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64.証明 2

 暫くしてレオナールは戻ってきた。目は鋭く光り、ラファル侯爵の前まで近付いた。

 

「おかえ――」

「別れました。解毒薬を」


 右手をレオナールはラファル侯爵に差し出した。ラファル侯爵はバティスト卿を見ると、バティスト卿は頷いた。


「忘れている。署名をしてからだ」


 レオナールは舌打ちをして、羽根ペンを手に取る。すると、ラファル侯爵はインク瓶と小さなナイフを引き出しから取り出し、レオナールの前へと置いた。


「……ご冗談でしょう?」

「冗談ではない。お前はこんな誓約書なんとも思わず破棄するからな」


 そう言ってインク瓶の蓋を開ける。


 ラファル侯爵が求めるのは、ただの誓約ではなく血の誓約だった。少量の黒いインク瓶には、緑色の煌めいた細かい粉が入っている。

 レオナールはナイフを手に取り、指先を切った。そして滴る血をインク瓶へと落とす。インク瓶をラファル侯爵が振り、レオナールへと渡した。


「どうぞ」


 レオナールは蓋を開け、そのインクに羽根ペンを浸すと、誓約書に署名をした。ラファル侯爵は綴りが間違っていないことを確認すると、解毒薬を渡す。

 急いでそれを取るとヴァルの元へと駆け寄った。瓶の蓋を開けヴァルに渡した。


 ヴァルはそれを受け取り、急いでその中身を飲み干した。ゆっくりと痛みがなくなっていく。荒かった呼吸は落ち着き、やっとまともに呼吸が出来るようになった。


「ヴァル!!」


 ミストラル伯爵はヴァルを抱き締めた。ヴァルはやっと引いた痛みに安心し、床に横になって脱力していた。全身にずっと力を入れていたため、立ち上がることはおろか、指1本も動かすことは出来ない。


「さてさて、良かった良かった。めでたしめでたしと言うやつかな」


 ラファル侯爵は誓約書を手に取って嬉しそうに微笑んだ。


「ステファン、申し訳なかったね。息子が苦しんでいる様を見るのは辛かったろう。ヴァランタンも悪かったね。相当痛かったろう。だがこれでレオナールは――」

「破棄します」


 ラファル侯爵はキョトンとした顔をした。レオナールはそんなラファル侯爵を睨み付ける。


「あの女とは別れたのではないのか?」

「別れました。ですがレティシアとは結婚しません」


 あの時酷い言葉で振ってしまった。だがレオナールは、しっかり説明し誠心誠意謝るつもりだった。ローズが泣いていた姿が頭から焼き付いて離れない。許されることは無いかもしれないが、今すぐローズの元へと行きたかった。


「血の誓約を破ればどうなるのか分からないのか?」

「分かっています」

「先程のヴァランタンのような苦しみを味わうことになるんだぞ」

「永遠ではありませんよね。七日七晩だと記憶しています」

「七日七晩耐えるつもりか?」

「耐えます。耐えてみせます」


「……ほぉ」


 ラファル侯爵は少し考えるような態度を取る。レオナールはそれが態とらしく見え、違和感を覚えた。


「そうか……耐えれる自信があるのか。いやいや、本当に……まさかと思ったが、血の誓約を破棄しようとしてくるとは」


 そしてラファル侯爵は微笑んだ。


「やれるものならやってみるといい。お前なら耐えれるかもしれん。だが、あのお嬢さんはどうかな?」


 言っている意味が理解出来ず、レオナールは眉をひそめた。


「……どういう意味ですか?」

「あのお嬢さんだよ。平民の。あのお嬢さんはきっと耐えられない。自害するだろうね」


 ラファル侯爵はインク瓶を手に取った。


「この中に入っている血が、お前の物だけだと誰が言った?」


 レオナールは心臓を鷲掴みされるようにドクンッと鳴る。


「昨日、運良く……それはもうとても運良く彼女の血を手に入れる事が出来てね。ここに入れていた。いや、良かった。まさかの事態に備えていたんだ。役に立つとは思わなかったね」


 ラファル侯爵は誓約書を懐へとしまった。


「……そうですか」


 レオナールはふぅ、と軽く溜息を吐いた。周りの者からすれば、それは全てを受け入れた態度だった。


 だか数秒後、レオナールはラファル侯爵へ飛び掛った。机の上にあった物は散乱し、レオナールの手はラファル侯爵の胸倉を掠めた。あと一歩だったが既の所でバティスト卿がレオナールを後ろから取り押さえた。

 

「離せ!! バティスト卿!!」

「お止め下さいレオナール様!!」


 バティスト卿は必死にレオナールを抑え込もうとする。だがレオナールも幼少期から護身術を習っている。それに加え、なるべく傷をつけないように抑えたいバティスト卿と、どんな手を使ってでも拘束を逃れたいレオナールでは、抑えるのが容易ではなかった。

 そんなバティスト卿に慌ててミストラル伯爵が加勢する。ミストラル伯爵も当主になる前はラファル侯爵の専属騎士だった。


 必死に抵抗していたレオナールも、そんな2人から抑えられては敵わない。床へとうつ伏せにされ、頭を抑え込まれ、後ろ手にされたレオナールをラファル侯爵は立ち上がって見下げた。


「周りも見えん程盲目になったか!! レオナール!!」


 ラファル侯爵を睨み付け、今も尚飛び掛かろうと必死に抵抗する。バティスト卿もミストラル伯爵も全身の力を全て使って必死に抑え込んだ。


 今にも「殺してやる」と暴れるレオナールを見て、ラファル侯爵は悲しげな顔をした。


「今はまだ分からんだろうが、いつかきっと、私がやったことが分かるようになる」

「分からなくて結構です!!!!」

「親になれば嫌でも分かる。恨んでくれても構わない。だがお前の為だ」


 一向に暴れることをやめないレオナールを見て、ラファル侯爵はテュルビュランス伯爵に目配せをする。テュルビュランス伯爵はレオナールの元へと歩みしゃがみこんで、鞄から箱を出した。


「申し訳ありません、レオナール様」


 箱から出したのは注射針と薬液だった。テュルビュランス伯爵は注射針に薬液を入れて準備をすると、それをレオナールの首へと刺した。


「暫し眠れ」


 ラファル侯爵のその言葉が最期に聞こえた言葉だった。レオナールは意識を手放し、あっという間に眠りについた。

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