60.嫌がらせ
朝、ローズが店に行くとラファル家の馬車が店に停まっていた。レオナールが来ているのかと思い、中をチラッと見てみたが見知らぬ人が1人座っているだけだった。首を傾げ店の扉を開けようと鍵を取り出す。
「……開いてる?」
店を開ける準備をしようと扉に鍵を差し込んで回すと、扉が閉まってしまったのだ。
(えっ……鍵閉め忘れちゃったんだ)
慌ててもう1度鍵を回して開けると、店内に男性が1人、椅子に足を組んで座っていた。男性の胸元のクラバットには、緑に光り輝く宝石が見え、服装から貴族であると分かった。
驚き固まっていると、「どうもお嬢さん。久しぶりだね」と声を掛けてきた。
「あ、え……あっ、レオナールのお父さん……」
誰だったかと思い出した。あの時と同じようにとても優しそうな笑顔だった。だがその笑顔はなんとなく怖いようにも感じる。
綺麗な笑顔なのだ。非の打ち所がないほどに完璧である。だがその完璧さがローズには怖かった。
「悪かったね。勝手に開けさせてもらったよ」
「え!」
(どうやって!?)
ラファル侯爵はそう言うと「入りたまえ」と手招きした。
自分の店なのに部外者の方が偉そうなのは、貴族だからなのかレオナールの血筋だからなのか、または両方か。そんなことを考えながら中へと入った。
扉を閉めると、ラファル侯爵は更に優しく微笑んだ。
「それで、いくら欲しい」
「……え?」
「いくら欲しいんだい、お嬢さん」
「えっと、何のことでしょう」
「とぼけないでくれ。レオナールと交際しているのは金が目当てなのだろう」
「――違います! 私、そんなんじゃ――」
「借金があるな。約金貨700枚の。平民の君にはかなりの大金なはずだ」
ラファル侯爵は懐から紙の束のような物を取りだした。そして立ち上がると、カウンターにあった羽根ペンを勝手に手に取って何かを書いた。
「金貨1000枚やろう」
そう言ってその紙を1枚千切り、ローズへと渡そうと近付いた。首を傾げて見てみると、それが小切手であると分かった。
「え……」
「足りないか?」
「いや! 要りません!」
「遠慮はするな。金貨700枚では借金しか返せん。手切れ金として300枚足してあげよう。だから早く別れてくれないか」
綺麗な笑顔でそう言ってくる。やはり怖い。後退りをして首を振る。
「私は、お金が欲しくて彼と交際しているのではありません」
「ははっ、そうかそうか。皆そう言う。だが隠さなくていい。恥ずべきことでもない。欲に目は眩むからな。なるほど、1000枚如きでは駄目か。レオナールと結婚すれば金貨1000枚など端金に見えるほど、多額の金が自由になるからな」
「違います!」
ラファル侯爵は再びペンを握る。今度は金貨300枚を小切手に記入した。
「合計で金貨1300枚だ。もっとか? 君が息子と別れてくれるなら、いくらでも金を渡そう」
再び小切手を渡そうとしてくる。
「……私は彼を愛しています。お金じゃないんです」
ローズは俯いて涙を堪えた。金目当てで交際していると思われていることが悔しかった。
「仮に真剣交際だとして、君は本当にレオナールと結婚出来ると、そう思っているのかね? 調べたら君は子が作れないそうではないか。そんな女が、ラファル侯爵夫人に本当になれるとでも?」
「レオナールは……養子を迎えればいいと」
「はっ、それは結婚後どうしても子が出来なかった場合だ。結婚前に子が出来ないと分かっているのに、結婚させようとは思わない」
何も言えなかった。ローズがずっとつっかえていた部分だからだ。
「私から孫を得る楽しみを奪わないでくれ」
ローズはハッとしてラファル侯爵を見た。自分の母親からはその楽しみを奪ってしまった。今度はこの目の前に居る男から、その楽しみを奪おうとしている。
(こんなに好きなのに……やっぱりダメなのかな……せめて……)
「レオナールから別れ話があったらそうします」
ローズはそう言って再び俯いた。そう約束したのだ。ラファル侯爵はギリっと奥歯を噛み締める。だが直ぐに笑顔を取り戻した。
「そうか、分かった」
ラファル侯爵は小切手を懐に仕舞う。
「その言葉、忘れないで欲しい。いいね?」
そう言われローズは頷くしか無かった。自分からは言えない、言いたくなかった。
「よし、ならばそれでいい。いやぁ、実に有意義な時間だったよ、お嬢さん」
ラファル侯爵はローズに右手を差し出した。握手をしようとしている。流石に握手をしないという失礼は出来ないので、ローズは恐る恐る右手を差し出すと、ラファル侯爵はその右手を掴んだ。
「痛っ!」
何かが突き刺さるような痛みが手のひらに走る。
「おっと失礼。私の指輪だな」
ラファル侯爵は右手人差し指と薬指に指輪をしていた。薬指の指輪の内側が尖っており、少しばかり血が着いていた。
(さっきまで薬指に指輪なんかしてなかったはず……この人、私と握手するからこの指輪嵌めたの?)
手のひらを見ると、太い針で刺したような傷があり血が滲み出ていた。
「悪いねお嬢さん。この指輪の装飾が握手に向かないのをすっかり忘れていたよ」
(絶対嘘!)
「では失礼――」
「父上!」
扉の鈴が鳴り、レオナールが入ってきた。かなり怒っているようだ。
「ローズに何を――」
「別に何もしていない」
「嫌がらせはしない約束です」
「そんなものはしていない。少し話していただけだ。そうだろう、お嬢さん?」
握手で嫌がらせをされたローズは首を縦に振ることはしなかった――かといって横にも降らなかった。
「そう言えばレオナール。レティシアとの仲は順調か? 今度のデートはいつなんだ?」
「デートなんてした事ありません」
「そうか? いつもあんなに仲が良さそう――」
「そう嘘を吐くのを止めて下さい!」
「真実だ。週刊誌にも書いてあった。ああ、それともこのお嬢さんには内緒にしているのかね?」
「……え?」
(違う! 信じちゃダメ! 別れさせようとして言ってるんだ)
「いい加減にして下さい!」
「式はもうすぐだ。皆楽しみにしている」
「挙式もどうぞ勝手にやって下さい。私は出ませんから」
レオナールはローズを抱き寄せ、ラファル侯爵を睨み付けた。
「愚かな。お嬢さん、さっさと手切れ金を貰って別れればよかったのに。レオナールが言っていることは全て嘘だ。そんな行動1つされただけで信じるのか? 自分は愛されていると」
「愛しています!」
「いやいや、レオナール。もうそろそろネタばらしをしてもいいのではないか?」
「何を言って――」
「本当はレティシアを愛しているではないか。その証拠にレオナールは明日、君に別れ話をするはずだ」
「有り得ません!! 先程から出鱈目ばかり言うのを止めて下さい!!!!」
「金を受け取るなら今だぞ」
「出て行って下さい!!!!」
フンっとラファル侯爵は鼻で笑うと去って行く。レオナールは抱き締めるのをやめた。
「父上が行くとは思わず……家に居ないのでまさかと思って来てみれば案の定だ。遅くなった」
「びっくりした。でも大丈夫」
「何を言われた。何をされた」
「お金渡すから別れて欲しいって。でも貰わなかった。ただ酷いんだよ。握手――」
『私から孫を得る楽しみを奪わないでくれ』
ラファル侯爵の言葉が頭に響く。
「どうした?」
「……ううん。何でもない」
(酷いのは私もだ……お孫さん欲しいのに、私は……)
別れた方が皆が幸せになる気がした。この結婚は、誰からも祝福はされない。
「父上が言っていることは嘘だ。絶対に有り得ん。明日、ローズに別れ話などする訳が無い」
「うん……」
いっそのこと別れ話をしてくれた方がいいのかもしれない、そう思ったが口には出さなかった。ラファル侯爵に傷付けられた右手がズキッと痛む。案外深く傷付いている。
「そうだ。明日は舞台を見に行こう。ローズが好きなオデットの舞台だ」
「……うん。ありがとう」
ローズはぎゅっとレオナールを抱き締めると、レオナールは安心させるように抱き締め返した。




