26.特別招待席
ローズは席へと案内された。試合が繰り広げられる競技場がよく見える最前列だった。両隣りはまだ空いており、他の席は半分程埋まっていた。
そして気付いた事がある。
特別招待席に座っている人達は、全員女性であるということだ。どの人も化粧や服、そして髪に気合いが入っているのが見て取れる。何人かは小さな手持ち鏡を見て、何か変な所はないかと確認していた。
(ここの皆はトロフィーを渡す可能性があるってことだよね。だからこんなに気合いが入ってるの?)
自分も少しは気合いを入れるべきだったと後悔した。レオナールが優勝することが多少なりともあるのなら、やるべきである。
(もう! 最初に言ってよ!)
言ってくれればもう少しお洒落をしてきたのに、と不貞腐れるようにムスッとしていると、「何故貴女が?」と聞いたことのある声がした。
「はい?」
声の主を怪訝そうに見てみれば、その女性はこちらを睨み付けてきた。
「嘘でしょ。どうして貴女のような平民が? 全く、誰が招待したのかしら」
(この人、名前……何だっけ……あぁ! メリッサ嬢だ)
この女性はレオナールにゾッコンだった女性だ。
初めて見たのは腕を組んでうっとりしている姿だった。次に見たのは収穫祭の時であり、あまりいい思い出では無い。
「まさかレオナール様が……なんてことはないでしょうね。収穫祭の時はレオナール様の気の迷いでしょうから」
「え、いや――」
「はぁー、もう有り得ないわ。こんな平民と隣だなんて」
そうは言うが、少ない人数だがローズ以外も平民はちらほら見受けられる。だが大半は貴族の御令嬢方だったので、彼女達はクスクスと笑った。
流石にローズもムッとする。
「平民はこの席に座ったらダメなんですか? 私はちゃんと招待されてここにいるんです!」
「あら、本当に? それは失礼。平民趣味がある貧乏臭い男から招待されたのかしら?」
メリッサは悪びれる様子もなく謝り、鼻で笑った。
「失礼ですよ! それに私を招待してくれた人はそんなんじゃ――」
「まぁ、とっても怖い! そんなに大声を出さないで下さいな。はぁー、これだから平民は」
彼女がそう言うと、また周りはクスクスと笑う。
(ダメだ……みんなどっかのご令嬢だから平民の味方なんていないんだ)
自分の圧倒的不利な状況に気付いた。周りの令嬢達は、大会前のこの揉め事を楽しもうとしている。
「全く、せっかくレオナール様から招待して貰ったというのに」
「え!?」
「何か?」
「あ、いや……私も彼から招待されているので……」
自分だけが特別に招待されたのだと思っていた。だかそうではなく、レオナールはこの女性も招待していたのだと知り、胸が痛んだ。
(私だけが特別って訳じゃないんだ……)
そう思っていると、みるみるメリッサの顔は変わっていき、鬼の形相となった。両手で持っている扇を真っ二つに折ってしまいそうな程、力を入れている。
「貴女が……貴女がレオナール様に……?」
「そうですけど……」
「嘘をおっしゃい!!!!」
こちらの心臓が止まりそうな程、メリッサは大声を上げた。あまりにも大声だったのでローズは驚き、目を丸くした。
「嘘よ嘘! レオナール様が貴女のような――」
「さっきから何? とてもうるさいわ」
メリッサの言葉を遮るように、別の女性の声が聞こえた。エメラルドグリーンの日中用ドレスを着た、ヴァルの恋人――サロメである。濡羽色の長く真っ直ぐな髪を耳にかけ、メリッサを見下す様に見ていた。
「品がないこと」
「何ですって!?」
「品がないと言っているの。うるさいのよ貴女。そこの平民の方がよっぽど品があるわ」
そう言ってサロメは、持っていた扇でローズを差した。
「なッ!」
「貴女。レオナール……様からの招待と言っていたわね」
「だったら何よ!」
「ねぇ、平民さん」
「え? はい?」
急にこちらに話を振られ、ローズは素っ頓狂な声を上げてしまった。サロメは漆黒の瞳でじっとローズを見据えた。
「貴女もレオナール様から招待されたのよね?」
「そうですけど?」
「おかしいわね。特別招待は1人につき1人と決まっているのに。レオナール様に招待されたと言う人が2人もいるなんて」
「え?」
「これはどちらかが嘘をついているのね。さて、どちらが嘘をついているのかしら」
メリッサは口をモゴモゴと動かし、小声で「なんで」や「だって」と呟いている。
「招待状を見せてちょうだい」
「……え?」
「招待状よ。招待者の名前が書いてあるでしょう。それを見せてちょうだい」
「何で貴女になんか見せないと行けないの!」
メリッサは明らかに嫌がり、見せようとしない。額には冷や汗をかき、焦っているのがみてとれる。
「ならいいわ。そこの平民さん」
「あ、はい」
「貴女のを見せてちょうだい」
ここは逆らわない方がいいだろう。
ローズはサロメに招待状を渡す。招待状にはしっかりとレオナールの名前が書いてある。それを見たサロメはじっとローズを見つめた。
「そう……彼女がレオナール様からの招待者だわ。ねぇ、貴女は一体誰からの招待を受けたの?」
「だ、だからレオナール様から――」
「言ったでしょ、特別招待は1人につき1人と。これ以上嘘をつくのは恥ずかしいと思わないの? 恥の上塗りよ。まぁきっと、レオナール様から招待されたかったのにして貰えなかったのね。それで仕方なく他の男からの招待を受けたのでしょう。それで以前レオナール様とデートしている彼女がいたから、腹が立ってここから追い出そうと難癖つけたんでしょう」
「それは――」
「馬鹿な女ね」
「な、何ですって!?」
「『馬鹿な女』と言ったのよ。後先考えず行動しているのがわかるわ。ゴブリンの方が賢いんじゃない?」
「……いい加減にして! 貴女、誰を馬鹿にしているのか分かってらして!? 私はメリッサ・デュ・プロフォンドなのよ! 貴女の発言はプロフォンド家への侮辱よ!」
メリッサは顔を真っ赤にして怒っている。先程までローズに向けていた怒りをサロメへぶつけていた。
「プロフォンド……プロフォンド侯爵家ね。そう……で、だから何なのメリッサ嬢」
「なっ!? 信じられない……何処の人か知らないけど、お父様に頼んで貴女の家なんか――」
「本当に馬鹿なのね。いい? よく聞きなさい」
サロメはメリッサに詰め寄る様にグッと前へと出た。
「もしよ。もし、貴女の難癖が上手くいってそこの平民さんが居なくなったら、レオナール様はどう思うのかしら」
それを聞いたメリッサは気まずそうに目を逸らす。
「……そ、それは」
「きっと怒るでしょうね。そしてレオナール様はなぜ招待した女性が居なくなったのかを突き止めるでしょう。それで、原因が貴女だと分かったら……」
サロメはメリッサに詰め寄るようにして近付く。持っていた扇をメリッサへと向け「命は無いわ」と答えた。
「そんな事――」
「するわ。あの男は」
「分からないじゃない!」
「いいえ、分かるわ」
「何で分かるのよ! 貴女はレオナール様の何なのよ!」
「親族よ」
「親族!? 冗談言わないで! もし親族ならヴァンの貴族だし、そうだとしたらここじゃなくて精霊称号の貴族専用席に居るはずよ!!!!」
メリッサは扇で、ここより右斜め後のとある場所を差した。
そこは他とは区切られたボックス席のような場所だった。数十人がそこにおり、椅子には緑の垂れ幕がかかっているので、ヴァンの貴族が座る席なのだと分かった。
ローズは他も見渡すと、それぞれの精霊称号の貴族席は離れて存在することが分かった。
「そうね、でも招待客なら事情が違うと思わなくって?」
そう言われたメリッサ嬢はハッとした顔をした。サロメはすうっとゆっくりと息を吸い、背筋を伸ばして顎を引いた。
「自己紹介がまだだったわね、メリッサ嬢。私の名前はサロメ・ヴァン・カルム。カルム家の者なのよ」
そう言ってサロメは胸元に光るブローチに触れた。
(鳥の紋章?)
ローズはブローチに何かの鳥が刻まれているのが分かった。それを見たメリッサは目を見開き、口をわなわなと震え後ずさった。
「そんなっ」
「ねぇ、メリッサ嬢。私、静かに試合を見たいの。貴女のように騒ぎ立てる女が近くにいるの、すっごく嫌なのよ」
「――でもッ」
「このことをレオナール様に伝えられたくないのなら出て行って。それが無理なら私の視界に入らないよう、もっと後ろの席に。目障りだから」
「――ッ!」
メリッサは下唇を噛み、悔しそうに移動した。
サロメはそれを見届けると、溜息を吐きながらローズの隣の席へと座った。
「あの、ありがとうございました」
ローズはサロメへと御礼を言うと、サロメは「気にしないで」と答えた。そして深く溜息を吐きながら、ローズを見据える。
「え、何でしょう……」
何故じっと見られるのか分からない。問題を起こしたとはいえ、こんなにも見なくていいのではないかと思っていると、サロメは「ローズさん」と話し掛けてきた。
「はい?」
何故名前を知っているのかと一瞬思ったが、招待状の名前を見て分かったのだろう。
「何がいいの? あの男の」
そして心底意味がわからないといった声色で聞いていた。
「え?」
「レオナールよ。本当に分からないわ。貴女賢そうなのに」
「あぇ? 何の話しでしょう」
「貴女も私のこと知っているのでしょう? 私も聞いているの、ヴァルからね。さっきの女もそうだけど、本当に何がいいのかしら。ねぇ、まだ間に合うわ。もっとマシな男と付き合いなさいな」
「はい?! 付き合う?!?!」
「あら、どうしたの?」
「え、いや、別に付き合ってはないんです……ただこの席に招待はされたんですけど……」
「でも、もうすぐで付き合うのでしょう?」
「え!? 違います!!」
ヴァルからは何と聞いたのだろうか。レオナールの恋人となる人、とでも伝えられたのだとしたら訂正しなければならない。
「え……嘘でしょ……じゃあ何故この席に来たの?」
「え?」
「…………まさか、何も聞いていないの?」
「な、何がでしょう……」
とてもドキドキする。会話が全く噛み合っていない。何かを聞かされていないのだと分かった。だがそれが何なのか分からず、とんでもない事だったらどうしようと動悸が止まらなかった。
「信じられない! 本当に、本当にあの男は! 大事なこと教えないでこの席に座らせたのね!!」
サロメの顔は怒りで歪んでいる。美人が台無し――にはならなかった。美人は怒っていても美人だった。
「あの、何があるんでしょうか。今日が初めてで何も知らなくて」
不安すぎる。不安すぎてもう立ち去りたかった。サロメは溜息を吐き、ローズに向き直った。
「いい? この特別招待席の別名は、『恋人席』と言われていて、恋人、もしくは恋人になる人が座る席なのよ」
ローズはサロメの言ったことを理解するのに数秒かかり、ポカンと口を開けた。




