18.ブランティグルの邸宅 ※
「あまり動かないでくれよー。綺麗な肌が血だらけになっちまうからさ」
そう言ってローズの服を切り裂いた。胸元は露になり下着が見える。体がすくみあがり、固まってしまった。
「そうそう。そうやって大人しくしてろって」
今度は下着に手をかける――が、それは出来なかった。いきなり現れた男に蹴られて吹っ飛んだからだ。壁に頭を打ちつけ身悶えている。蹴られた鼻からは血を流し、顔と後頭部の両方を手で抑えていた。男の鼻は曲がり、鼻血が出ているので折れたのだろう。
「何だおま――」
ローズの手を抑えていた男も同じように蹴られ、帽子を被った男に重なるようにして倒れた。翡翠の瞳は冷酷に男2人を見下げた。鋭く光ったその瞳に怒りを通り越した何かが見える。
「レオナール!」
ローズが名前を呼ぶと、レオナールは心配そうな顔でローズに手を差し伸べた。
「大丈夫か? 怪我は?」
フルフルと首を横に振って手を取ると、強い力で引き寄せられ抱き締めてきた。
「無事で良かった」
糸が切れたのか涙が溢れ出てきた。気付けばローズもレオナールを抱きしめ返している。
「てめぇ……」
蹴られた男はよろよろと立ち上がった。帽子を被った男はまだ身悶えている。先程までローズを見ていたレオナールの優しい目付きが変わり、男をこれでもかと睨みつけた。あまりに鋭い目付きに男はたじろいだ。
「悪いが少し待っていてくれ」
レオナールはローズから離れ、男の元へと歩み寄った。男は意を決したようにレオナールへと殴り掛かった。レオナールはそれを避け、鳩尾に1発膝蹴りを入れる。男がしゃがみそうになった所、髪の毛を引っ付かみ、今度は顔に膝蹴りを入れた。男の顔はぐしゃりとめり込んでいるように見えた。更にとどめの一撃として頬を殴り、男はそのまま地面へと倒れ気を失った。
次に帽子を被った男だった。男は必死に立ち上がり、持っていたナイフを構えた。大きくナイフを振り上げると、レオナールはその腕を簡単に掴んで顔を殴った。折れた鼻を更に殴った事で、もう男の鼻血は止まりそうにない。男はナイフを落とし、四つん這いになった。そんな男の脇腹を蹴りあげると、横になり動かなくなった。
だが蹴ることを一向にやめそうにない。更には胸倉を掴み、もう一度顔を殴ろうとしている。
「もうやめて! 死んじゃう!」
そう言われたレオナールはハッとしたように動きを止めた。そして男の胸倉を掴むのをやめ、再びローズの元へと戻り抱き締めた。
「俺は今怒っているぞ」
苦しいほどに抱き締められる。胸がドキドキしているのは、怖い思いをしたからなのか、それとも抱き締められているからなのか。
「ごめん……でも……ううん、ごめん」
「帰ろう。送る」
レオナールはローズから離れると、自身の上着を脱いでローズに羽織らせた。
「あ、待って! 駄目!」
「どうした?」
「この格好じゃ帰れない。お母さんに心配されちゃう」
「ならどうする」
「お店に行こうかな。鍵持ってきてるし」
「着替えはあるのか? 寝るところは?」
「無いけど……でも仕方ないから。朝、服屋さんが開いたら買いに――」
「家に来るか?」
「え?」
「寝るところも、風呂も用意する。着替えはどうだろうな。まぁなんとかなるだろう」
「でも、その――」
「やぁーーーーと見つけた!!!!!!!!!!」
背後から男の声が聞こえた。先程の2人の仲間かと驚き、ビクッと身体を震わせレオナールの後ろへと隠れた。
「ヴァル。遅かったな」
黒い服に黒い鞘の剣を携えた背の高い男だった。前にレオナールの傍にいるのを見たことがあり、収穫祭の時に『専属騎士だ』とレオナールが言っていた男だ。
「勝手に走ったりすんの止めてくれ! 見失う!」
「仕方がないだろう。ローズの危機だったんだ」
「はぁ? 何が危機だよ。デートの途中で逃げられただけ――……あー……これは?」
「ローズを襲った奴らだ」
「ふぅん」
ヴァルは気を失っている男達の元へと歩んだ。しゃがみこみ、2人の様子をじっくり観察した。
「え、あれ? 生きてる。どうすんの?」
レオナールは振り向いたヴァルに、顔をしかめてローズをチラッと見て目配せをする。それを見て「あー、分かった」とだけ言った。
「あ、あの……」
ローズは声を掛けた。ヴァルは振り向き、ローズを見ると真面目そうな顔からニヤケ顔になった。
「いやぁ、そうだった。すまねぇすまねぇ。挨拶がまだだったなお嬢さん。俺の名前はヴァランタン。ヴァルって呼んでくれて構わねぇよ。レオの専属騎士をしてる」
「あっ、えっと私はローズです。騎士なのは知ってました。収穫祭の時レオナールから聞いたので」
「へ? 収穫祭?」
「もういい、こんな所からはさっさと離れるぞ。ヴァル、馬車を手配してくれ。ローズを連れて家に帰る」
「家に? ローズ嬢の?」
「いや、ブランティグル」
「分かった。でもその前に収穫祭の話しを聞きてぇ――」
「いいから早く行け。ローズをここに居させたくない」
少し不満気な顔をして、ヴァルは路地裏を離れた。ローズはその間に上着に袖を通して、前ボタンを閉めた。
「ねぇ、どうして専属騎士の人がいるの?」
素朴な疑問だった。レオナールと一緒に歩いている時、彼はいなかったのだ。
「少し後ろからつけていた」
「え!? そうだったの?」
「ああ。騎士だからな。俺の身を護らなければならない。それで、何があってもいいようにあまり分からないようにつけていた」
「へぇー」
「それと、収穫祭の事は言わないでくれ」
「どうして? まさか内緒でデートしたからとか?」
ふざけてそう言ってみると、レオナールは苦笑いをして「そうだ」と言った。
「え! ホントなの!?」
「だから言うな。面倒になる」
ローズはこくりと頷き、倒れている2人を見た。2人は全く起きそうにない。相当な被害を受けているらしい。顔は腫れぼったく、鼻と口からは血を出している。だらしなく開いた口は、歯が数本折れているのが見えた。
(この2人はどうするんだろう。警備隊に引き渡すのかな)
新聞にも載っていた彼らなので、捕まったとなれば皆安心するはずだ。
そんな2人を見ていると、レオナールに顎を掴まれ、右へ左へと動かされた。怪我がないかの確認である。彼の大きな右手が顎を優しく包み込み、じっと見られるとドキドキした。
「怪我はないの。大丈夫」
レオナールの右手に触れ、顎から引き剥がした。なるべく距離を取ろうとした時、彼の左手が腰に回された。
「ちょっと!」
「何だ」
「近すぎ!」
「寒いから身を寄せてくれると助かるからな。俺としてはもう少し近くにいてくれてもいいと思うが」
この腰に回された左手をどうにか離させたいが、レオナールの上着を奪っているのは自分であるので何も言えなくなってしまった。
「全く、勝手に走り去るなんて……2度とするな」
「ごめん……でもよく私の場所分かったね」
「俺の特技だ。集中すれば気配で何となくわかる」
「え。それ凄い特技だね」
「良く言われる」
「お陰で小さい時のレオとの隠れんぼがつまんねぇのなんのってな。はい、お待たせしました。馬車借りてきましたよ。それと縄もな」
ヴァルが左手に細めの縄を持って戻ってきた。馬車は大通りに停めてあるようだ。レオナールはローズの肩を抱き寄せ「先に行く。頼んだ」と言うと歩き出した。
馬車まで来ると御者が扉を開け、2人は乗り込んで革張りのソファに座る。レオナールとローズは隣同士に座る。ヴァルは少ししてから馬車へと戻ってきて乗り込み、その向かいに座った。腰に携えていた黒い剣を手に持ち、じっとこちらを見てきた。
扉を閉めると馬車は動き出し、「なぁローズ嬢」とヴァルが話し掛けてきた。
「ローズです。ローズで構いません。『嬢』なんて付けるような身分ではないので」
「ならローズって呼ばせてもらう。それで収穫祭の事なんだけど――」
「ああ、あれは間違いです」
「間違い?」
「ええ。ヴァルさんのことは――」
「ヴァルでいい」
「……ヴァルのことは収穫祭ではなく……まぁ、適当に聞きました」
「…………ほーん」
全く納得していない声だった。そう言いながら、ヴァルはレオナールをジトッとした目で見ている。なんて自分は嘘が下手なのだろうかと、レオナールに申し訳ない気持ちになった。
「言っただろう。その日は散歩しかしていないと」
「ソウデスネ」
ヴァルは棒読みでそう答えた。
暫くしてブランティグルの門まで来た。門番が馬車の扉を叩くと、レオナールは窓を開けた。
「どちら迄」
門番がランタンを持ちそう言う。レオナールはローズに「内ポケットに入っている懐中時計を取ってくれ」と言った。
ローズは左の内ポケットに手を入れると、ひんやりとした丸い物が中に入っていることが分かった。それを取りだし、レオナールへと渡す。
レオナールは門番にそれを見せると「どうぞ」と言って門番は下がった。
ガラガラと鉄の門が開く音がする。再び馬車は動き出した。石畳の道路はより綺麗に整った石畳の道路になる。建物は貴族が住むだけあって、どれも絢爛豪華だった。
(初めて入った……近くなのに)
王都西にあるブランティグル地区は、幾つかある貴族の居住区の1つであり、用もない平民は入れない。平民が入るには許可証が必要でローズは入った事が無かった。
馬車は真っ直ぐ走った後、左に曲がるとまた暫く真っ直ぐ走った。何台かの馬車とすれ違うも、全ての馬車に紋章が入っていた。
(ご立派……住む世界が違うな……そうだ、紋章!)
あの懐中時計には紋章が刻まれているはずだ。なのに取り出した時見るのを忘れてしまった。
紋章がわかれば紋章図鑑でレオナールの家名が分かるだろう。なんて馬鹿な事をしたのかと、心の中で嘆いた。
しばらくすると馬車は止まる。
「着いた。降りるぞ」
御者が扉を開け、レオナールが先に馬車を降りるとローズに手を差し伸べた。その手を取って降りると、目の前に広がるのは豪邸だった。中心に女性像のある噴水が玄関前に1つあり、庭には多くの木が植えられていた。花壇もあるが今の時期に咲いている花は少ない。
玄関前には光源灯が左右対称に2つあり、入り口を照らしていた。
「ローズ」
「何?」
「玄関には紋章がある」
「え?」
「見れば家名が分かるだろう」
馬車の位置からは噴水が先に見え、その奥に玄関があるのでまだ紋章は見えていない。
「そうなんだ」
「見たいか?」
「……何でそんなこと聞くの?」
「そうすればあっという間に俺を振ることが出来るからな」
「図鑑見ないと分かんないと思う」
「そうか。だが、どちらにしても早く分かる」
「そうね」
「だがそれでいいのか?」
「……どう言う意味?」
「そんな簡単に分かってしまって。つまらなくないか?」
「え?」
「ありとあらゆるヒントから推理をする方が俺は楽しいと思うけどな」
「……つまり『見ないで』って言いたいのね」
「ローズ次第だ。どうする?」
「お願いしてくれたら見ないであげる」
少しばかり上から目線でそう言った。するとレオナールは「ははっ」っと笑い、ローズに顔を近づけた。
(近い!)
「お願いだ」
真っ直ぐ見つめてくる視線をゆっくりと外し「うん」と答えた。この距離は心臓に悪い。ドキドキしてしまう。
「へー、レオがお願いとはね」
ハッとして振り向く。そう言えばヴァルもいたんだと思い出した。先程まで馬車に料金を払っていた彼は、少し驚いた様子だった。
「俺だってお願いくらいはする」
「そうか? 命令と間違ってねぇか?」
「いや? 常に俺はお願いをしている」
2人でおどけたように会話するのを見て、騎士と主人だが友達のように仲が良いのだなと思った。
「さてローズ。目を閉じて」
ヴァルは先に玄関へと向かい、扉についていたドアノッカーで扉を2回叩いた。ローズは目を閉じると、レオナールが手をとり肩を抱き寄せた。