02 境界の果て
カッと空を裂く、光の柱があった。
発生は一瞬のこと。周囲の空間、次元に微細な震動を与えながら、光は消滅した。
──大地に、「向こう側」からやってきた、三名ばかりの異邦者を放り捨てながら。
◇
Episode1 境界トワイライト
◇
──意識が浮上する。
手足は動く。呼吸にも問題なし。目を開くと、サクラの視界は一瞬白く眩み──
「…………、青?」
見たこともない景色が、そこには広がっていた。
青──青い。ひたすらに青い天蓋が広がっている。明らかに異常であり、怖気立つ。透き通り過ぎているぶん、見慣れなさすぎて違和感しかない。
「──、ァガ──」
「目が覚めたらそこは異世界でしたぁ! ――ッじゃねェェ――よッ! 異世界であってたまるかクソボケェ!! やしろさ――ん!」
相方の安否が気にかかった瞬間、すぐ傍から聞こえてくる大音量。
どうやら無事らしい。安堵の息を吐きつつも、そこでサクラも起き上がった。
「アガサ、うるさい」
「あ、起きた。おはよー」
「おはよう……じゃない。呑気か」
立ち上がってアガサの方を確認するが、そちらは傷一つない。
次に見回したそこは森の中──……と言うにはあまりにも枯れに枯れきっている。全体的に黒い風景だ。木々は生気の色を失い、枝につけた葉は時が停まったかのように死んでいる。
「……ここは?」
「知らない。ひとまず海中とかではなさそうだ。ただ、大気のエーテルも魔力も極端に薄い」
「……少なくともラグナ大陸では、なさそうだな」
立ち上がったサクラは、改めて周囲を見回す。
枯れた森と草むら。青い空。ぱっと見で分かるのは、やはりそれくらいだ。
「じゃあ、やっぱり異世界とか?」
「いや……落ちた時、『次元の虚』が見えた」
サクラが思い起こすのは、深淵の向こうで見えた一筋の極光だ。
アレからは、尋常じゃない空間の揺らぎ、次元の変動を感じた。
「アレは空間の歪だ。つまり、この世界特有の現象……だから、異世界や別の世界に渡った……というわけではないと思う」
「なるほどー。で、帰る方法とかは?」
「さぁ。見当もつかないな」
ガクリ、と遭難者がうな垂れた。言いながらサクラも絶望していた。
だが、アガサは再び顔を上げる。
「……クソゥ、まさか鉄板のあの台詞を本気で言う時が来ようとはな……だーれかーッ! 助けろ下さ――い!!」
……さーい…………さーぃ……
無情に木霊するだけの救援要請。声はやがて森の静寂に呑まれ、無音となる。
――が。
「ハァーハッハッハッ! 絶望するにはまだ早いぞ少年少女! まだ何も始まってすらいないだろう! それに汝らにはこの炎竜がついているからなっ、黄金船に乗ったつもりで胸に希望を抱いていけぃッ!」
背後から、そんな元気一杯の激励が届いた。
「……え?」
アガサが振り返ると、そこには大岩に立った小柄な人影が一つ。
それは十歳ほどの少女だった。
風に流れる燃えるような赤髪。背を覆う程度には長い。煌めく黄金の瞳は活気に満ちているが、縦長の瞳孔がどこか蛇のよう。裏地が赤の黒いマントを羽織り、フリルをあしらった膝上までの白のドレス姿は、どこぞの令嬢か。
全く見覚えのない人物に、サクラが首を傾げる。
「ダレ?」
「我が名こそは炎を司りし始祖竜、炎竜エリュンディーウスッ!」
「──、」
瞬間、アガサの影が蠢いた。
すると中からは、四輪の人工物──軍用らしき、天井のない深緑色の車両が地表に出現した。
「よし。逃げよう、サクラ」
「そうだな」
ぱっとサクラは車の助手席側へ向かう。
あの少女が何者であれ、本当に炎竜であれ、こんな場所で関わっている場合ではない。戦略的撤退である。
「エッ。……えっちょちょちょ、ちょっと待て貴様ら!? 一体どこへ行こうというのだ!?」
「しっかし本当にどこなんだろなココ。魔物の気配とか全然しないぞ」
「慎重に行こう。どこぞの魔法使いの領地だったら俺でも対処できない」
もう炎竜の存在を視界から、意識から消し去った二人はそんなことを話しながら車に乗り込もうとする。
まさかの完全無視。そこで炎竜は、完全に自身がアウェイにいることを自覚したらしい。
「ちょっ……待て待てーい! 色々その前に……こう、あるだろう! 事情とか事情とか! あと……事情とかぁ!! 我、上位存在ぞ! なにか聞きたいことがあるのではないかぁ!?」
「「いや、上位存在は敵だし」」
二人とも即答だった。見事な二重奏だった。
言外にこうも言っていた。上位存在に頼ることは何もない──と。
「わ……我こそが貴様の命の恩人! だぞ! いや恩竜と言うべきかッ! そう、恩義ぐらい感じてもいいのではないか!?」
「『殺し合わない』ってことで恩返しにさせてよ。充分だろ?」
そこで慌てて大岩から飛び降りた少女は、アガサに銃口を向けられて動きを止める。
「い、いいか! 我は目覚めてからこっち、あの遺跡で一人だった! 数年ばかり一人だったのだ! この意味が分かるか!?」
「お前には友達がいないってこと?」
「ぐはァっ! ドストレートに事実を言うな! ああもう、寂しかった! 寂しかったのだ! 話し相手くらいになれ貴様ら! このような僻地で置き去りにするなぁア――!!」
「うるせぇ」
「ぎゃんッ」
鼓膜をつんざきかねない悲痛な叫びの脳天に、アガサが発砲した。が、弾丸はその皮膚に弾かれてあらぬ方向へと飛んだ。
近寄ったアガサは、怯む少女の頭をガッと掴み、持ち上げる。
「じゃあ現状。説明。簡潔に」
下らねーコト言ったらコロス、の殺意が灯った目だった。
「ぐヌッ……あの遺跡で貴様らに殺されかかった時、『竜穴』という次元の虚が発生した! 本来ならば全員、異次元の狭間に投げ出されてバッドエンド! となるところを、我が身をていして庇い、その果てにこの大陸に辿り着いたのだ! さぁ──讃えよ!!」
「……」
「……」
ちら、とアガサが横にやってきたサクラにアイコンタクトする。
(……ウソ? ホント?)
(わざわざ聞くな。アガサだってそれくらい見抜けるだろ)
(お前やブラザーの精度がおかしいんだよ。……じゃとりあえず、虚言じゃないってコトか)
「……突然見つめ合ってどうしたのだ? ま、まさか、やっぱり竜退治の続きをやろうというのか!? 待て待て待て! 煽った我にも責はあろうが、まずは対話をだな――うぉっ!?」
慌て始める炎竜をアガサが地に落とすと、サクラは目を伏せ、軽く頭を下げた。
「経緯は大まか理解した。お前を狩ろうとしたことを謝罪する気はないが、助けてもらった事実には感謝しておく」
「お、おう……? そ、そうか! うむ、立場を分かったのなら何よりだ!」
「で」
顔を上げたサクラがスッと表情を消し、アガサも言葉を合わせた。
「「帰り道は?」」
「………………、」
炎竜は沈黙した。
そろりと、その黄金の瞳を明後日の方向にやると、無言でサクラが鯉口を切った。
「一度助けてもらった慈悲だ、弁明タイムをやる」
「ッ!? い、いやぁ、そのだな。流石に次元の壁を越えるのは、今の我では難しいというか~……あっそうだ、魔法使いを探すのはどうだ! あと、次元に関する『理』を保有する人間に話をつけるというのは!」
「いいぞいいぞー、そういうアイデアもっと寄こせ」
脅すようなアガサの笑顔に、炎竜は脂汗をかき始める。
「あ、後は……! そうだ、我の魔力を取り戻せたら今一度、『竜穴』を開けられるかもだ! これでも始祖竜、上位存在の一席であるからなっ、どうにかできるかもしれん!!」
「確証、確約はないと」
彼女の鋭い指摘に、うぐぅっ、と唸る炎竜少女。
そこで、剣士が覗かせていた刃を鞘に戻した。
「ところでその『始祖竜』……というのは何だ。聞いたことがない」
「えっ、我ショック。知らんのか? 世界の均衡を司る、四大始祖竜だぞ?」
「竜だったらなんで人型になってんのさ。竜人と言い張るにゃ、角も尻尾もないケド」
「汝らを助けた結果、大幅に魔力を失ったからだ! 残った魔力量ではコレが精一杯、まぁ少女体にしたのは趣味だがな。可愛かろう?」
ケッ、とアガサは蔑みの視線を向ける。
「鱗がない竜とか素材価値ゼロなんだけど。素材になるアイデンティティーすら無くした竜に、あと何が残ってんの?」
「貴様、竜を素材として見すぎだろう! 職業病かっ!」
「……」
そんな二人の言い争いを眺めつつ、サクラは改めて現状を整理する。
(……上位存在、か)
少女が喋る万象言語。それは聞いた者に、最も耳慣れた言語で理解させる、上位存在から下位存在への〝語りかけ〟に使われるという専用言語だ。
アガサの方がどう聞こえているか知らないが、サクラの耳に入っている炎竜の言語は、今やもう使う者も限られているハズの、第一種人間語。
行動を共にするのは不安があるが、この得体の知れない「始祖竜」というのをここに放置しても、それは変わらないだろう。
「……現状維持を約束するなら、連れて行っていいんじゃないか?」
「えっ、マジかお前」
アガサが信じられない目を向けてくる。
“神殺し”──上位存在殺しを果たした人物が下すような決断ではないからだろう。
それを理解しつつ、サクラはこう続けた。
「別に仲間にするわけじゃない。信用も信頼もしていない。裏切る時は裏切るさ。それまでの間、こいつが持っている情報を吐かせた方が有意義かもしれないからな」
「ド、ドライすぎる発言だが、吞み込んでやろうぞ! 一人よりはマシであるからな!」
「えー……まぁサクラが言うならいっか。よろしくナントカディウス」
「エリュンディウス! だ! 不敬者!」
「じゃあ長いから『リュエ』って呼ぶわ」
「不敬者──!!」
かくして、異邦の地を行くパーティは結成された。
◇
──黒く茂った森の中、二人の人影が歩いていた。
「さて……サリエルさんの言ってた座標によれば、もうちょい南か。はぐれるなよ、シンシア」
「師匠こそ先に行きすぎないでくださいね……取り残されたら、わ、私が死にます……」
一人は黒髪に無精ひげを生やした、中年の男だった。灰色のローブをまとい、一枚の札を手に先導している。
その後ろをついているのは、水色髪をツーサイドアップにした少女だった。こちらは白杖を両手で持ちつつ、慎重に歩みを進めている。
「ま……次元変動なんて、なにが出てくるか分かったもんじゃねぇからな。危なくなったら、すぐにお前を強制帰還させて応援を呼ぶ。『奴』が現れる可能性も考えておけよ」
「それこそ私どころか国家の危機なんですけど……師匠こそ、無茶しないでくださいよ……?」
弟子の恨めしい視線を受け、師の男は頭を掻きながら前へと進む。
「しっかし……ここまで来てもドクター、いねぇな。いったいどこまで行ったのやら……」
「もしかして、先の次元変動もドクターの無断実験なんじゃないですか?」
「そうだったらいいんだがなぁ」
二人は、森の奥へと潜っていく。
その先に、思いも寄らない出会いがあることを知る由もなく。
2023.12.15追記:加筆・修正
2024.05.26追記:加筆・修正