4.傲慢な男
「きゃあーーーー!!!!」
体がその男の上に重なるように落ち、男は苦しそうに声を出して咳をしている。
「うっぐっ……ゲホッ……何……だ?」
「ご、ごめんなさい! 怪我は! 大丈夫ですか!?」
男は、顔に開くように乗せていた本を持ち上げた。
「女……?」
持っていた本を横に置き、目を細めてローズをじっと見る。
「え、あの、お怪我は無いですか? ごめんなさい」
事故とはいえ、男の上に思いっきり乗ってしまった。相手が怪我をしても仕方がない。相手がローズをじっと見るように、ローズも相手を見つめた。
そして気付いたのは、この男が金貨1枚で花束を買う騎士学生である事だ。
「あ、あの……」
騎士学生は何も話さなかった。と言うより何か考えているようだ。
「凄いなお前」
「え……何が」
数秒して発せられた言葉がその言葉だったので、何が凄いのか全く分からない。
「真昼間に積極的に乗ってくる女は初めてだ」
「積極的……?」
どういう意味かと数秒ポカンとして理解し、慌てて否定する。
「積極的じゃなくて事故なの!」
「へぇ、その割には心地よさそうにずっといる」
そう言われずっと上に乗っていることに気付いた。慌てて退こうとすると、腰に腕を回してきた。
「離して!」
「何故だ? こうして欲しくて乗ってきたのだろう?」
「違う! 木の上から落ちたの」
「木の上?」
男はちらりと木の上を見た。首を傾げ不思議そうにしている。
「ああ、重くて落ちたのか」
「重くない!」
「じゃあ何故落ちた?」
「それは枝が思ったより細くて、重みに耐え……」
「重くて落ちたんだ」
(何この人!! 嫌いだ、大嫌いだ!!!!)
絶対に顔を忘れない。そう思い顔をじっと見る。
「どうした、キスして欲しいのか」
「なんなの貴方はさっきから!! 世の女の子は全て貴方に夢中が当たり前なの?」
「実際そうだ。皆、俺と遊びたい。だから色んな手を使って近づいてくる。俺が寝ていようが寝ていまいが構わないらしい。お前みたいにな」
男は小馬鹿にするようにローズを鼻で笑った。
「私は違うって言ってるでしょ!」
「そうだった。重くて落ちたのだったな」
男は笑う。ローズはイライラが募っていく。歯の奥を噛み締めていると、身体が反転し、先程とは体勢が逆転していた。背中に芝生のチクチクとした感触がある。
「何するの!?」
「重いから逆になろうと思ってな」
「じゃあ腕を退かしてよ! そしたら退いたのに」
「オイ……もう、恍けるのはいいって」
男はぐっと顔を近づけて、首元に手を添える。翡翠色の吸い込まれそうな美しい瞳をしていた。
「ここは昼間でも人が来ない。安心しろ」
唇が重なりそうになり、ローズは目を見開いて男の頬をひっぱたき、パチンと音がした。
「何しようとしてるの!? 信じられない!!」
男は驚いた顔で頬を摩り、ローズを見る。
「それはこっちの台詞だ。こっちはお前の希望通りのことをしようとしただけだぞ」
「そんなの希望してない!!」
「じゃあ何故上に乗ってきた」
怪訝そうな顔で見る。どうやら全く言い訳を信じていないらしい。
「落ちたって言ってるじゃない!!」
「それは作り話ではないのか?」
「本当の話よ! 子猫が降りれないみたいだったから助けようとしたの!」
そう言われやっと男は退いた。
「……あの鳴いていたやつか」
「聞こえてたの!?」
「うるさいと思っていた。猫は嫌いだから無視したがな」
ローズは口をあんぐり開けて呆れたような顔をした。あんなに鳴いていたのだから、助けるなりなんなりするべきである。
「で、猫はどうした」
「え……あ……」
もう居なくなっていた。ローズが落ちた事で驚き、自力で降りたらしい。
「良かったではないか」
男は再び芝生へ寝っ転がり、本を開いて顔に乗せた。
「それだけ?」
男は本を下へとずらしてローズを見た。目だけが見えている状態だ。
「何が」
「貴方、私にキスしようとしたのよ。謝ろうとはしないの?」
何も言わずに眉をしかめてじっとローズを見る。
「何よ」
「いや? キスで終わると思っていたのだなと」
「へ……」
どう言う意味なのかと考えだんだんと意味がわかり、顔が赤くなっていく。
「は、初めて会って何しようとしてんの!? 信じられない!! 大体、ここ外なのよ!?」
「何か問題があるのか?」
「問題ありまくりよ! 大体、そういうのは、愛があってするものでしょ!」
男はくくっと堪えるように笑いだした。
「馬鹿にしてるの!?」
「いや、していない。上に乗ってくる積極的な女だったから、遊んでいる女かと。珍しく純粋な女か。それは悪い事をしたな。悪かった」
「だから落ちたんだってば!」
「そうだったな。忘れていた」
「なっ! もういい!!」
イラッとしてつい反射的に答えてしまった。
「褒めているのにそんな態度とはな。純粋なのか、ひねくれているのか分からないな。もう用が無いのなら行ったらどうだ。それとも俺と話したいのか?」
イライラが止まらなかった。体が震える。ここにいてはストレスが溜まってしまう。折角仕事が早く終わり、良かった気分が台無しである。
立ち上がり、男をキッと睨み付けた。
「あんたみたいな傲慢な男初めてよ!!!!」
「ああ……それはそれは、初めての男になれて光栄でございます」
ローズがこんなに怒っているのに男は意に介してない。それどころか面白がっているようだった。ローズは休憩するのを諦め、リアカーを引っ張った。
(腹立つ腹立つ腹立つ!!!! あの傲慢男!!!!)
その場を離れても、考えるのはあの貴族の男である。客として見た時は、顔立ちや佇まいから多少素敵な人だなと思った事もない。
だが――。
(中身が……性格が最低!! 自己中心!! 自分を王様だと思ってるタイプの貴族だ!!!!)
自然と顔が怖くなる。道行く人がローズを見て、一瞬驚いたような顔をしているのに、彼女は気付いていなかった。
***
ローズがいなくなり、男は目を瞑った。
「どっかで見た女だな……」
騎士学生はローズをどこで見たのか考える。
数十分経つと、剣を携え息切れしながら走ってくる背の高い青年が来た。
「やっと見つけた……」
騎士学生は本をずらさずに、背の高い青年と会話をする。
「ここは誰も来ない予定の場所なんだが」
「昨日、探索しまくって好きそうなとこは確認したからな」
背の高い青年は息を整えながら、得意げに話した。
「ああ、昨日出掛けてたのはそれか。珍しく女と遊ぶのかと」
「俺は、サロメ一筋って言ってんだろ!! もう大体いる所は分かるからな。ただ、それが離れすぎてるんだ。探す身にもなってくれ」
「善処する」
「いい加減にしろって。何かあったら俺は殺される。それだけじゃねぇ。ミストラル家は終わりだ。王都研修がつまんねぇのは分かるけどサボんな」
騎士学生は本を置いた。そして呆れたような声で話し出した。
「なら聞くが、ヴァルはこの演習楽しいか? 意味が分からないだろう。ヴェストリの海学生なのに何で陸の演習をしなきゃならない。しかも3カ月も」
「有事の際は何かと協力するからじゃねぇの? 知らねぇけど。なぁ、研修には出てくれって! 頼むよ! 俺の心臓がもたねぇ。俺を長生きさせてくれ!!」
ヴァルが必死に訴えると、男は笑って上半身を起こした。
「あっははは……はぁーあ。なるほど。そんな考え方もあるか」
「な……なんだよ。えらく機嫌いいじゃねぇの」
「そうだ。今とても機嫌が良い。そうだな……お前に早死にされては困るな。――では、行くかヴァランタン卿」
「……え……え!? マジで機嫌いいじゃん!! すんなり来て頂けるとは……私、感激しておりますよ、レオナール様」
2人とも演技がかって話し、口の端を上げてニヤリと笑う。ヴァルは腕を差し伸べ、レオナールはその手をとって立ち上がった。
レオナールが身体についた草を払い終えると、2人はそこから立ち去った。