19.住む世界
「お帰りなさいませ、レオナール様、ヴァランタン様……そちらの方は?」
扉が開く音が聞こえ、男性の声が聞こえた。
「彼女はローズ。俺の愛する女性だ」
そう言われてローズは顔が赤くなる。ローズはレオナールに、抱き寄せられるように中へと入る。まだ目を閉じていたが「もう開けていいぞ」と言われ、目を開けた。
大理石の床に吹き抜けの玄関ホールや螺旋階段。大きく高級そうな花瓶には花が活けられていた。絵画もいくつかあり、大なり小なり全てごてごした額縁だった。
(貴族の家だ。すごい……)
「彼女を泊める。準備をして欲しい」
「かしこまりました。部屋は如何なさいますか」
「一緒と言いたいが別だ。入浴の準備と、それから服はあるか? それも用意を」
「探してみます」
その場から執事が去っていった。
「ヴァル、ローズを応接室に」
「レオは?」
「シュエットと話しをする」
「あー……分かった」
ヴァルがそう言うとレオナールはローズから離れた。少し寂しいような気がしたのは、知らぬ場所で不安だったからだと思いたい。
「こっち」
ローズはヴァルの後を歩く。大理石の廊下の上には深緑の絨毯が敷いてあった。
(床がツルッツルだ……絨毯がなかったら滑って転んで大怪我ね)
玄関から近い部屋の扉を開け中へと入った。やはり中も仰々しい。いかにも貴族の応接室といったような部屋だった。閉められたカーテンも全面刺繍が施され、重厚感がある。
暖炉には火がくべられ暖かかった。
「適当に座んな」
そう言って彼はどっかりとソファ席に座った。ヴァルはレオナールと違い、あまり貴族感は無い。今も自分の家のように足を伸ばしてくつろいでいるし、話し方もそうだが少し親近感が湧いた。
ローズはヴァルの向かいにゆっくりと座る。思った以上に柔らかいソファに驚いた。手触りも滑らかな生地である。あまりの触り心地の良さに何度もスリスリと触ってしまう。
「なぁ」
ヴァルが声を掛けてきた。子供っぽく品のない行動だったかと慌てて手を止め「何でしょう?」と聞いた。
「口止めされた収穫祭は楽しかったか?」
そしてジトッとした目で見てくる。もう無理である。彼は完全に分かっている。見苦しい言い訳をした所でどうなるのかと、ローズは苦笑いをして「はい……」と答えた。
「あーあーあー、全く。あいつは、俺の首が無くなってもいいのかね」
「収穫祭、レオナールは遊んではダメだったんですね。何故ですか?」
「その日は俺がデートするから」
「あ、劇場で腕を組んで歩いていた綺麗な人とですね」
「そこで見たのか? そう。世界一の美人、サロメ。ひっさしぶりのデートだった」
「あまり頻繁にはされないのですか?」
「普段学校だし、今は王都研修中だしで出来ねぇの。それで、収穫祭の日は王都に来るって言うからデートしようと思って、レオに1日出歩かない約束をしてた」
ということはデートに誘った時、レオナールが少し悩んでいたのはこのせいなのかもしれないと思った。本当は駄目なのに無理に付き合ってくれたのだ。申し訳ない気持ちと、嬉しい気持ちが入り交じる。
「……いつもデートする時はそうなんですか?」
「いんや、王都だからな。何かあるかもしんねぇし。さっきの使用人が一緒にレオと出掛けたりもする」
「へー……やっぱりレオナールはその……身分がいいんですね」
「そうだよ、驚くよな? そんでもって今ゲームしてんだろ? 家名当てゲーム」
「あ、聞いてますか?」
「そりゃあ勿論。で、何か聞きてぇことある? なぁんでも教えてやるよ。好きな食べ物は真鯛のマリネと子羊のロースト。嫌いな食べ物は甘い物全般。特技は気配を当てることとポーカー、好きなもんは船に乗ることで、嫌いなもんは猫に寒い場所。あとは――」
「ふふっ、本当に何でも教えてくれるんですね」
「ああ、教えてやる。家名は内緒だけどな」
「レオナールからそう言われてるんですか?」
「いんや。教えねぇのは、ローズも楽しんでるっぽいから」
「……え?」
「楽しんでるだろ、このゲーム。だから言わねぇでおく」
そう言ってヴァルはニヤッと笑った。元々ニヤケ顔なのだが、さらに面白そうに笑っている。この状況を面白がっているようだ。
「別にそんな訳では――」
「いいじゃねぇの。隠す必要もねぇさ」
「ただ答えを知ってそのまま回答するのが嫌なだけです。算数でも計算式って大事でしょ? その答えに行くまでの過程が」
「俺は計算が嫌いだったからさっさと答えを知りてぇタイプ。でもレオはローズと同じかもな。案外気が合うと思うけど」
「気が合う合わないではなくて、住む世界が違いますし……ヴァンの貴族でしょうレオナールは」
「へぇ! そこまで分かったのか」
「いいヒントをくれたので。ラファルか、ミストラルか、クードゥか」
「ほぉー、いいねぇ。なら1つヒントやるよ」
「え、いいんですか?」
「いいぜ。じゃあヒント。俺もヴァンの貴族」
「……え? えぇ!?」
「そうは見えねぇって思ったか?」
「あ、いやその――」
「気にすんな。よく言われんのよ。全く何でだろうな。こんなに品があるってーのに」
ヴァルは冗談交じりにそう言う。ローズは笑ったあと、彼が自分もヴァンの一族だと言ったことの意味を考えた。考えている様子のローズを見て、ヴァルもニヤケ顔で黙った。
黙って考えている間に、温かいココアが従僕によって運ばれた。それを持って指先を温めながら、再び考える。
(ヴァルはレオナールの専属騎士。レオナールの騎士になるのは自分よりも身分が下の所は騎士やらないかな……でも爵位を継がないならありえる? いやいや、本には自尊心が高い一族って書いてあったし……ヒントとも言ってたから、それを前提に考えてみよう)
「ヴァルの家名は何ですか?」
「んー……内緒にしておくかな。あまりヒントやんのも怒られる」
「分かりました。なら、どんな家系ですか?」
「どんな? ……そうだな……代々騎士の家系。あ、海のな」
(代々騎士の家系……海って何か関係ある? あとで本読もう)
「爵位は継がないんですか?」
「継がねぇ。1番上の兄が継ぐ」
「1番上ってことは何人かいるんですね」
「そ! 俺は3人兄弟の三男」
「ちなみに次男は?」
そう聞くとニヤケ顔のヴァルの表情は曇った。
「……もしかして仲悪いんですか?」
「すんげぇ悪い。隠したくもねぇくらい。長男とはいいんだけどな」
ならばもうあまり聞かない方がいいだろう。それにここからはあまりヒントになりそうな情報はない。
「そういえば、レオナールに兄弟は?」
「いるよ。弟が」
「そうなんですか」
「それに弟の方が有名人」
「え? 弟の方が?」
「そう。全国民が知ってるって言っても過言じゃねぇ」
(いやそれは言い過ぎだよね……)
「でもレオナールが爵位を継ぐんですよね? それなのに?」
「そ! 大大大ヒントかもな」
「失礼致します」
扉を叩いて若いメイドが1人入ってきた。
「入浴の準備が整いました。ローズ様、こちらに」
「あ、はい」
「行ってらっしゃい」
ヴァルは手をヒラヒラと動かし、ローズはメイドの後ろをついていった。
(お風呂、夜入れるんだ……)
廊下の光も部屋の光も、光源石という魔鉱石によって照らされていた。特定の石で叩けば光る光源石は、魔鉱石と呼ばれる1つだ。
魔鉱石は種類や質によって値段が違うが、基本高価だ。光源石は家の大きさや部屋数の違いもあるが、平民の家にはまずまずな品質な物が1つ、リビングにあれば充分だった。
なので平民は風呂を朝に入る。風呂場に蝋燭を持っていっても消えてしまうからだ。
(やっぱり住む世界が違うな……)
お風呂場に高品質の光源石がある家とは違う。そうしみじみと感じ、なんとも言えない気持ちになった。
***
「――なるほど、畏まりました。直ぐに手配を致します」
「頼んだ」
シュエットは従僕とメイド達に何かを伝えると、邸宅を出ていった。レオナールは応接室へと向かう。今頃ローズとヴァルが、出されたココアを飲んでいるはずである。
(ローズの服をどうするか。多分無いだろうな……)
レオナールが王都へ来てから誰も女性を泊まらせていない。ましてや平民など以ての外である。
(ヴァルに言ってサロメのを借りるか……いや、サロメの服は似合わなそうだ。それにドレスより平民服を好むだろうな……)
応接室の扉を開けると、そこにはヴァルしかいなかった。ローテーブルの上には、まだ湯気が立っているココアが置いてある。
「ローズは?」
「入浴中」
「そうか、ならいい。俺は出かける」
「あの強姦魔のとこか?」
出かける場所は、あの婦女暴行犯の所である。シュエットはブランティグルの警備署へと向かっているところだ。
ブランティグルの警備隊は、ヴェストリ地方出身であり騎士学校出身であるため、ヴァンの貴族を支持している。なので口は固く、喜んで手を貸す。
「そうだ」
「一応隠してるから、俺も行った方がいいかもしんねぇ」
「そうか……なら頼みたい」
「ローズの傍にいてやれば? 連れてきたら言うから、拷問なりなんなりすればいい」
「いや、この手で連れてきたい。その後ローズの元に行くさ。はぁ……王都警備隊に見つかっていなければいいが」
「縛って声も出せねぇようにしたし、意識取り戻してもどうにもならねぇとは思う。例え見つかったとしても、金出せば引き渡してくれるさ」
「面倒だ」
「それもそうだな。で、アイツらはあそこに連れて行くんだろ?」
『あそこ』というのは、ブランティグル内にある警備署にある牢屋の事だ。ブランティグルに侵入しようとした不届き者が、主に入る場所である。
「そうだ」
「殺さなかったの、私はとても驚いていますよレオナール様」
そうふざけてヴァルは言うとレオナールは軽く笑った。
「ローズに止められた。止められて、それが他の普通なんだと思い出した」
本当はあの場で殴り殺そうとしていた。
だがそれをしなかったのはローズに配慮した為だ。
「まぁ、住む世界は違ぇわな……そんでその先どうすんの?」
「悩んだが、ルネの誕生日が近いからテュルビュランス卿に頼んで贈り物にしてやろうかと」
「ああ……そりゃ喜ぶな」
「テュルビュランス卿なら身代わりも調達しやすい。全て丸く収まる」
「言えてる。なら連れてく時は俺も行こうか?」
「いいのか?」
「別に構わねぇよ。どうせ数日後の夜中だろ?」
「そうだ」
「それならいいぜ。一緒に行けば収穫祭の時みてぇに内緒で出かけることもねぇだろうからな」
そう言ってヴァルはレオナールを睨み付けた。
「……そう怒るな。悪かった」
「デートに誘ったのはローズからだろうがなんだろうが、言って欲しかった」
「そうなるとヴァルはついてこないといけないだろう。サロメはただでさえ俺の事嫌っている。一緒にデートとなったら俺もあいつも吐くぞ」
そうは言ったがヴァルの不満は止まらない。面倒なことになったな、とレオナールは溜息を吐いてローズの服をどうするか考えた。