44.最低な2人
馬車は走る。御者ではなくヴァルが操作しているせいか、荒く感じた。
「何もひっぱたかなくてもいいだろう」
レオナールは左頬を擦りながら、ローズに不満げに言った。彼の頬に平手打ちをするのは2回目である。1回目は木の下でキスをされそうになった時だった。その時はそこまで力を入れていなかったが、今回は全力で頬を叩いている。
「それだけのことをしたの。自覚して」
悲しかった思いは何処へやら。今は怒りに満ち溢れていた。
「婚約者がいるなんて信じらんない!! これじゃあ私は浮気相手じゃない!! 最低野郎!! 全部話して!! 隠し事しないで!!」
そう言われたレオナールは眉をひそめ、ひと息吐いた。
「レティシアのことは今日言うつもりだった。それと同時に、婚約を解消しようとしていることもだ」
「嘘吐き!!」
「何がだ」
「婚約解消って所。絶対嘘!」
「嘘なんか吐いていない。本当の――」
「私はいっときの遊び、愛人枠! 本命は彼女!」
「違う。俺はローズと――」
「踊ってたじゃない! 女の人から誘うのはマナー違反なんでしょ! だから女の人からは誘わない。なのに、温室から広間に行ったら踊ってた! 2人だけで! レオナールから誘ったんでしょ! わざわざ探し出してまで!」
ローズは腕を組んで睨み付けた。あの時の悲しさは鮮明だ。たった1人、暗い森に取り残された気分だった。
「彼女が大切な人なんでしょ……私なんかじゃない……彼女なんだ……」
涙が溢れ出てきた。怒りと悲しみが同時だった。涙は頬を伝ってドレスを濡らしていく。レオナールはローズの頬に触れようとするが、ローズはその手を払い除けた。
「触らないで」
じっと見つめると、レオナールは悲しげな表情を浮かべたが、今はその表情すら腹が立った。
「レティシアとは婚約を解消しようとしているんだ。これは紛れもない事実だ。愛しているのはローズだけだ。信じて欲しい」
「浮気する男は皆そう言うの! 『妻とは離婚する。だからもう少し待っててくれ』とか、『愛しているのは君だけだ。妻を愛してはいない』って」
「……何で『妻』なんだ?」
「小説の知識だから! そこはほっといて!」
「分かった。だが本当に愛しているのはローズだけだ。婚約は解消する……が、正直に言うとレティシアが応じないから手こずってはいる」
そう真っ直ぐ見つめてくる彼の瞳は、嘘を吐いていないように見える。
(本当のこと? それとも嘘? もしそうだとしたら、なんて嘘が上手いのかしら……)
散々女性と浮名を流してきただけはある。そうでなければ数々の女性と同時進行なんて出来なかったはずだ。最低な男は嘘が上手いに違いない。
「『離婚したいけど、妻が応じてくれないんだ』もよく聞く台詞だからね」
「俺は――」
「踊ってた理由、説明してもらってないけど」
そう言うとレオナールは眉をひそめて唸った。
「踊っている所を見たのか?」
「そう!」
「その前は?」
「その前って何! 論点ずらさないで! いいから全部話して!」
「分かったからそう怒鳴るな」
ローズはその言葉にも文句を言いたかったが止めた。そして、レオナールの説明を待つ。
「俺が2階へ行った時、父上と色々話した。ローズのこともな。その中でレティシアがいないから探すように言われた」
(私のこと? ……それはそうか。婚約者がいるのに他の女連れてるんだもんね)
「それで、2回目のダンスが終わったあとレティシアを探した。その後は分かるな。温室で見つけて、そのまま2人で広間に戻った」
「……そう。それで?」
「広間に戻って父上の元へと連れて行った。だがそれで終わりではなかった」
レオナールはひと息吐くと、右手で頭を押さえ忌々しい出来事を思い出すような顔をする。
「俺が1階へ戻る時、レティシアも一緒に降りたんだ。その時に、父上は皆を静かにさせた。それで、俺とレティシアの婚約についてふれた」
彼は顔をしかめ、怒っているように見えた。
「そしてレティシアと踊るよう促された。だから――」
「それで踊ったの? 断ればいいじゃない!」
「それが出来れば良かったが、出来なかった」
「何でよ」
「注目を浴び過ぎた。そこで踊らなければレティシアだけでなく、タンペット家も大恥をかく。ただでさえ一緒に入場しなかったからな。これ以上は無理だった」
相手の家が恥をかくことの何が問題なのか、ローズはよく分からなかった。入場しなかっただけでもう既に恥をかいているのなら、踊らなくてもそう変わらないし、いいのではないのだろうか。
だがレオナールがそう言うということは、きっと貴族の問題で駄目なのだろう。
「それで踊った。意味は無い」
「……ふーん」
「ちゃんと伝わったか? 説明が難しくてな」
レオナールは顔をしかめて右手で顎を触っている。それが本当であると信じたい。だが、もう1つ聞かなければならないことがあった。
「じゃあ、あのドレスは?」
「あのドレス?」
「そう! レティシアさんが着てたドレス! クラルテにあったドレスでしょ。大切な人への贈り物として買ったんじゃないの!?」
「確かにクラルテにあったドレスで俺が買ったが、別にレティシアのことを大切な人だとは思っていない」
「そう……分かった。そんな嘘を吐くのね。嘘なんて吐かないって言ったくせに」
「本当の話だ」
「嘘よ! 店員さんが言ってた! レオナールが大切な人の為に買ったドレスだって!」
「……ああ、そうか。なるほど。そうではない」
「何が」
「確かにクラルテでそう言ったが、あのドレスは元々ローズに渡そうとしてたドレスなんだ。だがちょっとした問題が起こってレティシアの元に渡った」
「『ちょっとした問題』って何?」
「……盗まれた」
「はぁ!?」
「盗まれたんだ。だからあのドレスはローズに――」
「よくもそんな嘘を……」
「本当だ!」
「レティシアさんが盗むわけないでしょ!! それに、レティシアさんがドレスのお礼言った時、何も言わなかったじゃない!!」
「レティシアは盗んでいない。御礼を言われて何も言わなかったのは、面倒だからそのまま――」
「信じらんない!」
「ローズ、頼む。信じてくれ。これ以上は言い様がない。ヴァルに聞いたら分かる」
「2人で口裏を合わせてるかも」
「ならどうすれば――」
「分かんないよ! だって、あまりにも有り得ないでしょ! 信じたいよ! だって、だって、私、レオナールがっ……ひっくっ……大好きなんだもん……」
「ローズ……」
ローズは話しながらも涙が止まらなかった。大好きな人だから信じたい。だが『盗まれた』というのは信じ難い。レティシアが盗んでいないとしても、そんなことをする貴族がいるとは思えなかった。
レオナールはローズの隣に座ると、泣いているローズを抱き締めた。「止めて」と大声を上げ腕を突っ張って拒否をしたが、それをねじ伏せるように強く抱き締めた。
「悪かった。もっと早く言うべきだった。けど嘘ではない。信じて欲しい」
「『盗まれた』なんて信じれると思うの? 嘘を吐くならもっと上手い嘘を吐いてよ」
「前に言っただろう。ローズに嘘は吐かない、と」
「そうだけど、ひっく……」
「信じてくれ。頼む」
「ほんとに信じていいの? 私……私――」
「信じていい。あれはローズへのドレスだった」
真剣な眼差しのレオナールに、ローズはやっと信じてみようと思った。そしてレオナールを抱き締め返した。
「信じてあげる。でも、散々好きにさせといて婚約者がいるだなんて本当に有り得ない」
「すまない。だが俺は、ローズと結婚がしたいんだ」
ローズは何も言わなかった。きっと友人ナディアに相談すれば「そんな男は止めるべき」と言われるに違いない。
婚約を解消されていないのなら、レオナールがなんと言おうが浮気には違いない。不倫物の恋愛小説は何冊か読んだことがある。なぜ既婚者と付き合うんだろう、なぜ既婚者と分かっても別れないんだろう、と何度思ったことだろうか。
(あの主人公もこんな気持ちだったのかな……あの時は分からなかったけど、大好きで、浮気になっちゃうって分かってても別れられなかったのかな……)
レオナールが抱き締める腕が緩み、右手でローズの顎に触れる。
(レオナールだけじゃない……私も最低な女だ……)
このまま抱き締められていたい。レオナールに婚約者がいると分かっても、別れたいと思えなかった。
レオナールはローズの頬に伝う涙を指で拭う。
「愛している、ローズ。心の底から」
求めていたその言葉は、硬く重く絡まり、水の底へと沈めていく。ローズはレオナールを見上げ、ゆっくりと目を閉じると唇が重なった。




