35.血の誓約
舞踏会前日、ナディアの家でご飯を食べている。
今日レオナールは用事があるらしく、ダンスの練習が無かったからだ。急な訪問もナディアは受け入れ、食卓を共にしてくれている。
食卓には、焼いた厚切りのベーコンとチェダーチーズ、そしてライ麦パンが置いてあった。肉屋なだけあって、やはり肉系は美味しい。ローズは厚切りベーコンを切って、ライ麦パンに乗せて食べた。
「えー、ラファルの人だったんだ!」
最近会っていなかったので、レオナールがラファルの家の人物であるということはまだ言っていなかった。口に物が入っていたので、ローズは頷いて返事をした。
「いやでも凄いね! シンデレラみたい! 王子様が平民に一目惚れして結婚するなんて」
もぐもぐと口を動かして、必死に飲み込んだ。
「そう……だけど……あ、いや結婚はまだしてない!」
「いや凄いなー。四大貴族のラファルかー。遠い人になっちゃうなー」
「なるかどうか」
「でも一族の集まりに呼ぶんでしょ? 本気じゃーん」
「いや、でも――」
「いやー、そうかそうか。加護者様に会うのか」
「……え?」
「え?」
変な空気が流れた。互いに何言ってんの、と分かっていない顔である。
「……え? 嘘でしょ。考えてなかったの!? ラファル家の次男は加護者様じゃん!」
「……あ、あー!!!!」
四大貴族のラファル家は、風の剣を管理する魔具管理家である。そしてその魔具を使える者を加護者と呼んだ。
他国で言うところの、聖女や神巫女といった存在だった。ただ聖女や神巫女は女性のみがなれるが、加護者は男性でもなれる。
(だからヴァルは弟の方が有名って言ったのか……すんごいヒントだったんだ。なんで私……)
「気付かなかった」
ミーズガルズ王国に住んでいるなら、顔は知らなくても名前は知っている。
「何で気付かないのよ」
「いやだって――」
「まぁそれだけ、彼に夢中だったってことね」
言い返したかったが言い返せない。実際そうだったような気もする。
「もっと興味持ちなよ! 親族になるんだよ!」
「うぇ!?」
結婚すれば確かに親族になる。ローズは何も考えていなかった自分に、もはや呆れていた。
「もう。浮かれるのは分かるけど、もっとしっかりしなさい!」
ナディアはそう叱責する。
(浮かれてる……私が?)
ローズは目の前にあるパンに齧り付いた。
「気を付けなよ、ほんと。ちゃんと考えてる? 大丈夫?」
「大丈夫」
「何だか心配になってきちゃった……ねぇ、その人遊び人だって言ってたよね?」
「そう……だけど」
「領地に恋人いたりしない?」
「いないよ!」
「どうしてそう思うの?」
「……恋人はいないって言ってた……から」
「駄目だこりゃ。もう……忘れてるかもしれないけど、王都研修に来てる学生は地元に恋人がいるのに王都でも恋人作ってるって。よく言われてたでしょ?」
これは有名な話だった。特に軟派な人物の多いヴェストリの学生は、王都で浮気相手を作り、研修が終わったらさよならをする。
研修の秘密は墓場まで。
地元の恋人にはバレないよう、スリルを楽しむ学生は多かった。
「でもレオナールは大丈夫」
「本当に?」
「うん……」
「……なら良いけど」
(大丈夫……信じてる……だよね?)
ローズは貰ったスープと小さく芽生えた不安を一気に飲んで、なかったことにした。
***
――アスク病院、院長室。
豪勢な院長室のソファに、レオナールは座る。後ろにはヴァルが立って控え、向かいには院長と1人の医師が座った。その4人以外は誰もいなかった。レオナールが人払いするよう命令したからだ。
「その……これがローズ・クロシェットの医療録です。そして私の隣に座っているのが、主治医のマフタン医師です」
困惑しながら院長は答える。それもそのはず、事前連絡も無くいきなりの訪問だったからだ。受付けから連絡を受けた時は、何かヴァンの貴族を怒らせる様なことをしてしまったのかと大いに焦っていた。だが話を聞き違うとわかり、胸を撫で下ろした。
レオナールは医療録をパラパラと捲った。専門用語がふんだんに使われたその書類はよく分からず流し読み、1番大事な部分だけを確認した。
「それで、要件は彼女の情報を開示しないということだけでしょうか?」
「そうだ。勿論タダとは言わない」
レオナールはヴァルに目で合図を出すと、ヴァルは1つのずっしりとした袋をテーブルへと置いた。
「金貨100枚入っている」
「え!?」
「足りないか? ならば――」
ヴァルはもうひと袋テーブルへと置く。たかが平民の情報を開示しないだけでこんなにもお金を出すのかと、驚いて何も言えないでいると、またひと袋追加された。
「金貨300枚だ。いや、2人で分けるなら400枚の方が何となくキリがいいな」
ヴァルはもうひと袋置いて、合計で金貨400枚がテーブルへと置かれた。
「こんなに……分かりました」
たかが平民の情報を言わないだけで、こんなに金貨が貰えるなら儲けものである。
「で、ですが、その平民の情報を知りたい人物など現れるでしょうか?」
「それは君が決めることか? 違うだろう。私が決める」
「――ッ! そうですね。出過ぎた真似を。申し訳ありません」
「この医療録は金庫にでも閉まっておけ。それから、情報を開示しないことを誓約書に署名して欲しい。君達2人に」
レオナールがそう言うと、ヴァルが黒革のカバンからインク瓶と羽根ペン、文字が書かれた紙、そしてナイフを取り出した。インク瓶には、極小量の黒いインクが入っていた。よく見れば緑色の細かい粉が入っており、それは煌めいていた。
「……これは?」
院長はナイフを指さした。インク瓶、羊皮紙、羽根ペンを出すのは分かるが、ナイフの意味が分からない。レオナールは口の端を軽く上げて笑う。
「聞いたことはあるか? 我々一族が、どうしても破って欲しくないお願いをする時には、誓約書を用いる。普通のではなく、特別な」
院長はゴクリと生唾を飲み込んだ。噂では聞いた事があったからだ。精霊称号を持つ貴族は、代々伝わる精霊の粉を用いて特別な誓約書を作成することが出来る、と。
「まずは吐き気、悪寒から始まる。次に、目をくり抜かれ、内側を握り潰されたような頭痛。そして全ての爪や皮が剥がされ、喉は焼かれたように痛むと、殴られ切り裂かれ、焼き焦げるような痛みが全身に広がる。これらの症状は、誓約を破った時に起こる」
レオナールはインク瓶の蓋を開け、ナイフを手に取った。
「あまりの痛さに自ら命を絶つ者も多い。私が知っている限りでは皆絶っている。だが簡単な事だ。破らなければいい。金を受け取り、情報を開示しない。それだけだ。誰に、何を、言われようとも」
そう言って微笑み、手を出すよう指示をした。引きつった顔の院長が左手を出すと、その手を掴んで人差し指を傷つけた。院長は一瞬顔を歪める。指先からは血が流れ出し、レオナールはその血をインク瓶へと入れた。次に主治医にも同じように指先を傷つけ、同じインク瓶へと入れた。
「このインクには、君達2人分の血が入っている。2人共署名をして欲しい。この場合何方かが契約を破った時、2人共罰がある。院長が破れば院長だけでなく主治医も。逆も然りだ」
インク瓶に蓋をして軽く振る。インクは黒色から赤色へ、赤色から煌めいた緑色へ、そして煌めいた緑色から再び黒色へと変化した。
「署名を」
瓶を開いて院長へと渡す。院長は、そのインク瓶に羽根ペンをつけて署名をした。




