5.欲しい物
――次の日。
息を吐けば白くなる。空を見上げれば曇り空で、雪が降るかと思う程寒かった。
ローズは店の濁ったガラス窓を拭き、バケツに新しい水を入れた。花を入れて冷蔵ケースから花々を取りだした。この冷蔵ケースには、氷鉱石と呼ばれる物が幾つか置いてある。これは、触れば氷のように冷たい石である。高価であるが、先々代が購入してくれたお陰で、冷蔵ケースを使えている。
今日の予約を確認し、発注書の確認をする。そろそろ納品が来る頃だからだ。
確認していると、入り口の鈴が鳴った。まだ店前の看板は【閉店】と書かれた札を下げているので、入ってくるのは花や資材の業者だけである。
「おはよう。今日は冷えるねー」
ロイクは手袋とマフラーをして店に入ってきた。
「おはよう。ほんと寒い! 水触りたくないー」
うへぇ、と顔を歪めたローズを見てロイクは笑った。納品書をローズに渡し、扉をストッパーで開いておく。そして、ロバで引いてきたリアカーから花を置いていく。
「寒くなってきたから花減るよ」
「仕方ないね」
「冬には冬の綺麗な花もあるけどね。父さんが、温室の花少しだけ安くするって。他の花屋には内緒だけど」
「はぁー。ほんと助かる」
「困った時はお互い様」
「ありがとう」
ローズはロイクと抱擁を交した。そして納品書通りの花が来ているか確認し「問題なし!」と、サインをした。
「じゃあ、また――あっ」
「んー? 何?」
「今度の騎士学校の剣術大会、良かったら一緒に行かない? 今年はいつもより人気あるらしいんだ」
毎年2回、王都騎士学校では剣術大会を行う。1回は王都騎士学生のみの大会。もう1回は他地方が集まる合同の剣術大会だ。今回は合同剣術大会となる。
この剣術大会で学生達は、自身の腕がいかに凄いかを見せる。そこで上手くいけば、騎士軍から幹部候補として就職することも、貴族の護衛――専属騎士として雇われることもある。
ローズはあまり興味なく行ったことがないが、ロイクはこれが好きで毎年見に行っている。
「人気? 何で?」
「なんか、精霊称号の貴族が出るとかで」
精霊称号とは、1000年前建国に携わった英雄に与えられた称号で、今も名乗っている貴族はその末裔であり、絶大な権力を持っていた。
「へー、そうなんだ」
「だからさっ、たまには一緒に行かないかなって」
「うーん……でも剣術興味無い――」
「でも精霊称号持ちの貴族だよ! 見てみるだけ……ね?」
観戦するにはチケットが必要で、招待席、特別席、貴族席、そして平民席に分かれる。平民席はAからD席があり、金額はD席が1番安く、小銀貨5枚で見ることができる。これは、あくまで学生の試合であるので、比較的安く設定されている。
「分かった」
「良かった! じゃあチケット取っておくよ」
「ありがとう。じゃあね」
ロイクは嬉しそうに外へと出ていく。
「よっぽど嬉しいのね。剣術大会」
ローズは仕事を続ける。棚の埃を取ったあと床を掃いた。ひと通り開店準備を終え、扉に掛かる札を【営業中】へひっくり返そうとした時、扉が開いた。
「わっ! いらっしゃい……ま……せ……」
一瞬驚き声を上げた。慌てて声を出したが、入ってきた人物を見て顔を引きつらせた。
「やはりな。何処かで見た顔だと思っていたんだ」
高級そうなマフラーに手袋、そしてコートを着ている。あの金貨で花束を買う騎士学生だった。何処と無く得意気に笑っているように見える。そんな彼の顔を見てローズはあの日起きたことを思い出しイライラした。
「いらっしゃいませ、ご用件をどうぞ」
「そんな棘のある言い方するな。お前の顔を確かめに来た。真昼間から乗ってきた発情女が、花屋の女かどうかを」
(発情!?)
こんな言われようは初めてである。そしてより一層のイライラが募った。
「違う! 全然違う! 乗りたくて乗ったんじゃない!」
言葉遣いはつい荒くなってしまった。だがもう相手が客だろうがなんだろうがどうでもよかった。
「ああ、そうだったな」
「今日の用件は終わったんですよね? もう帰ってどうぞ」
「いや、まだ終わっていない」
「ああ! そうですね! 申し訳ありませんでした! 花束ですね? 毎回違う女の人に贈る、いつもの花束ですよね!! モテモテでらっしゃいますもんね」
そう嫌味を言い、どの花にするか探した。
「花は楽なんだ。誰にどれを贈ったのか覚えなくていい。枯れたら捨てれるし、あとも残らない」
「その子は何を欲しがっているのかな、とかは考えないの?」
「面倒だ。それに嬉しがっている」
「なら皆、花が嬉しいと思ってる?」
「違うのか?」
「そうよ。少なくとも、私は要らない」
「何故だ。花が好きで仕事してるんじゃないのか」
「ちが……――いや、違わなくないけど。家の仕事だもの。それに、もう花に囲まれているから要らないの」
彼はじっと考えながら、ローズの顔を見る。
「何?」
「いや? お前、男いないだろ」
「な、何でそんな事!」
「思った通りだな。顔は優しそうな美人だが、性格がきつい」
ローズは口を開けて金魚のようにパクパクしている。なんて失礼な男なのだろうか。図星ではあるがこれを本人に言うとは。『優しそうな美人』は正直嬉しいが、最後の言葉はいるのだろうか。
「失礼よ!」
「そうだな」
そう言ってレオナールは鼻で笑う。
「それで、お前は――」
「ローズよ! お前って言わないで!」
「ローズか。良い名前だが、どちらかと言えば雑草って言う名前の方が似合うけどな」
「失礼すぎるわ!!」
「いや、すまない。あまり本音は隠さないんだ。許せ」
口の端を上げニヤリと笑う姿に更にイラつく。
(ぶん殴りたい!!!!)
トラブルは面倒だ。必死に衝動を抑え、冷静になろうと試みた。
「そうね!! 許して差し上げます!! で、花束は――」
「いや、花は買わない」
「は?」
「代わりに聞きたい。ローズは何が欲しい」
「……え?」
「ローズは花が要らないんだろう? だから何が欲しいのか聞いている」
翡翠の瞳でじっとみつめる。こうやって世の女の子達を落としてきたのだろう。顔立ちも整っているし、身分もきっと良いのだから、大半は落とせているはずだ。
「要らない!」
この男からは貰いたくない。貰ったらまた何か言われそうである。
「何も無いのか? 欲がない人間は成長しないぞ」
――カチンッ。
どうしてこうも人の神経を逆撫でしてくるのか。腹が立って仕方がない。
「あるわよ! 欲しいものくらい! そうね――」
さっさと言って終わらせようと思った。出来れば直ぐに用意出来ない、1度外に出て行って時間がかかるような物がいい。
だが不思議なもので、急に欲しい物を聞かれると思い浮かばないのだ。
「無欲か。つまらん」
「あるってば!」
必死に考えた。もうこの男のペースに乗りたくない。ローズが大きく溜息を吐くと、白い息が出た。
「あ、えっと……」
今日の寒さは花屋には天敵である。だが手袋をしていたら仕事にならない。厚手の服は着ているがやはり寒い。特に首元が寒いのだ。
「すっごく暖かいマフラー」
「すっごく?」
「とにかく、すっごく暖かいの。だって今日寒いのよ! とても良い服を着ている貴方には分からないでしょうけどね!」
そう言われレオナールは考え、自身が巻いていたマフラーをローズへふわりとかけた。ローズは突然の事で何も出来ず、驚いて突っ立っているだけだった。
「な、何を――」
「いいから少し黙っていろ」
凄く近い距離だった。そしてマフラーを巻き終わると、一笑した。
「俺の体温で『すっごく暖かいマフラー』になっているだろ」
ローズはポカンと口を開けた。
「何だその顔は。親切にしたのに。それに欲しいと言ったのはローズだ」
「貴方のが欲しかったわけじゃ――」
「そうか? 物欲しそうに見てたぞ」
「見てないわよ! 本当に失礼な人! 貴方ほど失礼な人を見た事がないわ! 顔が良いからって調子に乗らないで!」
「へぇ、俺の事顔が良いって思っていたんだな」
「あ、貴方も私の事美人って思ってたじゃない」
「そうだ。俺は美人だと思った。だから今日は口説きに来た」
空いた口が塞がらない。
「仕事は何時迄だ。終わったら迎えに来る。食事に行くぞ」
「い、行かないわよ! 貴方となんか! だいたい、今日私に予定があるとか思わないわけ!? 普通『行かないか?』って聞くもんじゃないの!?」
「なら予定あるのか?」
「なあ……るわよ!」
本当は無かったが、悔しくて嘘を吐いた。
「ならキャンセルしろ」
「失礼失礼失礼よ!!!! 私の予定を考えないの!?」
「考えた。だから『キャンセルしろ』と言っている」
「何で考えてキャンセルなのよ!」
「女と会うにしても、男と会うにしても、俺と食事をした方が楽しいからだ」
「……帰って! 貴方は傲慢で頭が高い最低野郎よ!」
「そうか、なら仕方がない。また今度」
「今度なんてない!」
面白いものを見るように、レオナールは笑った。そして、扉へと向かう。
「マフラー大事にしろよ。ああ、それから――」
だが立ち止まり振り向いた。
「俺の名前はレオナールだ。覚えておけよ、ローズ」
そしてレオナールは外へと出て行った。
(なんだあの男は。信じられない……最低だ)
マフラーを1度は取ったものの、とても寒く巻き直した。巻き直すとムスクの香りがふわりと香った。レオナールの香水の香りだった。
(いい香り……)
そう思ってしまい、何を考えているのかと頭を振った。マフラーはとても暖かった。触り心地も良く、何度も触りたいくらいだ。
「あらー、いい香りね」
扉が開き1人の客が声を掛けた。
「どどど、どこ、どこがですか!? 全然良い香りじゃないです!」
「そう? いい香りよ? この薔薇」
そう言われ、入り口近くに置いた薔薇のことだと気付いた。
「ああ、そうですね……」
客はキョトンとした顔をしている。ローズは苛々しているせいか、レオナールの事が1日頭から離れなかった。