68.それぞれの道へ ※
***
最高に幸せな瞬間だった。レオナールに触れられた場所全てが心地よく、下半身の鈍い痛みも幸せに感じる痛みだった。何もかも忘れ身体が1つになるように、ただ互いを求めあった。
ローズはゆっくりと目を開くと、カーテンの隙間から星空が見えた。そして暖かい温もりが、後ろから自身を包み込んでいることに気付く。
後ろを振り向くと、レオナールがこちらを見て微笑んでいた。そのままレオナールに向き合うように体制を変える。互いに一糸まとわぬ姿のまま抱き合った。
「起きてたの?」
「ああ」
「寝ないの?」
「寝てしまっては、この幸せが一瞬で終わってしまう」
そしてローズの額にキスをした。
幸せだった。幸せで、幸せで仕方がない。
だがこの幸せが、もう長くないことも分かっていた。レオナールの胸に手を這わせて、胸元にキスをした。次にそのまま頬へと手を這わせる。
「お酒ばっかり飲んでたんでしょ。早死するよ」
「……ヴァルから聞いたのか?」
「ここに来るまでヴァルからいろいろ聞いたよ。酒に溺れてるって」
「そんなことはない。ちょっと多めに飲んだだけだ」
「そんで女は毎晩取っかえ引っ変えって」
「……余計なことを」
「寂しかったのね、私がいなくて」
レオナールは気まずそうに「そうだな」と答えた。
「案外未練がましいのね」
「情が深いと言ってくれ」
「ソレイユレーヌさんの時もそうだった?」
「やめろ」
「ふふっ」
「俺で遊んでいるな?」
「分かった?」
「悪い女だ」
そう言われると強く抱き締められた。ローズも強く抱き締め返す。
「明日、他の人と結婚しちゃうのね」
「……ああ」
「時間が止まればいいのに」
「そうだな」
残念ながら、そんなことは起こらない。
刻一刻と時間は過ぎていく。
日を跨ぎ、空が白みを帯びた頃、扉を叩く音がした。
「レオ、起きてるか。帰らねぇと騒ぎになる」
扉の向こうから声が聞こえた。
「分かった」
仕方なく離れ、互いに服を着た。ゆっくりとなるべく時間を掛けて着替える。最後にマフラーをして着替え終わるとレオナールが手を差し伸べてきた。ローズがその手を握ると、2人で外へと出た。
繋いでいた馬の元まで行くと、ヴァルが待っていた。レオナールは馬に乗り、前にローズを乗せた。
「ローズを貸馬車屋に送る。少し待っててくれ」
「分かった」
「ヴァル、すまなかった。有難う」
するとヴァルは目を見開き「こわっ」と声を上げた。
「何がだ」
「謝ってるし感謝してる!」
「常に言っている」
「いやいや、ねぇから!」
ヴァルがそう言うと2人とも黙った後、軽く吹き出した。
レオナールは馬を歩かせた。ヴァルの時と違って走っていないので、乗り心地はマシだった。走っていた時は早く終われと願っていたが、今では終わらないで欲しいと願った。
貸馬車屋に着くと馬を降りた。ローズの腰を掴んで馬から降ろすと、レオナールは「待っていてくれ」と店の中に入っていく。
(帰るんだ……)
夢が醒めていく。心地が良い夢だった。ずっと見ていたかった夢だ。
暫くしてレオナールが戻ってくると「この馬車で行くらしい」とローズの隣に停めてあった馬車に触れた。そして御者が馬車の準備をした。
「夜は宿泊することになるだろう。次の日もこの馬車で行けるよう話しをしてある」
「分かった、ありがとう。あと渡すものがあるの」
ローズは肩にかけた小さなポシェットから、小さな赤い薔薇の花束を出した。
「ブートニア。式は赤い薔薇のブーケを使うって聞いた。それで、ここに来る前に作ったの。レオナール自身が、まぁ、ちょっと華があるからシンプルにした」
レオナールはそれを受け取ると複雑そうな顔をした。
「え、あれ、嫌だった? もっと豪華にした方が良かった?」
「いや、嬉しいが、薔薇はローズを思い出す。だからあまり見たくないと思っていた」
実際、予定された挙式でもブートニアを使わないことにしている。周りからは微妙な顔をされたが、それでも拒否をした。
「思い出したらいいじゃない」
「ローズ、俺は未練がましい男だぞ」
「ふふっ、情が深いんでしょ」
「準備が出来ました。出発出来ます」
御者がそう言うと、ローズはレオナールの胸に飛び込んだ。
(嫌だ……行きたくない……)
「あい――……」
――愛人にして。
そんな言葉が頭をよぎる。
(ダメ……それはダメ……)
言ってしまいそうになった言葉を無理矢理飲み込んだ。これだけは言ってはいけない。母親をこれ以上悲しませることは出来ない。
「ローズ、愛している」
「私も愛してる」
苦しい程に抱き締め合った後、ローズは馬車に乗った。窓を開けてレオナールの手を握ると、レオナールは唇にキスをした。何度も何度もキスをして、最後はゆっくりと離れた。
離れるとレオナールは馬車を叩いた。御者は馬車を発車させる。レオナールが見えなくなるまで、ローズは手を振った。見えなくなると窓を閉め、大声で泣いた。
出した涙は一生分。
首にかけていたマフラーを取り、抱き締めた。
「さよなら、レオナール」
ローズにとって初めての大恋愛は幕を閉じた。
***
ローズが居なくなると、急いで狩猟小屋へと戻った。そしてレオナールとヴァルは馬を走らせ、ラファル邸へと戻る。
玄関前ではそわそわと右往左往しながら外で従僕が待っていた。2人は従僕に馬を渡す。レオナールはそのまま支度部屋である自室へと向かった。
ずっと待っていた従僕がレオナールの姿を見てほっとする。来ないのでは、と噂され使用人皆慌てていたのだ。結婚式用の礼装に急いで着替え、整髪料で髪の毛を整えられた。
(薔薇のブートニアか……)
レオナールは貰ったブートニアを左胸ポケットに差した。
「ブートニアをつけることにされたのですか?」
使用人の1人がそう尋ねた。
「そうだ」
「でしたらこちらのブートニアが元から用意されていたものです。こちらの方がとても豪華ですし――」
「いい」
「ですがそれはなんというか華やかさに欠けて――」
「何度も言わせるな」
レオナールはその使用人を睨み付けた。
「――ッ申し訳ありません」
使用人は下がると、レオナールは立ち上がった。姿見の鏡で全身を確認する。
「完璧です、レオナール様」
「当たり前だ」
そしてラファル邸を出ると、挙式へ向かう馬車へと乗りこんだ。
ブートニアのある左胸を右手で触れる。この様な結果になってしまうのなら、駆け落ちを無理にでも決行すれば良かったと後悔の念を抱いた。だがそれも、血の誓約のせいで出来ない。
ローズとの別れ際、「愛人になって欲しい」と言いそうになった。だがローズは愛人にはなれないと前に言っていた。彼女の気持ちを尊重するならば、今後も言うべきではない。
「さよなら、ローズ」
レオナールはそう呟き、一筋の涙を流した。




