったところか」
「炎と武勇は分かるが……智慧……?」
「印象が薄いか? ……まぁ、見た目や言動だけが知性の有無を決定づけるものではないだろう、うん」
「なんでそんな自分に言い聞かせるように言うんだ、【知識】の悪魔」
サクラの言葉に、おや、とサリエルが眉をあげる。
「気付いていたか」
「忘却の咎が効かない悪魔は『真名持ち』──すなわち『理持ち』しかありえない。極めつけはこの本の世界。私室にしては整いすぎだ。本のタイトルの言語もバラバラ。ここは一種の古代遺跡だ」
「古いものに落ち着く性質でな。それに私にとって、知識の収集とはもはや本能のようなものだ。これでもまだ不足を感じるぞ」
「狂人だな。チェック」
「あ」
◇
「……納得いかねぇ……」
ホールの喧騒から離れた、城のバルコニーにヴァンはいた。
夜が訪れた空には満点の星。冷風が肌を撫でるが、大して気にもならない。
──第四位との決着から、もう一日が経とうとしている。
ガサ、と彼が片手に持つのは今朝発刊された新聞だ。
王国が超抜存在を打倒したニュースは、大陸全土に知れ渡っていた。
世間的に公表された決戦の流れはこうだ。
二体の強力なる敵の眷属を打ち倒したは、「魔剣騎士」トワイライト。
続く本体、第四位の顕現。一瞬にして王国本隊は機能不全に陥らされる事態となったものの、行動を予期していた宮廷魔術師サリエルがこれを打破し、第四位を葬った──と。
紙面には、異邦の協力者の「い」も載っていない。
そりゃあ多少は話の誇張がされるにしても、これはない……!
「なんだ、不機嫌だな。せっかくの真・祝勝パーティだってのにさ」
「……アガサ」
この野郎、と睨む視線で、横にやってきた悪魔を見る。こわいこわい、と黒いドレスに身を包んだ彼女は、持っているグラスを楽し気に傾けた。
「こりゃ一体どういう事だ。俺たちに恩を売りつけるにしても過剰だぞ」
「過剰くらいで丁度いいだろ。なんにせよ、その情報誌で他国には王国戦力の強大さを知らしめられる。私は報奨金とお前らとの信頼を得て大団円。後は無事、故郷に帰れたら一切の文句ナシ!」
「……サクラの奴にどやされても知らねーぞ」
ハッ、とバルコニーの手すりに寄りかかって、アガサは嗤う。
「あいつは地位にも名誉にも興味ないさ。帰れるか否か。お前らに協力したのも、第四位の咎を持っていったのも、全てそのためだ。だから──後は本当に、地竜様次第ってワケ。ここまで来て、私たちを帰せなかった時のことを心配しろよ」
「? なにを心配しろってんだ。そりゃ帰れなくなったら同情はするが、そんな──」
ぞっ、と背筋が凍り、ヴァンは言葉を止める。
もう一度アガサの方を見ると、その赤眼にはただならぬ殺意が灯っていた。
「言っておくが、サクラに容赦はないぞ」
ゆっくりと、確かな発音をもって、彼女は語る。
「あいつはちゃんと社会に適応するための教育受けてるから、すっごく大人しくしてるだけだ。初手で自陣に炎竜、更に右も左も分からない未知の国のコンボで慎重だったけど、もうこの国の戦力は把握した。そこで自分の安全圏、自分の居場所、そこに帰れないなんて事態になったら──」
「……なった、ら?」
「──とりあえず、八つ当たりに炎竜か地竜かを殺すだろうな。もう限界キてるだろうし。そうなったらまぁ……全力の私でも抑え込むのは大変だから、お前がサクラを殺すことになるんじゃない?」
「────、」
不吉な予言に甘さはない。
指揮官としての駒を見る、冷徹な視点で彼女は断言しているのだ──王国でサクラを止められる人材は、お前しかいない、と。
「二人でな~にを話しておるのだ? 内緒話か、混ぜよっ!!」
「死ね」
会場から飛び出してきた白ドレスのリュエに、アガサが反射で殺気を叩きつける。
更に最悪を極めた空気に、ヴァンはそろそろ震えることしかできない。
「とうとう我への嫌悪を隠さなくなったな、貴様……! がっかりだ! がっかりだぞ! そんな狭量さで指揮官とは、ハ、聞いて呆れるわ!!」
「……、」
「アガサ、アガサ。頼む、隣は祝いの席なんだ、抑えてくれ……!!」
無言でガチャガチャと錬金術師が銃器をいじり始める。
はよ殺させろ。
もはやそれしかなかった。その意志と殺気しかなかった。今の今まで本当に……本当にこれを我慢してきたのか。アガサでこうとなると、神を殺した実績持ちのサクラが爆発したら、一体どうなるか想像もつかない。少なくとも血みどろパーティの範囲では収まらないだろう。
(……頼む、地竜様。ロヴァルグラン様ッ!! 早くこいつとサクラを、元の大陸に帰してやってくれ……!!)
果たしてヴァンの祈りは届くのか。
結果は、彼がこの一触即発の修羅場を切り抜けた後となる。
◇
「君に関する記憶を保持しているのは、アガサ君、トワイライト、炎竜、そして私、か。──すまなかったな。君には、色々と気を遣わせただろう」
サリエルの言葉に、いや、とサクラは首を振る。
「とんでもない。相手が超抜存在と聞いていた時から、こうなることは予想していた。むしろ、手間暇なく自分の情報を消せたことには、幸運すら感じている」
「幸運か。それは兵装保有者として?」
「それもあるし、元から俺は他人の記憶に残りたいと思わない。たとえ、もしアガサから俺に関する記憶が消えることになったとしても、俺は今回と同じ選択をしただろう」
カツ、とサクラの駒が白駒を倒す。容赦なく回収する。
「失った思い出はまた新しく積み直せばいい。作り直せばいい。そうだろう?」
「……その言葉は普通、慰めに用いるものだと思うがな。では、君は他者とのかつての関係性を失ったとしても、己が覚えていれば、それでいいと?」
「ああ。失ったものにどんな価値があれ、また新たに紡ぎなおす縁にも意味はある。とはいえ、言った通り俺には執着も未練もない。極論、もう二度と出会わないなら、それでも全く構わない」
相手の白駒を置こうとする手が止まる。迷っているのだろうか、とサクラは盤面を見ながら思う。
「……潔いというべきか、侘しいと評するべきか。そうか、君は人間でありながら、他者を求めていないんだな」
白駒が配置される。また容赦なく刈り取った。
「人生は自分のためにあるべきものだ」
言って、サクラは次の駒を動かす。
「世界はそれが織り重なってできるもの。多くは他者の介在と自分の介入を目的、或いは手段として外界を観測している」
手を離した駒は、もう行き場所がなかった。留まっても動いても、次のターンには消費されるだろう。
「俺はそこに、自分の席を置く必要性を感じない」
孤立した一つの駒を、プレイヤーは風景のように眺めている。
「誰にも気づかれず。誰にも認識されず。誰にも影響しない。永遠に誰とも関わらずに独りで生きて死んでいけたなら、それが完全にして完璧な人生なんじゃないかと俺は思う」
「……」
「確かに他人と語らうのは興味深い。楽しいし、面白いとも思うし、実際に影響を受けて自分の物の見方が変わった体験もある」
語りは粛々と。
記録を再生するような無機質を伴って述べられる。
「──それでも、独りでいる時が一番生き甲斐がある。その瞬間だけは、自分のためだけに生きているという感じがするんだよ」
そこでサリエルは、目の前の青年を改めて見た。
紅藤色の髪。なんの感情も移さぬ虚ろな紫眼。この土地のものではない、俗世離れした紅蓮羽織と、紅白の神子服。
(──ズレている……だが、そういう事か。彼は間違いなく人でありながら、その精神が、社会を生きる我々とは異なっている。永久の孤独を望むなど、それは)
人の輪を拒むでもなく、ただ眺めるモノ。
それでいながら、本来なら、関わろうとさえしないだろうこの有様は、まさに。
(神として完成された精神性。上位存在たちが求む、彼らが理想とする在り方に他ならない──)
俗世離れしているのも当然だ。
地上に生きる生命でありながら、その実、その視点は天上にいるべきモノと同じとは。
「チェックメイト」
サクラの慈悲なき宣言がサリエルに突き刺さる。
盤上に目を向ければ、もう次の手がなかった。
震える拳を握りしめる。
「……フ。これで五対五。イーブンか。流石は人間、娯楽に強いな」
「キリの良い結果になったし、ここらで止めないか? 先取二連勝、できそうにないんだが」
サクラの意見を無視し、サリエルは再び駒の位置を魔術でリセットし、問いかける。
「……君、このゲームを知っているな? そちらの大陸にも盤上遊戯の文化があったのか」
「あー……どうだろうな。俺はそういうデータが学習教材にあったから、知っただけで……ラグナ大陸に普及してるかどうかまでは、ちょっと」
「そうか……しかし、この『チェス』は初めの私が発案したオリジナルゲームだ。相当昔……それこそ世界分割以前からの遊戯だから、そちらの歴史にあってもおかしくはないぞ」
(ん?)
サリエルの言い分にサクラは眉をひそめる。
世界分割。それは、この世に二つの大陸があることを、彼が知っていなければ出てこない単語である。いや今回の件で知りえた事だとしても、見てきたかのような今の言い分は引っかかる。
この悪魔──一体いつから生きている個体なのだ?
「疑問かね? 訊いてくれても構わないが」
「……いや遠慮する」
「そうか──だが教えておこう。不干渉を至上とする君には、迷惑かもしれないがね?」
サリエルの空気が変わる。
悪魔でも宮廷魔術師としてでもない。黒髪と金の瞳を持つ、ただの人外の者がそこにいた。
「我が名はサリエル。今生では【知識の悪魔】として転生した、元・知識の神ロギアだ」




