22.言っていないこと
――3日後。
レオナールは書斎で羽根ペンを手に取り、手紙を書いていた。向かいにある1人がけのソファにはヴァルが座り、その様子を見ている。
「本当に大会出るんだな」
「ああ」
「俺はどうしろっつーの?」
剣術大会はトーナメント戦になっており、くじ引きで決まる。そしてそれは今日決まった。
「楽しみだな」
「ふざけんなって。優勝してサロメに勝利のキスをしてもらいてぇのに」
「なら本気でこい。気を使うな」
「父上になんて言われるか」
「俺からミストラル卿に言ってやるさ」
「それより俺の前に当たるかもしれねぇエルキュールに負けてくれねぇか? そしたら俺とエルキュールになるだろうから、ボッコボコにしてぇ」
トーナメント表を見て、だいたい誰が勝つかは予想が出来た。もちろん本番でその予想通りとは限らないが、予想が当たればレオナールはエルキュールと当たる。
「駄目だ」
「頼むって。あいつを殴っても咎められねぇ唯一の機会なんだ」
「そんなの俺も同じだ」
「……なぁ、ローズにキスのこと言わなくていいのか? 大会観たことねぇって言ってたから知らねぇと思うけど?」
「言わない。その方が面白そうだ」
「可哀想に。同情するね、ローズに」
レオナールは気にせずカリカリと羽根ペンを動かし、まず一通の手紙を書き終えた。そして封筒の宛名に【エメリック・ヴァン・ラファル】と書くと封蝋をした。
「出場すること一応伝えるんだな」
「父上には伝えなくては。後々面倒になる」
「伝えてもローズを招待するなら面倒になるんじゃねぇの」
「だとしても、後で人伝てに聞かされるよりはマシだろう。どんな尾鰭がつくか分からんしな。それこそ面倒だし、それにどの道知ることだ」
「……ぷはっ」
「どうした?」
「いや、その尾鰭を思い出しちまった。レオに100人の彼女がいる、って聞いて説教してきたやつは傑作だった。『100人じゃないのは分かっている。実際は20人くらいか? それでも駄目だ! いい加減にしろ!』は、忘れられねぇ」
「はぁ……何がどうしてそう尾鰭がつくんだろうな。意味が分からん」
そう言って書いた手紙を机の端に置くと、もう一通手紙を書き始めた。数分後、書き終えた封筒に【フィリップ・ヴァン・テュルビュランス】と書かれていた。
「ルネには書かねぇの?」
「手紙に【ルネを連れて来て欲しい】と書いてある。だから大丈夫だ」
そしてまた一通手紙を書き始めた。同じように数分後書き終えると、【レティシア・ヴァン・タンペット】と封筒に書いて封蝋をした。
書き終えた3通をヴァルへと渡した。
「これを出してきてくれ」
「レティシアにいつまで書くんだ?」
ヴァルは眉をひそめ、半ば同情するように言った。
「俺の熱烈な想いが届くまで」
レオナールは溜息混じりにそう言うと、ヴァルは苦笑いをした。
***
――夜、ナディアの家。
「それで、ぬいぐるみは取ってもらったしで、何やかんやちょっと素敵に思ってしまったと?」
「素敵には思ってない!!」
「でも帰りにほっぺにキスされてドキドキしちゃったんでしょ?」
「それは誰だってドキドキするものでしょ!?」
「えー、気になってる相手ならかな」
「嘘!?」
「それ以外ならただ不快なだけだし……ロイクにキスされたらドキドキする?」
「……ちょっと嫌かも」
「ほらー」
ナディアは何故か勝ち誇ったような顔をする。ローズは頭を抱え、テーブルの上にある鍋を穴があきそうなくらい見ていた。
自分の好みがあんな傲慢男だったなどと、認めたくない。
容姿はまぁまぁでいい。それでいて賭け事が趣味では無い人。金銭の管理もしっかりしていて、優しい性格で、クロシェット生花店を一緒に切り盛りしてくれる人だと有難い。
そう常々思っていたが、レオナールでは真逆である。
「ふふっ、もう気付くと相手のことばっかり考えてるでしょ」
「何で分かったの!?」
「好きだとそうなるの。暇さえあれば考えちゃう。上手いなー、相手の人。自分のことよく考えさせる為に家名当てゲームなんてさせてさ」
「え?」
「気付いてないの? 上手く仕向けられてるよ。ローズが自分に興味無いの分かってるから、少しでも自分のこと考えてくれるようにそんなゲームやらせたんでしょ。思惑通りローズはその人のこと考えまくってる」
「……え、そんな……え?」
「上手く行けば意識するようになるもんね。いいなー。相手はローズに夢中じゃない! 舞台にも連れてってもらって、オディリアにも会わせてくれたんでしょ?」
ナディアに言われ、ずっと自分はレオナールの掌の上で踊っていたのだと知り、顔を引きつらせた。
「帰りは強姦魔から助けて貰って……もうローズの英雄じゃない! あーーーーいーなー!」
「そ、それは……」
「勿体ぶってないで付き合っちゃえばいいのに」
「で、でもレオナールは本当に女癖が悪くて、しかもあの悪名高いヴァンの貴族で――」
「その女癖の悪い貴族様は今ローズ一筋なんでしょ? 話してみたら悪い人じゃなかったんなら、ヴァンの貴族の噂なんて所詮噂なんじゃないの?」
「……だけど」
「ねぇ、何が気になるの?」
「何がって……なんて言うか全部」
「全部??」
「そう。全部。全部よ。あの顔も。余裕そうな性格も。それに――……」
「それに?」
ローズは溜息を吐いて俯いた。
「私が子供産めないってことも」
悲しげにそう言うと、ナディアはローズの手を取った。
「……ローズ」
「貴族はさ……跡取りの問題があるじゃない? 跡取りを作ることが平民よりも大事でしょ。それに、ヴァンの貴族だし」
「その貴族様は跡取りなの?」
「うん……次期当主って聞いた」
「そう……でも、それは言ってみないと分からな――」
「分かるよ。言わなくても」
ローズは俯き言葉を噤んだ。例えレオナールを好きになったとしても、悲しい未来しか見えてこない。自分が子供を産めないことを、いつかは打ち明けなければならない。
そうなると、次期当主で跡取りのレオナールは跡取りを産む人物が必要なはずである。
特にヴァンの貴族なら尚更である。1000年間血筋を保っている。これは簡単なことでは無いし、彼らは血筋を絶やしてはいけなかった。
(無理なんだよ……)
明るい未来が見えないなら、好きになっても意味が無い。ローズは溢れそうな想いに蓋をしたく、気になっていることを認めたくなかったが、なかなか上手く閉じれそうになかった。
***
ローズは家に帰り、ベッドに入ってボーッと考える。
こんな気持ちは初めてで、どうしたらいいのか分からなかった。貴族と平民なんて未来がない。そういう恋愛小説は好きだが実際無理である。
さっさとレオナールの家名を当て、これ以上好きになる前に終わらせないと後悔してしまう。
ローズはベッドから降りて、図書館から借りた本を開いた。
(ヴァルは代々騎士の家だって言ってた。それは……ミストラル、クードゥ……あとはタンペットとトゥールビヨンか。海騎士と陸騎士で違うのね。
そっか……ヴェストリ地方は海に面してるから、海騎士がいるんだ。それでヴァルは海だって言ってたから、ヴァルはミストラルかクードゥってこと?)
そして本のページを数枚開き、ある文が目に止まった。
【ラファル家の専属騎士を多く輩出しているのはミストラル家とタンペット家である。他の家が専属騎士になることもあるが、この家門から選ばれることが多く――】
「……え? もしそうならレオナールって」
ローズはハッとした顔をして、忘れないうちに【ラファル】の文字を日記に書いた。