21.19.5話 添い寝の真相
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――ローズが王都ラファル邸に泊まった日の夜。
ローズは入浴が終わり、用意された寝間着へと着替えた。アイロンがけされた綿素材のワンピースの寝間着だ。靴からルームシューズに履き替え、ベッドへと腰掛ける。
(お風呂場広かったな……内装も豪華だった……湯船が桶じゃないってなんなの)
煌びやかな風呂場を見て、やはり住む世界が違うなと改めて思った。ここの湯船と違い、平民の家の湯船は大きな桶が置いてあるだけなのだ。ふぅ、と溜息を吐くと扉を叩く音が聞こえ、メイドが温かい食事とココアを持ってきた。
「短い間ですが、ローズ様のお世話をさせて頂きますイネスです」
30代後半程の彼女は頭を下げた。黒いワンピースドレスに白いフリル付きのエプロンとキャップを被っている。行動や話し方に品を感じる人だった。
「食事をお持ち致しました。何か用があれば、ベッド脇にあるその紐を引っ張って下さい」
「え? ありがとうございます」
イネスはテーブルに食事を置いた。ココアは先程飲んでいたココアとは違うコップに入っており、湯気が立っている。新しく入れ直してくれたココアだ。
ベッド脇を見ると、太い紐が壁からぶら下がっている。イネスはこれを引っ張るよう言ったのだろう。これを引っ張れば地下にある使用人ホールのベルが鳴るのだが、引っ張るとどうなるのかローズにはいまいちよく分かっていなかった。
「では失礼致しました」
「――あの、レオナールは?」
「レオナール様は用事を済ませたら来られるかと思います」
「用事? 時間はかかるんですかね?」
「うーん……そこそこかかるかと。暴行しようとした犯人を捕らえに行っているそうです。大変でしたね」
同情するような顔をして、イネスは扉の前まで移動した。
「あっ……でもレオナールが助けてくれたので大丈夫です。ありがとうございます」
礼を言うと、イネスは部屋を出て行った。
(犯人を警備隊に引き渡すのかな? だとしたら時間かかるかもだし、この部屋には今日は来ないよね)
ローズは食事をとり終えると、ベッドに入ってココアを手にした。
(あ、明日の服どうするんだろ……聞けばよかったな。まぁいっか)
そして何口か飲んだ後、レオナールの事を考える。男達に押さえつけられ、身動き出来なくなった事を思い出してしまった。
あの時助けてくれなかったら、一生消えない心の傷が出来ていた。怖かった事を思い出し身震いした。レオナールが助けてくれて本当に良かったと、感謝の気持ちと、それと同時に胸が締め付けられるように苦しい気持ちになり、右手で胸を抑えた。
(かっこよかった……いえ、それは前からね。顔はかっこいいんだから……多分私はもうレオナールのこと――)
薄々――いや、とっくに気付いていた事実に目を背けた。彼を好きになったとして、それは最後まで実ることは無い。
貴族と平民の恋愛が成り立つ訳が無い。特に、相手がヴァンの貴族なら尚更。高貴な血筋、生まれながらの貴族なのだ。
溜息を吐いて、ココアをサイドテーブルへと置いた。
(甘くて、美味しい。ココアなんて普段飲めないもの……)
砂糖もカカオも貴重品であり、平民からしたら高級品であった。部屋を見渡し、暖炉が燃えていることも、部屋にある蝋燭とは違う光源石の光も、数々の家具も何もかも平民の家とは違う。
(一時付き合ったとしてその先は? 無理でしょ。これ以上好きになんてなっちゃダメ……それに私は……)
上手くいくはずがない。そう考えながら、ローズは眠りについた。
***
レオナールとヴァルは、隠されていた婦女暴行犯をブランティグルの警備署に連れていった。婦女暴行犯は2人が来るまでずっと気を失っており、他の人達に見つかることもなかった。
警備署には数人の警備兵が待っており、馬車で着いて直ぐに出迎えられた。
「お待ちしておりました」
口髭をたくわえ腕章を着けた警備兵が、レオナールに話しかけた。
「私、署長の――」
「悪いが自己紹介はいい。疲れている。さっさとこいつらを頼む」
レオナールがヴァルに目配せすると、ヴァルは扉を開けて婦女暴行犯2人を引っ張り出した。投げ捨てられるように地面に置かれ、2人は何をされるのかと目をキョロキョロしている。
署長は持っていた手配書の人相書きを見て、指名手配されていた犯人だと確認した。
「数日ここに置いておいてくれ」
「了解しました。これで、連続婦女暴行事件も終止符が打たれます。でも、本当にレオナール様が捕まえた事を公表しなくて宜しいのでしょうか? 公表すれば、名声が――」
「いい。絶対にするな。この2人はヴェストリに連れて行く。捕らえたことも内密に」
「……なるほど。了解しました」
警備署長は察し、部下に合図を出すと2人は連れて行かれた。
「では帰る。また後日」
レオナールは馬車に乗ると、ヴァルも馬車に乗った。警備署長は一礼して去って行った。
「あいつら拷問しねーの?」
「いい。それよりも早くローズの元に。服も調達しなくてはならないからな」
「そうかい。随分入れ込んでんな。レーヌ以来だ」
ヴァルがそう言うと、レオナールはじろりと睨み付けた。
「そう怒んなよ……俺は嬉しいのに」
『俺は嬉しいのに』の部分を小声で呟くように言うヴァルを無視した。ヴァルもわざと無視されたのだと気付いたが、何も言わずに顔を背けた。
次に馬車が着いたのは王都ラファル邸とは違う邸宅だった。扉にはインコと花の紋章が描かれていた。
レオナールが扉を叩くと、数分後、執事が扉を開けた。そしてレオナールの顔を見るなり驚き、中へと招き入れようとする。
「ここでいい。オデットはいるか? いるなら呼んで欲しい」
そう言うと執事は急いで中へと入る。そして再び数分後、扉が開かれた。
「本日はよく会いますね」
そう言って出てきたのは、ブラギ座で村娘役を演じていたオディリアである。『オディリア』とは芸名であり、本名はオデットだった。本来はここではなく、劇場近くの支配人が用意した良いアパートに住んでいる。だが今日は、父親が王都に来ている為にここに居る。
彼女は平民の振りをしているが、本来はヴァンの貴族である。
「急で悪いが平民の服はないか?」
「平民の? いっぱいありますが、どうされるのです?」
レオナールが事情を話すと、オデットは服を持ってきて渡した。
用が終わると王都ラファル邸へと着き、ヴァルは「寝る」と自室へと戻った。レオナールはローズが寝ている部屋へと向かう。
(もう寝てるか? それでもいい……会いたい)
部屋へとつくと、軽く扉を叩いた。
「ローズ。起きているか?」
返事がない。レオナールは悪いとは思いつつも、扉を開けた。
すぅすぅと可愛らしい寝息を立て、案の定ローズは眠っていた。レオナールは平民の服を椅子へと置き、ローズの寝ているベッドへと歩み寄る。
「流石に寝ているか……」
小さく呟き、ベッドへと腰掛けた。そしてローズの頭を撫でると薄らと目を開けた。
「レオ……ナー……ル」
寝惚けながら自身の名前を呼ぶ彼女に、愛しさを感じた。
「どうした?」
寝惚けているのは分かっている。この言葉も聞いていないだろうが、何となく返事をしたくなった。
「怖かっ……た……ありが……と……」
伝えられたのは感謝の気持ちだった。まさか返事をされるとは思わず驚いたが、「どういたしまして」と答えた。すると、ローズ微笑みレオナールの袖を優しく掴んだ。
「ここに……少し……だ……け……」
「え?」
「いて……」
そう行って彼女は手を離した。再び寝息が聞こえる。
「はっ……ははっ。それは卑怯ではないか? ローズ」
彼女は寝惚けている。明日にはこの事も記憶に無いだろう。何となくそう言っただけかもしれないが、この一言は期待したくなる。
「少しだけ? 冗談」
そう言ってレオナールはローズの傍で横になった。