36.招かれざる客
――当日、夜、サングリエの上刻。
ローズはスレイプニルという王都にあるホテルの一室にいた。ダブルサイズのベッドが1つあり、シャワーもトイレもある贅沢な部屋だった。
この部屋にはローズとレオナール、そしてこの間会ったラファル邸の使用人イネスもいた。
これから舞踏会のための準備をする。
家ではなくホテルで準備をしている理由は、母親が家にいる為だ。交際を反対されている以上、家で支度はしたくなかった。それを以前レオナールに相談した所、ホテルを取ってくれたのだ。
「今日はここに泊まるといい」
「分かった、ありがとう」
「それから、これがお待ちかねのドレスだ」
白い箱を渡された。桃色の可愛らしいリボン付きだった。
ローズはリボンを解いて箱を開け、ドレスを取り出した。
「わぁ! 凄い!」
孔雀緑の滑らかな生地に、煌びやかなビジュー、そして赤みのある薔薇の花をモチーフにした飾りや刺繍が、胸元とスカートに施されていた。これは自分の名前に合わせてレオナールが考えたのだと分かった。
喜ぶローズを見てレオナールは満足そうに微笑み、イネスに目配せすると、彼女はそれを受け取った。
「では、レオナール様は少しばかり後ろを向いていて下さい」
「別に見ていてもいいではないか」
「何言ってんの! ダメに決まってるでしょ!」
「残念だ」
レオナールは傍にあった椅子を手に取り、後ろを向かせて座った。
「何かご注文はございますか?」
「とびっきりに美しくしてやってくれ」
「かしこまりました」
ローズはまず肌着になる為に服を脱いだ。そしてイネスに太腿までの長さの靴下を渡された。
(こんな肌触りがいいの初めて履くな……)
靴下はいつも麻素材の物を履いているが、これは絹編物で麻よりも段違いで肌触りが良い靴下だった。それを履くと、次にガーターリボンを渡された。これは靴下がずり落ちないようにする為のガーターリボンである。それを先程履いた靴下の上から巻いた。このリボンもいつもと違い、艶やかで滑らかだった。
そこからはされるがままだった。
「んぎゃ!」
コルセットを後ろからぎゅうぎゅうに絞められ、変な声が出た。息が詰まる。普段もコルセットは着けるが、こんなに締め付けることはしない。貴族はこんな服をよく長時間着れるなと感心する。着終わると、鏡の前の椅子に座らされた。
そしてその後ろにイネスが立った。
イネスはローズの髪を結い上げる。髪は左側に流れるように編み、そこに真珠と小さな薔薇の飾りがついたヘアアクセサリーをつけた。よく分からないベトベトした――整髪料と言っていた――ものを頭につけられ、髪を固定した。そして薔薇の香りがする髪粉を上からかけて髪の毛を整えるのは終わった。
(いい香り)
この髪粉もレオナールが選んだのだろう。正直センスがある。
次にイヤリングとネックレスをつけた。ヘアアクセサリーに合わせた真珠と小さい薔薇のもので、品があって美しかった。次に化粧をした。ポンポンとふわっふわのパフを顔に叩かれ、アイシャドウ、そして赤い口紅をさす。最後に渡されたハイヒールを履いて立ち上がった。
「あっ、お待ち下さい。香水を振りますので」
「え?」
イネスは首元辺りに香水を吹き掛けた。初めて香水を振られるので不安だったが、薔薇の香りが優しく香る程度で安心した。
姿見の鏡に写った自分は、普段の自分とは大違いだった。
髪も化粧も普段と違うが、何よりドレスが美しかった。
「綺麗だ」
レオナールは満足気に笑う。
ローズは照れ臭そうに目を逸らした。そんなレオナールもとてもかっこよかったからだ。いつもは下ろされている髪は、オールバックにセットされている。服もいつもの制服や普段着ではなく、パーティー用の正装だった。
草花の刺繍が施されたジャケットとベスト、首元のクラバットには透明度の高い翡翠のブローチがついていた。
「名前に相応しくいい香りもする」
「思ってもないくせに」
「そんなことは無い」
「私のこと最初『雑草』って言ってたでしょ!」
「ははっ……まぁ、そんなことも言ったな」
レオナールは微笑んで「では行くぞ」と言い、扉前まで移動した。
ローズはふわふわの毛皮のショールを最後に渡された。何の動物の毛皮か聞くと「テウメソス狐」と言われ、とても高級な毛皮だった。それを羽織り、ホテルを出ると目の前にあった馬車へとローズは乗り込んだ。
レオナールは馬車に乗り込む前に、ポケットから金貨5枚をイネスに渡した。
「悪かったな。これを」
そうローズに聞こえないよう小声で話す。
「ありがとうございます」
イネスはそのまま馬車には乗らず、大衆馬車に乗れる馬車停へと向かった。彼女は今日は休暇を取っている予定の為、このまま違うホテルへと泊まりに行くのだ。
「イネスさん乗らないの?」
レオナールが馬車へと乗り込み、扉を閉めた。
「ああ。俺らだけで行く」
馬車は発車し、ブランティグルへと向かった。
「そう言えばさ、なんで領地でパーティーじゃないの?」
「一族だけなら領地もあるが、今回は舞踏会を兼ねているからな。集まりと言うより、まぁ他の貴族との交流が中心だ。だから王都でやる」
「ふーん。そうなんだ」
「それから、俺の両親、特に母上の方だ。まぁないだろうが、もし、個人的に会話することがあってもしない方がいい」
「え? どういうこと?」
「そのままの意味だ」
そんな雑談をしていると、ブランティグルの門前まで来た。だがこの間と違い、門番が馬車を止めることはせず、そのまま通過する。
「今日は時計見せないんだね」
「馬車に紋章があるのと、御者が証を持ってる」
「あ、なるほど」
そしてブランティグルへと入った。
「ローズ、先に言っておくことがある」
「なに?」
「ローズは注目を浴びる。そして好意的な視線は少ないだろう」
「う、うん」
ダンスの練習をしている時から聞いていた。これから行くところは、一族だけでなく他の貴族達もいる。そして――。
――次期当主の交際相手として注目を浴びる。
これは避けられないと言われた。今後、何処に行くにも注目を浴びるだろうとも言われ、改めてレオナールは有名なのだと知る。
「陰口と嫌味は社交界の華だ。そこらじゅう咲き乱れている。変に言い返したりするな。そんな奴らには何を言っても無駄だ。その時は外にでも出るといい」
「分かった」
緊張してきた。心臓の音が早まりうるさかった。それを少しでも落ち着けようと、ゆっくりと呼吸をし、右手で胸を抑えた。
するとレオナールはそれを察したのか、手を握って「大丈夫」と言ってきた。そして優しくこめかみにキスをする。
そのおかげでかなり緊張は解けている。綺麗に整地された並木道を通り、ラファル邸に着いた。門前には馬車が多く停まっていた。馬車は門の中へと入り、玄関前で停まった。
「おいで」
先に馬車を降りたレオナールが手を差し伸べる。ローズがその手を取って降りると、玄関前に従僕が2人立っていた。
馬車は2人が降りると去っていった。門の外に停めるのだろう。従僕がレオナールの顔を見ると「お帰りなさいませ、レオナール様」と玄関扉を開けた。
入ると直ぐに従僕がレオナールのコートとローズの羽織りを預かりに来た。男女の歓談の声が響いている。
ローズはレオナールの腕を掴んだ。
「背筋を伸ばし、顎を引いて、胸を張れ」
「うん」
返事をすると、レオナールはこちらを見てきた。
「ちゃんと出来るな。ふむ……いい子だ」
玄関からさらに奥の扉はもう開いていた。前回来た時はここの扉は開いておらず、行くこともなかったので入らなかった。
中へと行くと吹き抜けのホールになっていて、右奥には大きくて広い階段があり、上って左側の2階では楽団が演奏していた。何の音楽かは分からないが、陽気な音楽ではなく静かで落ち着いた音楽だった。逆の右側には数十名が酒を片手に歓談している。
そして1階では多くの貴族達が、立ちながら歓談したり、壁際にある幾つかあるソファに座って歓談している。
(凄っ。貴族の世界だ!)
小説で読む貴族の世界そのままだった。入り口にはちょっとした列が出来ていた。何の列かと思えば、入り口近くにいる夫婦に挨拶をする為だった。
夫婦の1人は人が良さそうな顔をした40代程の男性で、もう1人はほっそりとした40代程の女性だった。
2人ともうっすらと微笑みながら、挨拶をしている。前にいる3組の後ろへと並んだ。
並んでいる間、ローズは目線だけキョロキョロしていた。余りにも豪華絢爛だったからだ。何本もある柱には精霊をモチーフにした彫刻があり、床はピカピカに磨かれていて鏡のように反射していた。
「父上、母上。紹介します。交際している、ローズ嬢です」
レオナールの言葉にハッとする。気付けばもう夫婦の前に来ていた。そして、レオナールの言葉で彼の両親であることを知った。ローズは慌てて膝を曲げて「お初にお目にかかります」とお辞儀をした。
レオナールの父親は、誰にも分からないくらい一瞬口元をピクリと動かし「どうも、ローズ嬢」と笑顔で答えた。顔を上げ、よく見るとレオナールと瞳の色が同じだと気付いた。
「レオナール」
そう呼んだのはレオナールの母親だった。どことなくレオナールに似ており、美人である。
「何でしょう母上」
「パートナーは本当に彼女なの?」
「ええ、本当です。正式にお付き合いしています」
「正式に?」
「はい」
「……そう……可哀想に」
何が『可哀想』なのだろうか。よく分からなかったが、何も口には出さなかった。変に口を出すのは良くないと思ったからだ。
「レオナール。アルベールはもう来ている。私が何か言い出さない内に、行ってくるといい」
父親が笑顔でそう言うと、レオナールは「ええ、そうします」と言って歩き出した。
「アルベール様は加護者様のアルベール様だよね?」
「そうだが『加護者様』なんて呼ばなくていい」
「でも加護者様だよ?」
「本人はそう言うの嫌なんだ。嫌で平民の家で暮らしてるくらいだしな」
1階の人混みを歩いていく。その間もわざと気付かないようにしていたが、視線が痛かった。
「レオナール様だわ」
「隣にいるのはどこの令嬢?」
「見たことありませんね」
「でもあのドレス素敵」
「薔薇が本当に咲いているようだわ」
「確かにドレスは素敵。でもそれよりレオナール様よ。はぁ、踊っていただけないかしら」
ヒソヒソと話す声が聞こえる。遠くにいる人達もこちらを見ながら話しているので、明らかに何か言われているのだろうが、ローズはそれでも言われた通り堂々と歩いた。
***
「もう! あの子は本当に――」
「今は何も言うなリリアーヌ。お客様の前だ。全く……どこの令嬢だ……」
レオナールの両親は、笑顔を貼り付けながら挨拶をしてくる貴族に挨拶を返した。客人が多いため、通常はレオナールのように会話はせず、流れるように挨拶をしていく。
「でもっ、レティシアちゃんが可哀想よ!」
「分かっている。はぁ……ああもう……」
「相変わらず貴方は笑顔が上手ね」
「そうか? 正直もう笑えているのか分からない。怒りを通り越すと何が何だか……最近あまり眠れていないしな……本当に笑えているか?」
「大丈夫よ。とても素敵なお顔。でも、よかったら良く眠れるハーブティーを飲む?」
「いやいやいやいや、いい。大丈夫だ」
「遠慮しないでいいわ。貴方はレオナールとアルベールと違って、ハーブティー好きでしょ。大丈夫よ。ちゃんと用意させるわ」
レオナールの母リリアーヌは、善意の笑顔でラファル卿を見ると、ラファル卿は引きつった笑顔で「ありがとう」と答えた。




