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夢見る冒険者(仮)  作者: I.D.E.I.
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鹿とイヌ

 田中啓一は陸上部で長距離を専門としている。部員数も少ないので時間が重ならなければ中距離にも出るが、つまり、そう言った弱小の部という感じだ。田中啓一は長距離の始めの苦しさを超えた辺りの、意識が鈍くなり、身体が自動的に動き続けているような錯覚さえする状態が好きだった。


 なので田中啓一にとっては練習も大会も関係無いが、やはり人と競って勝つというのは楽しいしやり甲斐もある。


 そしてこの夢の中のゲームでの適性はアタッカー。それも格闘系だ。ユニーク装備として青いハチマキを巻いているが、この装備の効果で身体を自分の思う通りに動かす事が出来るのと、集中力が上がる事が大変気に入っている。


 この二つの効果は長距離を走っている時の一番好きな状態を作り出してくれたからだ。


 戦うために相手の動きをよく見、予測し、対応する手順を考える事だけに集中する。他には何も考えない。頭の中ではかなり高度な考察を繰り返しているが、田中啓一自身にとっては何も考えていないのと似たような感覚があった。


 実際にはしっかりと自分の意思で攻撃方法を吟味してから選択し、効果的なタイミングを狙って攻撃を繰り出しているのだが、他の事を考えないので自動機械が状況を判断して勝手に動いている状態と似ている。自分の生活や趣味や周囲の状況などを考えなくなるので、自分という人間の思考が薄れているような錯覚を感じているに過ぎない。


 戦いの中で集中すれば、長距離でそれを感じるのと同じ効果がある事に気付いた。なので戦いとなると生き生きと自分の戦闘を始めて没頭する傾向があった。


 そんな田中啓一の戦闘スタイルは蹴りを主体とする格闘だ。両手に軍用ナイフを持ち、両足のジャングルブーツにはそれぞれ二本のナイフを金具でしっかりと固定してある。すね当て、膝当てにもトゲが付けられており、足先は凶器の塊と言っても良い状態だ。


 少々歩きにくいが、現在なら河童を一蹴りで倒せる力を持っている。


 だが、今は皆で戦っている鹿に苦戦していた。


 反射神経が良く、蹴り上げようにも直ぐに跳ねて避けていく。頭にはほぼ凶器と言えるツノが広がっているし、後ろに回ると後ろ足での蹴りが連続で来る。


 走って移動できるが射程距離が手足の長さという格闘系にはなかなか手こずる相手だ。


 井上智久は銃を主体として戦う。


 主人公願望が強い反面、自分には無理だと敬遠する傾向も強い。熱しやすく冷めやすい性格とも言え、その落差で本人は元より周りも対応に困る事がある。


 本人もそれは自覚しているので、どうにか中間ぐらいで行きたいと希望するのだが、いかんせん、性格に引きずられて熱くなってしまうのは収まらなかった。


 だが、このRPG的な状況はこの性格に良く合った。


 のんびり進む間はテンションが低くい方が余計な疲労を生まなくて済むし、いきなり戦闘になった場合は一気に全力を出せるまでに熱くなるのは有利に働く。


 なのでフィールドに出た場合は自分を解放できるので井上智久は楽しかった。


 だが戦闘中はやはりやり過ぎてしまう。


 撃った弾が当たった時などは主人公願望が持ち上がり、自分がこのパーティの中心で無いと気に入らなくなってしまうし、上手く行かなければイライラが募って強引に推し進めようとしてしまう。


 それが拙い事は判っている。それが続けば孤立してしまう事も容易に想像出来る。


 だからこそ、この夢の中のゲームで、命がけで戦いながら自分の立ち位置を自分自身に刻みつけたいと想う。


 必要なのは自分の実力をはっきりと自分に教える事。


 それは強さでもあるし賢さでもなる。さらに協調性でも有るし、優しさでも有る。井上智久は不安定な自分の心を鍛えるために、楽しみながら戦おうと決めていた。


 そんな覚悟の井上智久も、鹿を相手では心を鍛えるどころでは無かった。


 銃弾は鹿のツノに当たるのだが、軽い脳震盪を起こさせるので精一杯だった。しっかり狙おうとしても飛び跳ねて狙いが定まらず、下手をすると仲間に当たってしまう可能性まであった。


 正直イライラする。


 自分自身の腕の無さ、上手く動いてくれない鹿、自分をしっかりサポート出来ない仲間。全てがイライラする。


 気持ちが焦る。


 ここで自分が短気に陥っている事に気づければ良いのだが、井上智久にはもう少し経験が必要だった。


 なので爆発した。


 「だーっ! このやろ! コノヤロ! この野郎ー!」


 叫びながら銃を撃ちまくる。


 「ばっ! 危ねぇ! 井上! 落ち着けー!」


 自分の足下近くに着弾した事に気付いた山田功二が叫ぶが、井上智久には届かないようだった。


 山田功二は学校では料理研究会に所属している。母親がベランダでプランターにミニ野菜を育てている事が切っ掛けで山田功二自身も野菜の世話をし始めて料理に興味を持った経緯を持つ。


 元来の器用さに加えて忍耐強さを持っているので、人付き合いは無難にこなす。逆にそれ故に短気で気分屋に見える井上智久とはそりが合わないと感じているが、何故かいつも近くにいる関係になっている。


 主に自分から離れようという行動を取っていないため、周りが押しつけていると言う状況なのだが、本人たちはそれに気付いていない。


 戦闘スタイルは火の魔法を主に使うが、本来の相性は土魔法だ。


 土魔法は落とし穴や地面の泥沼化、さらには地面から土成分を吸い上げて、硬質な石つぶてや石で出来た槍などを生成して射出する事が出来る。サポートとしては足場の確保から塹壕、土の地面に作られた罠の解除なども出来る。しかし土という固体を動かすのは火や水、風とは違い、強い魔力が必要になるため、初級の使い勝手としては劣る傾向にある。熟達すれば他の属性よりも使い勝手は良くなるのだが、初級の内では火の魔法に大きく劣る事になる。


 なのでレベルが上がるまでは基本の攻撃方法は炎の魔法に頼っている。土の魔法の杖も持っているが、移動中に杖に魔法陣を展開する所で止めて、魔力消費を抑えながら土の魔法に合った魔力操作を鍛えている。


 実際に戦いで魔法を使う時は炎を一つの固体のように意識して、炎で出来た薙刀の様に扱う。


 理想では某ロボットアニメやSF映画のような高熱粒子で出来た剣の様に、触れた物を一瞬で焼き切る刃にしたかったが、イメージが足り無いか、魔力が足り無いかは不明だが実現出来てはいない。


 結果として炎が揺るがない火炎放射器の様な形状になっているが、接近して浴びせ続ければ投げつけるだけよりも大きな攻撃力になる。


 しかし鹿の場合は安易に接近も出来ない。振り回される枝状に広がったツノは、何時突進してくるかの不安もある。後ろに回っても後ろ蹴りは脅威以外に無い。横から攻めようにもグルグルと跳ね回るので死角になり得る場所が無かった。


 清水咲恵は水泳部だ。一年を通して学校のプールを使えるのは夏の時期だけだが、その他の季節は基礎訓練として体力作りが中心になる。月に一度は公営の温水プールを借りる事になるが、時間も短く一般市民もいるので本気での競技の練習は出来ない。なのでフォームの確認が中心になる。


 この時期もほぼ陸上部の練習と同じ内容の訓練を繰り返しているが、清水咲恵は水に飢えていた。


 かつてはスイミングスクールが通える範囲に有ったらしいが、不景気の煽りを喰らって閉鎖され、月に一度程度、電車バスで片道一時間を掛けてスポーツクラブビルの温水プールに行くぐらいが清水咲恵のささやかな贅沢になった。


 会員制のスポーツジムはさらに敷居が高かったので除外。


 水を掻き、水の中で進む感触を全身で感じるのが大好きなので、単に水に浸かれば嬉しいと言うワケでは無い。


 そして水の魔法は、何故か清水咲恵のそれを満足させてくれる感触を伝えてくれる。


 泳いでいるワケでも水を掻き分けているワケでもないのに、全身で水を感じて、支配し、突き進んでいるような錯覚をもたらす。物理的、肉体的にそれを感じているワケでは無く、水の魔法を使う度にその力のフィードバックとしてそれを感じるのだ。


 だから水の魔法を使うのが好きだった。


 しかし水の魔法に強力な攻撃力は無かった。


 水の弾をぶつけるだけでは大きな破壊力は生まない。ウォータージェット加工と言う物があるが、一ミリ弱の穴の中に高圧を掛けて音速を超える速度の水を噴射するが故に、鉄板をも切り裂く事を可能にしている技術だ。それを真似ると言うなら、例えるなら野球のボールを持って、音速の二倍以上で投げつければコンクリートをもぶち抜けますよ、と言っているようなモノだ。


 それを再現しようとするよりも、大量に水を現出させる方が遙かに容易だ。


 水の玉を作って呼吸器官である鼻や口を覆うと言う方法も、ロデオの馬の様に跳ね回り、頭を振っている状態では追従させきれない。

 多少範囲がずれても構わないぐらい大きな水の玉を作る技量は未だ無いので、無理に実行したとしても魔力の無駄遣いにしかならない。


 なので清水咲恵は使う魔力量を少なくして数を増やす嫌がらせ方式をとる事にした。


 握り拳一つ分程の水の玉を現出させ、鹿の顔にのみ当て続けるのだ。


 視界、嗅覚は元より、周囲の気配を察知する事も乱され、混乱の中、ただ闇雲に跳ね回るぐらいしか出来ない状態にされ続けた。

 極稀に息継ぎが出来ない状態になったが、致命的では無いのにパニックに拍車を掛ける事にもなったのは偶然の幸いだった。


 おかげで四人に被害は出ていない。しかし前述の通り、鹿に対して有効な攻撃手段が無いので攻めあぐねていた。


 そして暫く同じ状態が続く。


 そこで漸く暴れ回る鹿の体力が限界に達した。清水咲恵の粘り勝ち、と言う結果だ。


 そんなに寒い気候でも無いのに、鹿の吐く息が湯気を立てているのが微かに見える。鹿の身体がかなりの熱を帯びている証拠だ。そして徐々に動きは緩慢になり、その途中でいきなり倒れた。


 息は激しく、微かに泡を吹いているように見える。四本の脚は痙攣を繰り返し、身体全体も時折痙攣する。


 田中啓一、井上智久、山田功二、清水咲恵の四人は鹿を囲うように立っていた。


 誰も言葉を発せず、行動も取れなかった。


 「お、おい。トドメを刺せよ」


 暫くして田中啓一が言葉をひねり出す。


 「お、お前がやれよ」


 「お前だって出来るだろ」


 ここに来て、命を奪う事をの押し付け合いが始まってしまった。


 今、目の前に力尽きて、それでも生きようと呼吸を繰り返す『命』が目の前にあった。しかも生々しく、熱い体温が離れていても感じられる。目は怯えて四人を見上げている。


 判っている。


 ここでトドメを刺せないのなら、この世界で戦う資格が無いと言う事は。


 トドメを刺せずにこの鹿を見逃せば、平和で人権が守られた世界でなら優しい人と言う言葉で済ませられるだろう。だが、遊びとは言え、この世界は弱肉強食の世界という設定だ。


 設定だから無視する事も出来る。


 今までの妖怪は、何処か非現実感があって、ゲームの的と言う感覚で倒せた。しかしリアルな命を奪う感触は無かった。それが目の前にある。


 鶏の唐揚げは好きだ。豚の生姜焼きやトンカツも大好きだ。牛のステーキは大好物だ。だが、命を奪う事は出来ていないと言う贅沢な我が儘を言っているに過ぎない。


 「お、俺はやるぞ」


 田中啓一は両手に一本ずつ持った軍用ナイフを持ち上げる。


 「ここでトドメを刺せないと、もうここに来る気持ちも萎えると思う。俺はまだ、ここで戦いたい」


 他の三人もその思いは同じだったが、田中啓一の言葉ではっきりとした。


 「弱肉強食」


 二番目は清水咲恵だった。腰から剣鉈を抜き、構える。


 「お、お、俺、だって」


 井上智久が震えながらも銃を鹿の頭に押しつけた。


 「田中。合図は任せる」


 魚を捌く事を何度も経験している山田功二が剣鉈を鹿の腹に押し当てて言った。


 「わ、わかった。やるぞ、せーのっ!」


 田中啓一の合図で、四つの武器が一頭の鹿の身体に突き刺さった。


 断末魔はほぼ無かった。


 田中啓一が首筋を。清水咲恵があばらを避けて心臓へ。山田功二が腹を。そして井上智久が目の直ぐ横から頭を打ち抜き、一瞬で事切れた。


 動けなくなるまで暴れさせ、最後のトドメまでにグズグズしていた方が鹿に取って地獄だっただろう。


 山田功二は感傷に浸れているが、田中啓一と井上智久は吐きそうになるのを必死に耐えていた。


 「あっ」


 不意に山田功二が声を上げ、その声に清水咲恵が反応して顔を向ける。


 「この鹿。持って帰れない」


 夢見の街の中で妖怪を倒すとドロップという換金アイテムが出た。それを使って装備を整えてきたが、街から出てスライムや蟻と戦ったがドロップは何も出なかった。この鹿も倒したは良いが、ドロップに化けなかったので、この鹿本体を換金する必要がある。


 そして、鹿を運べる手段が無かった。


 周りは草原で、利用できそうな樹木も無い。


 「山田功二は解体可能?」


 「売ってる肉を切り分けるぐらいしか経験無い。魚なら身を分けるぐらいは出来るけど…」


 「了解」


 ちなみに清水咲恵はバラ肉とブロック肉しか扱った事が無い。魚に関しては開きを焼いたぐらいの経験しか無いので、料理に関しては山田功二に適わなかったりする。


 結局、その鹿は全てを諦める事になった。


 四人全員で一切利用できなかった事を鹿の亡骸に謝り、手を合わせた。


 そして全員が街に戻って装備の見直しという雰囲気になった時、井上智久がせめてツノだけでも、と言おうとしたが狼狽えて叫ぶ。


 「マジか! ちょっ、残弾が!」


 井上智久は先ほど逆上して撃ちまくったせいで、弾丸を詰めたカートリッジを使い切っていた。バッグの中から弾丸を取り出して一発ずつカートリッジに詰めていく作業をしなければならないが、それは移動が始まってからでも良いかと考えていた。


 その井上智久が狼狽えた声を上げた事で、三人が井上智久を見てから、彼の視線の先を追った。


 そこには蟻がいた。家ネコの成猫ほどの大きさの蟻が、少なくとも十数匹。さらに蟻の後方にスライムの姿もある。


 「魔力不足」


 「長期戦なんてまだ無理だぞ」


 清水咲恵と田中啓一も弱音を吐く。


 「逃げよう」


 山田功二の一言で全員の行動に指針が出来た。


 ゆっくり、蟻の包囲が手薄な場所を選んで移動していく。そろそろと、生きた心地がしない状況が続き、そして漸く包囲から抜け出た。


 見ると、蟻は田中啓一たちの方を向いていなかった。


 蟻たちの目的は鹿だ。


 田中啓一たちが離れると、蟻たちは一心不乱に鹿に食らいつき、鹿の皮から内臓をと切り分けていく。そして切り分けた肉を抱えるとどこかに運んでいった。


 「掃除屋だったのか」


 蟻とスライムの役目が判った。


 この草原の主人は鹿以上の獣たちで、蟻やスライムは最底辺の掃除屋でしか無かった。それをイキって倒していた自分たちの滑稽さに田中啓一は笑いたくなる。


 もちろんこの状況で笑う事はしないが、もっと強くならなければ、と言う想いは強くなった。




 小林優美は自称ゲーマーだ。


 実際は学校のある日は夜に一時間半。休日には昼を挟んで五時間程のプレイ時間を続ける程度で、単なるゲーム好きの範囲を超えない。

 プレイしているゲームもMMORPGで、多人数がオンラインで一つのゲームを共有して進めるロールプレイングゲームだ。


 最近ではプレイ人口が減りつつある中で、さらに様々なオンラインゲームが出てきて、多くのプレイヤーが二つ、三つのゲームを平行して楽しむようになってきた。おそらく楽しい方、面白い方にプレイヤーが移行していき、過疎化が始まるのだろう。


 小林優美のお気に入りのゲームも過疎化が進んだ。


 新規プレイヤーがほとんど参加しなくなって、稀に新人が参加してきても、古参のプレイヤーに粘着されたりPKなどをされて直ぐにそのゲームを辞めてしまう。

 古参のプレイヤーの言い分だと、狩り場を荒らされた、などと言う。


 こうなるとそのゲームがサービス停止になるのも遠くない話だ。


 サービスを提供する側からしたら、重課金プレイヤーを優遇し、過疎化したらサービスを終了させてまた新しいゲームで新規課金ユーザーを取り込む。と言う方が美味しいのだろう。


 既に真新しいシナリオやイベントは見られなくなって久しい。


 小林優美が合計で数万かけて装備を整え鍛えたキャラも、最後に戦ったのは特に必要の無いアイテムを取りに行く行程で、楽に倒せる敵を薙ぎ払っただけだった。その後はチャットはするがキャラの移動さえもほとんどする事無く終わった。


 ここが引き際、と言う言葉が出てくる。


 小林優美もまた別の遊び場を探すかと考え始めた。


 完全にオンラインゲームから手を引くという選択肢は無かった。仲間たちと共闘し、辛い目的を達成した時の満足感を体験してしまっては、安易にそれから手を引く事は出来なかった。


 そこに、夢の中のゲームの話が出てきた。


 しかも画面に映るキャラクターを動かしてプレイするので自分は疲れないと言う画面越しのゲームでは無く、実際に自分が動いてファンタジー世界を歩き回る冒険だという。


 現実での運動神経は並みだとは思っている。今まで運動部に所属した事は一度も無いので、並みの下、と言うレベルだ。


 自分自身は椅子に座ったままキーボードを叩き、マウスを動かしていただけだ。


 ネットゲームでは重甲冑に大剣、そして大盾を装備して最前線で戦っていた。特殊効果のついた装飾装備なども加えて、支援職の援助を受けながら魔物に肉薄した戦闘方法だった。


 そんな戦い方を自分自身が行うのは無理だと判ってはいるが、調整次第でなんとかなると思っている。出来なければ、それまで、と言う事も。


 そう思っていたが、実際に夢の中のゲームで行動するのは疲れる、キツい、辛いの連続だった。それでも続けていると妙の高揚感が出てきた。


 身体を酷使するのは辛い。でも、楽しい。


 きっと自分にはこう言うタイプが合っていたのだろう。敵はどうせ湧き出るデータにしか過ぎない。それをいくら叩き潰そうと、なんら良心の呵責を感じない。生き物に見えても所詮は作り物だ。


 「と、思っていた時期もありました」


 小林優美が三人の仲間と共に戦っているのは犬の群れだ。


 狼では無く、犬。犬種はおそらくシベリアンハスキー系統の雑種だと思われた。しかし毛は茶色系統で薄汚れた印象がある。


 狼と違い、ワンワンと声で威嚇して狩りをする特徴そのままで、結構やかましい。


 ネコ科の動物よりも細かい瞬動は少なく、比較的にどっしりとしている感はある。


 なので銃や魔法は当たりやすいのだが、撃った弾が当たった時にキャィィン、キャィィンと悲鳴を上げてのたうち回る姿に、良心の呵責を覚えてしまう。

 さらに倒れてのたうち回る仲間に寄り添い、時折傷口を舐めている姿も見られると、自分たちが動物虐待をしているようにしか見えない。


 「やりにくいよー!」


 とうとう池田弥栄が音を上げる。


 夢見の街を出て草原の敵を倒す段階に来る事は来たが、夢見の街に出没する妖怪と違い、草原の敵は生身の動物だった。


 スライムや蟻はまだゲーム的だったが、犬の群れは現実的過ぎた。


 切れば血を吹いて痛みに泣き、息は生臭く、膨らみ縮む胸は命を強く感じさせる。


 何よりも目だ。


 襲ってきた時は食い物に群がる野獣の目を持って睨み付けてくるが、傷つけられて瀕死の状態になると怯え、懇願するような目で見つめてくる。


 その犬にトドメを刺さなければならない。


 池田弥栄もこの夢の中のゲームで遊ぶのならば、これは避けては通れない道だと言うのは判っている。チュートリアルの時からそれは言われていた。


 しかし池田弥栄は気が小さい。


 初めて妖怪赤へると戦う事になった時も、その勢いに怯えて身体が竦み、どう動いて良いか頭が回らなくなってしまった。


 子供の頃に入ったお化け屋敷でも、恐怖のあまり座り込んで目を閉じ、耳を塞ぎ、全てを拒絶する姿勢を取ってしまい、一緒に入った友人をかなり困らせた経験を持つ。

 その時は結局明かりを持ってきた係員と一緒に入り口に戻ったが、それきり怖さでパニックになる様なモノは触れないようにしてきた。


 高校生にもなり、世の中の仕組みが判ってきた頃にはパニックも少なくなったが、それでも驚いた時や怖がった時に身体が硬直する性質は変わらなかった。


 これには本人よりも周りの者たちが心配した。


 もしも火事や地震などの災害が発生した場合、池田弥栄は硬直して動けず、座して死を待つ事になるのでは無いか、と。

 避難さえすれば簡単に危険を避ける事ができる状況でも、池田弥栄だけが取り残されて不幸に見舞われるのは目に見えていると言う。


 池田弥栄自身もそれではいけないと考える。


 皆と一緒に楽しむ、と言う事が一番だが、二番目に気弱な性格を少しでも直したいと言う事が目標になっている。


 そのために銃というのは恰好のアイテムだった。


 発射音が大きいため、いつも責められているような感じがするが、暫く撃ちまくる内に大きな音に慣れてきている。他の音にはまだ過剰に反応する所は残っているが、今までよりも影響は小さくなってきていると実感できる。


 さらに『撃って相手を殺す』と言う、殺害行為を繰り返す事で、自分自身が弱いだけの存在では無い、と言う気持ちを持つ事にも慣れつつある。


 未だ自分自身に自信を持つ事には至ってはいないが、行動は仲間に任せて、自分はその仲間の中で役割を果たす事で経験を上げ、徐々に自信を構築していけば良いと言う思いはある。


 なのでこの夢の中のゲームは他には無い修行場として打って付けだった。


 しかし修行にしてはいきなりハードルが高すぎると感じてしまう。


 自分の撃った弾丸で倒れ、命乞いをする哀れな目を見てしまうと、トドメを刺す事が躊躇われる。せめて始めの一撃で事切れてくれるのであれば、と言う考えにも至る。


 「トドメを刺せなければ、そこでゲーム終了ですよー」


 どっかで聞いたようなセリフを小野良美が叫ぶ。


 小野良美はオタクだ。


 もちろん腐のアレも好物だが、他にも広く浅く手を伸ばしている。漫画、アニメ、家庭用ゲーム機でのオンラインゲームなど、知っていなければ楽しめないコンテンツを知るためにオタクになったとも言える。


 オタクと言ってもひたすら専門知識を尊ぶ系統では無く、オタク文化を楽しむだけと言っても良い軽いモノだ。


 ゲームも自分ではしっかり攻略した事は無いが、攻略サイトを見て追従する事は出来る。そうしてゲームを楽しんでいたのだが、その時に小林優美と出会った。


 単に追従していた小野良美と、出来るだけ最前線をと目指す小林優美の出会いだった。


 その時は実際に会ったワケでは無く、操るキャラ同士の出会いで会ったが。


 その後は小林優美の行動に小野良美がついていく、と言う形になったが、小林優美にとっては頼もしい相棒に、小野良美にとってはゲームのコンテンツを楽しむために誘導してくれる有り難い先導者となった。


 さらに同じ学校の生徒という事が判ってからは、ゲーム以外の会話も弾むようになった。


 そんな小野良美がネットから夢の中のRPGと言う話を拾い出して小林優美と話し合った。是非にとも行きたいと。


 しかし情報が錯綜し、真実が見えてこない。


 ほとんどが創作された嘘の情報だが、そんな事は良くある事なので、その中から真実を探すのが醍醐味となる。


 小林優美と二人で真実を突き止めると息を上げていたが、クラスメイトの陽平が実際に行けたと言う話が上がった。


 そんな経緯で実際に参加する事になったが、実は自分が実戦向きでは無い事が判った。


 獣の全力での動きについて行けない。相手が作られた妖怪という捏造キャラのすねこすりの突進に反応しきれない事がはっきりと判ってしまった。


 自分の所に向かってこないのならば、攻撃は出来る。タイミングを合わせて魔法を撃ち込む事も出来る。しかし、自分自身が標的になって、とっさの判断が求められる状況になった時にも、頭は通常状態の動きしかしてくれなかった。


 落ち着いた状況で、単純に淡々と作業を行うのは問題無い。ゲームでなら、戦闘という状況でも淡々と作業できた。


 それが実際に、自分に向かってくるすねこすりを避ける際に、右に避けるか左に避けるか、蹴り上げるか、それとも別の方法を取るかで思考の結論が遅くなった。


 小林優美は慣れだと言う。確かに慣れれば判断に迷う事は無くなるだろうが、慣れない状況では致命的だ。


 それでも小林優美と同じゲームを楽しむ、と言う事は捨てがたい。だから生産職に鞍替えをしようかと悩んでいた。少なくとも下手な死に方をして、小林優美の心に負担を掛けたくない、と言う思いは強かった。


 そんな事を考えながらも小林優美たちと夢の中のゲームを進行させていったが、小林優美たちは犬との戦闘で躊躇いを示した。


 一番始めも、作られた妖怪だと判っていても、小林優美はその容姿から倒すことを躊躇った。


 命がけの戦い、と言う状況で相手に感情移入してしまうなんて、戦い自体を舐めていると思う。


 実際に小野良美には躊躇いは無かった。


 きちんとした装備と心構えが有れば、すねこすりを倒すことに心の葛藤は無かった。


 今回の犬にしてもそうだ。


 命を取ろうと襲ってきた相手に感情移入するなんておかしいと思っている。


 「ちゃんとトドメを刺さないと、返り討ちに遭いますよー」


 そう言って、剣鉈を抜いて倒れている犬の首筋に突き刺していく。


 確実なのは首の後ろ、頭を支える頸椎を断つのが一番だが、力が弱いので動脈と気管を傷つける事にする。


 一瞬で活動停止という事にはならないが、呼吸困難の苦しさで攻撃する行動は取ることが出来なくなるし、動脈を断てば脳が機能停止していくので十数秒程残心すれば良い。


 動かずに倒れている敵ならば、魔法で火を使うよりは剣鉈の方が効率が良い。


 そんな簡単なことが出来ない小林優美たちが心配になる。


 何故、小林優美たちはトドメを刺せないのか? もしかしたら自分がサイコパスなのでは無いかと考えてしまう。


 一応、本心から他人への気遣いは出来ているし、他人の痛み、疲れ、喜び、悲しみなどは共有出来ると思っている。本当にそうか? と聞かれると心許ないが。


 とにかく、小林優美はこの世界で遊びたいと願ってはいるが、まだ覚悟が足りていない状況だと思え、もう暫くは自分が小林優美をサポートしなければならないだろうと考えている。


 遠藤多喜恵は本好きだ。


 読むのはもっぱら現代モノで、専門知識が必要になり、それが無いと曲解して真意が判らない、と言うモノは基本的に敬遠している。


 なので主に読むのは恋愛モノで、次にミステリーだ。ライトノベルも恋愛モノを中心にかなりの数を読んでいる。もちろん漫画も好きで、シリアス系統の絵柄を好む。


 ライトノベルの異世界モノも読んではいるが、コンピューターゲームをほとんどやらない遠藤多喜恵にとっては共感できない知識が多く、言葉尻を捉えた意味は判るが、素直に読み飛ばす事が多いので楽しんでいるとは言い難い。


 それでもこの夢の中のゲームが、その異世界モノのライトノベルに状況が近いことは理解出来るので、皆と同じように既に知っている知識として理解出来ている。


 そんな中で遠藤多喜恵は斥候としての役割を選んだ。


 飾り装備が斥候向きだったと言うのも有るが、自分自身が大剣を振り回したり、派手な魔法を撃ち出したりする状況を想像出来なかったのもある。


 地味に一人で本を読んでいると言う状況が好きなので、皆と一緒に遊ぶのも良いが、自分一人だけの時間も欲しいというジレンマから斥候を選んだとも言える。


 そんな遠藤多喜恵はクラスの中では唯一、鶏を絞めた経験がある。


 父親の田舎に行った時、唐揚げが好きだと言ったがために、それなら鶏ぐらい絞められないとなぁ、と言われてほぼ強制的にさせられた。

 実は父親も子供の頃から何度もやらされて慣れていたが、実家を出てからはその機会が無かっただけだったそうだ。


 祖父などは生きた鶏をそのまま押さえつけ、鉈で首をあっさりと断ち切る。首を落とされた鶏がそれでも暴れるのを押さえつけながら、脚を縛って逆さ吊りにして血抜きをした。


 遠藤多喜恵は木の棒で鶏の頭を思い切り叩いて気絶させてから首を断て、と教えられたが、力の掛け具合が判らずに何度も叩くことになった。

 もしかしたら、始めから首を断っていれば余計な痛みを感じなくて済んだかも知れないと思うと、遠藤多喜恵は鶏に対して申し訳ない気持ちで一杯になったりもした。


 父親は、始めはそうなる事もあるなぁ、と笑いながら言っていたのが、なんだか裏切られたような気持ちになった。


 確かに自分自身が美味しいと言っていくつも食べてきた肉だ。


 しかし食べるために命を奪う行為をしなければならないのはともかく、慣れぬ手つきで一度で気絶させられないと言う、残酷な仕打ちをしてしまった自分を責めている気持ちを笑われるのは納得いかない。


 父親は、次が上手くやれたら良い、と言う意味で苦笑いしたのだろうと想像は出来るが、手の中にある命は唯一無二だ。父親にとっても、祖父にとっても、鶏は命では無いのか? と言う気持ちにもなってくる。


 まぁ、首を鉈で落として、落ちた首が地面に落ちてるのに、胴体の方はバタバタと暴れ回っていると、本当に貴重な命か? と言う疑問も湧いてくるが。


 そして脚を縛って逆さ吊り。断ち切られた首から血が流れ落ちて行くと、直ぐに暴れていた胴体も物言わぬ肉になる。


 これを見ると、命とは血の流れ、と言う事がよく判る。


 肉体がいくら健康でも血が巡らなければ死んでしまう。怪我で血が失われると言うのは言わずもがなだ。内臓が疾患を抱えて血が濁ると体調を崩すし、死に向かうことにもなる。


 古来より血を命と捉える解釈にも納得がいく。


 血が抜けた鶏を沸騰する前の湯に入れて、出したり入れたりを繰り返してから羽をむしる。


 鶏肉処理の自動機械だと電気ショックで一発らしいが、手作業だと取り残しに注意がいる。


 最後に火で炙って産毛のような細かい毛を焼いてから脚を切り落として終了。


 その後は腹から切り裂いて左右に割って、各部位に切り分けるのだが、それは母親たちの仕事になった。まぁ、飛び散った血で生臭くなっていたから風呂に直行させられたのだが。


 そして出てきた唐揚げや焼き鳥を見せられ、食べさせられた。


 その時父親が、聞いた話だと初めて捌く経験をした直ぐ後は、鶏肉を食べられなくなるらしい、と言っていた。だが鶏の竜田揚げは美味しかったし、父親のその発言に怒った遠藤多喜恵は、父親の分の唐揚げも食べ尽くして意趣返しを行ったりもした。


 その時、どれほど食べたのかは覚えていないが、それ以降、祖父も父親も鶏を捌いて見せろとは言わなくなったのはご愛敬と言う事にしている。


 その晩、遠藤多喜恵は吐き戻したい衝動に駆られながら、必死に耐えていたが、その原因が命を奪った事に対する忌避感なのか、食べ過ぎだったのかは、名誉のために言及しない事にする。後に、胃の薬は偉大だ、と言う言葉を残したと記されているのみだ。


 そんな遠藤多喜恵が小林優美と池田弥栄の様子に、ヤレヤレと言った気持ちを感じる。


 食べるために、とは言わないが、生きるために殺すと言う事を出来ないで、何故無法のフィールドに出たのか。


 一応は判っている。遊びだ。


 判ってはいるが、その遊びという状況に甘えている小林優美たちに呆れてくる。


 「出来ないのなら、このゲームで遊ぶのは無理ですねぇ」


 そう言って遠藤多喜恵も、小野良美をならって犬の首筋を切り裂いていく。


 切り開かれた傷口から、犬の血液がドクンドクンと波うって吐き出される様を見て関心する。


 「鶏とは違いますねぇ」


 「鶏を捌いたことあるの?」


 遠藤多喜恵の言葉を聞いた小野良美が問いかけてくる。


 「はい。三年ぐらい前ですが、父の田舎で」


 「鶏って首をいきなり落とすんだっけ?」


 「はい。鶏は首を落とされても暫くは心臓は動いていますし、血抜きには便利なんですよ」


 「哺乳類とかだと、首が断たれたら心臓も止まるから血抜きが面倒くさいんだっけ?」


 「聞いた話だと、豚は電気ショックで気絶させて、生きた状態で血抜きするそうです。でも偶に意識を取り戻して、暴れたまま死んでいくとか」


 小野良美と遠藤多喜恵は、軽く会話しながら犬を蹴飛ばし、予備の銃で撃ったりしながら、そのトドメを剣鉈で入れて行く。


 そんな二人の様子に小林優美と池田弥栄はドン引きする。


 そして十数頭いた犬は尽く駆逐された。


 まるで作業だった。


 「良美、良く出来るね」


 半ば怯えながら小林優美が小野良美に問いかける。


 「えー? 出来なければココでは遊ぶ資格が無いって、さんざん言われてたよね?」


 「確かにそうだけどぉ」


 「なら辞める?」


 「……やる」


 「なら、この犬、捌いてみようか?」


 「え?」


 「やるんだよね?」


 「あ、あの、捌いて、どうするの? な、何かの役にたつっけ?」


 「優美?」


 「あっ、えーっと」


 半眼で睨み付ける小野良美にタジタジになる。その横では、遠藤多喜恵が池田弥栄に捌き方を説明していた。


 「四つ足の場合は後ろ足を縛って吊り下げて、首筋から血抜きするんだけど、死んでる場合は少し長めに吊り下げておかないとならないんだよね。で、股間から切り裂いていくんだけど、腸と尿道の出口をしっかり縛っておかないと、中身が出ちゃって汚染されちゃうから気をつけないといけないらしいよ」


 普通に常識を説明している様な遠藤多喜恵の話に池田弥栄が顔面蒼白で震えている。


 「わ、判った。ややや、やってみる!」


 意を決した小林優美が剣鉈を握りしめて犬の死骸に近づく。


 「はい、そこでストップ!」


 「え?」


 突然の小野良美の停止でガッチリと身体が固まる小林優美。


 「な、なに?」


 「ストップ。解体はやらないで」


 「え? でも?」


 「コンピューターゲームじゃ無いんだから、しっかり準備しておかないと解体とかやっちゃいけないからね? こういう野生の動物の場合はダニとかノミが怖いらしいよ。だからそういうのをしっかりと洗い流して、ゴム長とかゴム手袋とかゴムエプロンとかの装備が無いとダニから変な病気をうつされるとか有るからね。それに、素人がいきなりお腹を割いちゃうと、腸の中身が飛び出して、全身でそれを浴びちゃうなんて事もあるらしいから、腸を傷つけない様にするナイフとかもあった方が良いし、とにかく準備不足。やる気があるなら、準備してからにしましょ」


 小野良美の説明に、小林優美は剣鉈を持ったままへたり込んだ。


 小林優美は実際に犬の死骸に鉈を食い込ませることしか考えていなかったが、言われてみればその工程で予想される事を全く考えていなかった自分に気付かされる。


 ゲームなら敵を倒せばドロップアイテムが出てくるだけだ。


 死骸を解体するのに詳しい工程は考えなくとも、結果としての皮とか肉が手に入ったりする。だが実際にやろうとすると、吊り下げるための場所やロープなどが必要になるし、取り出した内臓の様子をしっかり観察して、病気や寄生虫の有無を見極められないと、食肉として口に入れるわけにもいかない。


 日本では鶏、野生のイノシシ、野生の鹿は、解体した者が身内に配って食べる分はお目こぼしされているが、豚や牛などは獣医師資格を持つ者が検査したモノで無いと流通には乗せられないと言う法律が存在する。


 それだけ病気を持った獣の肉は危険なのだが、食料生産、流通が乏しい地域では、そうも言っていられないのも現実としてある。

 本来であれば鶏、イノシシ、鹿も同じ検査をしなければならないが、流通量の関係で狩猟関係者などに指導が行われているだけだ。


 そう言った事がこの夢の中のゲームで同様になるのかは不明だが、目の前で息絶えた犬たちを見れば、しっかりと衛生管理を行わなければ自分たちにも被害が及ぶのはほぼ確定と見て良い。


 それだけ、リアルに血を流している。周りにも血の匂いが充満していた。


 「とりあえず、優美と弥栄ちゃんは、この犬の死骸に鉈を入れて見ようか?」


 小野良美が言うと、二人が生唾を飲み込むのが端から見ても判った。


 「えっと、どうすれば…」


 「んー、お腹を切りつけて、中身がドバッてのは良くないよねぇ。じゃあ、後ろ脚をモモの付け根から切り剥がしてみようか」


 小野良美がそう言うと、遠藤多喜恵が意見を挟む。


 「小野さん。犬でもモモ肉は一番食べ応えはありそうですけど、血抜きしておかないと生臭いですよ?」


 「実際に食べるワケじゃないけどね。早く肉に剣を入れる事に慣れてもらうだけだし、関節や筋を切り離す感触を覚えるのには良いんじゃないかなぁ、と思って」


 「なるほど。なら、早くやってもらいましょう。ちょっと周りが騒がしくなってきましたし」


 今だ遠いが、血の匂いに誘われた蟻がちらほらと見えている。かなりの数がこの場所を目指しているようだ。


 「うん、だね。ほら、優美、チャッチャとやっちゃって。弥栄ちゃんも!」


 「う、ううう」


 涙目で呻きながらも、小林優美は犬の後ろ脚を引っ張りあげ、その根元に何度もザクザクと剣鉈を突き刺す。


 レベルの上昇に伴い、小林優美の力も上がっている。犬の後ろ足を引っ張り上げる力で、切れ込みを入れた所からミチミチという音がして後ろ足が千切れていった。


 「う、ううぅ。切れたよぉ…」


 既に心臓が止まっているので血が溢れることは無いが、ボタボタと血がたれ、流れていく。切り口は赤黒い。


 「ちょっと待ってねぇ」


 小野良美は水の魔法を発動させ、単なる水の塊を空中に現出させる。それをバシャッと小林優美が脚を切り取った犬の死骸にぶちまける。


 あまり綺麗とは言いがたいが、それでも切り取られた切り口から血が流れ落ちる。


 「うん。見たところ綺麗な肉だね。特に変な病気を持っているようには見えないか」


 「そうですね。時間的な余裕があれば食肉として利用できたかも知れませんね」


 小野良美の観察した意見に遠藤多喜恵も賛同した。


 「ねぇ、これどうするのぉ?」


 小林優美は、まだ切り取った後ろ脚を持ったままだった。


 「あ、ゴメン。その辺に捨てちゃって」


 「終わりましたぁ」


 小野良美の返答と同時に池田弥栄の作業も終了した。


 作業が終わった所で、全員の持つ剣鉈を綺麗に拭う。そのまま鞘に収めたら、鞘の中が生臭くなってしまう。


 「さて、一旦街に戻りましょう」


 未だにヘコんでいる小林優美の代わりに小野良美が仕切り、街に戻る事にした。


 そして入れ替わりに蟻やスライムが犬の死骸に群がることになる。


 「私たちも、死んだら蟻たちが千切って持っていくんでしょうか?」


 遠藤多喜恵の呟きには誰も答えなかった。

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