51.泥酔 ※
***
ホテルに着き、馬車を降りた。レオナールが先に降りて差し伸べた手を掴んだ。部屋まで送ってもらうと、そのままレオナールは帰ろうとしたが、ローズがレオナールの袖を引っ張り引き留めた。
「行かないで」
もしかしたら婚約者の所に行ってしまうのではないか、という恐怖心だった。
「言っている意味、分かっているのか?」
レオナールは訝しげにこちらを見てくる。
「意味?」
何の話かと首を傾げる、良く考えること数秒。意味を理解した。
「ご、ごめん! 違うの、ただ……」
袖を引っ張っていた右手を離し、両手でハンカチを持って揉みながら「寂しかっただけ」と呟いた。
するとレオナールは部屋へと入って、扉を閉めた。
「あっ、まって――」
「何もしない」
「え?」
「今日はここに泊まるが何もしない」
ほんの少し残念な気持ちが湧いてしまい、何を考えているんだとブンブンと頭を振った。だがそれと同時に嬉しさも湧く。この嬉しさには、純粋に嬉しい気持ちと婚約者レティシアに勝ったという優越感だった。
(私って嫌な女だ……なんでこんな女になっちゃったんだろう……)
自分の性格がどんどん嫌になっていくように感じた。彼女のレオナールへの想いは本物だった。なのに、彼女に譲ろうといった気持ちは芽生えない。そうならないことに罪悪感を覚えた。
大好きな人には誰だって愛されたい。彼女はただそれを望んでいるだけだ。満たされない悲しい気持ちは涙となり、いつも泣いているのだろう。『また泣いてる』や『いつものことでしょ』と言われるのだとしたら、いつも絶望の淵にいると言える。
(可哀想に……)
そう上から目線の感想を抱いた。そして再び自己嫌悪へと陥る。
「服は脱がないのか?」
突如レオナールからそんなことを言われ「え!?」と大声を上げた。
「何もしないんじゃないの!?!?」
(どういうこと!? 嘘だったの?? 服を脱ぐか聞くって事はそうだよね?? 服は自分で脱ぐの?? 脱がされるんじゃなくて?? いやでも『脱がないのか?』って聞くって事は脱がない選択肢があるってこと!? 服を着たままってこと!?)
「……着替えるだろう。それともそんなにそのドレスが気に入ったのか?」
「あっ……」
顔が恥ずかしさで赤くなっていく。
「着替える」
シャワー室で着替えようと歩く。近くにあるホテルに備え付けられたテーブルを見ると、その上には琥珀色の液体が入ったデキャンタとグラスが何個か置いてあった。
ここはお酒がサービスだったと思い出した。
(ブランデーだっけ? 飲んだことないけど飲みたい気分だ……)
ローズがグラスとデキャンタを手に取ると、レオナールから「やめておけ」と止められた。
「どうして?」
「酒精が強いからだ。ローズには無理だ」
「そんなこと分かんないじゃない」
「喉が乾いたのなら、受付けでローズが飲めそうな物に変えてもらう。だから少し待て」
「いい! 私これでいいの!」
デキャンタからグラスへと液体を注ぐ。ブランデーグラスへ勢いよく注いだため、液体は少し零れてテーブルを濡らした。
「やめておけ」
「いいって言ってるの! 今は強いお酒を飲みたいの!」
一気にグラスに入ったブランデーを口へと入れた。
(まっず!!!! 何これ!!!!)
強い酒精の味と苦味が口の中へと広がる。直ぐにでも吐き出したいが、レオナールにああ言ってしまった以上、吐き出すことは出来なかった。
無理やり飲んで、得意気にレオナールを見た。
「飲めるよ!」
「飲めたが美味しくはないと思っているだろう。もう止めて――」
制止するレオナールに反抗して、再びグラスへと液体を注ぐ。そしてもう一杯飲み干した。
「美味しい!」
何故か2杯目は、甘くて綿菓子の様にとても美味しく感じた。そしてグラスを置いてシャワー室へと向かう。だがレオナールが急に抱き締めてきた。
「このままベッドへと押し倒したい気分だ」
「もう! そうやって冗談ばっかり! はい、もう向こう向いて」
レオナールの胸に手を当てて押した。
「冗談ではない。本当だ」
その手の上に彼は手を重ねてきた。息が止まりそうなほど心臓が早くなる。レオナールはその手をとった後、自然に指を絡め、ローズを引き寄せ抱き締めた。
「レオナ――んんッ」
唇を塞がれ、ゆっくりと唇を離す。ローズは全身がカチコチに固まり、何も出来ないでいた。
レオナールはローズを横に抱きかかえ、ベッドへと下ろすと覆い被さる。抵抗しようと思ったが、何故か全身がベッドに張り付いたように動けないのだ。指1本も動きそうにない。
そんなローズを知ってか知らずか、レオナールは何度もキスをし、しまいには唇をゆっくりと舐めとった。
「やめて!!!!」
「何故だ」
「嫌だから!!」
「抵抗していないではないか。興味があるくせに」
「『興味』!? そんなものない!!」
「じゃあ何故部屋に招き入れた」
「『何もしない』って言ってたから!!」
「あれは嘘だ」
「『嘘』!?」
唖然としていると、彼はペリペリと花びらを剥ぐようにドレスを脱がしていく。
(こんな簡単にドレスって脱げるの!?!?)
止まる様子もなくどんどん剥がされ、あっという間に下着姿になってしまった。そしてベッドに張り付いたように動かなくなったローズの手をとり、手のひらにキスをした。
「何でこんなことするの!!」
「スケベな女だから」
「……は? 『スケベ』?」
「そうだ」
何を言っているんだこいつは、と沸々と怒りが湧く。レオナールの手は太腿を伝い、そして――。
「こんの……――」
「スケベじゃなーい!!!!」
ローズはハッとする。全身汗でびっしょりである。ベッドの上で横になってレオナールに抱き締められていた。
そんな彼はこちらを目を見開いて見ている。
「どんな夢を見ていたんだ?」
心底驚いている顔だった。
「え、夢?」
上半身を起こし、周りを確認した。
もう既にドレス姿ではなかった。かといってシュミーズ姿でもなく、ホテルに備え付けられた踝丈の白いワンピースの寝間着を着ていた。レオナールはというと、舞踏会で着ていた服のジャケットを脱いだ姿である。
「あれ……いつの間に寝間着に?」
「覚えていないのか?」
「うん」
「はぁ……ブランデーを飲んだ所は覚えているか?」
「うん。2杯目は美味しかったのは覚えてる」
「……違う。ローズは2杯目のブランデーを飲み干して、『不味い!!』と叫んだんだ」
「嘘!!」
「こんな嘘吐いてどうする」
「た、確かに」
「それで、その後は『誰のせいでこんな飲み物を飲むことになったんだ』と俺を責めた」
「え!?」
「責めに責めて満足したのかその場で服を脱ぎ始めた」
「えぇ!?」
「仕方がないからシャワー室へと押し込んだ。コルセットが脱げないと怒って俺に脱がさせたけどな、他は何も見ていないぞ」
「ぬ、脱がさせた……」
「それで寝間着に着替え、シャワー室を出た後は泣いて責めて泣いて責めての繰り返しだ。落ち着いたかと思いきや、次にベッドで泣いて『もう嫌いだ出て行って』と言ったり『こんなに私が泣いてるのに抱き締めてもくれないの』と言ったりで、まぁ大変だった」
どれくらいの時間泣いていたのかは分からないが、瞼は重く目の半分しか開いてないような感覚である。頭もズキズキと痛み、こめかみの部分を指で抑えた。するとレオナールは立ち上がり、水差しからグラスへと水を注いでローズへと渡した。
「ありがとう」
水を飲んでグラスをテーブルへと置くと、そこにはレオナールのクラバットとブローチが置いてあった。レオナールはベッドへと戻り、横になる。
「まさか2杯でそうなるとはな」
「うっ……ごめん」
「謝らなくていい。ローズがこうなったのは俺のせいだからな」
レオナールは「おいで」と手を差し伸べた。
「え、何?」
「抱き締めて欲しいのではないのか?」
「え!? いいです!!」
「何故だ。さっきまでずっと抱き締めていたのに」
「あっ……でもいい。ほんとに……」
「いいから来い」
ローズはレオナールの手を取って右隣へと横になった。すると、彼はそっと腕を回して抱き締めてきた。ローズはレオナールに腕枕をされながら、頭を撫でられた。彼の左腕は、腰の辺りに回されている。
(どれくらいの時間、こうしてたんだろ……全然覚えてない……)
「少しは落ち着いたか」
「多分」
「なら、婚約のこと少し話していいか?」
「うん……どうぞ」
「馬車でも言ったように、婚約解消は難航している。レティシアの同意がないと駄目なんだ。正直いつになるか分からない。だから、直ぐの結婚は出来ないと思って欲しい」
「うん……分かった。でも、ずっと婚約解消出来なかったら?」
「その時は――……」
レオナールは黙る。その可能性もあるのだ。レティシアはこの機会を逃したくないのだから。
「愛人は嫌だよ?」
「絶対にか? 正直それもひとつの手だとは思っている。レティシアとは書類上では夫婦だが、何もないし、俺は卒業後こっちに住むから別居状態になる。一緒に王都ラファル邸に住めばいい」
冗談ではなくレオナールは本気だった。ローズは驚いたが、愛人を囲うのは貴族にはよくある話し――勿論、あまり良くは思われていないが――なので、彼にとってはそこまで抵抗がないのかもしれない。
だが、平民は違う。
「……実は、お父さんが外に女の人を作って出て行ったの。だから本当は今のこの状態もすごく嫌。どんなに私だけって言われても、やっぱり浮気してるって感覚だもの。レオナールが婚約解消をしようとしてても。だから絶対に嫌」
「……そうだったのか。なら……駆け落ちでもするか?」
「え!?」
意外な提案に驚き大声を出した。
「俺はただの平民にはなるが金ならある」
「え……でも、でもそれは……」
(レオナールが平民? 想像出来ない。生まれながらの王様みたいな性格してるのに。いや、そもそもお母さんのことも借金もあるから無理――)
「問題は駆け落ちをすれば社会的信用が無くなるから仕事が無くなる。贅沢な暮らしは無理だが、使用人2人雇うくらいの質素な暮らしは出来るだろう」
「…………………………質素?」
使用人がいるのなら、もうそれは質素ではない。中流階級の暮らしである。それを質素というあたり、やはり自分とは違う。
「どうした?」
「いや、あのその、お母さんが心配だからそれは無理かな……って……」
「そうか……ローズは母親想いだな」
彼は額にキスをして「なら、一生独身だな」と答えた。
「私も一生独身になっちゃうのね」
「ローズは、他にいい男が居れば結婚するといい。まぁ、オレよりいい男が居るとは思えないが」
「ほんとに自信家ね。どこからその自信は湧くの?」
「実際そうだからだ」
「呆れた」
「とまぁ冗談はさておき、事実婚状態になる。愛人とはまた違う。書類では婚姻関係はないが、それでも良ければ俺と一緒にいて欲しい」
「そっちの方が全然いいじゃない!」
「ははっ、そうだな。まぁ、婚約がどうなるかだな」
「もう……それにしても、なんだか小説みたい。それは解消じゃなくて、破棄だけど」
ローズはふふっと笑い、流行りの小説を思い出した。
「小説?」
「うん。今流行ってるの。王子様と婚約者が婚約破棄をして、王子様が本当に好きな相手と結ばれるっていう話。知らない?」
「本は嫌いだから読まん」
「そうなの? すっごく面白いんだよ? その婚約者ってのが悪役令嬢でね、女主人公の子にいっぱい嫌がらせとかしてて、心が綺麗な女主人公は健気に耐えるの。そんな王子様は女主人公に惹かれていって遂に2人は愛し合うようになるのよ。それで、卒業パーティーで悪役令嬢のこれ迄の行いを皆の前で晒して、女主人公が報われて王子様と公式に結ばれるの。悪役令嬢はもちろん婚約破棄されて国外追放。惨めな生活を送るんだー」
「…………なるほど…………それで皆真似をしているのか」
「ん? なんの話し?」
「いや、何でもない。こちらの話しだ」
「そう? ならいいんだけど」
そう言ってレオナールの腰に腕を回した。やはり大好きな人である。嫌いになんてなれない。ドレスやダンスのことが例え嘘であってもだ。
「確認したいんだが、ローズは俺の事まだ愛しているんだよな?」
「まぁ……そうだね」
「そうか……正直もう駄目かと思っていた。許されず、振られるかと」
抱き締めてくる腕が強くなる。そして悲しげにローズを見つめた。
「振らないよ。私は」
「そうか?」
「ええ。だってそんな権利ないんでしょ?」
「……どういうことだ?」
「家名当てれなかったんだもの。だから私から振ることなんて出来ないよ」
そう言うと、レオナールは笑った。
ローズはレオナールの頬に触れると「許してあげる」と言って頬にキスをした。
「振る時はレオナールからね」
「そうか。なら、一生別れることは無いな」
婚約解消が長引こうと、こんなに大好きな人といれるなら、もうそれでいいとすら思えたのだ。




