27.試合開始
「そんな! ちょっと、えぇ!?」
暫くポカンとした後、ローズはやっと声を出した。
「恋人でない人がこの席に招待されたってことは、『これから貴女の為に闘います』って意味なの。だから、この席に座るってことは、もはや告白を了承しているもの」
「了承!?」
(どういうこと!?!?)
混乱し、頭が爆発しそうだった。最初はそんな席だと思っておらず、ただ良い位置で試合を観戦する席だと思っていた。だがレオナールからトロフィーを渡す席だと言われ、自分は間違っていたのだと知った。
だがそれすらも間違いだった。
「違うんです! あいつのことは今日この試合が終わったら振ろうかと思ってたんです!」
「……はぁ。本当に酷くて最低な男。こういうことだったのね」
「え?」
「ヴァルから貴女が隣に座ることは聞いていたのよ。それで、『知らないことが多いから、色々教えてやって欲しい』って。何のことか分からなかったけど、これね」
そして急にハッとした表情になり、「もしかして」と言うと、再びローズへと向き合う。
「ねぇ、何も知らないって事は、試合後のキスも知らないの?」
「し、試合後のキスとは??」
もう分からない。何もかも分からない。新たなことを言われる度、心臓が痛い。
「試合で勝った選手に、招待客はキスをするの」
「はい!?」
「1回目の試合は手よ。手は、相手が手を出してきたら差し出してね。そうしたら相手が手の甲にキスをするわ」
「え!?」
「次からはこっちからよ。ひと試合ずつ、額、右頬、そして左頬。この順番にキスをしてあげるの」
「何ですと!?」
「優勝したら表彰台へトロフィーを渡しに行って、唇にキスをするの」
「く、くちびっ、くちびるぅ!?」
「これで、今年の優勝者と勝利の女神が決まるのよ」
(レオナールが逃げるなって言ってたのはこれが理由!?)
クラクラする。頭が沸騰しそう――いや、もう沸騰していると思えた。ローズは頭を抱え、顔をひきつらせた。
(ゆ、許さない……レオナール!!!!)
そして、大会の始まりを告げる軽やかなラッパ音が鳴る。司会者らしき学生が現れると、観客席は静まった。左手には柄のついた鳴響石を持っている。
「紳士淑女の皆様!!!! これより!!!! 合同剣術大会を始めます!!!!」
鳴響石に向かってそう言うと、会場中に声が響き、観客たちは湧き立つ。
「では、ルールを御説明します!!」
そうして司会者は右手で、赤く平たい掌程の石を高々と掲げた。
「あれって、魔鉱石なんですか?」
魔鉱石は貴族にとっては身近だが、平民とはそこまで身近では無い。ローズにはあれがただの赤い石にしか見えない。
「ちょっと違うわね。あれは偽血石。血石とは違うの。血石は割れると赤い液体が出て、本来はその液体を飲むのだけど――」
「飲む!?」
「そう。貧血を起こしやすい人がよく飲むのよ。でも今回はそんな使い方はしないわ。偽血石は人工的に作ったもので、大会では選手達の両腕両膝、そして胸の中心にあれがついてるの。全部で5箇所あるから、それを破壊した選手の勝ちなのよ」
サロメはそう教えてくれた。司会者も同じようなことを言い、言葉を続けている。
「剣を落としても敗北となります! 敗北した選手は、特別招待した人を迎えに行って退場して下さいね! それでは第1試合始まります!」
再び観客席から歓声が上がる。サロメはパンフレットを捲り、トーナメント表を見て「早速ね」と呟いた。何が『早速』なのか分からなかったが、司会者が言った次の言葉で理解する。
「第1試合! 第1面、ヴェストリ騎士学校、レオナール・ヴァン・ラファル対ノルズリ騎士学校、オト・オーポン! 両選手は準備をして下さい! 続きまして第2面――」
レオナールが入場すると、より一層観客席から声が聞こえた。黄色い声が多いが、ブーイングも混じっていた。
「ブーイング?」
「いつもの事よ。私達は何故か嫌われているから」
ヴァンの貴族は嫌われている。ローズは噂のせいだと思った。レオナールやヴァル、そして今サロメと話してみても、そんなに酷い人達には見えなかった。
「さっさと負けろ!」
「地獄に落ちな!」
「極悪非道人!」
こんな言葉がまだ優しい程の酷い言葉が、レオナールに浴びせられた。
「酷い」
「そう? まぁでも気にしないで。私達、全く気にしていないの」
そして、開始の鐘が鳴る。
――あっという間だった。
開始早々、レオナールはあっという間に5個の血石を破壊し、相手の喉元に剣先を突きつけた。
「強っ!」
あまりに強すぎてつい声を出してしまった。相手が弱いのではない。レオナールが強すぎる。血石から吹き出した赤い液体のせいで、相手選手は血塗れのように見えた。
「腹立つわよねほんと。無駄に強いんだから」
「私、レオナールは坊ちゃんだからあまり強くないのかと」
「逆よ。ラファル家って魔具である風の剣を管理してるから、ヴァンの家は剣術を小さい頃からみっちりやるの。だから長けているの」
「へぇー」
「まぁ、私のダーリンの方が強いけど!」
(ダーリン!?)
「もう! 早く負かして欲しいわ!」
そう言うサロメの目には炎が灯っていた。
同じ一族だと言うのに、サロメはどうやらレオナールが嫌いなようだ。
ローズはサロメから目を離し、レオナールのいる競技場へ目をやると、彼は対戦相手と握手をした後此方へと向かって来た。
「ローズさん、立って」
サロメがそう言ったので、ローズは慌てて立ち上がった。レオナールはサロメと目が合うと、一瞬火花を散らせて再びローズを見つめた。
「話は聞いたな?」
そう言ってニヤッと笑っている。彼はこの状況を楽しんでいるようだ。
「聞いた! けど! こんな話し聞いてない!」
怒りを露わにしてそう言うと、レオナールは「ははっ」と笑った。
「何が面白いの! 全然面白くない!」
「そう怒るな。それに、もう俺に惚れているんだろう?」
ローズは図星を突かれ、目を見開き「え!?」と言うしかなかった。
「照れるな。分かっている」
「何が、何がど、どうわっ、どう分かっているの!!」
焦って噛みまくった。そんな自分が恥ずかしく、顔が赤くなっていく。
「家名、もう知っているのに言わなかっただろう」
「――ッな、何でそう思うの!?」
「ヒントをヴァルから貰って、図書館からも本を借りておいて、分からない訳が無い。だから、ここに入る前に最後に聞いただろう。それなのに言わなかった。ってことは、俺に惚れている」
ローズはポカンとした顔をした。何故この男は自分に自信満々なのだろうか。
「ムカつく!!」
「だろうな」
「私怒ってるよ!!」
「知っている」
「こんなの――」
「ローズ、答えが欲しい」
まだまだ文句を言い足りない。だが言葉は遮られ、レオナールはいつになく真剣な眼差しで見つめてくる。
レオナールは手を出した。
「お手をどうぞ」
そう言って微笑む彼にドキッとする。
(……ほんとにムカつく)
ローズはムスッとした顔で、レオナールが差し出した手の上に手を乗せる。すると、レオナールはローズの手の甲にキスをした。
「次からはローズがキスをするんだ」
「負けていいよ」
「そう言うな」
そして笑って立ち去った。ローズは自分の席に溜息を吐きながら座った。
「ねぇ、本当に、本当にあんな男の何が良いの??」
心底不思議で仕方がない、そんな顔をしているサロメを見たあと俯いた。
「わかんないです……」
好きになってしまった原因は、ローズの恋愛経験の少なさにある。「好きだ」と言われ、意識するようになってしまった。
ただそれだけである。
(私のバカ……はぁ……)
そんな自分が情けなくも思いながら、立ち去るレオナールの後ろ姿を見て、やっぱり好きだ、と思ってしまうのだった。
***
競技場が良く見える5箇所に、白、赤、青、黄、緑色の垂れ幕があるボックス席があった。そこには10席から20席程の椅子がそれぞれ置かれている。これらの席は、五方に離れて置かれていた。近くに置かれていないのは、以前、乱闘になったことがあるからだ。
貴族同士仲が良いわけではなく、それぞれ離して設置しなければならない。
そのうちの緑の垂れ幕がある席では、ヴァンの貴族が座っている。特に今回はレオナールが参加する為、海外に赴いていたタンペット伯爵1人を除いて、当主達が揃っていた。
雑談をしながら、この大会が始まるのを待ち望んでいた。それぞれ話し、笑い声も聞こえていた。レオナールが試合で勝ち、歓声が上がる。
だがそれも少し前――レオナールがローズの元に行ってから、ピタリと止まってしまった。
「誰だ……あれは……」
人が良さそうな顔をした40代後半程の男が、ティーカップとソーサーを震えた手で持っている。寒いので震えているわけでない。
彼の手は怒りによって震えていた。
「ラファル侯爵、落ち着いて下さい」
「テュルビュランス伯爵、これが落ち着いていられると? レオナールは……あれは、あの女は誰だ?」
ラファル侯爵は顔を引き攣らせる。周りの当主達は気まずい空気をどうしようかと、互いに顔を見合っていた。
「テュルビュランス伯爵、少し前にルネと一緒にレオナールに会ったと言っていたが、何か言っていたか?」
「いえ、何も」
「セゾニエ子爵! オデット嬢がレオナールと会ったと言っていたらしいが、何か、女と来ていたとか、そんな話はあったか?」
「いえ、その……特に」
「ミストラル伯爵!!」
ミストラル伯爵は急いでラファル侯爵の元へと歩み寄った。
「何でしょう」
「ヴァランタンは何か言っていたか? 手紙に女のことは?」
「いえ……特には」
「何故あの子は……はぁぁぁぁぁぁ」
口から魂が出そうな程に大きい溜息を吐いた。
「遂に平民にまで手を出すようになったのか!? いい加減にしろと何度も何度も言っているのに、何故あの子はこうも私の頭を悩ませる!!」
この席からは後ろ姿しか見えないが、服装で平民であることは分かった。
「タンペット伯爵がアールヴに行っていて本当に良かった。合わせる顔がない……心臓が痛くなる……」
ラファル侯爵がそう言うと、テュルビュランス伯爵は急いでカバンから粉薬を取り出した。
「ああ、いや、例えだテュルビュランス伯爵。まだ心臓は痛くない。だがいつ発作が起こってもいいように用意しておいてくれ。はぁ……本当になんというか……」
ラファル侯爵は全身の力が抜けたように椅子に座り、隣に座っていたピンクブラウンの髪の少女の背中を撫でた。
「私は……大丈夫です」
少女は悲しげに俯き目に涙を浮かべた。




