27 稽古
日も落ちかけた夕暮れ時。
中庭には一心不乱に剣を振る人影があった。騎士団の訓練服を着たヴァンである。
「──魔剣狂いもそこまでいくと感服するな」
「お、サク……ラ、だよな?」
一瞬、目を白黒させたのは、石廊下にいたサクラが普段の神子服ではなかったからだ。
王都を歩くために調達したという、ベージュ色のロングコートに黒い上下の衣服、透き通るような白髪。神子らしさの欠片もない、何かの間違いで人里に降りてきたような美青年だった。
「印象全然違げーな。ていうかその髪色、わざわざ染めたのか?」
「いや、実はこっちが地毛だ。ラグナ大陸のエーテル濃度はここの数倍は濃い。なんで、エーテル色素という大気中の物質を吸い込んで生活する人類は、皆、一回髪色が変わるんだよ」
「え、じゃあアガサの方も……?」
「ああ。あいつは元々茶髪だ。俺は『そのコーディネートにするなら白髪にしろ』と言われて、髪に染み込んでるエーテル色素を一時的に抜く薬を飲まされたんだよ」
観光帰り、らしい。予想していた敵の襲来もなく、何事もなく終わったようだ。
サクラの目は、そこで魔剣に向く。
「ブランクは埋められそうか?」
「勘はだいぶ戻ってきたぜ。正直言えば、あと十日は振っていたいけどな……はぁ……」
狂ってる……
サクラはそう言葉にはしなかった。明白な事実をわざわざ言っても仕方がない。
「──そうだ。なんならサクラ、俺に稽古つけてくれないか?」
「……必要あるか? お前みたいな逸材に」
「それは絶対にある、と断言してやる。稽古は稽古でも、俺は本気のサクラと戦ってみたいんだよ──同じ兵装保有者としてな」
「──ふむ」
レリックホルダーとして、と言われては断る理由も浮かばない。
サクラは中庭の芝生へ足を踏み入れた。
「十分だ」
その答えに、ヴァンは礼を言おうとした。
だが次に続いた彼の言葉に絶句する。
「十分で俺の知っている剣術の全てを教える。それでいいか?」
「え……いや、ああ! も、もちろん……もちろん……え? どういうこと?」
キィン、とサクラの手元に光が収束し、そこに紅鞘の刀が現れる。
ヴァンと距離をとった白髪の青年は、静かに鯉口を切った。
「……!」
空気の変質に、ヴァンも剣を構える。
両者、風の音も精神の乱れも意識からカットし、しばし中庭は無の空間となった。
──始まりは直後。
次にヴァンが認識したのは、右から振り放たれた彼の一撃を弾いたということのみ。
意識も、思考も間に合わない。ただ戦闘を積み重ねた身体と経験と直感が、次の動きに合わせて一閃をことごとく跳ね除けていく。
「──、ッ……!」
──呼吸が間に合わない。五分と経っていないのに酸欠になりかけた。
だがサクラからの攻撃は止まない。止まない。止まない。斬撃の嵐が、一切の澱みなく、正確無慈悲に連撃となって襲い来る……!
「っ、ハァ──!」
空気を吸い込む。吸い込みながら、攻撃に対応する。全身の血管が、細胞が悲鳴を上げる。一瞬、一拍でも停止すれば死ぬ。足を止めず、剣を止めず、ひたすらに降りかかってくる「全て」を迎え撃つ。
そして──……
「…………ガッ……ハアアァッッ!! ァァァ……!!」
納刀と鈴の音が背後で聞こえた瞬間、ヴァンは芝生に崩れ倒れた。
心音は炸裂するのではないかと思うほど鳴っている。だがそんな事よりも、まずは呼吸することが先決だった。
「ヴァン……お前どうなってんだ……初見で全部の俺の動きに対応してくるとか、怖すぎるんだが……」
「ッァガ……どうなっ……オマエ……ッッ」
「ああ、まずは息を整えていいから」
カヒューッ、かひゅーと喉に風が吹き抜けていく。十分で、一生の全てを使い切ったような疲労感だ。
……五分ほど経過しただろうか。そこでようやく、ヴァンは人語と比較的落ち着いた呼吸を取り戻した。
「はぁッ……はー……コレ、結局どういう……稽古で……」
「俺が戦闘中、基本にしてる動きの全てだよ。超連撃で繰り出したから分かりにくかったかもだが、さっきの一つ一つを覚えてモノにすれば、ヴァンは俺に勝てるようになる」
「無理ィ……!」
「いや、流石にそこはどうにかなるだろ。今すぐじゃなくても、いつかは」
……その“いつか”が訪れた時、既にこの青年は更に次のステージの強さに到達しているだろう。
それほどに濃縮された十分だった。人一人の人生全てが詰め込まれた十分間。たかが数年、数十年程度で、他人が追いつけるような過程じゃない。
しかもあれだけの動きの後で、一切汗を流していないのはもう、実力差どころの話じゃなかった。根本からして身体の造りが違う。
彼は道具だ。
剣を──刀を振るだけの、ただそれに特化させた、生きた道具。
「──、はぁ」
仰向けに転がり、今一度、大きく息を吐き、吸い込むを繰り返す。
四肢が重い。しばらくは起き上がることすら困難そうだ。転移で帰ろうかな、とヴァンは考え始める。
「……さっきも伝えたが。ヴァン、やっぱりお前は逸材だよ。俺との実力差を感じているようだが、実際のところ、俺とお前は剣技においての差はあまりないと思う」
「嘘つけ……」
「ホントにホントだ」
傍まで来たサクラがしゃがみ込んでくる。指先も動かないまま、ぼんやりとヴァンは彼を仰ぎ見る。
「それと、だな。アガサも言ってたんだが、ヴァンお前、『理持ち』じゃないか?」
「……ハ?」
──なにか、聞き流せないことを言われた。
「殲滅作戦の時……妙にノーダメージだった瞬間があったとアガサが言っていた。だから、俺はこうして確かめにきた。稽古は予想外だったが」
「……ぐ、偶然とか……」
「俺はさっき、三回くらい、なにか見えない壁みたいのに刀の軌道を逸らされたぞ。お前……無意識に理論使ってないか」
「────、」
そこで、ヴァンは全身にありったけの気合いを入れて、無理矢理に上体を起こした。
そうして魔剣を握っていない方の右手──今は金属製の義手となっている右手を見る。
「……マジで?」
「おめでとう。晴れて俺の上位互換化の道が開いたな。魔力量に、レリックに、理。順調にこっちの立つ瀬が無くなってきたが」
「……なんの理とかは、分からないか?」
「さぁ。そんなの、お前が一番よく知ってるんじゃないのか」
知らんわ。
肩を落とし──再び、ヴァンは芝生へ倒れる。
「……理、か……理といえば、このレリックに使われてる素材も理……なんだよな?」
倒れたまま、ヴァンはオートクレールを掲げる。
破壊されていた頃の跡もないくらい、全て元通りになっている。完全完璧な相棒だ。美しい。
「アガサによれば、オートクレールはその理が無事だったから、こうして錬金術で直せたらしい。逆に、素材となった理が死んでいたら、そこでその魔剣は消滅していたんだろう」
「ぉう……」
考えただけでもゾッとする。
ちら、とそこでヴァンは、サクラの持つ刀を見やった。
「お前のレリックの力って……もしかして、『斬りたいものだけを斬る』ことだったり?」
「……さぁな。お互い、レリックに関する情報には秘匿義務があるだろ」
「……だな。悪い」
忘れてくれ、とヴァンは手をひらひらさせる。
その脳裏には、少し前の出来事がよぎっていた。
◇
『──斬られたのに斬れていなかったんです』
『?』
それはいつかの、あの不肖の弟子とサクラが戦った日のこと。
サクラが中庭を立ち去った後、銀の騎士はそんな検証報告をしてきた。
『六試合目のことです……私は一度、左腕にわざとまともに彼の剣を受けてみたのです。あれだけ見事な太刀筋ならば切り口は綺麗でしょうし、魔術でどうとでもなると踏んで』
六試合目──確か、一瞬自分が目を離した試合か、とヴァンは思い至る。
その目を離したスキに、まさかそんな事をやっていようとは。
『しかし見ての通り、私は五体満足でいます。おそらくあの剣士のレリックは、使用者の狙ったモノのみを斬る……そういった能力を持っているのではないでしょうか』
『狙ったモノ、ねぇ……じゃああいつがその気になれば、魔術さえも斬れる、って可能性があるのか』
『魔術式を狙えば、おそらくは。そんな事は、私にも不可能ですが』
『……なるほどな。ところでアルトリウス』
『なんでしょう?』
ヴァンは笑顔を向けて言った。
『──説教。半人前が命知らずなことしてんじゃねぇ。腕を落とす覚悟は、無茶を実力でねじ伏せられるようになってからにしやがれ』
◇
「……」
ヴァンはもう一度、サクラを見た。
黄昏の陽に佇む英傑の青年。故郷とは異なるだろう落陽を、懐かしそうに眺めている。
実力は格段に上。おそらくは魔術を用いても──その他、幸運や第六感まで動員した全力をもってしても、まるで勝てるイメージが浮かばない。
(無茶を実力で……いや、コイツの場合は、「実力で無茶を押し通す」くらいはできるか)
考えながら、ヴァンはゆっくりと上体を起こす。魔剣を握る義手に力がこもる。
すぅーっと息を吸い込み、覚悟を決める。
「……なぁ。第一位を倒したのって……お前か?」
白髪の青年は振り返らず。
声だけが、その問いに答えた。
「そんなに強くなかったぞ」
──凄まじいまでの棒読みだった。真に何の感情も乗ってなかった。そんな事はない、と否定されていた方がよっぽど気持ちが入っていたに違いない。
ヴァンは自分の頬が引きつるのを自覚しつつも、立ち上がる。
「もう一勝負、頼めるか?」
「ヴァン……まさかお前も戦闘狂いだったのか……?」
「今だけだ、今だけ!」
うんざり顔の剣士だったが、すぐ了承するように鯉口を切った。
中庭で二つの影が再び対峙する。ほどなくして、風を切る剣戟音が残響した。




