2.金貨1枚の花束
――事故から1年後。
治療費は馬車の持ち主が負担する――はずだったが逃亡。没落した借金まみれの伯爵家だった。その馬車の持ち主は今はどこに居るのかも分からない。
慰謝料など貰えるはずもなく、治療費の借金を少しずつ返していた。
借金は出来てしまったが、母親はローズが生きている事が幸せだった。ローズも母親が嬉しそうにしているのでそれで良かった。
だが今は1人で店に出ていた。母親は借金返済の為、今まで以上に働き過労で倒れた。数日入院した後は店に出る仕事はローズがやり、事務的な仕事は母親にまかせている。
「はあっ、疲れた」
今まで2人でやっていたことを1人でやるのは流石に疲れる。だが借金の為には誰かを雇うことはしない方が都合がいい。
「ローズ」
名前を呼ぶ声が聞こえ店先を見ると、ロイクが籠の中に牛乳瓶1本と卵4個、そしてバケットを三分の一程入れていた。
「おすそ分けー」
「うわー! ありがとう、助かる!」
籠を受け取り椅子へと置いた。ロイクはたまにおすそ分けをくれる。多分、事故の罪悪感からだ。退院した後は、泣きながら馬車に気付かなかった事を謝られている。
「お母さんはどう?」
「一応元気」
少し雑談をしていると扉の鈴が鳴り、店に男が入ってきた。
緩く癖のある黒いミディアムヘアに、翡翠の瞳に整った顔立ちをしており、鶯色の騎士学校の制服を着ている青年だ。
(同じ歳くらいか……今は騎士学生は各地方から研修に来てるんだっけ。なら1個上か)
ここミーズガルズ王国の西、ヴェストリ地方の地方色は緑の系統であるので、鶯色の騎士学校の制服はそこの騎士学校の人であることが分かった。
「適当に花束を作って欲しい」
その学生はローズに金貨1枚を渡してきた。
(ひゃー、お金持ち。花束に金貨1枚って凄い)
平民のひと月の平均給料は、金貨3枚程である。それを考えるといい値段のする花束だった。
「大きな花束になってしまいますよ?」
「いや、小さくして欲しい。簡単に持ち歩けるような大きさにしてくれ。釣りは要らない」
(え、太っ腹!)
「どのような花束にしますか?」
「任せる」
「恋人への贈り物ですか?」
「……それを聞いてどうする?」
眉をひそめ怪訝そうな顔で答えた。そんな顔をしていても、やはり端正な顔立ちをしている。
「母親へ、友人へとは、また違う花束を作ろうかと思います」
すると納得したようで、すぐに「なら恋人へ」と答えた。
「入れて欲しい花はありますか?」
「ない」
ローズは桃色の薔薇を何本かとり、そこに色々な花や葉を組み合わせた。包装して桃色のリボンで巻くと、その騎士学生へと渡す。
彼は受け取ると、そのまま店を立ち去った。ほんのりとムスクの香りがするのは、あの男の香水だろう。
「ヴェストリの人だから、やっぱ男でも香水ふるんだね」
ロイクは感心した様な声を出す。
この国で男性が香水をふる習慣があるのは、西のヴェストリ地方と南のスズリ地方だけだった。
「うん。いい香りだった」
「ローズは香水つける男が好きなの?」
「別に? いい香りだったなって思っただけ」
「そ、そっか」
ロイクは安心したような顔をし、あることを思い出した。
「そうだ、言うことあったんだ。ナディアが、『夕飯食べにおいで』だって」
ナディアも幼なじみの1人だ。彼女の家は肉屋を経営している。
「え!? ほんとに!?」
「うん。『お店閉めたらおいで』だって」
ロイクは伝言を伝えると、店を去った。ローズは張り切って仕事をし、お店を閉める時間ピッタリに仕事を終わらせた。
***
「お店はどう?」
ナディアの家のリビングで、ナディアとローズで食事をする。彼女の家は肉屋を経営しているので、夕飯はその余りであるが、とても美味しい。横ではベビーベッドで生後3カ月の赤ちゃんが寝ていた。旦那は店の後片付けをしているので、今ここには居ない。
テーブルにはポトフが入った大きい鍋と、切られたバケットが置いてある。
「なんとかやって行けそうかな。借金は同情されて、少額ずつで良いって言ってくれてるけど……」
ローズは自身に分けられたポトフのソーセージに齧り付いた。まだスープ皿の中にはキャベツや人参、ジャガイモ、玉ねぎが入っている。
「そっか。良かった」
「唯一嫌なのは、これから寒くなって水がどんどん冷たくなる事かな。手痛いし。あ、そうそう、そう言えばさっき騎士学校の人が来てね、金貨1枚で花束買ってくれた」
先程の事を思い出す。通常花束は、大銀貨2、3枚、高くても5枚程で作るよう言われることが多い。
「うわ! 凄い!」
「『大きくなりますよ』って言ったら、『小さくして』だって。しかもお釣り無しでいいって。チップなんて久しぶり。貴族の人だと思う」
「だろうねー。あらあらー? どうしたのー?」
赤ちゃんが泣き始め、ナディアはその子を抱っこした。ナディアが我が子の為に編んだニットの服がとても似合っている。
「アメデ泣かないでー。おしめかな……じゃないみたいね」
ナディアはクンクンとアメデのお尻の匂いを嗅ぐ。
「お腹空いたのかな。ちょっとあげちゃうね」
「いいよ」
すると彼女は胸元をはだけさせ、アメデに乳首を咥えさせる。アメデは必死に乳を吸って飲んだ。
ローズにはもう体験出来ない事だ。愛する人が出来たとしても、子を孕む事は無い。
ナディアはそんなローズに気を使って、出産したことをなかなか言えないでいたが、気を遣われるのが嫌で発覚後はちょっとした喧嘩になった。
気を遣われずにいる今の方が、ローズにはありがたい。
「可愛い」
「ありがとー。もう少ししたら生意気になっちゃうよねー」
「ふふっ、そうだね。おっぱい終わったら抱っこしていい?」
「いいよー!」
ローズは温かいスープを飲みながら、アメデが乳を飲み終わるのを待った。
***
「ご馳走様!」
食事を摂り終わり、玄関へと出ていた。安っぽいローブを羽織り、夜の寒さに備える。
「うん、また明日来てね。これお母さんにお土産」
ナディアはポトフの入った小さい鍋をローズへ渡した。
「ありがとう」
「それから、最近裏通りで女の子が襲われる事件が連続してるから気を付けて」
「大丈夫。馬車で帰るよ。そもそも、私なんか誰も襲わ――」
「ローズ!」
ローズが笑うと、ナディアは「まったく」とため息混じりに言い、軽く抱擁を交した。ローズはアメデの鼻を触って笑わせ外へと出た。
季節の変わり目である今は、日が暮れかかると冷える。昼間にはついていなかった光源灯が光っていた。
(アメデ可愛かったなー)
無邪気に笑うアメデは天使だった。笑えばその場にいる皆を笑顔にすることが出来る。
(私は結婚出来るのかな……子供産めない女を嫁にしてくれる人っているのかな……)
ここ最近考える事だった。跡継ぎ、というのはほとんどの人が欲しがるものである。
(子供要らないよって人か……奥さんと死別しててもう跡継ぎいるよって人とか? うーん……)
いつか自分の体に理解ある人が現れることを願いながら、家へと向かう。家は平民の居住区の端にある。ナディアの家からは結構遠いので、大衆馬車で帰ることにした。
馬車は大衆馬車という荷台の大きい馬車があり、馬車停留所――通称、馬車停で待てば巡回してきた馬車が停まってくれる。平民が乗り合いで乗るものだった。それはここからだと、もう少し街中にある。
(あれ? あの人、お店に来た騎士学生?)
しばらく歩いていると、金貨1枚の花束を頼んだあの青年が歩いている事に気付いた。隣には女性がおり、腕を絡ませながらローズが作った花束を持っていた。
(あの人が恋人かー。どっかのご令嬢って感じね)
綺麗な服を着た女性だった。化粧をし宝飾品を身に着け、髪も豪華なことから、その男に会う為に気合を入れたのが分かる。
何よりうっとりとした瞳でずっと青年を見ているのだ。
そんな目で見れるほど好きな相手とデートをするのは、一体どんな気持ちなのだろうか。
素直に羨ましいと思った。
(あれくらい好きになれる人と結婚したいなー)
すると、その花束の青年と令嬢の元に背の高い青年が走ってやってきた。左腰には黒い鞘の剣を携えていた。
息切れし、花束の青年を睨みつけている。
(え、まさか修羅場!? あのご令嬢の彼氏とか??)
ちょっとした好奇心が疼くが、どうやら違うらしい。背の高い青年は「勝手にどっか行くんじゃねぇ!」と腕を組んで花束の青年に怒っている。
花束の青年はうんざりしたような顔をして、道を走っていた貸馬車を手を挙げて停めた。貸馬車は大衆馬車と違い、好きな場所から乗れ、好きな場所に降りれるので割高である。
彼は御者に何かを話した後、馬車の扉を開いて、令嬢が乗ると貸馬車は走り始めた。
花束の青年と背の高い青年は乗らずに、2人で貴族の居住区の方へ歩き出す。
背の高い青年は「何かあったらどうすんだ!」や「ここは王都で領地じゃねぇ!」と叱り付けていた。
(友達?? 彼も同じ歳っぽいけど)
背の高い青年が怒っているにも関わらず、花束の青年は意に介してない様だった。怒っている背の高い青年の声は、自然と大きくなる。
「頼むから出掛ける時は声かけてくれ…………シャワー浴びてたから!? なら行き先だけでも使用人に言ってくれ…………女が嫌がるとかじゃねぇの!! ちゃんと離れてるから!!」
他にも文句を言っていた。ひと通り言いたいことを言えたのか、背の高い青年は大きく溜息を吐いた。
そんな会話を聞いていると馬車停へと着いた。そして、馬車が来たので乗ろうとした時、「で、今回は誰と遊んだんだよ」と聞こえた。
その時は何も思わなかったが、後々その言葉の意味が分かるのだった。