35 顕現
大魔術師ザカリーにまつわる逸話なぞ挙げだしたらキリがないことを、誰よりもヴァンは知っていた。
曰く不治の病をたちどころに治したとか。
曰くどんな文献にもない叡智で人々を救ったとか。
曰く神出鬼没で、ある時は複数の時代に現れただとか。
眉唾モノの話が、大真面目に歴史書に残されていることもある。
それをヴァンは信じることも信じないこともしなかった。
出会ったこともない、ただ先祖にいるらしいだけの人物だ。真偽なぞ気にしたこともない。
──ほんの数日前までは。
「今からする話は別に信じなくてもいい。都市伝説の一つとでも思ってくれ」
ソファに座ったまま、テーブルに歴史書と竜退治の伝説が記された本を広げたサクラは、まずそう切り出した。
「この世には『聖人』と定められた人物が誕生することがある。彼らは神々から、この世界に関する全ての知識──あらゆる可能性の世界線をも含めた知恵を与えられ、それぞれで受けた、神の命令たる『啓示』を達成するためだけに活動する」
──なぜだか、知り合って間もない剣士によるその話は、どこか真実味を帯びていた。
ザカリーの伝説と同じかそれ以上に信じがたいそれ。しかし彼が話す分には、本当に世界真相の一端を話されているような気分になった。
「えーと……つまり、ザカリーはその『聖人』っつー人材だった可能性がある、と……? 『啓示』ってのはなんなんだ?」
「──聖人というのは魂も肉体も特別製でな。なにせ神々の寵愛を一身に受けたようなもの。率直にいって、その身は不老不死だ。彼らが死ぬための条件……それが『啓示』だという話だ」
「──、」
いや、伝説にしてはちょっと、かなり重くないか? とヴァンは思う。
「なんだって──神々は、そんなことを?」
「……世界の終わりを回避するため、だそうだ。『古代予言』と同じような経緯さ。戯れに未来を予知した結果、神々は世界の結末を知って、それを変えようとした。そうして生み出されたのが、歴史に介入する力を持たされた聖人、というワケだ」
ヴァンは、先刻サクラが言った言葉を思い出す。
「生まれから運命まで、神々に利用されるためだけに生まれてきた──未来のための人柱」。
最終目的はともかく、聖人というのは完全に神々の奴隷……という事らしい。
それを踏まえて、ヴァンが出した感想は。
「──ふむ。つまり、俺の先祖はすげーってことだな」
純粋たる、先祖への敬意だった。
◇
斬った紫色の魔術師が倒れていく。
確かな手ごたえ。確実に殺した。
蘇生する気配も、ましてや復活するような気配もない。
それも当然。人理結界の能力は個々で違う。
いくらAという結界が死の超越──世界線から核を持ってくるような力を持っていても、それはAという結界だけの能力だ。
だから、ここで終わる。
ザカリーの姿をした人型結界の運命はここで潰える。
「……は────ぁ」
ヴァンは息を吐きだす。酷く、疲れた。
それは戦闘の疲れももちろんあるが──
【……いい天気だね。……エディンバルト……】
この。
倒れた後も、だくだくとその口から零れ続けるこの台詞。
「……趣味悪ィ」
それにヴァンは顔をしかめる。決してその言葉の内容にではなく。
(ザカリー本人が生きていた頃の記憶にして記録……か。チ、複製体とはよく言ったもんだ)
偽ザカリーの言葉は、おそらく、オリジナルとなった本人が生前に放っただろうものだ。
文脈の順序なんてものはない。日常会話、なんでもない日々を過ごした時の言葉、戦闘中にでも放ったらしい台詞、返答を望まぬ独り言まで──丸ごと全てそのままに。
……亡者の墓場を掘り返すよりもおぞましい。
生者の生きた痕跡を、生きた道程のみを再演した記録体など。
(……地竜ロヴァルグランが司るのは、地と存在と再生。ザカリーとエディンバルトの存在は、地竜の力を使って再現されたのか……)
【──私の】
「?」
不意に、はっきりとした音声が聞こえた。
今も指先から土くれへ還ろうとしている、人理結界の喉から発されたものだ。
【私の運命に終わりはない】
中性的な声は淡々と、死ぬ間際まで過去を紡ぎ続ける。
【役割とは、そういうものだ。エディンバルト】
(……過去の記憶を、辿っているのか……?)
ヴァンは一人、崩れゆく存在のその声を、ただ見届ける。
【ラグナ大陸も良いところだったけど、ここも中々だろう?】
(──!? ラグナ大陸!?)
突然飛び出してきた意外な単語に息を呑む。
だが驚愕はそこでは終わらなかった。
【私はそもそも人間でね。「黄昏家」といえば分かるかな?】
「……はぁぁぁ!?!?」
知らねぇ!! 何それ!?
そんな末裔の叫びに構わず、再現体は言葉を続ける。
【一人目は真面目すぎ、二人目に至ってはこの通りだ。最後の人間には合わせる顔がない】
【四人目は……どうかな。どうか無事であればいいんだけど】
【「終末戦争」は厳しいよ? キミに神を殺す覚悟はあるのかな?】
「……っ」
ラグナロク──
前半の言葉の意味は把握しかねたが、サクラたちが言っていた出来事を把握しているような発言に背筋が凍る。
聖人とは、こういうことか。未来を識る、世界の介入者──
【問題はないし後悔もない──私は神々の命令に殉じよう】
【だから、九番目の人理兵装には、私がなろう】
「──は?」
思考が止まる。理解の回路が停止する。
今、こいつは何と言った?
【為るのなら剣がいい。だってそれなら、使うのは優れた騎士に違いないからね】
【人理兵装とは人の理。すなわち、それは人の魂だ】
──なんだ。何を聞いている?
「……人理兵装の素材は、魂……?」
──そうだ。聞いたことがある。
人間の魂は理そのもの。ならば人間だというザカリーは。
「……、」
視線が、持っている魔剣に向く。
言葉が、否応なしに流れ込んでくる。
【聖人というのはそういうものだからね。だから二番目のこの行いの結果も、分からなくはない。とはいえあまりに酷すぎるし、私は彼を支持しないけれど】
「──なんで」
ヴァンは魔術師を睨んだ。
もう手足も胴体も崩れて、頭しか残っていないそれ。
ただの過去の再生機といえど、言わずにはいれなかった。
「なんで貴方は、そこまでしたんだ」
【──それが、私の啓示だからだ】
再生はそこで終わった。
それが我が人生に下した決断であり意志であったと、告げるように。
「……ああ。本当に、良い一振りだよ」
弔いはそれだけ。
過去を見届けた騎士は、現在へと意識を切りかえる。
◇
「ナイスショット」
ぱしっ、とハイタッチの音が鳴る。
アガサと合流したサクラは、周囲の状況を確認する。戦場の空気は凪いでいた。先まで動いていた樹木の獣たちも活動を停止し、土くれになって消え去っていく。
ヴァンは離れた位置で人理結界の消滅を見届けており。
こちらへ歩いてきたガルドラが片手を挙げた。
「よォ、なんか凄い一撃だったな? 裏でサリエルの奴に習いでもしたのか?」
「いや、ただの特技だよ」
戦闘の猛攻で、厳つい見た目の割に整えられていた魔術師ローブも今はボロボロだ。大きく魔力を消費した様子だが、動けないほどではないだろう。
「しっかしザカリーってのはおっかねぇぜ。後にも先にも、相手すんのはこれが最後だと思いてぇな」
「あ、そうだ。エメルー? 生きてるー?」
『当然でしょう。下がった後でもザカリーを地上に縛り付けてたのはわたしよ』
アガサの適当な呼びかけに、念話で気丈な声が返ってくる。
元気そうで何より、とガルドラは肩をすくめた。
──世界に異変が起きたのは、その時だった。
◇
「まぁ、神々のことだ。『世界を救う』だなんて、どうせ建前だろうけどな」
帰り際。
そろそろ炎竜を探しに行こう、とヴァンが部屋を出る時、ソファに座ったままサクラはそんなことを零した。
「ちょっ……そこを否定したら、聖人が浮かばれないじゃねぇか」
「計画なんてどうせとっくに狂ってる。じゃなきゃ、超抜存在なんて災害が今日まで残ってるハズがない。ラグナ大陸ではな、もう世界は終末期に突入してるって認識が常識なんだ。聖人も俺たちも含めて──所詮は神々の遊び道具さ」
「……それでも、きっと何か、結果が残るはずだろう?」
そう返さずにはいられなかった。
たとえ何もかもが何者かの手の内だったとしても。
その中で自分たちが成し遂げるものは、きっと在るはずだと。
「そうかもな」
肯定の言葉は思いのほか早かった。
沈黙が訪れる。それじゃあ、と会話の終わりを思ったヴァンは、部屋を後にする。
バタン、と扉が閉まる。
一人残された彼は、誰に向けるでもなく、
「だがそんなことは死んだ後じゃないと分からない。絶滅を前提にした成果なんて、もっと救いようがないと思わないか?」
そんなコトを、最後に呟いていた。
◇
「休む暇もないな」
サクラの声は平然としている。
「やぁっとお出ましか。待たされたぜ」
アガサの声もまた、日常会話のように気軽なものだ。
大地が揺れる。ぎしぎしぎしぎしぎし、と怒りのように震えている。
地上の鳴動、空気の変質。異変は、その風景を一変させた。
ある地点から、青空は消失した。
黄昏。
宿刀の真説顕現時に見る美しい黄金ではなく、より深く、より濃い、よりおぞましい赤橙色。
全てが不自然に静止していた。風の音も、零れ落ちた水も、揺れるはずの枝葉も、崩れようとした土砂も、現れた地平線の落陽も──全てが、その存在の前に活動を停めていた。
大地が割れ、境界が開く。
空間が裂け、境界が蠢く。
音が消え、気配が消え――境界が歪む。
【『破滅招くは我が黄昏なり』】
激震。
地を割ってせり出す、束となった大木の根。戦場を破壊しながら、地上の人類全ての抹消を目的とした初撃は。
「────初っ端から本気かよ第四位ぃぃ──ッ!!」
アガサの抗議もかき消して。
その場そこにいた全ての魔族の視界を黒へ塗りかえ、この世に絶望をもたらしながら顕現した。




